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2.4話 家出準備
しおりを挟む「さて、そろそろ独り立ちしようとする弟にせめてもの餞別を渡すとしましょうか。」
「餞別ですか?」
「そう、餞別です。シア!! あれを持ってきて。それとリア、あなたはいつまで盗み聞きをしているのかしら?」
ミシェルはメイド長のシアにある指示を通し、ついでにリアの名を口にする。名前に呼応するように閉じた扉がビクリと音を立て、コウは扉越しに耳を澄ませる妹の姿を想像した。
申し訳なさそうに開く扉の先にはやはりリアの姿があり、バレバレだったことを不服そうにドアノブを下げたまま握っている。
「……いつからですか。」
「当然、最初から。あなた部屋を出てすぐに耳をくっつけて、盗聴魔法を使いましたね。その年では十分すぎる魔法、流石は私の妹です。」
「えっ! あ……ありがとう、ございます……。」
突然の褒め言葉にリアは照れ隠しのつもりで斜め下を向くが、逆に赤くなった耳がよく見える。
ミシェルに褒められたことが余程嬉しいらしい。確かに、コウも同じ立場であれば嬉しさにもがいてしまうだろう。
何せ、あの『銀氷』からお褒めの言葉を頂いたのだ。気持ちが盛り上がってしまってもおかしくない。
「十三点といったところでしょうか。次は魔力の鼓動を抑えるように心がけなさい。四十点ぐらいにはなるでしょう。」
ーーー十三っ!! 流石にそれは……
さもあっけらかんとしたダメ出し、ミシェルはどちらかというと上げて下げるタイプなのだ。
コウの予想は当たり、リアの顔は風船のように膨らみ、目から零れ落ちそうなほど潤っていた。
「ミシェル様、それは過小評価かと。低俗な輩であればリア様の魔法は実践レベル、歳も考慮するなら、そうですね……十五点が妥当かと。」
ーーー十五っ!!! シアさん、それオーバーキルですよ!! というかいつからそこに??
突如姿を現したかと思えば、エルフ耳のメイドはここぞとばかりの毒舌でリアを撃墜させる。本人は真面目にフォローしているつもりだが、言葉下手が過ぎる。
相変わらず気配すら感じさせない身のこなし。
「シアさん、その箱……金庫ですか?」
いつの間にか部屋の隅に佇むシアの手には厳重な封印が施された金庫のような物が一つ、おそらくミシェルの指示したものだろうか。
「十三……、十五……。」
その金庫の封印術に興味が割かれていた内、世界から一人だけ色を失ったかのようにリアはぶつぶつと何やら数字をつぶやいている。コウは見るまでもなく、リアの傷が目に浮かんだ。
「えっと、リア。大丈夫!! 僕は魔法のことなんて気づきもしなかったし、その…リアはとっても優秀だよ!」
「……ほんとですか。十五点でも、私…優秀ですか?」
「うん! リアは僕なんかよりずっとすごいよ! 気にすることはない。」
正直、リアの存在には気づいていたものの、魔法には勘付けなかったのは事実。嘘…ではない。嘘をつくのは慣れないが、傷心のリアにはひとまずばれないだろう。
リアはちょこんとコウの袖を掴むと、鼻水を一啜り。コウは自前のハンカチで手伝っている間に、既にミシェルは準備を終えていた。
「二人とも、戯れは後にしなさい。今から渡すものはお母様が私たちに残してくれたものです。」
母が残した物と聞き、二人は理解も及ばぬままにミシェルに注目する。
シアの手には空いた金庫が、ミシェルの手には二つの金印があった。母が残したものの正体を知りたい一心でコウはミシェルに続きを求める。
「お母様は私たちに遺産を残してくれていました。お母様の言伝を履行し、十五となるコウにこの金印を渡します。これは銀行の鍵、差し詰め遺産相続の証でもあります。」
いっきに話が大きくなってきた。整理するためコウは一旦頭を回す。
まとめると、この金印は銀行から遺産を引き落とすための物。おそらく、母は眠りにつく前から、ひそかに貯金していてくれたのだろう。今年十五を迎えたことでミシェルは伝言に従って、遺産相続の話を持ってきた。
ーーー今のタイミングで遺産の話……。ということは。
コウは淡い期待を抱かずにいられなかった。
「お父様が見張っている以上、残念ながら家からの援助は難しい。当然私達からも。しかし、母が残した遺産ならば……これはコウ君のもの。」
「ということは…」
「お金、必要なんでしょう? 使いなさい。お父様のことは私が何とかしますから。」
「……うっ…お姉ちゃん、」
「!? やはりそっちの呼びがいいですね。………頑張ってね、コウ君。」
コウは嬉しさに浸り、感謝の言葉すらも忘れてしまう。
ーーーヤバい、泣きそうだ…。
今まで辛くて、苦しくて、泣きそうになったことは沢山あった。その度に歯をくいしばり、負けないようにと涙腺を堪えては、感情を抑え込んでいた。
しかし、今日全てが崩壊する。
「あれ……おかしいな…。全然、止まってくれないや。」
気づけば、コウは感情に身を任せていた。嬉しさで涙が出るなんて、自分とは無縁なものだと思っていた。
たとえ否定しようとも、それでも背中を押してくれる。
眠り続けようと、それでも自分を思ってくれている。
そこには……コウが飢え、欲し、求め続けたものを確かに感じた。
気づけば乾いた心は涙の雨で溺れていく。
ミシェルは何も言わず、ハンカチで拭ってくれた。
一粒、一粒、丁寧に。一滴も取りこぼさないように。
「ごめぇ、んなざい…。これ…止まらなくて、」
「私の前では良いのです。確かに、人前で泣いてはいけないと、私はそう言いました。涙は時に、周りすらも悲しみに染めてしまう。しかし、それは嬉しさも同じこと。あなたが嬉しさに泣いてくれるから……私たちも嬉しくなるのです。きっとコウ君は人のために涙を流せる素敵な男性になれますよ。」
ーーーああ、姉様には敵わないな…。
嬉し涙の後に悲しみはない。
子供の頃、コウはひとり部屋にこもって泣いた後の寂しさが嫌いだった。
しかし、今は違う。泣いたあの時とは違う余韻を残しながら、いつしかコウは輪郭を上げていた。
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