虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

文字の大きさ
68 / 208
第3章

第67話:歪んだ噂

しおりを挟む
 ストルムベルク領を包む空気は、もはや夏の終わりの穏やかさなど微塵も残していなかった。酒場、広場、そして物言わぬ路地裏でさえも、魔物の咆哮に対する「不安」は、いつしかやり場のない「どす黒い怒り」へと姿を変え、領地全体を蝕み始めていた。

「今年の魔物の発生は、明らかに異常だ。北の防壁が抜かれるのも時間の問題だっていうじゃないか」 

「領主様は何をしているんだ。あれほど強かった騎士団が、なぜ防戦一方なんだ……?」

 怯える領民たちの間で、出口のない不満が爆発寸前の火山のように煮えくり返っていたその時。誰が放ったかも分からぬ「一滴の毒」が、意図的に流し込まれた。

「……おい、聞いたか? 王都で虐殺の限りを尽くしたあの『大魔法使い』が、この領地に秘匿されているらしいぞ」

「なんだって!? まさか、この災厄を呼び寄せたのは、その化け物なんじゃないのか……!」 

「領主様はどうして隠しているんだ。俺たちを見捨てるつもりか?」

 一度芽生えた不信感は、顔も名も知れぬ誰かの巧妙な誘導によって、瞬く間に燃え盛る業火となった。事実を歪め、悪意を塗りたくった噂は、行き場を失った民にとって、最も攻撃しやすく、最も残酷な「共通の敵」を作り上げたのだ。

「領主様は、あの忌々しい魔法使いの美貌に誑かされているらしいぜ。館にも戻らず、あの大罪人が閉じ込められた塔に通い詰めて、贅沢な食事や貢物をさせているんだとよ」 

「俺たちが明日をも知れぬ恐怖に震えている間に、魔女とよろしくやっているっていうのか!?」

 不安は「正義」へと歪み、恐怖は「攻撃」という名の快楽へと昇華されていく。 そんな中、まるで決定打のように流布されたのが、民の間で合言葉のように囁かれ始めた「ある解決策」だった。

「……いいか、本当はその魔法使い、王都で『魔石化』の刑に処されるはずだったんだ。巨大な魔力源に作り替えられれば、この領地の結界は何十年も安泰だったはずなのに、領主様が横槍を入れて、生身のまま連れてきやがったんだよ」
  
「つまり……そいつを本来の姿魔石化に戻しさえすれば、俺たちの街は救われるっていうのか!?」 

「そうだ。一人の化け物の命で、俺たちの家族も、生活も、すべてが守られるんだ! 領主様がやらないなら、俺たちがやるしかねえ……!」

 自分たちの平和を守るためなら、たった一人の「化け物」を犠牲にしても構わない。それは、絶望が生んだ最も純粋で、最も悍ましい「集団心理」だった。 

 かつてレリルが夢の中で見た、助けたはずの人間から「化け物」と罵られた光景が、今、現実のものとして彼に迫ろうとしていた。無垢な悪意で結束し、彼を標的にした「英雄」になろうとする者たちの殺意が、深夜の塔へと静かに、着実に集まりつつあったのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】

リトルグラス
BL
 人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。  転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。  しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。  ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す── ***  第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20) **

イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした

和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。 そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。 * 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵 * 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください

すべてを奪われた英雄は、

さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。 隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。 それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。 すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。

神子の余分

朝山みどり
BL
ずっと自分をいじめていた男と一緒に異世界に召喚されたオオヤナギは、なんとか逃げ出した。 おまけながらも、それなりのチートがあるようで、冒険者として暮らしていく。 途中、長く中断致しましたが、完結できました。最後の部分を修正しております。よければ読み直してみて下さい。

【8話完結】いじめられっ子だった僕が、覚醒したら騎士団長に求愛されました

キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。 けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。 そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。 なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」 それが、すべての始まりだった。 あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。 僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。 だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。 過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。 これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。 全8話。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

処理中です...