剣魔神の記

ギルマン

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第3章

41.ハイファ神官ジョアンの驚愕

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 9月12日
 つい2日前に結婚したばかりの愛しい新妻ダリアから、親友だというその女性を紹介された、ハイファ神に仕える神官のジョアンは、驚き慌てた。その女性に見覚えがあったからだ。

 会ったのは一度きりで、少しの間話をしただけだったが、簡単には忘れられないほどの美しい女だった。
 そしてこの女に、例のネメト教団摘発の折に自分は本当は内偵などしてはいなかったという、絶対知られてはいけない事まで話してしまっていた事も思い出し、彼は冷や汗を流した。この再会が偶然とは思えなかった。

 案の定ダリアが席を外した際に、セレナと名乗ったその女はジョアンに声をかけてきた。
「憶えていてくれたかしら?前に一度お酒をご一緒した事があったわよね」
「あ、ああ、どうだったかな?」
 あの時語った事は大したことではなかったと思わせるように誤魔化すか、それとも思い切ってあの時話した事は秘密にしてくれと頼むべきか、思いが定まらないまま、ジョアンは中途半端な返答をした。 

 しかし、セレナはかまわず話を続ける。
「ごめんなさい。あの時、ダリアの恋人がどんな人か確かめたいと思って、あなたに近づいたの。
 試すような事をして悪かったと思っているわ」
「なるほど。いや、き、気にしていませんよ」
「あなたがいい人で本当に良かったわ。
 でも、もう少し口は堅くした方がいいのではないかしら。ダリアの幸せのためにも、今後は気をつけてね」
 セレナのその言葉は、ジョアンが語った話が絶対に人に知られてはならない物であることを、彼女が理解している事を示している。
「……」
 ジョアンは言葉をなくした。彼の冷や汗は、しばらくひきそうになかった。



 やがてダリアが戻ってきた後、セレナが願い事を口にした。
 彼女が言うには、グロチウスに酷い辱めを受けたことがあるので、直接報復をしたい。ついては、グロチウスと2人だけで会う機会を作って欲しい、とのことだった。

「いや、さすがに闇信仰の犯人と民間人を2人だけで会わせるのは無理ですよ。私が一緒なら何とか手配できると思いますが……」
 実際に神殿内での立場を良くしたジョアンには、その程度の権限が与えられている。
 だが、セレナはそれをよしとしなかった。
「私を見たら、あの男は何か口走るかもしれないわ。それを人に聞かれるなんて、私には耐えられない……」
 そう言って、セレナは顔を伏せた。

 ダリアもジョアンに訴えた。
「ジョアン。彼女がグロチウスに酷い事をされたのは、私を助ける為だったの。彼女の助けがなければ、私があなたと結ばれる事もなかった……。
 何とか彼女の望みを叶えられないのかしら。
 だって、グロチウスはもう呪文も唱えられないようにしてあるし、身動きも出来ないのでしょう?実害がないのだからいいじゃない。
 それに、今やっているのは、尋問というよりも罰を与える行為だって言っていたじゃない。なら、セレナが直接やっても大丈夫でしょう?」
「いや、そういう問題じゃあなくてね……」
「じゃあ、何が問題なの?ただ規則だというだけで、私たちの望みを無視してしまうつもりなの?」
「……」
「あなたが一緒なら手配できるのでしょう。なら、そういうことにしておいて、あなたが席を外していれば良いだけじゃない。あなたの気持ちだけでどうにでも出来る事でしょう?お願いよ、ジョアン」
「いや、それはその……」

 妻のダリアは切々とジョアンに訴えかけ、セレナは手を合わせてジョアンを見つめていた。
 その姿は遠目には慈悲を請うているかのように見えたかも知れないが、ジョアンを見る目には強い決意が満ちており、ジョアンは恫喝されているかのような圧迫感を感じていた。
「……」

 結局ジョアンは、妻とその弱みを握られている女の要望を断る事は出来なかった。



 少し前まで闇教団“呑み干すもの”の教主として、崇められ或いは恐れられていたグロチウスは、今や見る影もなく疲弊しきった姿をハイファ神殿内の牢獄に晒していた。
 彼は牢獄の床に座り込んでいる。そして、両手足には全て枷がつけられ、手枷は牢獄の壁から伸びる短い鎖につながり、背を壁にほとんど密着させる形で拘束され、足枷は鉄球につながっていて、やはり動きを妨げていた。

 調査によってグロチウスの残虐な行いを知ったハイファ神殿の審問官達は、怒りのままにグロチウスに暴行を加えた。
 強力な“禁則”の魔法により神聖魔法を使えなくされている彼は、傷を癒す事も出来ず、治まらない痛みに時折苦痛の声を上げていた。

 そのグロチウスに女の声がかけられた。
「お久しぶりね、教主グロチウスさん。本名はジャンさんでよかったかしら?」

 声をかけてきた女を見上げ、その女が誰か思い出したグロチウスは困惑した。そして、なぜこの女がこの場所に?と考えた。
 その女はかつて捕らえた“猟犬の牙”の女幹部だった。



 グロチウスの前に立ったセレナは、グロチウスを前にしても恐怖を覆い隠す事が出来たことに安堵していた。
 人前では普通に振舞う事が出来るようになっていたが、グロチウスらによって加えられた残虐な行為の記憶は、今もセレナを責め苛んでいた。それは彼女にとって未だに覚めぬ悪夢だ。
 そして、そのような行いを彼女に加えた張本人は、今もなお彼女にとって恐怖の対象なのだった。

 しかし、流石にここまで痛めつけられ弱り果てた状況ならば、この男に対する恐怖は、覆い隠す事が可能なほどには小さくなっていた。
 代わりに、憎悪と憤怒が大きく膨れ上がっている。

 セレナは努めて冷静な声で、困惑したままのグロチウスに向かって話し始めた。
「あなたにいろいろと聞きたいことがあって来たのよ。
 時間もないので手短にお願いするわね。
 それから、もちろんこの前の報復も兼ねているから、相当痛くするわよ。覚悟する事ね」

 そう言って凄惨な笑みを見せたセレナは、手にしていた鞄の中から、金槌、鑿、鋏、やっとこ、錐、鉋、鑢、螺子、等の道具と、小瓶に入ったいくつかの薬品を取り出し、グロチウスの前の床に並べ始める。

 手枷と足枷で身動き取れないグロチウスは、恐ろしい用途に使われるとしか思えないそれらの道具を目にして、ただ恐怖に打ち震える事しか出来なかった。
 そこには王都の裏社会制覇に手をかけ、王国の支配すら目指していた昔日の大悪党の面影はなかった。

 その様子を見てセレナは、一層笑みを深めながら告げた。
「あら、おびえているのかしら?始まる前からそんな有様では、この後大変な事になるわよ。そうでしょう?」

 そして、その後しばらくして、その牢獄からは、苦痛を訴え許しを請うグロチウスの絶叫が、何度も何度も響き渡る事となった。



 1時間ほどが経ち、セレナの質問は続いていた。
「他には、そうね。どういう時にレイダーに女を好きなようにさせていたのかしら?」
「あ、あ、あ」
 セレナの問いに、グロチウスは意味のある言葉を返せなかったが、セレナは質問の意味が良く分かっていないようだと察した。
「あなたが虐待していた女達を、レイダーにも好きなように扱わせた事があったでしょう?それはどういう時なの?何かの褒美として?」
「そんな、こと、させて、いませ、ギャヤアアアアア」

 セレナの右手に力が込められ道具が動くと、グロチウス答えは途中から絶叫に変わった。
「奴は、私のところには来たわよ」
「わか、りま、せん、わたし、じゃ、ない」

(嘘は言っていないように見えるけれど、もう少し念を入れた方がいいわね)
 そう考えたセレナは、グロチウスの口を動きやすくなる為に、リズミカルに右手の道具を動かした。
「ギャ、ギャ、ガァ、グァ、ギェ」
 そうやって、グロチウスにそんな声を上げさせると、もう一度聞いた。
「レイダーに女達を好きに扱わせた事は」
「あり、ません」

「そう。それじゃあ、次の質問ね。フロアイミテーターとオドを奪う魔道具はどうやって手にいいれたの?」
「お、女、にありかを、教えて、もらい、ました」
「その女の姿形を出来るだけ詳しく言いなさい」
「くろ、髪で……」



(繋がったわね)
 グロチウスから“その女”の容姿を聞き取ったセレナはそう思った。その女こそが、セレナが想定していた、“黒幕”だ。

(聞くべきことはこんなところかしら)
 そう考えたセレナは、最後に告げた。
「残った薬はもったいないから全部あげるわ」
 そして、その薬品を全てグロチウスに振りかけた。
「ぐげぇェェェェ」
 そしてまたグロチウスの絶叫があたりに響き渡った。



 セレナが去った後のグロチウスの有様を見て、ジョアンは驚愕した。
 彼はグロチウスが処刑前に死なないように、神聖魔法を使わざるを得なかった。
 そしてジョアンは、セレナは決して怒らせてはならない相手なのだと悟った。
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