剣魔神の記

ギルマン

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第1章

4.迫害

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 エイクが救護用らしき天幕で目を覚ましたのは翌朝だった。
「誰かいませんか?」
 声を上げると、父ガイゼイクの従者が現れ、状況を掻い摘んで教えてくれた。

 やはりエイクの不在が分かり騒動となって捜索が行われたこと。
 エイクを発見したのはガイゼイクがエイクの為に雇っていた治療師で、彼女が携帯していた回復薬でエイクの傷を癒してくれたこと。
 そしてガイゼイクが目覚めたら直ぐに自分の下に来るように言っていたので、速やかに出頭すべきであること。

 従者はぞんざいな態度でそれらを伝えると、さっさといなくなってしまった。
 従者はガイゼイクのことは尊敬しているようだが、そのガイゼイクに迷惑をかける不詳の息子のことは逆に軽蔑しているようだった。

 エイクは暗澹たる気持ちで父がいるという隊長用の天幕に向かった。
 エイクを妖魔討伐に連れてくるだけでも軍規違反ギリギリの行為だったのに、騒動まで起こしたのだから父が怒るのは当然である。
 天幕の入り口で声を掛けると「入れ」と短い返答があった。
 エイクはその言葉に従って天幕の中に入った。

 ガイゼイクは天幕の中央で椅子に座り、机に広げた書類に目を通していた。傍らには参謀役の隊員の姿もある。

 王国随一の戦士「英雄」ガイゼイクは当年55歳。
 若い頃は冒険と傭兵稼業に明け暮れ、一人息子のエイクを得たのは、壮年となり王国に仕官して身を落ち着けてからだったため、既に相応の年齢となっていた。しかし、その姿から老いは感じられない。

 目を引く長身にがっちりと筋肉がつき、その体には些かの衰えも見られない。その容貌は精悍というより凶暴といったほうが良い威圧的なものだが、けして醜くはない。むしろ険しくも整っているといえる。その双眸はエイクに良く似た碧眼だった。
 髪はくすんだ金髪を短く刈り込み、白いものは見られない。見た目は40代前半でも十分に通るだろう。

 ちなみにこの世界において、人は90歳くらいまで生きれば一般に天寿を全うしたと認識される。それ以上は相当の長寿だ。
 しかし、オドの質と量によっては70歳代・80歳代でも普通に活躍できる者も存在している。そのためガイゼイクは自他共に認める現役の猛者であり、彼を老人扱いする者など誰一人いなかった。

 そのガイゼイクは、エイクに顔も向けずに言った。
「退去を命じる。屋敷に戻れ」
 エイクは今までにガイゼイクから、このような冷淡な態度を取られたことはなかった。
 エイクは凍りついたように身動きが出来なくなってしまった。

 叱責された方が遥かにましだった。
 父に見捨てられてしまったのかもしれない。その考えはエイクは今までにない恐怖と絶望を与えた。言い訳も考えないではなかったが、何も言えなかった。
「1時間後には馬車が出る。それまでに準備をしておけ。分かったら直ぐに行け」
「……はい、分かりました」
 そう言って去るしかなかった。

 エイクは従者用の天幕に向かった。そこに置いてある自分の荷物をまとめるためだ。
 荷物をまとめるといっても、ほとんど何も使っていないので時間はかからない。
(馬車が出るまで時間がある、少しでも体を鍛えよう。昨日のゴブリンとの戦いを思い出して……)
 そう思ってどうにか前向きになろうとするが、どうしても足取りは重くなる。
 隊員たちの多くが森の状況把握の為に散っており、残った者も朝の鍛錬や雑用で動き回っていて、エイクのことを気にする者がほとんどいないのが救いだった。

「おやおや、英雄殿のご子息様ともあろうお方が、随分情けないご様子ですな」
 しかし、そんなエイクに嫌らしい声が掛けられた。
 炎獅子隊の筆頭副隊長フォルカス・ローリンゲンだった。
「ご迷惑をおかけしました」
 エイクはそう言って頭を下げたが、憎悪を隠しきれてはいなかった。

 フォルカスは王国有数の有力貴族ローリンゲン侯爵家の嫡男で、名門出身の自分が貧民出身のガイゼイクの下についていることが気に食わないのか、ことあるごとにエイクに嫌がらせをしていた。
 そしてエイクの側でもまた彼のことを激しく嫌い、嫉妬していた。
 フォルカスはオドに関してエイクの反対のタイプだった。

 フォルカスは現在30歳。長身で、よく言えば優雅な姿形といえたが、戦士としてみれば貧弱な印象を受ける体格だった。しかし、その身に宿るオドは他に抜きん出て極めて優れているらしい。
 フォルカスは大剣を軽々と扱い、ただ剣を振るうだけで並みの騎士を寄せ付けない。
 見た目に反して生命力も高く、生半可な攻撃を受けてもものともしない。
 その実力は炎獅子隊でもガイゼイクに次ぐと評されていた。

 見た目がどうだろうと、その強さが確かな鍛錬や実績に裏打ちされたものなら何の文句もない。しかし、ガイゼイクから漏れ聞く限りでは、フォルカスは何につけ不真面目でむしろ遊興に耽っているらしい。
(そんな男がなんで……)
 自分との余りの境遇の差にエイクは憎悪と嫉心を募らせていた。
 あるいは、エイクのそんな思いを察するが故のフォルカスの態度だったのかも知れない。

 フォルカスは嫌味たらしい声色で続けた。
「何でも昨日はゴブリンごときから逃げ惑い、悲鳴を上げて助けを求めたとか。いやはや大層な武勇伝だ」
(ゴブリンは倒した、逃げてはいない)
 そう思ったが、言い合うだけ無駄と考え去ろうとする。しかしフォルカスはかまわず続けた。
「いい加減戦士として生きるのは諦めたらどうです。なんなら私はよい仕事をご紹介しましょう。金持ち連中に尻を振る仕事はどうです。それなら立派にこなせるでしょう。
 ああ、そういえばお母上もそういう手づるで上手いことのし上がったとか。
 お父上の出世のきっかけも、お母上のそのお働きと聞きましたぞ。これも立派な親の跡を継ぐ行為では?」

「貴様ッ」
 エイクは激昂し、ほとんど反射的に殴りかかっていた。
 自分はともかく両親への誹謗中傷は断じて許せなかった。

 エイクは両親の行いが、必ずしも公明正大なものばかりではなかったことを知っていた。
 父ガイゼイクは親の顔も知らぬ貧民街の出身者だったし、母エレーナも父と知り合った時点で支援してくれる親族など誰一人いない状態だった。
 そんな立場の者達が、綺麗ごとだけで生きていけるほど世の中は甘くはなく、両親ともに後ろ指を刺されるような行いもしていた。
 特に父ガイゼイクは、生きていくためには仕方がなかった、という言い訳が通用しないような、悪事と言わざるを得ない事すらもしていた過去がある。

 その事を知るエイクは、両親がなした実際の行いに対して批判されるのはやむを得ない事だと思っている。
 しかし、むしろだからこそ尚の事、虚言を用いて両親を貶めることなど、けして許容出来る事ではなかった。

 だが、フォルカスに向かっていったエイクは、軽く足を払われ倒されてしまう。
 フォルカスは倒れたエイクの胸を踏みつけた。
「出がらしのガキが。とっとと消えてなくなれ」
 そして、そう言うと胸を踏む足に力を込める。
「ぐッ、がぁッ、はッ」エイクは息が止まりそうになり、必死でその足を払いのけようともがく。しかし、ビクとも動かなかった。
 しばしそんな状況が続いたが、フォルカスは最後にエイクに向かってつばを吐きかけてから去っていった。

 エイクは呼吸を整えると黙って立ち上がり、軽く汚れを払った。
 彼がこのような目に遭わされるのはこれが初めてではなかった。
 
 フォルカスとエイク、どちらの悪意が最初のきっかけだったかはともかく、今や彼らの関係は険悪そのものだった。しかし、被害を受けるのは一方的にエイクで、その行為は今まさに行われたように暴行といえるものになっていた。

 エイクはこのような状況にあることをガイゼイクに一言も告げていなかった。
 フォルカスがそうした行為を行うのは、彼ひとりか彼の取り巻きしか周りにいない時に限られ、エイクに味方する証言は得られない。
 いくら隊長でも一方の証言だけで副隊長を糾弾するわけには行かないし、有力貴族を敵に回すのは父にとって不利益になる。そんなことくらいはエイクにも分かった。これ以上父に迷惑をかけたくはなかった。
 また、エイクは告げ口をするという事を恥だと思っていた。

 フォルカスと会わないようにすれば良いのだが、炎獅子隊の訓練所を使って鍛錬を行っている為それも難しい。
 訓練所でなら良質の指導を無料で受けることが出来るのに、自分のためだけに家庭教師を雇ってくれとは、さすがに頼めなかった。

 訓練場でエイクを蔑みちょっかいをかけて来るのはフォルカスだけではなかったが、エイクは全て無視して誰にも何も訴えなかった。それが最も効率よく鍛錬をする方法だったからだ。
 自分への扱いを変えるために時間を費やすなど無駄だ、そんな時間があるなら鍛錬を積んで自分が強くなればよいのだ。彼はそう思っていた。
 少なくとも命の危険を感じるまでは父に何も告げる気はなかった。

 ガイゼイクはそんなエイクの境遇に気付いてはいるようだった。
 しかし、そのことについては何もしてはいなかった。
 ただ、時間が許す限り訓練所に来て鍛錬に付き合ってくれたし、屋敷でもエイクの訓練の相手になってくれることがあった。

 エイクはそんな父の態度を、自分の気持ちを尊重してくれていると捉え、感謝していた。
 結果、時折暴行を受けながらも、ひたすら鍛錬に励むのが彼の日常になっていた。

 エイクは予定通り荷物を用意して、馬車の出発までやはり何かの訓練でもしようと考え従者用の天幕へ向かおうとした。
 と、灰色のローブを着てフードを目深に被った人物がこちらを見ているのに気付いた。
 その人物はエイクに近づき「助けた方が良かったかな?少年」と声を掛ける。
 その声は昨日とはまるで違うしわがれたもので、容貌を伺うこともできなかったが、口調から自分を助けてくれたあの女性だと分かった。

 昨日との変わりようをいぶかしみながらもエイクは答えた。
「いえ、必要ありません。自分で立てますから。ありがとうございます」
「そうか、良い答えだ」
「昨日助けていただいた方ですよね。改めてありがとうございました」
「感謝は必要ないよ、少年。私は君の為に雇われた治療師だからな。仕事をしただけさ」
「それでも命の恩人に感謝をしないなんてことはありえません。それと僕の名はエイク・ファインドです」
「では感謝を受け取ろう。そして、良い名だが、私にとって君はまだ、唯の『少年』だな。
 それと私のことは“治療師”と呼んでくれ。当然ながら君の帰還には同行するから、よろしくな」
 口調は柔らかなものだが、露骨に距離を置かれエイクは寂しさを感じた。
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