僕はあの子に蹴られて《光編》

たぬき85

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最終章「ひかりになって」

【光】24+1 僕はあの子に蹴られて

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 浅倉撫子は稲妻いなずま禽観とりみ神社じんじゃの石段に腰掛けて、ぼんやりと空を眺めていた。
 最近、そうやって過ごす時間が増えている。

 あの日起こった全てに「岩田屋豪雨災害」という偽りのラベルが貼られて世間に出回ってから既に一ヶ月以上が経っていた。夏休みはあっという間に過ぎ去り、二学期が始まると、クラスメイト達は夏休み前に一瞬だけ存在した転校生のことなどすっかり忘れてしまったように日常を再開した。

 撫子はそんなクラスの中で、取り残されるように浮いていた。

 なんか、ひたすら口の中にティッシュを突っ込まれているみたいな虚しい気持ちなのよ、と漏らしたら、兄――無神経で血がつながっている方――に「お前、頭大丈夫か」と言われたのでその場で殴り倒したのが昨日のことだった。

 味がしない日々が延々と続いている。
 澄乃、シュウ、そして忍の三人は、そんな撫子を心配して遊びに誘ってくれるのだが、なかなか乗り気になれないというのが実際のところだった。

 浜岡光がいない日常が続いている。

 撫子は、自分がこんなにもだったとは思わなかった。
 一晩中恋しさに泣く日々と、一晩中怒りに震える日々が交互にやってくる。
 ねえ、光。あなたはなんで一人で行っちゃったの。
 頭の中の光に問い掛けても、彼は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。

 自分がサンダーバードとの融合を決意したとき、「たとえ死んでもいい」と思ったのは事実だった。自分の命に代えても、あのユニコーンを倒したい、光を守りたいと思ったのだ。
 黒いユニコーンは、光の暗い過去そのもののように撫子には見えた。
 それを断ち切ることで、彼は解放されるのだと。

 その望みは叶えられたが、まさか光自身が自分の前から消えてしまうことになるなんて。
 あの瞬間、何が起きたのかは里菜が「これは想像に過ぎんひんけど」と前置きをした上で説明してくれた。光は空に開いた『穴』を塞ぐために、何らかの方法でUMAとなってその身を差し出したのだ。
 「甘いものへの飢餓感」が、撫子がUMAの力を用いることの代償だったが、まさか、を取り上げられるなんて思ってもみなかった。

 そんなことを延々考えて、ぼーっと空を眺める日々が続いている。
 暦の上ではもう秋だった。入道雲は地平線の向こうに追いやられて、空の色も日々少しずつ変わっていっている。

 撫子は石段を一段一段下りると、自転車にまたがって走り始めた。

 田んぼの真ん中の農道を突っ切っていく。
 すでに稲刈りが終わっている所もあるが、ほとんどの田んぼでは黄金色の稲穂たちがその頭を垂れていた。その稲の香りが充満した空気を胸いっぱいに吸い込んで、撫子は自転車を飛ばす。

 たどり着いたのは水鏡川に架かる潜水橋の上だった。

 欄干らんかんのない小さな橋の下を、緑色の水が滔々とうとうと流れている。
 光と初めて出会ったのはここだった。
 あの日、槻本山でのたき垢離ごり――本当、結局あれになんの意味があったのだろう――を終えて学校に向かっていた撫子は、パンツをはき忘れていたことに気付いた。一生の不覚だった。猛スピードで自転車を漕いでキリンジの山小屋に引き返していた撫子は、この橋の真ん中で光とすれ違ったのだ。

 まさかパンツをはき忘れたことから、こんなことになるなんて。

 いつだったか「心のパンツを脱ぎ捨てるところから恋っちゅーのは始まるんや」と里菜が言っていた。その時はこの人は何を言っているんだと思ったが、まさにその通りになった訳だ。

 笑えないよお姉ちゃん。

 撫子はプリーツスカートのポケットに手を突っ込んで、その中に入っていたものを取り出した。それは三日前、キリンジから貰ったものだった。

 金色に光る指輪。
 それはソロモンの指輪と呼ばれるものだった。

 キリンジはそれを「君が持っているべきものだ」と言って、無理矢理に近い形で撫子に渡したのだ。ためらう撫子に対してキリンジは「大丈夫だ、よく洗ってある」と笑った。あの迫水の眼球に埋め込まれていたという事実は確かに気味が悪いが、そういうことではないんだよと撫子は言いたかった。根本的に、あのキリンジという男はどこかがズレている。

 撫子は指輪をつまんで空にかざしてまじまじと見つめた。
 綺麗なものであるのは間違いないが、自分の指には大きすぎる。
 これをどうしろっていうんだろう。

 迫水はこの指輪があれば、どんなUMAをもコントロールできると言っていたが。

「別にこんなものなくたって、とは意思の疎通ができてるからね」

 そう呟くと同時に、頭の中に浮かび上がるビジョン。巨大な木々が生い茂る森の中に、低く身体を伏せて眠っている巨大な鳥の姿。その鳥が一瞬目を開けてこちらを見た。

 こんな風にサンダーバードとの繋がりを感じるのと同時に。
 撫子は自分の心臓の隣にある、もう一つの鼓動を感じた。

 それは光との繋がりだった。
 そう、光はまだ生きている。この世界のどこかで。
 光が巨大なヒトガタとなって空に消えてからも――撫子はなぜか、あのヒトガタが光であることを瞬時に理解できた――ずっとこの繋がりは生きていた。だからこそ、撫子は絶望せずに今、ここに立っていられる。

 撫子は指輪を川に放り投げた。
 金色の輝きは、翠色の流れの中にゆっくりと消えていった。
 
 本当に必要なものなら、また探せばいいのだ。

 光が変化した巨大なヒトガタはフライング・ヒューマノイドと呼ばれるUMAらしい。
 弟――と呼ぶと有は怒るけど――が言うには、その本場はメキシコだという。なんでも1999年に目撃されて以来、メキシコでは毎年のようにフライング・ヒューマノイドの出現が報告されているのだとか。

 メキシコかぁとパスポートも持っていない撫子は思う。
 随分遠いが、それでもこの地球上にある国なのだから、行けない場所ではない。
 フライング・ヒューマノイドになった光も、そこで仲間たちと暮らしているのだろうか。

 フライング・ヒューマノイドの捕獲例はまだないんだよ、と有は言っていた。
 上等だと撫子は思う。私が世界で最初の捕獲者として歴史に名を刻んでやるわ。そんな気持ちだった。

「おーい! なでなでー!」

 声がする方に振り向くと、堤防の上で澄乃が手を振っていた。隣にはシュウと忍、あとなぜか星条旗柄の忍装束を着た二人の忍者も立っていた。最近あいつらも友達っぽい空気になっているのが若干腑に落ちない。

「学校をサボるなんて、浅倉さんも不良だな!」

 シュウが叫ぶ。

「何よ! あんたたちもでしょ!」

 それに笑顔で答える。

「浅倉殿! 今からみんなで海に遊びに行くでござるよ!」

 忍がサムズアップした。

「海? もうクラゲだらけでしょ!」

「それでも行くでござるよ! 夏休みのリベンジでござる!」

 海――いいかもしれない。
 ひたすら泳いでいけば、メキシコまで着くかもしれない。そんな馬鹿な想像をしながら、撫子は自転車のハンドルを友人たちが立っているほうに向けた。

 振り仰ぐと濃い緑の槻本山がそびえ立っている。
 そこから吹き下ろす風を、撫子は感じた。
 右手首のミサンガ赤い糸が、何かの合図のように揺れた。

 撫子にはフライング・ヒューマノイドを探すという夢ができた。
 いや、夢というと何か違うかな、と撫子は考える。
 目標? それも違う。
 しいていうなら、これは予定だ。
 いつか必ず実現する、未来の予定。

 撫子は自分の胸にある、もう一つの鼓動を愛おしく感じながら思った。

 私は、この遅すぎる初恋を呪いにしないためにも走り続けないといけない。

 そして、また、光に会った時に――キスでもする?
 いやいや、あいつにはもう、私の全てをくれてやったんだから――出会い頭に一発、蹴りでもお見舞いしてやらないとね。

 撫子は自転車を押して走り始めた。



『僕はあの子に蹴られて』 完
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