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第3章
第59話:遠ざかる背中
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あの日を境にして、塔の中に流れる静謐な時間は、砂時計の砂がこぼれ落ちるように、少しずつ、けれど決定的にその形を変えていた。
あんなに来ない日の方が珍しいほどで、時には夜を徹して側にいてくれたヨハンが、次第に塔を訪れる頻度を減らしていったのだ。
かつては当たり前だった、扉が開くあの重厚な金属音が、今では一日で最も待ち遠しく、そして最も遠いものになっていた。
「……遅いね、レイブン。今日は、もう来ないのかな」
窓枠に身を乗り出し、薄紫色の夕闇にじわじわと染まっていく広大な領地を、僕は何度目かも分からない溜息と共にじっと見下ろす。
ようやく、待ちわびた扉が開く音が塔の下層から響いてきても、入ってくるヨハンの表情は、以前のような「世話焼きなオカン」と揶揄したくなるような、あの活気に満ちたものではなかった。
その顔には、深く、暗い隈が刻まれ、以前は鋼のように強靭だった肩は力なく落ちている。それは、誰の目にも明らかなほど、心身共に限界まで疲弊しきった男の姿だった。
「……ヨハン様、こんばんは。…大丈夫ですか? 顔色が、以前お会いした時よりもずっと酷く悪いです」
駆け寄って、冬の冷気を吸い込んだ彼の上着を受け取ると、ヨハンはどこか遠くを見るような虚ろな瞳で、力なく僕の頭を撫でた。その大きな掌さえ、以前の僕を焼き尽くすような熱を失い、不自然に冷え切っているように感じて、僕は言いようのない不安に胸を掻き乱される。
心を込めて用意した温かな食事を並べても、彼は数口だけ、義務を果たすかのように不器用に運ぶだけで、すぐに箸を止めてしまう。
彼が何か、僕には決して言えない重い「何か」を必死に隠し、独りで抱え込んでいるのは明白だった。
「……ごめんなさい、ヨハン様。……僕、何か、あなたの気に障るようなことをしてしまったでしょうか。それとも、僕がここにいることが……」
「……いや。決して、貴殿のせいではない。……信じてくれ。ただ、少しだけ、領内の公務が立て込んでいるだけだ」
彼は痛々しいほど無理に口角を吊り上げ、僕を安心させるように笑ってみせるけれど、その金色の瞳は僕の視線を避けるように泳ぎ、決して重なることはなかった。
塔に来ても、以前のように朝まで隣の部屋で気配を感じさせてくれることは、もうなくなった。夜が完全に更ける前に、彼は逃げるように立ち上がり、「また来る」という、祈りのような、あるいは呪いのような短い言葉だけを虚空に投げ、去っていく。
その遠ざかる背中を、闇に消えていく足音を見送るたびに、僕は胸を万力で締め付けられるような、鋭く、暗い寂しさに激しく襲われた。
彼を支えたい。その疲れた肩の荷を、少しでも分けてほしい。 なのに、この塔から一歩も出ることすら叶わない今の僕には、何一つできることがない。
その残酷なまでの無力さが、石床に落ちる月影と共に、真っ黒な影となって僕の足元からどこまでも長く、冷たく伸びていた。
あんなに来ない日の方が珍しいほどで、時には夜を徹して側にいてくれたヨハンが、次第に塔を訪れる頻度を減らしていったのだ。
かつては当たり前だった、扉が開くあの重厚な金属音が、今では一日で最も待ち遠しく、そして最も遠いものになっていた。
「……遅いね、レイブン。今日は、もう来ないのかな」
窓枠に身を乗り出し、薄紫色の夕闇にじわじわと染まっていく広大な領地を、僕は何度目かも分からない溜息と共にじっと見下ろす。
ようやく、待ちわびた扉が開く音が塔の下層から響いてきても、入ってくるヨハンの表情は、以前のような「世話焼きなオカン」と揶揄したくなるような、あの活気に満ちたものではなかった。
その顔には、深く、暗い隈が刻まれ、以前は鋼のように強靭だった肩は力なく落ちている。それは、誰の目にも明らかなほど、心身共に限界まで疲弊しきった男の姿だった。
「……ヨハン様、こんばんは。…大丈夫ですか? 顔色が、以前お会いした時よりもずっと酷く悪いです」
駆け寄って、冬の冷気を吸い込んだ彼の上着を受け取ると、ヨハンはどこか遠くを見るような虚ろな瞳で、力なく僕の頭を撫でた。その大きな掌さえ、以前の僕を焼き尽くすような熱を失い、不自然に冷え切っているように感じて、僕は言いようのない不安に胸を掻き乱される。
心を込めて用意した温かな食事を並べても、彼は数口だけ、義務を果たすかのように不器用に運ぶだけで、すぐに箸を止めてしまう。
彼が何か、僕には決して言えない重い「何か」を必死に隠し、独りで抱え込んでいるのは明白だった。
「……ごめんなさい、ヨハン様。……僕、何か、あなたの気に障るようなことをしてしまったでしょうか。それとも、僕がここにいることが……」
「……いや。決して、貴殿のせいではない。……信じてくれ。ただ、少しだけ、領内の公務が立て込んでいるだけだ」
彼は痛々しいほど無理に口角を吊り上げ、僕を安心させるように笑ってみせるけれど、その金色の瞳は僕の視線を避けるように泳ぎ、決して重なることはなかった。
塔に来ても、以前のように朝まで隣の部屋で気配を感じさせてくれることは、もうなくなった。夜が完全に更ける前に、彼は逃げるように立ち上がり、「また来る」という、祈りのような、あるいは呪いのような短い言葉だけを虚空に投げ、去っていく。
その遠ざかる背中を、闇に消えていく足音を見送るたびに、僕は胸を万力で締め付けられるような、鋭く、暗い寂しさに激しく襲われた。
彼を支えたい。その疲れた肩の荷を、少しでも分けてほしい。 なのに、この塔から一歩も出ることすら叶わない今の僕には、何一つできることがない。
その残酷なまでの無力さが、石床に落ちる月影と共に、真っ黒な影となって僕の足元からどこまでも長く、冷たく伸びていた。
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