剣魔神の記

ギルマン

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第4章

1.違えた道

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 ゴルブロ一味の死体が晒され、エイクの勝利が明らかになった9月20日の深夜。
 今は使用人としてエイクに仕えるリーリアは、エイクの寝台の上にうつ伏せ、荒い呼吸を繰り返して息を整えていた。

 エイクはゴルブロ一味との戦いで役に立った“黄昏の蛇”の面々を労わるために、しばらく寝室に呼ばないことにした。そして代わりにリーリアが呼ばれたというわけだ。
 リーリアも、エイクの屋敷を襲って罠に嵌った盗賊たちを倒す手伝いをしていたが、それは役に立ったとは認めてもらえなかったらしい。

 そのリーリアにエイクが声をかける。
「次に裏切ったら殺すからな」
「ッ!」
 リーリアは思わず息を飲んで呼吸を止めた。
 エイクの声には特に脅すような響きはない。だが、そのことこそが恐ろしかった。
 なぜならそれは、その言葉が脅し文句ではなく、ただの事実の確認に過ぎない事を示しているからだ。
「……はい、分かっています」
 リーリアはそう答えながら、己の行いの罪深さを思い、身を震わせた。
 エイクがこんなことを口にする人間になる切っ掛けを作ったのは、自分だと理解していたからだ。



 リーリアがエイクに初めて会ったのは彼女が8歳の時。
 フォルカス・ローリンゲンの手引きにより仕えるようになったガイゼイク・ファインドの屋敷に、その1人息子としてエイクは居た。
 その時リーリアは、エイクの事を絵に書いたような「良い子」だと思った。
 当時エイクは6歳だったが、明るく元気が良く、しかも歳の割りには礼儀正しかった。
 子供ながらに正義感も強く、他人を思いやる事も出来た。リーリアが身寄りがない身の上だと知ると、年上のリーリアの事を気にかけ、何かと助けようとさえしたのだ。
 そして大人達の言う事を良く聞き、何事につけても大人達が期待するとおりの、或いはそれ以上の結果を出していた。

 特に剣の訓練については目覚しいものがあった。
 エイクは当時既に大人達から剣の手ほどきを受けていた。
 それは、子供が棒切れを振り回すのとは一線を画す、訓練といって差し支えないほどのものだったが、大人達が驚くほどに達者で、常にその期待を遥かに超える成果を上げていた。
 大人達はそんなエイクを惜しみなく賞賛し、エイクもそれを喜び、いっそう努力して成果を上げた。
 実際それは、理想的な子供の成長過程だったといえるだろう。

 リーリアにはそのことが妬ましかった。

 リーリアがそれまで過ごしていた孤児院は質の良いものではなく、彼女は辛い思いばかりしていた。
 その彼女にとって、エイクの恵まれた境遇は余りにも羨ましく、妬まずにはいられなかったのだ。

 だからリーリアは、エイクを弱くしてやろうと思った。

 リーリアは、ガイゼイクに対して力を奪う呪いをかけるために、その屋敷に送り込まれた。しかし、ガイゼイクにはその術は通用しなかった。
 その時、代わりにエイクを標的にすることを提案したのはリーリアだ。
 フォルカス・ローリンゲンの使いの者から指示されてやったのではない。
 逆にリーリアが提案したのである。

 それは子供が意地悪をするのと同じような感覚の行為だった。
 だが結果は劇的で決定的だった。
 エイクからみるみる力が失われ、どれほど努力しても身につかなくなってしまう。
 期待の声は消え、賞賛は侮蔑に代わり、虐げられ、ついには暴力さえ振るわれるようになる。
 以来エイクは、異常なほどの鍛錬を己に課し、それでも意味ある成果は得られず、よりいっそうの鍛錬を課し、そして捻じ曲がっていった。

 リーリアはその事に暗い喜びを感じていた。
 あの癇に障るほど良い子だった者が、自分のせいで惨めな有様になり、歪んでいくことに自分の優位さを感じた。
 自分が元凶であることも知らず、幼馴染として、数少ない心を許せる相手として、慕ってくる姿が滑稽で、面白くてならない。
 そうやって、リーリアのエイクを騙す演技はどんどん上手くなった。

 そろそろエイクを殺してしまうことも考えているからそのつもりで居ろ、そういう指示があった時すら、罪悪感も躊躇いも持たなかった。
 だがリーリアが呪いを最大限に発動させてもエイクは死なず、逆に呪いを打ち破り、ついに己の強さを取り戻した。
 そしてその強さを思うさま使うようになった。
 その結果が今のエイクである。

 リーリアは最近になって、自分がエイクを標的にすることを提案しなかったら、どうだったろうか、と思うようになっていた。
 きっと、年端も行かぬ子供を狙うなどという事を、他の者は思いつかなかっただろう。
 そして、あくまでもガイゼイクに呪いをかけようと無駄な努力を重ねただろう。
 結果としてエイクは、あのまま真っ直ぐに成長したはずだ。

(それに、あの女に付け入られる事もなかった……)
 リーリアはまたそんなことを思った。
 リーリアは“治療師”と名乗った女の事を思い出していた。
 あの、エイクに最も近い女性という立場をあっという間に自分から奪い、今もなおエイクにとって特別な存在であり続けているに違いない女の事を。

 エイクの人格形成にその女の影響が大きいのは間違いない。
 だがそれも、エイクが報われない境遇に居たからこそである。
 誰にも期待されず、褒められず、侮蔑され、暴行を受けていたからこそ、他人に価値はないというその女の言葉が、エイクの心を打った。
 そしてその教えを全面的に受け入れたのだ。

 もしもリーリアの行いがなく、他者との間に健全な関係を築けていたならば、あの女に付け入られる事はなく、エイクは真っ直ぐに自分の道を歩んだはずだ。
 そしてその道は、栄光に光り輝くものだっただろう。

 かつて呪いを受ける前のエイクのことを、一部の大人達は「剣聖と呼ばれるべき器」だの「剣神の申し子」だのとほめそやしていた。
 その言葉はただのおべっかの類だったが、結果論として間違いではなかったといえる。
 何しろ今のエイクは、17歳の若さで既に、国で1・2を争うほどの強さになっているのだから。
 もしも、あのまま健やかに真っ直ぐに成長して行ったなら、やはりエイクは同じように強くなり、後ろ暗い行いなどはせず、長じて剣聖と讃えられる道を実際に歩んだはずだ。
 仮に父の死という悲劇が避けられなかったとしても、今とは異なるやり方で対応していただろう。

 しかしエイクは、その道を違えてしまった。
 リーリアの行いの為にだ。

 リーリアはそう思い、己の罪深さに震える思いだった。
 ただ、リーリアは、エイクの進む道が本来のものに戻っていくのではないかと期待してもいた。
 自分の行いの為に、強さと共にエイクから奪われていた他者からの期待と賞賛というものが、エイクの下に戻って来ていたからだ。
 だが、その期待は実現しなかった。

 何があったのかリーリアは詳しい事情を知らなかったが、今のエイクは、むしろ以前よりもいっそう冷酷な態度をとる人間になってしまっている。
 リーリアには今エイクが歩んでいるのは、聖ではなく魔と呼ばれる至る道であるようにしか思えなかった。
 そして、エイクにそのような道を歩ませる事になった原因は、自分のようなつまらない女のくだらない嫉妬だったのだ。



 リーリアは半身を起こしてエイクの方を向いた。
 エイクは寝台に横たわり、平静な表情で視線を天井に向けている。
 その首元近くには、女性の横顔をあしらった簡素なメダルを、チェーンでつないだペンダントがあった。
 それが、エイクにとって両親の形見である事をリーリアは知っていた。
 その形見の品を肌身離さず身につけていることは、エイクから人らしい感情が失われてはいない事を証明している。リーリアにはそう思えた。

「もう二度と逆らいません」
 そう告げるとリーリアは、エイクの体に自らの身を寄せて行く。
 彼女は疲れ果てていたが、エイクがまだ満足してはいない事を察していた。
 だが、なぜ命じられた訳でもないのに、自ら進んでそのようなことをするのか、リーリアには自分でもその理由が分からなかった。
 単純にこの恐るべき主人に媚を売ろうと思ったのか、それとも罪悪感を薄れさせる為か、或いはそれ以外の理由があるのか。

 リーリアはそんなことを考えたが、その答えを導き出す事は出来なかった。
 リーリアの動きにエイクも反応し、直ぐにリーリアは何も考える事ができなくなってしまったからだ。



 エイクは、リーリアをかき抱きつつ、今後の予定について考えていた。
(しばらく王都を空けることになるだろう。その準備をしておかないとな……)
 そんなことを淡々と考えていたのである。
 エイクには、リーリアが己の行いの為に違えてしまったと思っているその道を行く事に、もはや何の躊躇もなく、特別な感慨すら持っていなかった。
 その道が悪の道だとしても、その先にあるものが闇だろうと魔だろうと、己の意思と欲望のままに進む事を決めていたからだ。

 エイクにとっては、何が切っ掛けだったかなどは、もはや関係がない。
 今の自分が、己の意思と欲望のままに進む。それこそが重要だった。
 そしてエイクは、その道を歩む事を止めるつもりは毛頭なかったのである。
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