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心の準備はいいですか
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両頬を挟まれた侑の口はたこのようで、そのまま和明に連行されていった。
それを卯花は唖然と見送り、次いで周平の自室だという室内に目をやると武尊が周平の背中に向かって声をかけていた。
「卯花さん、お茶でも淹れましょうか」
へにょと下げた眉と赤くなった鼻の頭、唇は噛んだのか少し傷がついていた。
パタンとドアが閉じられる一瞬に見た光景は、周平を抱き寄せる瞬間だった。
インスタントだけど、と言いながら出されたコーヒーはマグカップに入っていて大和はそれに砂糖もミルクもたっぷり入れた。
安っぽいコーヒーの香りと、庭から微かに聞こえる虫の音、階上からは物音のひとつも聞こえない。
「学校でも習ったし。実際遠目で見たことはあったけど、目の当たりにすると・・・過去のことなのに嫌なもんなんですね」
「習った?」
「はい、ゆり花で。アルファは執着や独占欲が強いと」
「怖い?」
両手で抱えるように持ったマグカップは流行りのキャラクターが描かれていて、視線を空に向けて考えている大和を卯花はわからないように盗み見た。
「・・・怖い、ですね」
「そりゃ、そうだよな」
好きだ愛してるなどと綺麗事を並べたって結局は行き過ぎた束縛なのだ。
GPSを付けて行動を管理する者もいるし、自分のテリトリー内で軟禁する者もいる。
とにかく管理して支配して自分だけのものにしたい、自分が狩りとってきた獲物なのだから。
「ソレを失った時を考えると」
「え?」
「それほど好きだってことでしょう?もしもその気持ちが無くなった時、開放感よりも喪失感の方が大きいと思うな」
想像でしかないけど、ともう湯気もあがらない甘そうなコーヒーを大和はコクリと飲んだ。
「さっき、結婚相談所に行ったって」
「あぁ、・・・えっと、恥ずかしい話ですけどお断りされたんです。紹介できる人がいないって。それで、その憂さ晴らしみたいな感じでバーへ行って」
「今も、寂しい?」
んーと首を傾げふるふると大和は首を振った、なんだかんだ楽しい、そう言いながら。
「あの後、雑誌掲載のお話をいただいて武さんがうちに来て和明君も来て・・・賑やかになったから」
「そうか・・・」
「あと、卯花さんのお土産も、美味しいもの、ばっかりで嬉しい、です」
辿々しく話すのは照れも入ってるのかもしれない、伏せた睫毛がほんのりと染まる頬が竦めた肩が愛しいと思う。
自分の名がでないことへの落胆した気持ちが、急浮上していく。
食べ物目当てでもなんでも目の前の彼を嬉しくできるのならば、きっとなんでも捧げてしまうだろう。
「あの、松し」
「あっ!ハンカチ渡すの忘れてた」
卯花が伸ばした手はいつかのようにまた空を切った。
立ち上がった大和はリビングの入口、元は電話が置いてあったのか引き出し付きの小さな棚の上に置いてあった紙袋を取った。
白い封筒のようなそれには隅に鳥の判子が押してあった。
こっそり大和のサイトで買ったハンカチもこれでラッピングしてあり、デスクにこっそりしまってある。
「見ても?」
「はい、どうぞ。リクエスト通りKeijiで刺しましたよ」
舞う黄蝶その側に濃茶から明るい茶へグラデーションする名前が刺してあった。
それが黄色とよく似合っていて、鼻にあてがうとやっぱり仄かにラベンダーの匂いがした。
「もしかして、匂いますか?」
「うん、ほんのりだけど」
「ごめんなさい、ちゃんと消臭したんですけど」
「いや、俺がわかるだけで」
「鼻がいいんですね」
感心したような声に、ハンカチに顔を埋めたまま声を殺してやり過ごしたいが込み上げる笑いが堪えきれない。
彼はいつも注目されるのは自分ではないと思っている節がある。
人違いを許してしまったり、あの二人のおまけだからと言ってみたり、そして自分より大きな人がタイプだと言っていた。
きっとその体躯がコンプレックスなのだろう。
けれど、見下ろさずとも目線が合うのが、少し視線を流すだけで視界に飛び込んでくる横顔が、それがとても良いと今なら思える。
「なんで笑ってるんですか?」
「鼻は普通だと思うなぁ。松下君だからわかるんだよ」
「あ、そ、なの、え?」
「顔が赤いよ?」
えっ?と頬に両手をあててぐりぐりと揉むその手に、今度は空を切らずに触れることができた。
白く滑らかな手の甲、握った指先は傷がいくつもあるようでざらついていた。
コポリと湧き上がるなにか、これがなにかをよく知っている。
「卯花さんも赤いです」
「うん、緊張してる」
「どうしてですか?」
「今から、口説こうと思って」
ゴクリと飲んだ生唾の音は二人同時だったような気がした。
心の奥深くからコポコポと泉のように湧いてくるのは愛しさで、それを伝えたい、聞いてほしい、受けとってほしい。
そして、あわよくば同じ気持ちを返してほしい。
「一生懸命頑張ってもいいかな?」
「え、はい、頑張っ、て?」
「応援してくれるんだ」
事態がよく飲み込めていないのか固まったまま動かない大和に卯花は笑う。
開け放した縁側の窓からコロコロリーと虫の音だけが響く落ち着いた空間なのに、握った指先は熱いし、頬の赤みも引いていかない。
まるで恋を覚え始めた時のように卯花の心臓が忙しなく動いている。
もういい歳なのにな、と脳裏を掠めた思いは秋口のひんやりとした風が攫っていった。
それを卯花は唖然と見送り、次いで周平の自室だという室内に目をやると武尊が周平の背中に向かって声をかけていた。
「卯花さん、お茶でも淹れましょうか」
へにょと下げた眉と赤くなった鼻の頭、唇は噛んだのか少し傷がついていた。
パタンとドアが閉じられる一瞬に見た光景は、周平を抱き寄せる瞬間だった。
インスタントだけど、と言いながら出されたコーヒーはマグカップに入っていて大和はそれに砂糖もミルクもたっぷり入れた。
安っぽいコーヒーの香りと、庭から微かに聞こえる虫の音、階上からは物音のひとつも聞こえない。
「学校でも習ったし。実際遠目で見たことはあったけど、目の当たりにすると・・・過去のことなのに嫌なもんなんですね」
「習った?」
「はい、ゆり花で。アルファは執着や独占欲が強いと」
「怖い?」
両手で抱えるように持ったマグカップは流行りのキャラクターが描かれていて、視線を空に向けて考えている大和を卯花はわからないように盗み見た。
「・・・怖い、ですね」
「そりゃ、そうだよな」
好きだ愛してるなどと綺麗事を並べたって結局は行き過ぎた束縛なのだ。
GPSを付けて行動を管理する者もいるし、自分のテリトリー内で軟禁する者もいる。
とにかく管理して支配して自分だけのものにしたい、自分が狩りとってきた獲物なのだから。
「ソレを失った時を考えると」
「え?」
「それほど好きだってことでしょう?もしもその気持ちが無くなった時、開放感よりも喪失感の方が大きいと思うな」
想像でしかないけど、ともう湯気もあがらない甘そうなコーヒーを大和はコクリと飲んだ。
「さっき、結婚相談所に行ったって」
「あぁ、・・・えっと、恥ずかしい話ですけどお断りされたんです。紹介できる人がいないって。それで、その憂さ晴らしみたいな感じでバーへ行って」
「今も、寂しい?」
んーと首を傾げふるふると大和は首を振った、なんだかんだ楽しい、そう言いながら。
「あの後、雑誌掲載のお話をいただいて武さんがうちに来て和明君も来て・・・賑やかになったから」
「そうか・・・」
「あと、卯花さんのお土産も、美味しいもの、ばっかりで嬉しい、です」
辿々しく話すのは照れも入ってるのかもしれない、伏せた睫毛がほんのりと染まる頬が竦めた肩が愛しいと思う。
自分の名がでないことへの落胆した気持ちが、急浮上していく。
食べ物目当てでもなんでも目の前の彼を嬉しくできるのならば、きっとなんでも捧げてしまうだろう。
「あの、松し」
「あっ!ハンカチ渡すの忘れてた」
卯花が伸ばした手はいつかのようにまた空を切った。
立ち上がった大和はリビングの入口、元は電話が置いてあったのか引き出し付きの小さな棚の上に置いてあった紙袋を取った。
白い封筒のようなそれには隅に鳥の判子が押してあった。
こっそり大和のサイトで買ったハンカチもこれでラッピングしてあり、デスクにこっそりしまってある。
「見ても?」
「はい、どうぞ。リクエスト通りKeijiで刺しましたよ」
舞う黄蝶その側に濃茶から明るい茶へグラデーションする名前が刺してあった。
それが黄色とよく似合っていて、鼻にあてがうとやっぱり仄かにラベンダーの匂いがした。
「もしかして、匂いますか?」
「うん、ほんのりだけど」
「ごめんなさい、ちゃんと消臭したんですけど」
「いや、俺がわかるだけで」
「鼻がいいんですね」
感心したような声に、ハンカチに顔を埋めたまま声を殺してやり過ごしたいが込み上げる笑いが堪えきれない。
彼はいつも注目されるのは自分ではないと思っている節がある。
人違いを許してしまったり、あの二人のおまけだからと言ってみたり、そして自分より大きな人がタイプだと言っていた。
きっとその体躯がコンプレックスなのだろう。
けれど、見下ろさずとも目線が合うのが、少し視線を流すだけで視界に飛び込んでくる横顔が、それがとても良いと今なら思える。
「なんで笑ってるんですか?」
「鼻は普通だと思うなぁ。松下君だからわかるんだよ」
「あ、そ、なの、え?」
「顔が赤いよ?」
えっ?と頬に両手をあててぐりぐりと揉むその手に、今度は空を切らずに触れることができた。
白く滑らかな手の甲、握った指先は傷がいくつもあるようでざらついていた。
コポリと湧き上がるなにか、これがなにかをよく知っている。
「卯花さんも赤いです」
「うん、緊張してる」
「どうしてですか?」
「今から、口説こうと思って」
ゴクリと飲んだ生唾の音は二人同時だったような気がした。
心の奥深くからコポコポと泉のように湧いてくるのは愛しさで、それを伝えたい、聞いてほしい、受けとってほしい。
そして、あわよくば同じ気持ちを返してほしい。
「一生懸命頑張ってもいいかな?」
「え、はい、頑張っ、て?」
「応援してくれるんだ」
事態がよく飲み込めていないのか固まったまま動かない大和に卯花は笑う。
開け放した縁側の窓からコロコロリーと虫の音だけが響く落ち着いた空間なのに、握った指先は熱いし、頬の赤みも引いていかない。
まるで恋を覚え始めた時のように卯花の心臓が忙しなく動いている。
もういい歳なのにな、と脳裏を掠めた思いは秋口のひんやりとした風が攫っていった。
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