剣魔神の記

ギルマン

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第5章

68.ワレイザの街の状況

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 エイクが、地下の迷宮からベアトリクスがいる部屋へ戻ろうと急いでいる時、その部屋に同室している生き残った女達は、チェインメイルやハードレザーアーマーなどの鎧を身に着け、武器も装備していた。
 アメリアの指示によるものだ。
 まだ安全が確保できたと言える状況ではないし、武装した方が精神的にも落ち着くだろう。アメリアはそう考えたのである。

 ベアトリクスも、女兵士たちの予備の鎧の中からサイズの合う物を探して装備していた。
 その鎧は飾り気のないソフトレザーアーマーだったが、上から白色のマントを羽織っており、それなりに様になっている。
 そして、その腰にはレイピアが佩かれていた。

 アメリア自身が装備したのは板金鎧だ。それは彼女の予備の鎧だった。そして自身の背丈よりもずっと長いハルバードを手にしている。それも愛用の武器だ。
 一見10代中頃の華奢な少女に見えるアメリアだが、ハーフドワーフらしくその筋力は強い。重厚な鎧や長大な武器も軽々と扱うことが出来る。

 そのアメリアは、エイクが駆けて来る足音に気付いて身構えた。新たな敵がやって来たのかも知れないと考えたのだ。
 エイクはその部屋の扉の前で止まり、ノックをしてから声をかけた。

「ルキセイクです。直ぐに報告しなければならない事があります」
 エイクは変わらず偽名を使っている。

 ベアトリクスが答える。
「入室を許す。入って来てくれ」

 その言葉を受けてエイクが入室する。
 顔は覆面で隠されたままだ。それでもその声や姿形、それに装備品などから、ベアトリクスもアメリアも、確かにそれがエイクだと認めた。
 だが、アメリアは緊張を解かない。慌てて駆けて来た事や声の調子から、何か尋常ならざる事態が生じたのだろうと察していたのである。

「どうしたのだ?」
 アメリアが問う。ベアトリクスも気遣わしげにエイクを見つめている。
 エイクは簡潔に答えた。

「予想外の事が起きました。迷宮の機能が、復活しました」
「ッ!」

 エイクの答えにアメリアは驚きを顕にした。全く想定していない答えだった。
 ベアトリクスも、思いもよらない事を告げられ咄嗟に言葉もない。

 エイクはアメリアに問いかけた。
「突然、迷宮に明かりが灯りました。原因に何か心当たりがありますか? そんな事が起こる仕掛けでもしてあったとか」

 アメリアは首を横に振った。
「……いや、そんなものはない」

「それなら、やはり迷宮が復活したとみるべきです。魔物も発生すると考える必要があります。
 この砦に長居は出来ません。出来るだけ早く、最低限必要なものをまとめてここを出ましょう」

 そのエイクの提案に対してベアトリクスが異論を述べた。
「待ってくれ。この迷宮で発生していた魔物はそれほど強くはなかった。大量の魔物が一気に出てくるような事態も過去に起こっていない。
 それに、魔物が迷宮の外に出てくるのは、迷宮内の魔物の数が増えた時が多いと言われているはず。空の迷宮に新たに発生した魔物が、急に外に出てくるとは思えない。
 何も直ぐに砦を出なくとも良いのではないか?」

 彼女はやっと得た拠り所から離れる事に抵抗を感じていた。
 エイクは直ぐに言葉を返す。

「例え弱いものだろうと、魔物が発生する可能性が高いというだけで危険は危険です。そんな場所に留まるなどありえない。
 それに、今後発生する魔物の強さや性質が前と同じとも限りません。
 この場所は、既に危険地帯になっているのです」

「……」
 言葉を詰まらせるベアトリクスに向かって、エイクは更に告げる。

「他にも想定していなかった事が起こっています。“雷獣の牙”は、ラモーシャズ家を裏切ったようです。そんな事になった以上、ここに留まっている余裕はありません」

「ッ!!」
 ベアトリクスは驚愕し息を飲んだ。
 そして、半ば呆然としたまま問いを発した。

「あの者達は、どうなったのだ?」
 あの者達とは、当主のマグネイアやその妹オスグリアなどラモーシャズ家の者達の事だろう。
 そう察したエイクが答える。

「ラモーシャズ家の者達は全員捕らえられたそうです。その後どうなったかまでは分かりませんが、計画では最終的には殺す予定だったようです。
 実際、“雷獣の牙”は、敵を生かしておくような者達ではないと思います」

「……」
 ベアトリクスはしばし言葉を失った。

 エイクには、仇が死んだかもしれないと告げられたベアトリクスの気持ちが分かる気がした。自身もまた親の仇を持つ身だからだ。

(父さんの仇が誰かに殺されたと言われたら、俺も冷静ではいられないだろう。多分喜ぶよりも悔しく思うだろうが、どちらにしても直ぐには気持ちの整理は出来ないはずだ)

 と、そのように考えたのである。そして、ベアトリクスもきっと同じなのだろう、と。
 だが、だとしても、今はベアトリクスの気持ちの整理を待つ余裕はない。
 エイクは言葉を続けた。

「ともかく、出来るだけ早く領都に行くべきです。私はこのまま直ぐに向かいます。私一人でも、出来る事はあるはずです。
 ベアトリクス様は、他の皆様と共にどこかに身を隠してください。この近隣に信頼できる家臣の方などはいませんか?」

「……い、いや、それは駄目だ」
 しかし、どうにか動揺を押さえ込んだベアトリクスは、エイクの提案を拒絶した。そして、その理由を述べる。

「迷宮から魔物が発生してここが危険地帯になってしまうなら、ワレイザの街も危険に晒されている事になる。それを見捨てる事はできない。
 それに、今から直ぐに領都に向かうなら、そなたは不眠不休で戦う事になってしまう。そんな無理をするべきではない。
 そもそも、敵が仲間割れを起こしたという事は、敵の総数が減ったという事。状況はその分好転しているのだから、何も急ぐ必要はないはずだ」

(この人は、根っからの善人なんだな。だから、悪人の行いを想像できない……)
 ベアトリクスの意見を聞いたエイクはそのように考えた。
 そして、自分の考えを告げることにした。

「“雷獣の牙”が領都を制圧したなら、領都の住民を襲撃するでしょう。そして、民は殺戮され、領都は焼け野原になります」
「ッ!!」
 絶句するベアトリクスに構わずエイクは言葉を続ける。

「これがラモーシャズ家なら、領都を焼き討ちになどはしないでしょう。辺境伯領を乗っ取って、自分達で支配するつもりなのですから。
 しかし、“雷獣の牙”では話は違います。幾らなんでも他国から来たばかりの傭兵団が領土を乗っ取るなど不可能です。どれほど文書を偽造しても、国がそんな事を認めるはずがない。

 “雷獣の牙”も、まさかそんな事が認められると思っているはずがないし、国と争ってここを自分の領土にしようとまで考えるとは思えない。長く領内に留まろうとはしないはずです。
 きっと、奪えるだけのものを奪って、さっさとこの国を出ようとするでしょう。
 そして、当然住民も略奪の対象になります。民には手を出さないなどという考えを持っている連中ではないのですから。
 最悪、既に襲撃は始まっているかも知れません。

 領都に残っている傭兵たちは70人弱程度のようです。大した数ではないと思うかも知れませんが、腕利きの傭兵達ならそのくらいの数で、真面な護衛兵がいない都市くらい容易く壊滅させてしまいます。
 そして、“雷獣の牙”には、腕利きの傭兵が揃っています」

 実際エイクは、“雷獣の牙”の傭兵達にはそれなりの強者もいると感じていた。
 このワレイザ砦で傭兵達と戦う中で、並みの兵士などよりもずっと強い傭兵を何人も相手にしていたからである。
 エイクは、そんな強い者も含めて傭兵達のほとんどを一撃で倒していた。しかしそれは、エイクが更に隔絶した強者であったからこその結果だ。一般的には十分に強者と言える傭兵達も揃っていた。

 傭兵団“雷獣の牙”は、規律は兎も角として、個々の傭兵の強さという面では油断ならない傭兵団だったのである。
 それこそが、“雷獣の牙”が多くの雇い主を得ていた理由なのだろう。

 エイクは、そこで一旦言葉を切った。反論の言葉は誰からも上がらない。ベアトリクスは顔を青ざめさせ絶句している。
 しかし、エイクは先ほどのベアトリクスの言葉のうち、ワレイザの街を見捨てられないという点については考慮すべきだとも思った。
 そして、そのことについても意見を述べる。

「ですが、確かに、迷宮が復活した事でワレイザの街が危険に晒されているのも事実です。せめてその事だけは街に伝えるべきでしょう。
 傭兵どもから聞いた限りでは、街の代官は反乱には加担していないそうです。
 今街には、オズワルド・ボージュという寝返った騎士が、4人の部下と共に駐留して代官を押さえ込んでいるとの事です。その者達を討って、代官に状況を伝え、その後で領都に向かいましょう。
 皆さまの安全確保についても、代官の方と相談した方が良い案が出るかも知れませんし」

 そこで、黙ってエイクとベアトリクスの問答を聞いていたアメリアが口を開いた。
「ワレイザの街に関しては、私達に任せてもらいたい」

 エイクとベアトリクスがアメリアの方へ顔を向ける。
 アメリアは、普段なら可愛らしく見えるその顔に、強い決意を感じさせる険しい表情を浮かべていた。そして、エイクに向かって言葉を続ける。

「そもそも、ワレイザの街の安全確保は砦に駐留する我々の任務。そして、オズワルド・ボージュは騎士の中でも技量に劣る男で、その部下達も並以下の者しかいない。私達でも十分に倒す事が出来る。
 だから、そちらは私達で対処し、貴殿には一刻も早く領都へ向かってもらいたい。恐らくそれが、最も多くの民を救う方策のはずだ」

(理屈ではその通りだが、現実的に可能かな?)
 エイクはそんな事を思いながら、アメリアの後ろに居る女たちを見た。
 その7人の女達のうち2人は、一応は闘志を持っているように見える。だが、他の者達は皆、恐れを抱き、怯え、身を震わせていた。
 その中の1人が、悲鳴のような声を上げた。

「……嫌、嫌、嫌です」
 そして、その場に蹲ってしまう。
 その女は、屋上で犯されていて、エイクに最初に助けられた女兵士だった。

 エイクには、この状況は当然のもののように思えた。
(戦いに負けて犯された直後なんだ。いくら怪我は回復薬で治っていても、直ぐにまた戦うのは、普通は無理だろう。
 一応は軍属なわけだから、ただの女に比べれば覚悟はあったかもしれないが、それにしても、今日の今日だからな。戦う気がある者が居るだけでも大したものだ)
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