13 / 82
桐生さんの事情
しおりを挟む
桐生武尊はアルファではあるが、いわゆる名門家の出ではない。
中流に毛が生えた程度の家だ。
代々ベータの家系であったが曾祖父がアルファの女性を娶った。
この曾祖母がいわゆる名のある家のお嬢様だった。
その家で運転手として仕えていた曾祖父に曾祖母が恋に落ちたのだ。
歳の差なんと十三歳、お抱え運転手が高齢で引退した後任が曾祖父だ。
曾祖母はアルファとして、そして総領娘として後継になるべく厳しい教育を受けた。
移動の車中でもそれは変わらず車窓から景色をながめることなど皆無だった。
そんなある日のことである。
「お嬢様、桜のトンネルでございますよ」
その声にふと見上げて見れば確かに河川敷の桜並木が満開だった。
おっとりのんびりとした口調に惹かれた、と後に曾祖母は語ったという。
曾祖母は持ち前の手腕を遺憾無く発揮し、搦手でもって曽祖父を陥落させた。
駆け落ちした二人は曾祖母の生家からの妨害にあいながらも、子を三人もうけ死ぬまで仲睦まじく暮らした。
子の三人のうちアルファは一人、このアルファが事業を起こし桐生家は少し上向いた。
曾祖母の後、アルファともオメガとも交わらなかった桐生家であったが血族に一人はアルファが産まれるようになった。
古く長い歴史を持つ曾祖母のアルファの血は濃く強かったといえる。
そんな血統の下に生まれたのが桐生武尊だった。
父も母もベータだったが、今代のアルファはこの子だったかと思うだけで至って普通の子と同じように育てた。
小中高とエスカレーター式の中学校でそれは起こった。
「桐生君が傍にいるとドキドキして落ち着かない」
同じ委員会のオメガにそう言われ告白かと浮かれたが、嫌悪感剥き出しの顔に瞬時に違うと悟った。
そこで診断されたのがフェロモン過多症だった。
完治させるのは難しいが、相性の良いオメガがいれば中和することもあるという。
幸い良い抑制剤があるというのでそれを処方してもらった。
「ひいおばあちゃんの血かしらねぇ。とても強かったらしいから」
桐生家直系の母はそう言った。
抑制剤は良く効いた、普通のアルファといえば語弊があるかもしれないがいたずらにオメガを惑わすことは無くなった。
しかしそれも高校を卒業する頃までで、武尊のフェロモンはどんどん強くなっていった。
抑制剤は欠かせず、しかしその効き目も効用時間も薄れ短くなっていった。
武尊は恐れ、誰とも極力関わらず幼い頃からの極一部の親しい友人以外は全て遠ざけた。
転機は大学二年時、友人から紹介された彼は小日向製薬の御曹司だった。
その彼が言うには武尊の抑制剤を開発したのは小日向製薬で、武尊の症状に興味があるので詳しく検査させてくれないかということだった。
小日向製薬の薬が効かない貴重な被検体、聞こえは悪いが武尊にとっては一筋の光だった。
小日向が親身になってくれたお陰で自分に合う抑制剤が、小日向製薬としては貴重なデータが、とお互いに良い結果になった。
ただ副作用の凄まじい眠気だけはどうにもならなかったので、『眠眠破壊』という強烈な眠気覚し剤を飲むことになった。
卒業した武尊は教育関連のアプリを起点に手広く事業を広げた会社のクリエイティブ部門に、企業ロゴや商品パッケージのデザイナーとして就職した。
その体質を鑑みて在宅ワークがメインだが、週に二回は出社する。
周平を見かけたのはそんな時だ。
電車の座席に座る周平とその前に吊革を持って立つ自分。
影が差したので見上げただけだろう、顔を上げたその顔に武尊は撃ち抜かれた。
なんて愛嬌のあるたぬき顔なんだろう。
この頃、武尊の持つ案件のひとつに創業百年を記念したイメージキャラクターのデザインを任されていた。
『石田園』という茶葉製造会社のそれに頭を悩ませていた武尊の頭にお茶を啜るたぬきが降りてきた。
侍姿のたぬき、町娘姿のたぬき、茶葉を頭に乗せてあらゆる姿に変化するたぬきはこれ以上なく当たった。
これまで手がけたデザインの中で一番評判が良く、武尊指名の仕事も増えた。
その後いつも行くコンビニに『眠眠破壊』が無く、橋を渡った先のマナベならあるかもと店員に聞いて行った先に愛嬌のあるたぬきがいた。
いらっしゃいと笑顔で招き入れてくれ、ありがとうと送り出してくれる。
このたぬきは自分に好意を持っているんじゃ?と感じた。
だって自分なんかにあんなに愛らしい笑顔を見せてくれたのだから。
あの嫌悪感剥き出しのオメガの顔はしこりとなって長い間自分の中にあった。
自分に笑顔を見せてくれるオメガはいないと思っていた。
だけど彼は笑ってくれた、ふわふわと漂うほんのり甘い匂いに今度も撃ち抜かれてしまった。
中流に毛が生えた程度の家だ。
代々ベータの家系であったが曾祖父がアルファの女性を娶った。
この曾祖母がいわゆる名のある家のお嬢様だった。
その家で運転手として仕えていた曾祖父に曾祖母が恋に落ちたのだ。
歳の差なんと十三歳、お抱え運転手が高齢で引退した後任が曾祖父だ。
曾祖母はアルファとして、そして総領娘として後継になるべく厳しい教育を受けた。
移動の車中でもそれは変わらず車窓から景色をながめることなど皆無だった。
そんなある日のことである。
「お嬢様、桜のトンネルでございますよ」
その声にふと見上げて見れば確かに河川敷の桜並木が満開だった。
おっとりのんびりとした口調に惹かれた、と後に曾祖母は語ったという。
曾祖母は持ち前の手腕を遺憾無く発揮し、搦手でもって曽祖父を陥落させた。
駆け落ちした二人は曾祖母の生家からの妨害にあいながらも、子を三人もうけ死ぬまで仲睦まじく暮らした。
子の三人のうちアルファは一人、このアルファが事業を起こし桐生家は少し上向いた。
曾祖母の後、アルファともオメガとも交わらなかった桐生家であったが血族に一人はアルファが産まれるようになった。
古く長い歴史を持つ曾祖母のアルファの血は濃く強かったといえる。
そんな血統の下に生まれたのが桐生武尊だった。
父も母もベータだったが、今代のアルファはこの子だったかと思うだけで至って普通の子と同じように育てた。
小中高とエスカレーター式の中学校でそれは起こった。
「桐生君が傍にいるとドキドキして落ち着かない」
同じ委員会のオメガにそう言われ告白かと浮かれたが、嫌悪感剥き出しの顔に瞬時に違うと悟った。
そこで診断されたのがフェロモン過多症だった。
完治させるのは難しいが、相性の良いオメガがいれば中和することもあるという。
幸い良い抑制剤があるというのでそれを処方してもらった。
「ひいおばあちゃんの血かしらねぇ。とても強かったらしいから」
桐生家直系の母はそう言った。
抑制剤は良く効いた、普通のアルファといえば語弊があるかもしれないがいたずらにオメガを惑わすことは無くなった。
しかしそれも高校を卒業する頃までで、武尊のフェロモンはどんどん強くなっていった。
抑制剤は欠かせず、しかしその効き目も効用時間も薄れ短くなっていった。
武尊は恐れ、誰とも極力関わらず幼い頃からの極一部の親しい友人以外は全て遠ざけた。
転機は大学二年時、友人から紹介された彼は小日向製薬の御曹司だった。
その彼が言うには武尊の抑制剤を開発したのは小日向製薬で、武尊の症状に興味があるので詳しく検査させてくれないかということだった。
小日向製薬の薬が効かない貴重な被検体、聞こえは悪いが武尊にとっては一筋の光だった。
小日向が親身になってくれたお陰で自分に合う抑制剤が、小日向製薬としては貴重なデータが、とお互いに良い結果になった。
ただ副作用の凄まじい眠気だけはどうにもならなかったので、『眠眠破壊』という強烈な眠気覚し剤を飲むことになった。
卒業した武尊は教育関連のアプリを起点に手広く事業を広げた会社のクリエイティブ部門に、企業ロゴや商品パッケージのデザイナーとして就職した。
その体質を鑑みて在宅ワークがメインだが、週に二回は出社する。
周平を見かけたのはそんな時だ。
電車の座席に座る周平とその前に吊革を持って立つ自分。
影が差したので見上げただけだろう、顔を上げたその顔に武尊は撃ち抜かれた。
なんて愛嬌のあるたぬき顔なんだろう。
この頃、武尊の持つ案件のひとつに創業百年を記念したイメージキャラクターのデザインを任されていた。
『石田園』という茶葉製造会社のそれに頭を悩ませていた武尊の頭にお茶を啜るたぬきが降りてきた。
侍姿のたぬき、町娘姿のたぬき、茶葉を頭に乗せてあらゆる姿に変化するたぬきはこれ以上なく当たった。
これまで手がけたデザインの中で一番評判が良く、武尊指名の仕事も増えた。
その後いつも行くコンビニに『眠眠破壊』が無く、橋を渡った先のマナベならあるかもと店員に聞いて行った先に愛嬌のあるたぬきがいた。
いらっしゃいと笑顔で招き入れてくれ、ありがとうと送り出してくれる。
このたぬきは自分に好意を持っているんじゃ?と感じた。
だって自分なんかにあんなに愛らしい笑顔を見せてくれたのだから。
あの嫌悪感剥き出しのオメガの顔はしこりとなって長い間自分の中にあった。
自分に笑顔を見せてくれるオメガはいないと思っていた。
だけど彼は笑ってくれた、ふわふわと漂うほんのり甘い匂いに今度も撃ち抜かれてしまった。
応援ありがとうございます!
24
お気に入りに追加
410
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる