剣魔神の記

ギルマン

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第1章

18.父

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 “伝道師”との別れから2ヶ月ほど経った8月末日。明日は炎獅子隊が、秋の妖魔討伐に出発するという日。
 相変わらず鍛錬に励んでいたエイクに、ガイゼイクが声を掛けた。話しがあるから付いて来るように、とのことだった。
 簡単な話しならその場で済むはずである。ガイゼイクの後に続きながら、エイクは嫌な予感を感じていた。

 自室に入るとガイゼイクは立ったままエイクの方に向きを変え、単刀直入に切り出した。
「エイク。お前は戦う者として身を立てる以外の道も考えるべきだ」
 それは半ば予想していたとおりの内容だった。しかしそれでもエイクは衝撃を受け、息をのんだ。
 ガイゼイクはかまわず続けた。

「俺はお前の努力については評価している。
  俺も長いこと戦いの中に身をおいてきたが、強くなることにお前ほど全力を尽くす者を知らない。俺自身も含めてな。
 俺は、お前以上に努力を重ねている人間は、世界中探してもいないんじゃあないかと思っている。
 だが、お前のそのものすごい努力は、今のところ何の成果も上げていない」
 エイクは凍りついたように動けなかった。

「前の遠征の時ゴブリンを倒したそうだな。しかし、ギリギリの相打ちで、だ。
 ゴブリンと相打ちになる程度の力量は、多少なりとも戦いの才能がある者なら、数ヶ月の鍛錬程度で身につけることが出来る。つまり、その程度の力量には大した価値はない。
 これがもし、お前が鍛錬を怠った結果なら、もっと励めと叱ることも出来る。しかし、お前の努力は、もうこれより上はないと言えるほどのものだ。この現実には向きあわねばならん」

 自分は、多少の才能があって数ヶ月訓練をしただけの者よりも、戦士として劣る。自分の努力はその事実を明白に証明しただけで、価値のある成果は何も上げていない。
 それが敬愛する父からの評価だった。
 エイクは全身に力を込めて懸命に耐えた。泣き叫んでしまいそうだった。あるいは何かが爆発してしまいそうだった。

「今のままでは、お前は何の役にも立たない無価値な人間になってしまうだろう。
 人は一人では生きていけない、だから社会を作る。
 その社会の中で己の役割を見出し、世の役に立つ存在になる。それが人の価値というものだ。光明神ハイファ様はそう説いているし、俺もそう思う。
 だからお前は、どれほど強くなるための努力をしても戦う力が身に付かなかったという現実を認めて、戦うこと以外を生業として身を立て、己の役割を見出し、世の為になる道を探さなければならない。それが、ハイファ様の教えにある光の道というものだ」

 ガイゼイクは表向きは戦神トゥーゲルの信者を名乗っているが、実は妻エレーナの影響もあり、国に仕官した直後に光明神ハイファに宗旨替えしていた。
 光の神々は平信者に対して非常に寛容で、宗旨替えも複数の神を同時に信じることも、それが光の神々である限りは広く認めていた。
 なので、本来宗旨替えを隠す必要はないのだが、若い頃トゥーゲルの教義を振りかざし力で物事を押し通して来た自分が、今更光明神の信徒を名乗ることに気まずさを感じたガイゼイクは、それを隠していたのだ。
 しかし、エイクにはそのことを教えており、二人で話す時には時折光明神の教義を口にしていた。

 エイクは今もその教義を口にしたガイゼイクに反発を感じた。
(社会なんて関係ない。世の為などと知ったことではない。僕が強くなりたい。ただそれだけだ、それだけが大切なんだ)
 しかし、現実として糧を得なければ生きられないし、生きられなければ強くなることも出来ない。
 まさか父に一生養ってくれと頼むわけにもいかない。その歴然たる事実がエイクに反論を口にさせなかった。

 何も言えずに打ち震えるエイクに、ガイゼイクは少しだけ口調を和らげて告げた。
「エイク、誤解するな。俺は強くなることを全部諦めろと言っているわけじゃあない」
 エイクは困惑して父を見た。正にそう言われたと思っていたからだ。

「俺もな、一つの道を諦めるならすっぱりと潔く全て諦めるべきだと、最近まで思っていた。いつまでも未練を持つのは情けない行為だとな。
 だが、最近は少し違うかもしれないと思っている。
 前に、俺が今までしてきたことを教えたやったことがあったな、覚えているか?」
「はい」

 ガイゼイクはかつて、自分自身と妻エレーナの生涯を包み隠さずエイクに語ったことがあった。
 ガイゼイクは自分たちの生涯が常に栄光の下にあったわけではなく、褒められない行為もして来たと自覚していた。
 そして、将来エイクがその様な事実を第三者から知らされ、傷つくことを危惧した。だから自らの口から全て語って聞かせたのだった。

 その中には子供の教育上問題のある内容も多く含まれていたのだが、エイクはそれらを知ってもなお両親を尊敬していた。
 普通なら聞かれたくないようなことすらもはっきりと伝えてくれる父に対して、むしろ尊崇の念を強くしたほどだった。

「俺は自ら王になるというガキの頃からの夢を諦めて、この国に仕えるようになった。
 王にはなれないという現実を認めて、騎士を生業として身を立てるという道を選んだわけだ。
 そうと決めたからには夢はきっぱり諦めた。王の座を狙う騎士など反乱を狙う薄汚い裏切り者だ。
 俺は善人じゃあなかったが、そこまでくずではなかったし、そうなるつもりもなかった。だから、この選択は間違いではなかったと今でも確信している。

 しかし、今思えば、俺は夢を諦めると同時に向上心って奴も無くしちまっていた。
 俺は自分の強さは限界に達したと決めつけ、もう何年も本気で強くなるための努力をしていなかった。
 それどころか、正すべき悪を見つけながら、見て見ぬ振りをしたことすらあった。
 これはもう向上心をなくしたどころじゃない、ただの堕落だ。恥ずべき行為だったと今は思う。
 だが俺は、最近までそんなことすら自覚していなかった。むしろそれが利口な生き方だとすら思っていた。

 しかし、それが堕落だったと気付いた。気付かせてくれたのはお前だ、エイク。
 お前がゴブリンと戦って死にそうになりながら帰ってきた時、強くなる為に本当に命すらかけたその姿を見て、俺は自分がどれほど堕落していたか初めて自覚した。
 自分が恥ずかしくて、お前のことをまともに見ることが出来なかった。

 それで、俺も自らの行いを改めた。
 上を目指す気持ちを思い出し、再び全力で努力し、正すべき悪は正し、父としてお前のために、騎士として国と王と民の為に戦うと」

 ガイゼイクは一旦言葉を切り、気恥ずかしげな笑みを浮かべた。
「すまん。自分語りになっちまったな。
 まあ、要するに現実を認めて現実のために生きるようになっても、向上心を忘れてはならん。と、改めて思ったわけだ。
 そして、エイク、お前の場合は、その向上心を向けるのが自分の生業ではなくても良いのではないか、とも思った。

 一番いいのは、夢と生業が一致して、それに向上心をもって取り組める事だろう。
 だが、それがかなわず、夢を諦め他に生業を得たなら、生業に全力を向け、夢に対して無駄な未練は残さない方がいい。それも一般論としては正しいだろう。

 だが、それはお前の場合には当てはまらないんじゃあないかと思う。
 何しろ今までお前がしてきた強くなるための努力は、多分世界最高のものだ。
 今後その努力が実を結ぶ可能性もないわけじゃあない。
 それに俺の物騒な夢と違ってお前の強くなるという夢とその為の努力は、どんなに続けても誰の迷惑にもならん。

 なら、お前は自分の生業には最低限の労力だけを費やし、他の全ては強くなるための努力に使い続けてもいいんじゃあないか、とな。
 そういう生き方を、そういう意味での生業を探してはどうかというのが俺の考えだ、どうだ?」

 父の提案はエイクを混乱させた。
 父の考えが合理的で「正しい」ことは理解できた。というか、何らかの方法で日々の糧を得なければ生きていけないのだから、あくまでも強くなることを目指すならば、それしか方法はないといえる。
(でも、そんな行いの方が堕落だ)
 しかし、エイクはそのように思った。

「強くなる為に全てを費やす。それ以外は些事だ」その“伝道師”の言葉は、既にエイクに深く根ざしており、敬愛する父の提案ですら即座には賛同できないほどだった。
 それに、エイクは父の言う一番良い状態、つまり「夢と生業を一致させる」事も既に不可能ではないと思った。

 ゴブリン数匹を安定的に倒せるようになる見込みはある。
 鍛錬を続ける中で、彼はそう確信しつつあった。それが可能になれば、最低限の日々の糧は得られる。
 人に害を及ぼすゴブリンを殺すことは、多少なりとも世の為になるだろう。
 そして、実戦は己を鍛え、力を付ける最良の手段ともなりえる。
 エイクはこのことを説明しようと考え、言葉を探した。

 と、エイクが話し始める前に、ガイゼイクが何かに気が付いたように目を見開き、また語り始めた。
「すまん、エイク。最初に、お前の努力は何の成果も上げていないと言ったが、あれは間違いだった。
 お前の世界一の努力は、この俺の堕落し錆付いていた魂を揺り動かし、再び戦士として生き返らせてくれていた。
 これは大した成果だ。何しろ俺はこの国最強の戦士なんだからな。
 これは誇っても良いことなんじゃあないか?
 少なくとも俺は誇らしいぞ。
 エイク、お前は俺の誇りだ。エレーナの奴も今のお前を見ればきっと喜んでくれるだろう」
「っ!」

 瞬間エイクは息をのんだ。ガイゼイクの不意の言葉は、エイクの混乱を全て吹き飛ばし、その心を激しく揺り動かした。
 ―――お前は俺の誇り
 それこそ彼が望み続けていた言葉だった。

 激しい誹謗を浴びせかけられ、暴力すら振るわれる境遇の中、「自分は英雄ガイゼイクの子だ」という意識は彼を支え続けていた。
 父に恥じぬ者になる。その思いはやはり強かった。
 その父が、英雄ガイゼイクが、自分を誇りだと言ってくれている―――
 エイクの瞳に涙がにじんだ。彼は、悲しみや悔しさに堪えるのには慣れていたが、今感じている感情を抑える方法を知らなかった。

 ガイゼイクはそんなエイクに歩み寄り、黙って彼を抱きしめた。
 エイクは偉大な父をこれほど身近に感じたことはなかった。しばしの間じっとした後、彼は自然に口を開いた。
「父さん。父さんの言葉に従います。約束します。僕は自力で生活できるようになり、世の役に立つようになり、そして強くなることも諦めません」
「そうか、そうか。お前ならきっと一番いいやり方を見つけ出せる。遠征から戻ったら一緒に考えよう」
 ガイゼイクはそう言って抱擁を解き、話を続けた。

「しかし、大きくなった息子を抱きしめるってのは、中々恥ずかしいな。もっと小さい頃にやっとくべきだった。
 まあ、これからは酒でも酌み交わしながら語り合おう。
 とりあえず、今は遠征の準備もあるから、帰ってきてからまた話そう」
 そして恥ずかしげにそう言うと、エイクに退室を促した。

 エイクはそれに従いながら、ゴブリン退治を仕事にするという自分の考えを伝えそびれてしまったことを考えていた。
(父さんが帰ってきたら直ぐに話してみよう、きっと父さんは喜んでくれる)
 今の父の様子を見れば、例え傍から見れば見栄えのしない仕事でも、強くなるという夢と生業を一致させることが出来そうだ伝えれば、喜んでくれるだろうと確信することが出来た。
(それまでに、もっと鍛錬してもっと確実にしておこう。その方がきっと父さんは褒めてくれる)
 そう思いながら彼は勇躍して再び鍛錬へと向かった。



 ―――しかし、彼が父に自分の考えを伝える機会は、永遠に訪れなかった。
 翌月、エイクの下に、ガイゼイクが魔物との戦いで戦死したとの報がもたらされた。
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