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第1章:黄金の契約、深紅の契約
第6話:神への絶望
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カイルが倒れてから、二週間が経った。
かつて騎士団で「黄金の獅子」とまで称えられたその体躯は、今や見る影もなく痩せ細っている。寝台に横たわる彼は、まるで魂だけが先にどこかへ消えてしまったかのように静まり返っていた。青白い肌に浮かび上がる紫色の呪印は、日を追うごとにその毒々しさを増し、心臓に向かって不気味な触手を伸ばしている。
僕――リアムは、この二週間、まともに眠ることも食べることも忘れて彼の傍らに付き添っていた。
「神様、お願いします……。僕の命なら、いくらでも差し出します。心臓でも、魂でも、全部あげるから。だから、彼を……カイル様を連れて行かないで……」
カイルの冷たくなった手を、自分の体温をすべて移すつもりで握りしめる。擦り切れるほど祈り、頬を濡らし続けた涙も、もはや枯れ果てていた。だが、どれほど敬虔に祈りを捧げても、天から奇跡が降ることはなかった。
そんな僕の絶望を嘲笑うかのように、静寂は無慈悲に破られた。
「――何という無様な姿だ。公爵家の次男ともあろう者が、このような呪い一つに屈するとはな」
見舞いという名目で、土足で心の中に踏み込んできたのは、実家の父と兄たちだった。病室に入るなり、父は蔑みのこもった目でカイルを一瞥し、鼻で笑った。
「父様! カイル様の前で、なんてことを……!」
「黙れ。死に体の男に気を遣ってどうする。リアム、荷物をまとめろ。この男はもう終わりだ」
父の冷酷な言葉に、心臓が凍りつく。父は僕の返事も待たず、事務的に言い放った。
「公爵家は近いうちに婚約の解消を申し出てくるだろう。お前はもう、次の嫁ぎ先を探さねばならん。運のいいことに、隣国の侯爵が後妻を探している。お前なら、顔だけはいいから高く売れるだろう。エヴァンス家の再興がかかっているのだ。こんな、死ぬのを待つだけの抜け殻など早く忘れろ」
「……っ、嫌です……! 僕は、カイル様が死ぬまで、いえ、死んでもお傍にいます! 僕は、この人を愛しているんです!」
「愛だと? 反吐が出る。愛で飯が食えるか! お前をここまで育てたのは誰だと思っている!」
激昂した父の理不尽な力が、僕の細い体を床へと突き飛ばした。
石造りの冷たい床に体を打ち付け、痛みに顔を歪める僕を、兄たちは助けるどころか冷ややかな目で見下ろしている。
床に這いつくばりながら、僕はベッドの上で苦しむカイルを見た。
意識はもう混濁しているはずなのに、カイルの指先が、ぴくりと、微かに動いた。まるで、今にも暴力を振るわれそうな僕を、必死に守ろうとするかのように。
「……あ……あ……」
声にならないカイルの喘ぎ。その瞬間、僕の心の中で何かが音を立てて粉々に砕け散った。
善人は報われず、悪人がのさばる。神は助けてくれない。これほどまでに彼を愛し、彼が民を、世界を愛してきたというのに。そして実家は、彼をゴミのように捨て、僕をまた別の、さらに冷たい檻へと閉じ込めようとしている。
(助けて。誰でもいい。神様がダメなら……たとえ地獄の悪魔だっていい。僕のすべてを差し出すから、彼を、彼を助けて……!)
血を吐くような、魂の底からの叫び。
その瞬間、部屋の空気が一変した。
背後で罵声を浴びせていたはずの父も、嘲笑を浮かべていた兄たちも、まるで時が止まったかのように灰色の彫像となって固まっていく。
不気味なほどの静寂。
ただ、部屋の隅にある大きな姿見の表面が、ぬらりと墨を流したように黒く濁り始めた。
「――その願い、聞き届けようか」
鏡の奥、底なしの暗闇から響いてきたのは、背筋が凍るほど艶めかしく、低い「声」だった。
かつて騎士団で「黄金の獅子」とまで称えられたその体躯は、今や見る影もなく痩せ細っている。寝台に横たわる彼は、まるで魂だけが先にどこかへ消えてしまったかのように静まり返っていた。青白い肌に浮かび上がる紫色の呪印は、日を追うごとにその毒々しさを増し、心臓に向かって不気味な触手を伸ばしている。
僕――リアムは、この二週間、まともに眠ることも食べることも忘れて彼の傍らに付き添っていた。
「神様、お願いします……。僕の命なら、いくらでも差し出します。心臓でも、魂でも、全部あげるから。だから、彼を……カイル様を連れて行かないで……」
カイルの冷たくなった手を、自分の体温をすべて移すつもりで握りしめる。擦り切れるほど祈り、頬を濡らし続けた涙も、もはや枯れ果てていた。だが、どれほど敬虔に祈りを捧げても、天から奇跡が降ることはなかった。
そんな僕の絶望を嘲笑うかのように、静寂は無慈悲に破られた。
「――何という無様な姿だ。公爵家の次男ともあろう者が、このような呪い一つに屈するとはな」
見舞いという名目で、土足で心の中に踏み込んできたのは、実家の父と兄たちだった。病室に入るなり、父は蔑みのこもった目でカイルを一瞥し、鼻で笑った。
「父様! カイル様の前で、なんてことを……!」
「黙れ。死に体の男に気を遣ってどうする。リアム、荷物をまとめろ。この男はもう終わりだ」
父の冷酷な言葉に、心臓が凍りつく。父は僕の返事も待たず、事務的に言い放った。
「公爵家は近いうちに婚約の解消を申し出てくるだろう。お前はもう、次の嫁ぎ先を探さねばならん。運のいいことに、隣国の侯爵が後妻を探している。お前なら、顔だけはいいから高く売れるだろう。エヴァンス家の再興がかかっているのだ。こんな、死ぬのを待つだけの抜け殻など早く忘れろ」
「……っ、嫌です……! 僕は、カイル様が死ぬまで、いえ、死んでもお傍にいます! 僕は、この人を愛しているんです!」
「愛だと? 反吐が出る。愛で飯が食えるか! お前をここまで育てたのは誰だと思っている!」
激昂した父の理不尽な力が、僕の細い体を床へと突き飛ばした。
石造りの冷たい床に体を打ち付け、痛みに顔を歪める僕を、兄たちは助けるどころか冷ややかな目で見下ろしている。
床に這いつくばりながら、僕はベッドの上で苦しむカイルを見た。
意識はもう混濁しているはずなのに、カイルの指先が、ぴくりと、微かに動いた。まるで、今にも暴力を振るわれそうな僕を、必死に守ろうとするかのように。
「……あ……あ……」
声にならないカイルの喘ぎ。その瞬間、僕の心の中で何かが音を立てて粉々に砕け散った。
善人は報われず、悪人がのさばる。神は助けてくれない。これほどまでに彼を愛し、彼が民を、世界を愛してきたというのに。そして実家は、彼をゴミのように捨て、僕をまた別の、さらに冷たい檻へと閉じ込めようとしている。
(助けて。誰でもいい。神様がダメなら……たとえ地獄の悪魔だっていい。僕のすべてを差し出すから、彼を、彼を助けて……!)
血を吐くような、魂の底からの叫び。
その瞬間、部屋の空気が一変した。
背後で罵声を浴びせていたはずの父も、嘲笑を浮かべていた兄たちも、まるで時が止まったかのように灰色の彫像となって固まっていく。
不気味なほどの静寂。
ただ、部屋の隅にある大きな姿見の表面が、ぬらりと墨を流したように黒く濁り始めた。
「――その願い、聞き届けようか」
鏡の奥、底なしの暗闇から響いてきたのは、背筋が凍るほど艶めかしく、低い「声」だった。
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