クロノスの子供達

大きな誤算

午後になると、小児科担当の看護師は別の持ち場に移ったらしくヘスティアがゴーフルの病室へ戻ってきた。
「あらあら、おめめが真っ赤じゃない。私が居なくて寂しくて泣いちゃったの？」
「ち、ちがうもん」
照れ隠しで出た言葉が妙に子供っぽいのでヘスティアは少し笑ってしまった。
「私の前では別にアーシャちゃんのふりをする必要はないんだけどね。まぁ、とっさに演技ができないと良い歳した大人の男性が幼女の格好をしているのがバレちゃうかもね」
「！？」
やはりヘスティアは、ある程度ゴーフルの事情を知っているようだった。
「ヘスティアさん、教えてください。記憶がいろいろ混乱していて」
「うーん、私の立場ではそれはできないわ。ただ一つ言える事はマノンには気をつけてって事かしらね」
「え？兄ちゃんに気をつける！？」
「うふふ、完全に洗脳されているみたいね。いいわ。あなたの状況は理解できたし、もういいわよ」
「いいって？」
「あら？お話に夢中で気が付かなかったのかしら？」
ヘスティアの視線はゴーフルの下腹部に注がれている。
「いつのまに？全く感覚が無かったのに」
「そうね、あなたの身体の感覚はどんどん失われていってるの。もちろんリハビリを続ければその時間はゆっくりにはなるけれど」
「そんな！若返りは止まったはず」
「若返りじゃないわ、この病院であなたに行われた処置は全く別のもの」
「？」
「あなたが眠っている間に、遅効性の筋肉弛緩剤が投与されたのよ」
「なんだと、じゃあ今は立って歩けてもそのうち……」
「ええ、ハイハイすら難しい状態になるわね」
それはゴーフルには恐ろしい死刑宣告だった。
「そんな事許さないぞ」
「いち看護師の私には何もできないわ。その調子だとオシッコも我慢できないし、おてても不器用になっていく。自分で服を着ることも難しくなるわ。あとは、赤ちゃんみたいにバブバブしか言えなくなっちゃうかもね」
「嘘だ。だって、ちゃんと喋れるよ」
「筋肉弛緩剤は少しずつ投与されるはず。この病院に居たらいずれはね」
リハビリをすれば、どんな形であれ、また家族4人で平和に暮らせると考えていたゴーフルの考えは甘かった。
「なぜ、俺にそれを教えたんだ？」
「あなたに選んでもらうため。私達はクロノス機関の反マノン派。暴走したシラーとマノンに対抗する為に結成された組織なの」
「マノン、マノン。なぜかその名を聞くと心がかき乱される」
「私達と一緒にくれば、少なくともこの病院の退化処置からは逃れられる」
「そうか、それなら！」
「ただし、妹さん。マリッサの事は諦めるしかないわね」
「！？」
「常にマノンと一緒にいる、マリッサを連れ出す事は、私達の組織にも不可能よ」
「そんな……」
「どちらの選択肢を選ぶかはあなた次第。一晩ゆっくり考えて明日返事をちょうだい」
「……明日、もう少し時間をくれないか」
「だめ、もうあなたには時間はない。この意味が分かるわよね」
残酷な事実に打ちのめされているゴーフルに対してはヘスティアは非情だった。