貴族を蔑んでいた俺が、貴族の飼い犬として堕ちるまで

篠雨

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スラムの泥を啜って生きてきた俺――リュカにとって、この世は二種類の人間に分かれている。奪う側と、奪われる側だ。

 贅沢な絹を纏い、香油を漂わせ、高慢な笑みを浮かべる貴族ども。奴らはただ、生まれ落ちた場所がふかふかのベッドの上だったというだけで、俺たちを「言葉を解する家畜」程度にしか思っていない。

 だからこそ、俺は奴らを騙した。

 天性の端正な顔立ちを武器にし、鏡の前で数千回練習した「信頼に足る青年の笑顔」を張り付ける。滑らかな舌先から溢れるのは、耳に心地よい嘘の数々だ。

リュカは、鏡の前で毎日一時間は笑顔の練習を欠かさなかった。「信頼に足る、少し気弱で誠実な青年」の仮面。それさえあれば、石ころは「聖なる土地の守り石」に化け、無価値なボロ布は「異国の王妃が愛した刺繍」に変わる。

 先週も、肥え太った子爵を相手に一芝居打ったところだ。

「これは、亡き母が命を懸けて守った……」

 涙ながらに語る俺の手元にあるのは、その辺の河原で拾った煤けた水晶。それを子爵は「家宝にする」と鼻息を荒くし、金貨の袋を俺に差し出した。

 一週間後、それがただの石だと知って彼が吐血し、屋敷の門前で絶望に叫ぶ姿を、俺は建物の影から眺めていた。あの瞬間の、内臓が震えるような達成感。

「生まれがいいだけの無能ども。お前らの価値は、俺の嘘一つでゼロになるんだよ」

 だが、その傲慢が命取りになった。

 強欲な伯爵を嵌めようとして、逆に警備隊の伏兵に包囲されたのだ。広場の晒し台。腕は背後で固定され、首は木製の枷に締め付けられる。通り過ぎる貴族たちは、まるで道端の犬の糞でも避けるように俺を見、時折、彼らの子供が面白半分に腐った果実を投げつけてくる。

 屈辱と乾きで意識が朦朧としていた時、その人は現れた。

 周囲の空気が一変し、人々が慌てて跪く。カツン、カツンと乾いた靴音を立てて近づいてきたのは、目も眩むような深紺のドレスを纏ったマダムだった。

 彼女は俺の前に立つと、興味深げに首を傾げた。

「ねえ。貴方はどうして、そんなに楽しそうに笑っているの? こんな無様な姿で」

 俺は咄嗟に、これまでの人生で最も洗練された「無実を訴える悲劇の青年」を演じた。

「……マダム、私は嵌められたのです。貧しさゆえに、卑怯な貴族に罪を着せられ……」

 喉の奥から絞り出すような悲痛な声。だが、彼女は微動だにせず、俺の瞳をじっと見つめ続けた。

「嘘ね」

 鈴を転がすような、冷ややかな声だった。

「貴方は、自分を嘲笑うこの群衆が、いつか自分と同じ地べたを這いずる姿を想像して悦んでいる。……違うかしら?」

心臓が跳ねた。生まれて初めて、魂を素手で掴まれたような感覚だった。彼女は扇子の端で俺の頬をなぞりながら、さらに言葉を重ねる。

「面白いわ。貴方がこれまで騙してきたリスト……見事に、私腹を肥やす悪徳貴族ばかりね。義賊のつもり? それとも、自分より汚い連中を貶めて安心したかったのかしら」

「……何のことか、分かりませんね」

「いいのよ、隠さなくて。貴方がどれほどの人数を騙し、彼らがどんな顔で破滅していったか。そして、その様子を特等席で眺めるのが、貴方にとってどんな食事より贅沢な娯楽だったか。……全部、その瞳に書いてあるわ」

逃げ場はなかった。彼女はいくつか質問を重ねた。生い立ち、手口、そして「貴族の絶望」の何に最も惹かれるのか。俺は必死にトークスキルを動員して「上級貴族に好かれる返答」を探ったが、彼女は最後にただ、美しく、しかし底知れぬ微笑を残して去っていった。

 その夜、俺の運命は断絶した。

 目隠しをされ、乱暴に攫われた。たどり着いた先で視界を奪っていた布が外されると、そこには昼間のマダムがいた。

「お昼の広場ぶりね。愚かな詐欺師ちゃん。その顔、少しは使えそうだから私が騙すのが下手くそな貴方の代わりに使ってあげるわ。」

 彼女の瞳には、慈悲など微塵もなかった。あるのは、新しく手に入れた玩具を愛でるような、純粋で残酷な好奇心だけだった。

「これから貴方は私のペット。名前は『ポチ』よ。拒否権なんて、ただのスラム出身の平民にあるわけないのはわかるわね?」
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