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第二幕
水曜日 ~the line of Fate Destiny~②
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■2■
金城多恵に導かれ、俺は室外機の唸り声に満ちた薄暗い路地を出た。
抜け出てみると、そこは、商店街の外れであるらしい。
路地の出口のすぐ隣が大きなゴミ捨て場でその向かいに見えるのが、先ほど、立体歩道橋の上から見た河川敷。下流に向かって金網のフェンスが延々と続いていた。
そこからまた少し歩いて、俺達は占いハウス、夢見館にたどり着いた。
占いハウスと聞いて、俺は絵本に出てくる魔女の家のように不気味で神秘的――悪く言えば怪しげな物を想像していた。
が、実際は違った。
それは何ら変哲のない、どこにでもありそうな小さな白い建物だった。
看板がなければ喫茶店か何かと勘違いしたかも知れない。
そのドアを開きながら、
「入って」俺を振り返り金城が言う。
「ここなら、ゆっくり話ができるでしょ」
「あ、ああ……」
ぎこちなく頷き、俺は金城の傍らをすり抜けて店の中に足を踏み入れていた。
その途端、むせ返るような香のかおりが纏わりついて来る。決してそれは嫌なものではなかったけれど、突然の刺激に鼻腔がムズムズしてクシャミが出そうになる。
片手で鼻を押さえ、懸命にそれを堪えながら俺は店の中を見回していた。
客をリラックスさせるためなのか、ダウンライトのような目に優しい照明。静かな小川のせせらぎのように、微かに聞こえるヒーリング・ミュージック。壁に置かれた立派な書棚には、海外の書物と思しき占術や魔術、それにオカルト関連のハードカバーがビッシリと並んでいる。
そして、赤い布が被せられた小さな卓とそれを挟んで置かれた二つの椅子。
どうやら、そこで相談者は運勢をみてもらうらしい。
金城に視線で促され、オズオズと俺はそこに腰を降ろした。
と、金城が先ほど見たコンビニの袋をテーブルの上にトンッと置く。
「…………」
何と言えばいいか分からず、無言で見つめる俺をよそにビッグサイズのヨーグルトを取り出し、黙々と食べ始める金城。
えーっと、俺はここに一体、何をしに来たんだっけ?
あー、そうそう。昨日、地下街で俺を襲った怪異について、この変なネェちゃんに話を聞きに来たんだった。
口ぶりからして、金城が何か知っているのは間違いない。
……と、思う。多分。
「――何?」
「へ?」
突然、視線を向けられ、俺は阿呆のように大きく口を開いていた。
「……そう、このヨーグルトが欲しいのね。霜印のヨーグルトは本家ブルガリアもビックリの美味しさだものね」
「は? ヨーグルト?」
「でも、ダメよ」
ニコリともせず、金城はキョトンとしている俺に言い放った。
「これは一週間の運勢をバランス良く運ぶために、私に必要なヨーグルトなの。一口たりとも食べないわけにはいかないわ」
……ホントに何なんだ、この女?
ポカンとしている俺をよそに、黙々と金城はヨーグルトを食べ続けた。
金城の言葉とは裏腹に、正直、さほど美味そうにも思えなかった。
息を殺すようにして、そのまま待つこと十数分……。
「じゃ、そろそろ始めましょうか」
ヨーグルトを食べ終えた金城が、口元を綺麗に拭いながら言った。
「夕方からも仕事が三件入っているの。悪いけど、サクサク済ませるわね」
よく言うぜ……!
声には出さなかったものの、俺は思わず目を見開いていた。
この女、相当、マイペースな性格らしい。俺の一番、苦手なタイプだ。
しかし、当の金城は俺の胸中など歯牙にもかけない様子で、メモ帳のようなものを取り出し、それを広げながら問いかけてくる。
「昨日、君が地下街で見たもの。それを具体的に教えてくれる?」
「それは……」
一瞬、俺は口篭った。
自分に取り付いた狂気を告白するみたいで躊躇いを覚えたのだ。
それにこの女――、金城が本当に信頼できるかどうか、まだ分からない。
だが、こうなった以上、黙りこくっているわけにも行かなかった。
街頭テレビに描かれた不気味な落書き。出口をコンクリの壁で埋められた地下街。ペイズリー柄のネクタイを締めた首つり死体。群れで現れた一つ目のヤモリのような怪物。
アマリリスと名乗る、外国人と思しき女の子。
数年振りに手にした、自分の似顔絵。そして、井原千夏の直筆のサイン。
……その一つ一つを詳しく話すうちに、俺は気分が悪くなった。
話の内容にまるで脈絡がない。
我が事ながら、まるでヤク中か狂人の戯言のようだ。
だが、その時覚えた戦慄や恐怖の感情は、いまだ生々しく俺の中で疼いていた。
「なるほど……」
小さく頷きながら、パタンと小さな音を立てて手帳を閉じる金城。
それから、しばらくの間、彼女は気のない表情でボンヤリと宙を見上げていた。何の呪いかは知らないが、片手の指先で空を切っている。
そして、暫くの沈黙の後――、
「単刀直入に言うわね」
片頬に手を当てた金城の眼差しは、やはり、ここではないどこか遠くを見つめているかのようだった。
「六道君に纏わりつき、取り込もうとしているのは――、迷いの世界よ」
「迷いの世界?」
鸚鵡返しに俺は金城の言葉を繰り返していた。
……迷いの世界、か。
聞き慣れない言葉だった。だが、それは確かに的を射た表現かもしれない。
何しろ、昨日の一件以来、俺の頭の中はグチャグチャ――言ってしまえば大混乱状態だったから。
何にしても、名前が分かったのはいいことだ。立ち向かうべき困難や敵は、出来るだけ明確にイメージできたほうが良い。最も、それだけでは何の解決もならないが。
「強迫観念って分かる?」
突然、問いかけられ俺はキョトンとしていた。
「い、いや。聞いたことはあるけど、具体的には……」
「忘れよう、振り払おうとしても、執拗に心の中で繰り返されるネガティブな考えやイメージのことよ」
「へえ、何か大変そうだな……」
間抜けな答えを返すしかない俺。
「占いの世界ではね、夢の中の出来事は現実のメタファーとして解釈されるの。――例えば、夢ノ宮プラザに現れた怪物の群れ。彼らはその目に顔を映した者しか襲わない」
スラスラと立て板に水を流すような口調で金城が続けた。
「つまり、他人に見られることの恐怖心がその存在の原因よ」
「……じゃあ、あの首つり死体は?」
俺の問いかけにすぐには答えず、そっと金城は席を立った。
そして、書棚から分厚い大学ノートを一冊引き抜いて戻ってくる。
それをペラペラと捲り、
「これを見て」
ページを開いたまま、俺にそれを押し付けてくる。
「読んでピンと来た記事は、私、こうやって保管しているの」
思わず、俺は身を乗り出していた。
切り抜かれ、貼り付けられていたのは今から四年前の新聞だ。
そこには、こんな見出しが躍っていた。
――ホテル経営者 経営難を苦に縊死自殺か?
自然と俺はその記事を目で追っていた。
先日、●月×日未明。ホテル会社経営、井原幸一さん(41)が夢ノ宮市市営地下鉄の男子トイレ個室にて、縊死死体で発見された。井原さんは自らが経営する夢ノ宮ホテルの経営が行き詰まっていることから深刻なノイローゼを抱えており、警察は自殺との見解を表明している。
「井原幸一……?」
思わず、俺はその名前を声に出していた。
その途端、背中を氷塊が滑り落ちるのを感じた。
ああ、そうか。そうだった。
俺は思い出していた。
井原千夏と知り合った時、彼女の家は確か母子家庭だった。何かの折に井原自身がそう教えてくれたような気がする。最も、俺の方から詳しく聞くことはなかったはずだが。
とすると――
あのペイズリー柄のネクタイを締めた死体は、井原の親父……?
「で、でも……、何だってあんなところに」
「勿論、本当の死体じゃない。ただのイメージ、ただの強迫観念」
低く呻いた俺に、金城が肩を竦める。
「身近な人の、それも悲惨な死に様は誰でも深く心を傷つけられてしまうものでしょ? 思い出したくもない光景が何時までも心に残る。それが強迫観念の強迫観念たる由縁ね」
ああ、そうか……。
何となくではあるが、金城の言う迷いの世界が何であるか分かった気がした。
つまり、迷いの世界とは、強迫観念から生まれた異次元空間の一種なのだろう。
強迫観念とは、拭おうとしても拭いきれない心の傷のことだろう。
そして、心の傷からはどす黒い悪夢のようなもの吐き出されて――
「信じられねえよ、そんなの」
おかしな妄想に取り付かれるような気がして、俺は慌てて首を横に振っていた。
幾らなんでも、そんな突拍子もないことを受け入れられるはずがなかった。
「大体、心の傷なんて大なり小なり、誰にだってあるだろ?」
自分でも小賢しいと思いつつも、俺は正論を吐いていた。
またしても、知らないうちに人外魔境に踏み込んだような心境。言わずには、いられなかった。
「迷いの世界は、その度に生み出されるって言うのか?」
「……基本的にはそう言うことね」
恐ろしいことを金城があっさりと認める。
もう、1クッション置いた話し方をしてもいいと思うのだが……。
「でもね、殆どの場合、迷いの世界は個人の内面にしか存在できないの。どんなに恐ろしく凄惨な世界だったとしても、それ自体が他人を傷つけることはないわ。だけど――」
「だけど、何だよ?」
一瞬、黙り込んだ金城に俺は先を促した。
「……そこに呪術的な力が作用していたり、本人が強い霊媒体質であった場合は話が別だけどね。特に前者は意識して行われているはずだから黒魔術のようなものね」
黒魔術――。
その言葉に思い浮かんだのは、人間の瞳を持った卵の不気味な落書きだった。
金髪の外国人と思しき、女の子――アマリリスは、確かあれをデュカリ・デュケスの印形とか言っていた。言われてみると、あれはファンタジー小説なんかで良く見かける、魔法陣とかに雰囲気が似ている。
「その場合、迷いの世界の主が取り込もうとしている人間に対して、並々ならない妄執を抱いているのは論を待たないわ」
テーブルの上で白く細長い両手の指を組み合わせ、確信に満ちた表情で金城が頷く。
いや、ちょっと待ってくれ……。
思わず、俺は涙ぐみそうになる。実際、こんな理不尽な話は他にないだろう。
当時は仲が良かったはずの、小学生時代のクラスメイトになんで今頃になって、こんな酷い目に遭わされなきゃならない? 大体、俺に何の恨みがあるんだよ……!?
「それで――、」
自分でも驚くほど、弱々しい声で俺は尋ねた。
「これから、どうすりゃいいんだ? やばいんだろ、俺。このままじゃ……」
「そうね。どうしたものかしら」
他人事のように――まぁ、実際、他人事なんだろうが――言いながら、軽く腕を組み、何事かを思案するような素振りを見せる金城。
「とりあえずは、迷いの世界の主と思しき人物を探し出して、直接コンタクトを取ることね。相手の事情が分かれば、災いを回避する手段も見えてくるかも知れないわ」
そこで、言葉を切り、
「心当たりの人、いるでしょ?」
なぜか、金城は声をひそめる。
「あ、ああ……」
苦々しい表情で俺は頷く。
ああ、思った以上にややこしい話になってきた……。
「そして、もう一つは――、とにかく生き延び続けることね」
そう言って立ち上がり、背後のキャビネットをゴソゴソとやり始める金城。
やがて――
「はい、これ」
投やりな口調で金城が手渡してきたのは、一枚の鏡だった。
取っ手と鏡面の縁は木製。綺麗な草模様の彫刻が彫られているが、別段、変わったところもない手鏡だった。
恐る恐る、俺はそれに手を伸ばしかけた。
「この鏡は……?」
「呪いの鏡」何の感慨も感じさせない声で金城が言った。
「触るだけで、毎晩、悪霊に地獄の底に誘われてしまう掘り出し物よ」
「……ッ!?」
ガタッ、と椅子を鳴らし、顔面蒼白で俺は立ち上がる。
すかさず金城が言った。
「冗談よ」
何のことか分からず、ポカンとして俺は相手を見返していた。
「そんな危ない物、店先に置けるわけがないじゃない。大体、私が先に触ったでしょ?」
クスッ、と表情も変えずに小さく笑う金城。
……ホントに何なんだ、この女。
さっきから、俺のことをからかって喜んでいるんじゃないだろうな?
こっちは命がけだってのに悪趣味にも程がある。
「和んだところで本題に入るわね」
起こる気力も失せ、顔を強張らせたまま立ち尽くす俺に向かって金城が続けた。
「迷いの世界で生き延びるためには、とにかく、自分を見失わないこと。これはそのために使って」
「そ、そのために使えって、言われても……」
金城を見返しながら、俺は自然と眉間に皺が寄るのを感じた。
「でも、これ、鏡だよな?」
「そう、鏡ね」
頷く金城。
何を分かりきったことを、と言う表情だ。
「で、どうするんだ?」重ねて問いかける俺。
「ん?」
金城の綺麗な眉が少し顰められる。
「どうするんだ、って?」
「だから、これ、どう使うの?」
俺の問いかけに、金城の美貌に微かに驚きの表情が浮かぶ。
「六道君の家には鏡がないのね」
「いや、あるよ」
どことなく、哀れまれたような気がして俺はムッとする。
「毎日、自分の顔を映してる」
「でしょ? 映せばいいの。六道君や他のいろいろなものを」
「…………」
「鏡で映すと言う行為にはね、物事の隠れた本質を照らし出すという呪術的な意味があるの。だから、肌身離さず持ち歩くといいわ」
「な、なるほど……」
何が「なるほど」なのか、自分でもさっぱり分からなかった。
まあ、魔除けとでも思っていれば、気休めくらいにはなるのだろう。
「じゃあ、今日はこの辺にしておきましょう」
受け取った手鏡を俺が胸ポケットに仕舞うのを見て金城がまた言った。
「何かあったら、連絡して頂戴」
おかしい。絶対におかしい。
こんな状況は、どう考えても、まともじゃない。
非現実的だとか非科学的だとか、そう言うレベルでもない。
何もかもがムチャクチャで意味不明だ。それこそ、気の触れたやつの妄想の中に閉じ込められたような気分だ。
そんな益体もないことを考えながら、俺は夢ノ宮銀座を後にした。
来た時と同じ道を歩いたはずだが、あの胸糞の悪いパン屋はどこにもなかった。
まあ、そんなことはどうでもいい。
そんなことよりも――
「はぁ」
バスに乗り込み、シートに腰を降ろすと自然と溜息が出た。
頭はボーっとしており身体も気だるかったが、心なしか、気分が軽くなっていた。
正気を疑われるのが怖くて、誰にも話せなかったことを一通り金城に聞いてもらえたからだろう。己の内側に溜まりに溜まった滓のような物が外に吐き出せたような気分だった。
プシュッ、と音を立ててドアが閉まり、バスが発車する。
さて、これからどうするか……。
窓の外に流れ始める町の景色を見つめながら、俺はもう一度、溜息をつく。
俺を襲う、迷いの世界とやらの主は、小学校時代の友人、井原千夏……。
金城は彼女に直接会えとアドバイスしてくれた。
だが、事は容易には運ばないだろう。
何しろ、三年以上、連絡を取り合っていない相手だ。
それに、たとえ会えたとしても、だ。長年、思い出すこともなかった、しかも、こっちに呪いをかけているかもしれない相手にどう振舞えばいいのか、見当もつかない。
これ以上、あなたの迷いの世界に引きずり込むのは勘弁してください、とでも頭を下げればいいのか? だが、相手にそれを拒否された場合は……?
まあ、なるようになるだろう。なるようにしかならない、と言うべきか。
行き当たりばったりな自分の思考に俺は苦笑していた。
こんなことだから、人生のババばかり引いちまうんだ。
思えば高校を自主退学する羽目になったのも、後先考えずに行動した結果だ。
そのこと自体、悔やんだ事はない。ただ、時々、十歳の子供でも、俺と同じ場面に立ち会ったとして、もう少し賢く立ち回ったんじゃないかと思うと少し憂鬱になる。
まあ、何にしても、と腕組みしながら俺は瞑目する。
今日は、ゆっくり休んで、明日のための英気を養おう。
六道自転車修理店――つまり、爺ちゃんの家――の店先に辿り着いたのは、そろそろ日が暮れ始めた頃だった。
「ただいま……」
空腹を覚え、下腹をさすりながら俺は店の中に入ろうとした。
「お、歩か」
後から声をかけられた。
振り返ると、爺ちゃんが破顔しながら歩み寄ってくるところだった。
「お帰り。思ったより、早かったなあ」
「うん。欲しいCD、売ってなかったから。爺ちゃんこそ、散歩してたのか?」
「ああ、ちょっと、そこでな」
頷きながら、爺ちゃんは通りの向こうを指差す。
「清と光子さんと話をしとったんだ」
「……親父と母さん?」
思わず、俺は渋面になる。
「二人揃って? 何で?」
「何で、ってこともないだろう」
余程、俺は憮然とした顔をしたらしい。
苦笑し、肩を竦めながら爺ちゃんが言った。
「お前が心配で様子を見に来たんだ。親心だよ」
内心、俺は舌打ちをしていた。
何が親心だ。仕事が忙しくて、入院中、一度も見舞いに来なかったくせに。
不機嫌な表情で押し黙った俺に笑顔のまま爺ちゃんが言う。
「ちょっと行って、顔を見せてやりな。二人とも、お前と話し合いたい事があるらしい」
もう一度、俺は心の中で舌打ちをする。
あの二人が話し合いたい事と言えば、十中八九、それは俺が話したくないことだ。
何故だかは分からない。しかし、俺が物心ついた時からずっと両親とはそんな噛み合わない関係が続いていた。高校中退を機に、爺ちゃんの家に厄介になるようになったのは、そんな家庭環境にほとほとウンザリしたからだ。そう、お互いに。
それを今更、何の話し合いがあると言うのだろうか。
内心、ブツブツ言いながらも爺ちゃんに続いて俺は通りを歩いていった。
どっちにしても、長時間、話をするつもりはない。
相手の言うことに、二、三、無難な答えを返したら、さっさと撤退するつもりでいた。
「――ほら、歩」
ふと前方を指差しながら、爺ちゃんが言った。
「早く、行きな。二人とも、お前を待っているんだから」
「うん……?」
目を細め、俺はその指先を追う。
そこにあったのは、ゴミ捨て場だった。週二回、回収車が家庭の生ゴミを持ち帰るための。ゴミ出しの曜日を守らない、不心得者が多いと自治会で問題になっているはずの。
そこに、うずくまる二つの人影があった。
ペチャペチャ、クチャクチャ……。
その二人は、ゴミ袋に顔を突っ込み、厭らしく咀嚼する音を盛んに立てていた。
まるで飢えた野良犬のような浅ましさだったが、その後ろ姿は、見間違いようもない――、俺の両親だった。
「…………!」
絶句し、俺は爺ちゃんを振り返った。
と、爺ちゃんはニコニコと微笑を浮かべたまま――、俺の背中を強く押した。
ワッ、と小さく声を上げ、前につんのめりかける俺。その音にピクッと反応し、ゴミ捨て場に蹲っていた両親がこっちを振り返った。四つん這いのまま、パタパタと手足でアスファルトの地面を叩いて。
「うおっ……!」
素っ頓狂な声を俺は挙げていた。
嫌になるほど平々凡々とした、たまにぶん殴ってやりたくなる見慣れた両親の顔がそこにあった。
金城多恵に導かれ、俺は室外機の唸り声に満ちた薄暗い路地を出た。
抜け出てみると、そこは、商店街の外れであるらしい。
路地の出口のすぐ隣が大きなゴミ捨て場でその向かいに見えるのが、先ほど、立体歩道橋の上から見た河川敷。下流に向かって金網のフェンスが延々と続いていた。
そこからまた少し歩いて、俺達は占いハウス、夢見館にたどり着いた。
占いハウスと聞いて、俺は絵本に出てくる魔女の家のように不気味で神秘的――悪く言えば怪しげな物を想像していた。
が、実際は違った。
それは何ら変哲のない、どこにでもありそうな小さな白い建物だった。
看板がなければ喫茶店か何かと勘違いしたかも知れない。
そのドアを開きながら、
「入って」俺を振り返り金城が言う。
「ここなら、ゆっくり話ができるでしょ」
「あ、ああ……」
ぎこちなく頷き、俺は金城の傍らをすり抜けて店の中に足を踏み入れていた。
その途端、むせ返るような香のかおりが纏わりついて来る。決してそれは嫌なものではなかったけれど、突然の刺激に鼻腔がムズムズしてクシャミが出そうになる。
片手で鼻を押さえ、懸命にそれを堪えながら俺は店の中を見回していた。
客をリラックスさせるためなのか、ダウンライトのような目に優しい照明。静かな小川のせせらぎのように、微かに聞こえるヒーリング・ミュージック。壁に置かれた立派な書棚には、海外の書物と思しき占術や魔術、それにオカルト関連のハードカバーがビッシリと並んでいる。
そして、赤い布が被せられた小さな卓とそれを挟んで置かれた二つの椅子。
どうやら、そこで相談者は運勢をみてもらうらしい。
金城に視線で促され、オズオズと俺はそこに腰を降ろした。
と、金城が先ほど見たコンビニの袋をテーブルの上にトンッと置く。
「…………」
何と言えばいいか分からず、無言で見つめる俺をよそにビッグサイズのヨーグルトを取り出し、黙々と食べ始める金城。
えーっと、俺はここに一体、何をしに来たんだっけ?
あー、そうそう。昨日、地下街で俺を襲った怪異について、この変なネェちゃんに話を聞きに来たんだった。
口ぶりからして、金城が何か知っているのは間違いない。
……と、思う。多分。
「――何?」
「へ?」
突然、視線を向けられ、俺は阿呆のように大きく口を開いていた。
「……そう、このヨーグルトが欲しいのね。霜印のヨーグルトは本家ブルガリアもビックリの美味しさだものね」
「は? ヨーグルト?」
「でも、ダメよ」
ニコリともせず、金城はキョトンとしている俺に言い放った。
「これは一週間の運勢をバランス良く運ぶために、私に必要なヨーグルトなの。一口たりとも食べないわけにはいかないわ」
……ホントに何なんだ、この女?
ポカンとしている俺をよそに、黙々と金城はヨーグルトを食べ続けた。
金城の言葉とは裏腹に、正直、さほど美味そうにも思えなかった。
息を殺すようにして、そのまま待つこと十数分……。
「じゃ、そろそろ始めましょうか」
ヨーグルトを食べ終えた金城が、口元を綺麗に拭いながら言った。
「夕方からも仕事が三件入っているの。悪いけど、サクサク済ませるわね」
よく言うぜ……!
声には出さなかったものの、俺は思わず目を見開いていた。
この女、相当、マイペースな性格らしい。俺の一番、苦手なタイプだ。
しかし、当の金城は俺の胸中など歯牙にもかけない様子で、メモ帳のようなものを取り出し、それを広げながら問いかけてくる。
「昨日、君が地下街で見たもの。それを具体的に教えてくれる?」
「それは……」
一瞬、俺は口篭った。
自分に取り付いた狂気を告白するみたいで躊躇いを覚えたのだ。
それにこの女――、金城が本当に信頼できるかどうか、まだ分からない。
だが、こうなった以上、黙りこくっているわけにも行かなかった。
街頭テレビに描かれた不気味な落書き。出口をコンクリの壁で埋められた地下街。ペイズリー柄のネクタイを締めた首つり死体。群れで現れた一つ目のヤモリのような怪物。
アマリリスと名乗る、外国人と思しき女の子。
数年振りに手にした、自分の似顔絵。そして、井原千夏の直筆のサイン。
……その一つ一つを詳しく話すうちに、俺は気分が悪くなった。
話の内容にまるで脈絡がない。
我が事ながら、まるでヤク中か狂人の戯言のようだ。
だが、その時覚えた戦慄や恐怖の感情は、いまだ生々しく俺の中で疼いていた。
「なるほど……」
小さく頷きながら、パタンと小さな音を立てて手帳を閉じる金城。
それから、しばらくの間、彼女は気のない表情でボンヤリと宙を見上げていた。何の呪いかは知らないが、片手の指先で空を切っている。
そして、暫くの沈黙の後――、
「単刀直入に言うわね」
片頬に手を当てた金城の眼差しは、やはり、ここではないどこか遠くを見つめているかのようだった。
「六道君に纏わりつき、取り込もうとしているのは――、迷いの世界よ」
「迷いの世界?」
鸚鵡返しに俺は金城の言葉を繰り返していた。
……迷いの世界、か。
聞き慣れない言葉だった。だが、それは確かに的を射た表現かもしれない。
何しろ、昨日の一件以来、俺の頭の中はグチャグチャ――言ってしまえば大混乱状態だったから。
何にしても、名前が分かったのはいいことだ。立ち向かうべき困難や敵は、出来るだけ明確にイメージできたほうが良い。最も、それだけでは何の解決もならないが。
「強迫観念って分かる?」
突然、問いかけられ俺はキョトンとしていた。
「い、いや。聞いたことはあるけど、具体的には……」
「忘れよう、振り払おうとしても、執拗に心の中で繰り返されるネガティブな考えやイメージのことよ」
「へえ、何か大変そうだな……」
間抜けな答えを返すしかない俺。
「占いの世界ではね、夢の中の出来事は現実のメタファーとして解釈されるの。――例えば、夢ノ宮プラザに現れた怪物の群れ。彼らはその目に顔を映した者しか襲わない」
スラスラと立て板に水を流すような口調で金城が続けた。
「つまり、他人に見られることの恐怖心がその存在の原因よ」
「……じゃあ、あの首つり死体は?」
俺の問いかけにすぐには答えず、そっと金城は席を立った。
そして、書棚から分厚い大学ノートを一冊引き抜いて戻ってくる。
それをペラペラと捲り、
「これを見て」
ページを開いたまま、俺にそれを押し付けてくる。
「読んでピンと来た記事は、私、こうやって保管しているの」
思わず、俺は身を乗り出していた。
切り抜かれ、貼り付けられていたのは今から四年前の新聞だ。
そこには、こんな見出しが躍っていた。
――ホテル経営者 経営難を苦に縊死自殺か?
自然と俺はその記事を目で追っていた。
先日、●月×日未明。ホテル会社経営、井原幸一さん(41)が夢ノ宮市市営地下鉄の男子トイレ個室にて、縊死死体で発見された。井原さんは自らが経営する夢ノ宮ホテルの経営が行き詰まっていることから深刻なノイローゼを抱えており、警察は自殺との見解を表明している。
「井原幸一……?」
思わず、俺はその名前を声に出していた。
その途端、背中を氷塊が滑り落ちるのを感じた。
ああ、そうか。そうだった。
俺は思い出していた。
井原千夏と知り合った時、彼女の家は確か母子家庭だった。何かの折に井原自身がそう教えてくれたような気がする。最も、俺の方から詳しく聞くことはなかったはずだが。
とすると――
あのペイズリー柄のネクタイを締めた死体は、井原の親父……?
「で、でも……、何だってあんなところに」
「勿論、本当の死体じゃない。ただのイメージ、ただの強迫観念」
低く呻いた俺に、金城が肩を竦める。
「身近な人の、それも悲惨な死に様は誰でも深く心を傷つけられてしまうものでしょ? 思い出したくもない光景が何時までも心に残る。それが強迫観念の強迫観念たる由縁ね」
ああ、そうか……。
何となくではあるが、金城の言う迷いの世界が何であるか分かった気がした。
つまり、迷いの世界とは、強迫観念から生まれた異次元空間の一種なのだろう。
強迫観念とは、拭おうとしても拭いきれない心の傷のことだろう。
そして、心の傷からはどす黒い悪夢のようなもの吐き出されて――
「信じられねえよ、そんなの」
おかしな妄想に取り付かれるような気がして、俺は慌てて首を横に振っていた。
幾らなんでも、そんな突拍子もないことを受け入れられるはずがなかった。
「大体、心の傷なんて大なり小なり、誰にだってあるだろ?」
自分でも小賢しいと思いつつも、俺は正論を吐いていた。
またしても、知らないうちに人外魔境に踏み込んだような心境。言わずには、いられなかった。
「迷いの世界は、その度に生み出されるって言うのか?」
「……基本的にはそう言うことね」
恐ろしいことを金城があっさりと認める。
もう、1クッション置いた話し方をしてもいいと思うのだが……。
「でもね、殆どの場合、迷いの世界は個人の内面にしか存在できないの。どんなに恐ろしく凄惨な世界だったとしても、それ自体が他人を傷つけることはないわ。だけど――」
「だけど、何だよ?」
一瞬、黙り込んだ金城に俺は先を促した。
「……そこに呪術的な力が作用していたり、本人が強い霊媒体質であった場合は話が別だけどね。特に前者は意識して行われているはずだから黒魔術のようなものね」
黒魔術――。
その言葉に思い浮かんだのは、人間の瞳を持った卵の不気味な落書きだった。
金髪の外国人と思しき、女の子――アマリリスは、確かあれをデュカリ・デュケスの印形とか言っていた。言われてみると、あれはファンタジー小説なんかで良く見かける、魔法陣とかに雰囲気が似ている。
「その場合、迷いの世界の主が取り込もうとしている人間に対して、並々ならない妄執を抱いているのは論を待たないわ」
テーブルの上で白く細長い両手の指を組み合わせ、確信に満ちた表情で金城が頷く。
いや、ちょっと待ってくれ……。
思わず、俺は涙ぐみそうになる。実際、こんな理不尽な話は他にないだろう。
当時は仲が良かったはずの、小学生時代のクラスメイトになんで今頃になって、こんな酷い目に遭わされなきゃならない? 大体、俺に何の恨みがあるんだよ……!?
「それで――、」
自分でも驚くほど、弱々しい声で俺は尋ねた。
「これから、どうすりゃいいんだ? やばいんだろ、俺。このままじゃ……」
「そうね。どうしたものかしら」
他人事のように――まぁ、実際、他人事なんだろうが――言いながら、軽く腕を組み、何事かを思案するような素振りを見せる金城。
「とりあえずは、迷いの世界の主と思しき人物を探し出して、直接コンタクトを取ることね。相手の事情が分かれば、災いを回避する手段も見えてくるかも知れないわ」
そこで、言葉を切り、
「心当たりの人、いるでしょ?」
なぜか、金城は声をひそめる。
「あ、ああ……」
苦々しい表情で俺は頷く。
ああ、思った以上にややこしい話になってきた……。
「そして、もう一つは――、とにかく生き延び続けることね」
そう言って立ち上がり、背後のキャビネットをゴソゴソとやり始める金城。
やがて――
「はい、これ」
投やりな口調で金城が手渡してきたのは、一枚の鏡だった。
取っ手と鏡面の縁は木製。綺麗な草模様の彫刻が彫られているが、別段、変わったところもない手鏡だった。
恐る恐る、俺はそれに手を伸ばしかけた。
「この鏡は……?」
「呪いの鏡」何の感慨も感じさせない声で金城が言った。
「触るだけで、毎晩、悪霊に地獄の底に誘われてしまう掘り出し物よ」
「……ッ!?」
ガタッ、と椅子を鳴らし、顔面蒼白で俺は立ち上がる。
すかさず金城が言った。
「冗談よ」
何のことか分からず、ポカンとして俺は相手を見返していた。
「そんな危ない物、店先に置けるわけがないじゃない。大体、私が先に触ったでしょ?」
クスッ、と表情も変えずに小さく笑う金城。
……ホントに何なんだ、この女。
さっきから、俺のことをからかって喜んでいるんじゃないだろうな?
こっちは命がけだってのに悪趣味にも程がある。
「和んだところで本題に入るわね」
起こる気力も失せ、顔を強張らせたまま立ち尽くす俺に向かって金城が続けた。
「迷いの世界で生き延びるためには、とにかく、自分を見失わないこと。これはそのために使って」
「そ、そのために使えって、言われても……」
金城を見返しながら、俺は自然と眉間に皺が寄るのを感じた。
「でも、これ、鏡だよな?」
「そう、鏡ね」
頷く金城。
何を分かりきったことを、と言う表情だ。
「で、どうするんだ?」重ねて問いかける俺。
「ん?」
金城の綺麗な眉が少し顰められる。
「どうするんだ、って?」
「だから、これ、どう使うの?」
俺の問いかけに、金城の美貌に微かに驚きの表情が浮かぶ。
「六道君の家には鏡がないのね」
「いや、あるよ」
どことなく、哀れまれたような気がして俺はムッとする。
「毎日、自分の顔を映してる」
「でしょ? 映せばいいの。六道君や他のいろいろなものを」
「…………」
「鏡で映すと言う行為にはね、物事の隠れた本質を照らし出すという呪術的な意味があるの。だから、肌身離さず持ち歩くといいわ」
「な、なるほど……」
何が「なるほど」なのか、自分でもさっぱり分からなかった。
まあ、魔除けとでも思っていれば、気休めくらいにはなるのだろう。
「じゃあ、今日はこの辺にしておきましょう」
受け取った手鏡を俺が胸ポケットに仕舞うのを見て金城がまた言った。
「何かあったら、連絡して頂戴」
おかしい。絶対におかしい。
こんな状況は、どう考えても、まともじゃない。
非現実的だとか非科学的だとか、そう言うレベルでもない。
何もかもがムチャクチャで意味不明だ。それこそ、気の触れたやつの妄想の中に閉じ込められたような気分だ。
そんな益体もないことを考えながら、俺は夢ノ宮銀座を後にした。
来た時と同じ道を歩いたはずだが、あの胸糞の悪いパン屋はどこにもなかった。
まあ、そんなことはどうでもいい。
そんなことよりも――
「はぁ」
バスに乗り込み、シートに腰を降ろすと自然と溜息が出た。
頭はボーっとしており身体も気だるかったが、心なしか、気分が軽くなっていた。
正気を疑われるのが怖くて、誰にも話せなかったことを一通り金城に聞いてもらえたからだろう。己の内側に溜まりに溜まった滓のような物が外に吐き出せたような気分だった。
プシュッ、と音を立ててドアが閉まり、バスが発車する。
さて、これからどうするか……。
窓の外に流れ始める町の景色を見つめながら、俺はもう一度、溜息をつく。
俺を襲う、迷いの世界とやらの主は、小学校時代の友人、井原千夏……。
金城は彼女に直接会えとアドバイスしてくれた。
だが、事は容易には運ばないだろう。
何しろ、三年以上、連絡を取り合っていない相手だ。
それに、たとえ会えたとしても、だ。長年、思い出すこともなかった、しかも、こっちに呪いをかけているかもしれない相手にどう振舞えばいいのか、見当もつかない。
これ以上、あなたの迷いの世界に引きずり込むのは勘弁してください、とでも頭を下げればいいのか? だが、相手にそれを拒否された場合は……?
まあ、なるようになるだろう。なるようにしかならない、と言うべきか。
行き当たりばったりな自分の思考に俺は苦笑していた。
こんなことだから、人生のババばかり引いちまうんだ。
思えば高校を自主退学する羽目になったのも、後先考えずに行動した結果だ。
そのこと自体、悔やんだ事はない。ただ、時々、十歳の子供でも、俺と同じ場面に立ち会ったとして、もう少し賢く立ち回ったんじゃないかと思うと少し憂鬱になる。
まあ、何にしても、と腕組みしながら俺は瞑目する。
今日は、ゆっくり休んで、明日のための英気を養おう。
六道自転車修理店――つまり、爺ちゃんの家――の店先に辿り着いたのは、そろそろ日が暮れ始めた頃だった。
「ただいま……」
空腹を覚え、下腹をさすりながら俺は店の中に入ろうとした。
「お、歩か」
後から声をかけられた。
振り返ると、爺ちゃんが破顔しながら歩み寄ってくるところだった。
「お帰り。思ったより、早かったなあ」
「うん。欲しいCD、売ってなかったから。爺ちゃんこそ、散歩してたのか?」
「ああ、ちょっと、そこでな」
頷きながら、爺ちゃんは通りの向こうを指差す。
「清と光子さんと話をしとったんだ」
「……親父と母さん?」
思わず、俺は渋面になる。
「二人揃って? 何で?」
「何で、ってこともないだろう」
余程、俺は憮然とした顔をしたらしい。
苦笑し、肩を竦めながら爺ちゃんが言った。
「お前が心配で様子を見に来たんだ。親心だよ」
内心、俺は舌打ちをしていた。
何が親心だ。仕事が忙しくて、入院中、一度も見舞いに来なかったくせに。
不機嫌な表情で押し黙った俺に笑顔のまま爺ちゃんが言う。
「ちょっと行って、顔を見せてやりな。二人とも、お前と話し合いたい事があるらしい」
もう一度、俺は心の中で舌打ちをする。
あの二人が話し合いたい事と言えば、十中八九、それは俺が話したくないことだ。
何故だかは分からない。しかし、俺が物心ついた時からずっと両親とはそんな噛み合わない関係が続いていた。高校中退を機に、爺ちゃんの家に厄介になるようになったのは、そんな家庭環境にほとほとウンザリしたからだ。そう、お互いに。
それを今更、何の話し合いがあると言うのだろうか。
内心、ブツブツ言いながらも爺ちゃんに続いて俺は通りを歩いていった。
どっちにしても、長時間、話をするつもりはない。
相手の言うことに、二、三、無難な答えを返したら、さっさと撤退するつもりでいた。
「――ほら、歩」
ふと前方を指差しながら、爺ちゃんが言った。
「早く、行きな。二人とも、お前を待っているんだから」
「うん……?」
目を細め、俺はその指先を追う。
そこにあったのは、ゴミ捨て場だった。週二回、回収車が家庭の生ゴミを持ち帰るための。ゴミ出しの曜日を守らない、不心得者が多いと自治会で問題になっているはずの。
そこに、うずくまる二つの人影があった。
ペチャペチャ、クチャクチャ……。
その二人は、ゴミ袋に顔を突っ込み、厭らしく咀嚼する音を盛んに立てていた。
まるで飢えた野良犬のような浅ましさだったが、その後ろ姿は、見間違いようもない――、俺の両親だった。
「…………!」
絶句し、俺は爺ちゃんを振り返った。
と、爺ちゃんはニコニコと微笑を浮かべたまま――、俺の背中を強く押した。
ワッ、と小さく声を上げ、前につんのめりかける俺。その音にピクッと反応し、ゴミ捨て場に蹲っていた両親がこっちを振り返った。四つん這いのまま、パタパタと手足でアスファルトの地面を叩いて。
「うおっ……!」
素っ頓狂な声を俺は挙げていた。
嫌になるほど平々凡々とした、たまにぶん殴ってやりたくなる見慣れた両親の顔がそこにあった。
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