虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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第3章

第67話:歪んだ噂

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 ストルムベルク領を包む空気は、もはや夏の終わりの穏やかさなど微塵も残していなかった。酒場、広場、そして物言わぬ路地裏でさえも、魔物の咆哮に対する「不安」は、いつしかやり場のない「どす黒い怒り」へと姿を変え、領地全体を蝕み始めていた。

「今年の魔物の発生は、明らかに異常だ。北の防壁が抜かれるのも時間の問題だっていうじゃないか」 

「領主様は何をしているんだ。あれほど強かった騎士団が、なぜ防戦一方なんだ……?」

 怯える領民たちの間で、出口のない不満が爆発寸前の火山のように煮えくり返っていたその時。誰が放ったかも分からぬ「一滴の毒」が、意図的に流し込まれた。

「……おい、聞いたか? 王都で虐殺の限りを尽くしたあの『大魔法使い』が、この領地に秘匿されているらしいぞ」

「なんだって!? まさか、この災厄を呼び寄せたのは、その化け物なんじゃないのか……!」 

「領主様はどうして隠しているんだ。俺たちを見捨てるつもりか?」

 一度芽生えた不信感は、顔も名も知れぬ誰かの巧妙な誘導によって、瞬く間に燃え盛る業火となった。事実を歪め、悪意を塗りたくった噂は、行き場を失った民にとって、最も攻撃しやすく、最も残酷な「共通の敵」を作り上げたのだ。

「領主様は、あの忌々しい魔法使いの美貌に誑かされているらしいぜ。館にも戻らず、あの大罪人が閉じ込められた塔に通い詰めて、贅沢な食事や貢物をさせているんだとよ」 

「俺たちが明日をも知れぬ恐怖に震えている間に、魔女とよろしくやっているっていうのか!?」

 不安は「正義」へと歪み、恐怖は「攻撃」という名の快楽へと昇華されていく。 そんな中、まるで決定打のように流布されたのが、民の間で合言葉のように囁かれ始めた「ある解決策」だった。

「……いいか、本当はその魔法使い、王都で『魔石化』の刑に処されるはずだったんだ。巨大な魔力源に作り替えられれば、この領地の結界は何十年も安泰だったはずなのに、領主様が横槍を入れて、生身のまま連れてきやがったんだよ」
  
「つまり……そいつを本来の姿魔石化に戻しさえすれば、俺たちの街は救われるっていうのか!?」 

「そうだ。一人の化け物の命で、俺たちの家族も、生活も、すべてが守られるんだ! 領主様がやらないなら、俺たちがやるしかねえ……!」

 自分たちの平和を守るためなら、たった一人の「化け物」を犠牲にしても構わない。それは、絶望が生んだ最も純粋で、最も悍ましい「集団心理」だった。 

 かつてレリルが夢の中で見た、助けたはずの人間から「化け物」と罵られた光景が、今、現実のものとして彼に迫ろうとしていた。無垢な悪意で結束し、彼を標的にした「英雄」になろうとする者たちの殺意が、深夜の塔へと静かに、着実に集まりつつあったのだ。
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