虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

文字の大きさ
162 / 208
第6章

第161話:聖女

しおりを挟む
 深い夜の静寂が支配する王宮。聖女セレスティアは、祈りの間の祭壇の前で立ち尽くしていた。 

 本来ならば神への祈りに捧げられるべき彼女の心は、今、かつてないほどの激しい動揺に波立っている。

 数刻前、静寂を切り裂いて走った近衛兵たちの足音。そして、その群れを率いる辺境伯の、見たこともないほど必死な横顔。 あれは確か魔導士レリルが追放された先の領主だ。ひょっとしてあの日のことで何かあったのだろうか。

 何より彼女の心を乱したのは、窓辺に現れた一羽の鴉の存在だった。その鴉は、黄金の瞳で彼女をじっと見つめ、何かを促すように謁見の間の方角へと飛び去ったのだ。

(何かが……何かが起きようとしている)

 彼女は重い脚を動かし、冷たい回廊を謁見の間へと向かった。

 セレスティアは、自分の胸に去来する「恐れ」の正体を知っていた。 

 それは、自分が信じてきた『正義』が、根底から覆されることへの恐怖。 

 あの日、王太子レオナルドと共に下した、魔導士レリルの追放。それがもし「間違い」であったとしたら――。神の声を聞き、人々の導き手となるべき聖女としての彼女の存在意義は、その瞬間に崩れ去る。

 自分自身に「私たちは正しかった」「あれは必要な決断だった」と言い聞かせながら。そうでなければ、足元の石畳が今にも底の抜けた闇に変わってしまいそうだったからだ。

 たどり着いた謁見の間。重厚な扉の隙間から漏れ聞こえてきたのは、レオナルドの、低く、冷徹極まりない宣告だった。

『…お前が今ここで流しそうなその涙も、俺には計算された「武器」に見える』

 セレスティアは意を決して、その扉を押し開いた。

 視界に飛び込んできたのは、近衛兵の切っ先に囲まれ、小さく肩を震わせる少年の姿。
 
「演技でも、計算でもありません。……あなたが『完璧』であろうとすればするほど、そこから零れ落ちる僕たちは、あなたにとって消すべきノイズでしかなくなる。……僕は、一人の人間として、あなたと話がしたかっただけなんです」

 瞬間、セレスティアの全身に衝撃が走った。

(……あぁ、なんてこと)

 彼女の聖女としての感覚が、残酷なまでの真実を突きつけていた。 

 かつてのレリルから感じられた、あの澱んだ、他者を拒絶するような傲慢な魔力。それが、今の彼からは微塵も感じられない。 

 そこに漂っているのは、冬の朝の空気のように澄み渡り、それでいて、触れれば壊れてしまいそうなほどに繊細な「魂の輝き」だった。

(信じたくない……。でも、この輝きを、私は知らないはずがない……)

 認めれば、自分のこれまでの歩みは否定される。 

 だが、この清らかさを「演技」だと切り捨てることは、彼女の魂そのものを汚すことに等しかった。

 私たちが「悪」として切り捨てたはずの存在は、今、これほどまでに澄んだ光を放っている。

 セレスティアは、自分の正しさを守ろうと必死に虚勢を張るレオナルドの背中を見つめた。 

 そして、自らの葛藤を断ち切るように、震える一歩を踏み出したのである。

「……もうやめにしましょう、レオナルド様」

 その声は、広間の空気を優しく、しかし決定的に塗り替えていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】

リトルグラス
BL
 人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。  転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。  しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。  ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す── ***  第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20) **

イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした

和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。 そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。 * 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵 * 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください

すべてを奪われた英雄は、

さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。 隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。 それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。 すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。

神子の余分

朝山みどり
BL
ずっと自分をいじめていた男と一緒に異世界に召喚されたオオヤナギは、なんとか逃げ出した。 おまけながらも、それなりのチートがあるようで、冒険者として暮らしていく。 途中、長く中断致しましたが、完結できました。最後の部分を修正しております。よければ読み直してみて下さい。

【8話完結】いじめられっ子だった僕が、覚醒したら騎士団長に求愛されました

キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。 けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。 そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。 なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」 それが、すべての始まりだった。 あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。 僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。 だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。 過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。 これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。 全8話。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

処理中です...