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第三幕
木曜日 ~noisy goblins of schoolhouse~ ④
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進むごとに迷路はますます複雑に入り組んでゆき、場所によっては身体を傾けねば通れないほど狭くなっていた。
途中、件の小さな怪物どもにも何度か出くわした。しかし、幸いにも俺達はやつらと戦わずにすんだ。有刺鉄線に引っ掛けられ、肉袋のようになったフート・スキャンパーは大抵が息絶えていたから。
稀に、信じられないような生命力で指先をヒクヒクさせているヤツもいたので止めをさしておいた。痛みを長引かせない、という仏心からではない。生き返ってこないようにと念には念を入れてだ。
そんなことを繰り返しているうちに、俺もアマリリスもお互いに口数が減り、会話も途絶えていた。
必要以上に物音を立てて、怪物どもの気を引きたくなかっただけじゃない。鼻が曲がりそうな異臭と汚物にまみれた空間が孕む、尋常ではない負の雰囲気に二人ともすっかり気が滅入っていた。
しかし、それでも、いや、こんな状況だからこそ、アマリリスの存在はありがたい。
とてもではないが、俺一人ではこんな強行軍は不可能だった。きっと途中で座り込んでしまい、そのまま二度と動けなくなったに違いない。
ともすれば萎えてしまうそうな気分も、懐中電灯の明かりの中に彼女の姿を確かめるたびに何とか持ち直すことができた。俺は、いや、俺達はまだ生きていると実感することができて。
こんな最低最悪の悪夢の世界にあっても、辛うじてではあるが俺達は生き延び続けている。そして、俺はアマリリスと帰る。俺達が本来いるべき世界、現実へと。
決意に俺が唇を噛み締めた時、出し抜けにアマリリスの姿が消えた。
ギョッとして思わず歩調を速めたが、彼女は角を曲がっただけだった。
「歩。見て……」
そう言って、アマリリスが懐中電灯の光を掲げる。
「着いたよ」
彼女が照らしたのは、有刺鉄線のフェンスに挟まれた長い鉄骨の階段。
それを昇りきったところに湿り歪みかけたドアが見える。貼り付けられたプレートには、『放送室』と記されていた。
「ね? あたしって、頼りになるでしょ? ね? ね?」
「ああ、本当に助かったよ」
「きゃはー♪」
そんな会話を交わしながら、俺はアマリリスを背中に庇い、そっと室内に足を踏み入れた。
片手で警棒を握り締めたまま、もう片方の手を壁に這わせる。
そして、探し当てたスイッチを押し、部屋の明かりをつける。
実を言うと、物陰から物騒な先客――つまり、怪物がけたたましい奇声を挙げながら飛び掛ってくるんじゃないかと内心、ビクビクものだったが幸いにも、何も起こらなかった。
「さて、と……」
改めて部屋の様子を俺は見回す。アマリリスの言った通りだった。
テーブルの上に置かれた、大きなマイクの付いたコンソールに音響の編集機器。
学校の各施設に繋がっていたと思しき、数台のモニター。少し、古い感じのデスクトップ・パソコン。それに何だかよく分からない、ゴチャゴチャとした機材がラック棚に積み上げられている……。
白い埃が山のように塵積もっていたが、さほど古い物でもない。まだまだ使えそうだった。その中から、ビデオデッキを見つけ出し、俺はそれをテーブルの上に置く。
「アマリリス。そこのコードを取ってくれ」
「あ、うん。りょーかい!」
元気よく、アマリリスが手渡してくれたコードのプラグをデッキとモニターに繋ぐ。
そして、背中のリュックサックを下ろし、その中から件のビデオテープを取り出す。
デッキの挿入口にそれを運びかけて……
「…………」
改めて俺は躊躇いを覚えた。
このビデオは間違いなく迷いの世界の主たる、井原千夏が寄こしたものだ。これを見たらきっと後戻りできなくなる。そんな気がした。
「じゃあ、歩。あたし、あそこで見張り番してる」
気を利かせたようにアマリリスがドアを指差し言った。
「何かがやって来たらやばいっしょ?」
「ああ、頼むぜ……」
引き攣った笑みを返し――、俺は諦念の息を吐く。
そうだ。ここまで来て、今更、逃げてどうする。覚悟を決め、テープを差し込み口に挿入した。
ヴィイイイイイイイイイイイイイイイイインッ……
低い音を立てて、テープを飲み込んだビデオデッキが巻き戻しを開始。
わずかな沈黙の後、ビデオの再生が始まる。
しばらく砂嵐が吹き荒れた後、モニターに映し出されたのは見覚えのある夕暮れ時の校庭。正確に言えば、その隅にある水飲み場だ。
次の瞬間、思わず俺は身を乗り出していた。
やがて、そこにフラフラとした足取りで現れたのは――、俺だった。
背中に夕陽を浴び、逆光になっているため、表情はよく見えないが、間違いない。それは小学生の頃の俺だった。
苦しげに喘ぎながら、子供の俺は蛇口を捻りゴクゴクと水を飲み始める。
と、その背後に小柄な人影が近づく。それは井原だった。井原はその可愛らしい顔を涙でぐしょぐしょに濡らしていた。
「六道君――」
「ん?」
小さな、蚊の鳴くような声に呼びかけられ、俺が肩越しに振り返る。
「……ごめんね」
深く俯いたまま、何かに耐えるような表情で井原が言う。
「わたしのせいで、毎日、こんな――」
「き、気にするなって」
口の中をモゴモゴさせながら俺が答える。
苦笑を浮かべたその顔は、右半分が酷く腫れ上がっていた。髪の毛はクシャクシャになり、唇の端が切れている。
「今な、カンフー映画のビデオをいっぱい見て研究中なんだ」
水で口をゆすぎながら、また俺が言った。
「複数の敵のやっつけ方。明日は俺が勝つよ」
それから、長い沈黙の後――
「……うん」
やはり、蚊の泣くような小さな声で井原が頷いた。
そこで画面が暗転する。
モニター画面に釘付けになったまま、俺は低く呻いていた。
そうだ。そうだったんだ。
俺の中で、パズルが組み合わさるようにして記憶が甦ってくる。
クラスの連中に取り囲まれ、暴力を振るわれていたのは井原だけじゃない。
俺もだ。
俺自身、やつらの下らない鬱憤晴らしのはけ口にされていたのだ。
いつの日だったか、休み時間、一人で教室に残っていた井原に何となく、声をかけたのがそのきっかけだったと思う。そして――
何時しか、俺は膝に置いた両の拳を固く握り締めていた。
胸にこみ上げてきたのは、どす黒いタールのような憎悪の念。
その瞬間、画面が切り替わり、脳裏に浮かんだ過去の映像と重なった。
それは夕暮れ時の公園だった。
俺と井原がいつも寄り道していた、ビジネス街のど真ん中の。
そこで俺と井原はいろんな話をした。
家族のこと、好きな食べ物やアニメのこと、勉強や将来の夢も。
だけど、それはその日、全て終ってしまった。
「くそっ! よくも、こんなことを! よくも!」
組み伏せた、泣きっ面のクラスメイト――阿部洋介の顔目掛け、パンチを雨あられと降り注ぎながら、小学生の俺は絶叫していた。
絶叫しながら、泣いていた。
泣きながらも、嘲りの笑みを浮かべていた。
「いつもの勢いはどうしたよ? それとも、取り巻きがいなきゃ、喧嘩じゃ俺には勝てないってか? あ?」
ブッと相手が鼻血を溢れさせたのも構わず、俺は殴りつける。
地面の上に散らばっているのは、無残に破き捨てられた一冊のスケッチブック。
畜生、俺がここに来るの、いつもより遅れたから……!
ふと俺は殴りつけるのを止めた。そして、安堵の表情を浮かべかけた阿部の首に両手をかけ、恐ろしいまでに平坦な声で言った。
「死ねよ」
ギョッとしたヤツの顔以上に俺は蒼白になっていた。
「お前なんざ、死んじまえばいいんだ……!」
と――
「もう、やめて! やめてよ、六道君!」
泣きじゃくりながら、背中から俺を抱きすくめたのは井原だった。
「もう、わたし、大丈夫だから! 平気だから! お願いだから、そんな風にならないで! 六道君まで、そんな怖い人になったら、わたし、わたし……」
ぶつっ、と音を立てて画像が途絶えた。
ビデオが終了したらしい。
両肩に圧し掛かる喪失感に俺はガックリと机に突っ伏していた。
俺が憎しみを向けるべきなのは、井原をいじめ続けたクラスメイト達でもなければ、毎日のように彼女の家にやって来て大声を張り上げた借金取りでもない。
それは他でもない、俺自身だった。
あの日、阿部洋介が取り上げた井原のスケッチブックを破くのを目の当りにし、俺は鬱屈した感情を爆発させた。
そして、助けるつもりだった井原まで怯えさせ、結果傷つけてしまった。
当時、父親の自殺以来、人が変わったように刺々しい性格になった実の母に彼女が苦しんでいたことを知りながら、だ。
それから数日後のことだった。
借金の取立てに苦しんだ母親とともに井原が夜逃げしたと聞かされたのは……。
だから、意図的に俺は井原のことを忘れていた。
とんでもない失態を演じてしまった自らを厭う余りに。
自分の女々しさに改めて怒りが込み上げてくる。
と、その時だった。
バタン、と背後でドアが閉まる音が聞こえた。
「……アマリリス?」
女々しい涙を拭い、俺は背後を振り返った。
――いない!?
ガン、と頭を殴られたような気がして俺は椅子から立ち上がった。俺がビデオを見ている間、ドアの前で見張りをしていたはずのアマリリスの姿が消えていた。
ドッ、と背中に溢れる冷や汗。同時に心臓が早鐘のように打ち鳴り始める。
「お、おい! 悪ふざけはやめてくれよッ!」
動揺のあまり、俺は思わず声を荒らげる。しかし、返事もなく、悪戯っぽい微笑を浮かべたアマリリスが物陰から出てくるなんてこともなかった。
くそ、冗談じゃねぇぞ、こんな時に!
ぐるぐると血走った視線を俺は巡らし――、ふとモニターの一台に明かりが灯っているのが目にとまった。
また違った映像がそこに映し出されていた。
場所は、あの6年2組の教室。
その教壇の前で、当のアマリリスが椅子に座っている。
ロープで椅子に縛り付けられ、気を失っているらしい彼女の周りをピョンピョン跳ね回っているのは、あの小さくて醜いやつら……。
その中でも特に醜い一匹、顔に焼き爛れたような傷を負ったフート・スキャンパーがモニターの向こうから腐ったような紫色の舌を出してケラケラと笑う。
瞬間、カッと頭に血が昇った。
「阿部ッ! てめえ!」
怒声を張り上げながら、俺はモニターを掴んでいた。
「その子に、アマリリスに触るな!」
しかし、そんな俺を嘲笑うかのように映像が消えた。
残ったのは、空恐ろしいまでの沈黙だけだった。
途中、件の小さな怪物どもにも何度か出くわした。しかし、幸いにも俺達はやつらと戦わずにすんだ。有刺鉄線に引っ掛けられ、肉袋のようになったフート・スキャンパーは大抵が息絶えていたから。
稀に、信じられないような生命力で指先をヒクヒクさせているヤツもいたので止めをさしておいた。痛みを長引かせない、という仏心からではない。生き返ってこないようにと念には念を入れてだ。
そんなことを繰り返しているうちに、俺もアマリリスもお互いに口数が減り、会話も途絶えていた。
必要以上に物音を立てて、怪物どもの気を引きたくなかっただけじゃない。鼻が曲がりそうな異臭と汚物にまみれた空間が孕む、尋常ではない負の雰囲気に二人ともすっかり気が滅入っていた。
しかし、それでも、いや、こんな状況だからこそ、アマリリスの存在はありがたい。
とてもではないが、俺一人ではこんな強行軍は不可能だった。きっと途中で座り込んでしまい、そのまま二度と動けなくなったに違いない。
ともすれば萎えてしまうそうな気分も、懐中電灯の明かりの中に彼女の姿を確かめるたびに何とか持ち直すことができた。俺は、いや、俺達はまだ生きていると実感することができて。
こんな最低最悪の悪夢の世界にあっても、辛うじてではあるが俺達は生き延び続けている。そして、俺はアマリリスと帰る。俺達が本来いるべき世界、現実へと。
決意に俺が唇を噛み締めた時、出し抜けにアマリリスの姿が消えた。
ギョッとして思わず歩調を速めたが、彼女は角を曲がっただけだった。
「歩。見て……」
そう言って、アマリリスが懐中電灯の光を掲げる。
「着いたよ」
彼女が照らしたのは、有刺鉄線のフェンスに挟まれた長い鉄骨の階段。
それを昇りきったところに湿り歪みかけたドアが見える。貼り付けられたプレートには、『放送室』と記されていた。
「ね? あたしって、頼りになるでしょ? ね? ね?」
「ああ、本当に助かったよ」
「きゃはー♪」
そんな会話を交わしながら、俺はアマリリスを背中に庇い、そっと室内に足を踏み入れた。
片手で警棒を握り締めたまま、もう片方の手を壁に這わせる。
そして、探し当てたスイッチを押し、部屋の明かりをつける。
実を言うと、物陰から物騒な先客――つまり、怪物がけたたましい奇声を挙げながら飛び掛ってくるんじゃないかと内心、ビクビクものだったが幸いにも、何も起こらなかった。
「さて、と……」
改めて部屋の様子を俺は見回す。アマリリスの言った通りだった。
テーブルの上に置かれた、大きなマイクの付いたコンソールに音響の編集機器。
学校の各施設に繋がっていたと思しき、数台のモニター。少し、古い感じのデスクトップ・パソコン。それに何だかよく分からない、ゴチャゴチャとした機材がラック棚に積み上げられている……。
白い埃が山のように塵積もっていたが、さほど古い物でもない。まだまだ使えそうだった。その中から、ビデオデッキを見つけ出し、俺はそれをテーブルの上に置く。
「アマリリス。そこのコードを取ってくれ」
「あ、うん。りょーかい!」
元気よく、アマリリスが手渡してくれたコードのプラグをデッキとモニターに繋ぐ。
そして、背中のリュックサックを下ろし、その中から件のビデオテープを取り出す。
デッキの挿入口にそれを運びかけて……
「…………」
改めて俺は躊躇いを覚えた。
このビデオは間違いなく迷いの世界の主たる、井原千夏が寄こしたものだ。これを見たらきっと後戻りできなくなる。そんな気がした。
「じゃあ、歩。あたし、あそこで見張り番してる」
気を利かせたようにアマリリスがドアを指差し言った。
「何かがやって来たらやばいっしょ?」
「ああ、頼むぜ……」
引き攣った笑みを返し――、俺は諦念の息を吐く。
そうだ。ここまで来て、今更、逃げてどうする。覚悟を決め、テープを差し込み口に挿入した。
ヴィイイイイイイイイイイイイイイイイインッ……
低い音を立てて、テープを飲み込んだビデオデッキが巻き戻しを開始。
わずかな沈黙の後、ビデオの再生が始まる。
しばらく砂嵐が吹き荒れた後、モニターに映し出されたのは見覚えのある夕暮れ時の校庭。正確に言えば、その隅にある水飲み場だ。
次の瞬間、思わず俺は身を乗り出していた。
やがて、そこにフラフラとした足取りで現れたのは――、俺だった。
背中に夕陽を浴び、逆光になっているため、表情はよく見えないが、間違いない。それは小学生の頃の俺だった。
苦しげに喘ぎながら、子供の俺は蛇口を捻りゴクゴクと水を飲み始める。
と、その背後に小柄な人影が近づく。それは井原だった。井原はその可愛らしい顔を涙でぐしょぐしょに濡らしていた。
「六道君――」
「ん?」
小さな、蚊の鳴くような声に呼びかけられ、俺が肩越しに振り返る。
「……ごめんね」
深く俯いたまま、何かに耐えるような表情で井原が言う。
「わたしのせいで、毎日、こんな――」
「き、気にするなって」
口の中をモゴモゴさせながら俺が答える。
苦笑を浮かべたその顔は、右半分が酷く腫れ上がっていた。髪の毛はクシャクシャになり、唇の端が切れている。
「今な、カンフー映画のビデオをいっぱい見て研究中なんだ」
水で口をゆすぎながら、また俺が言った。
「複数の敵のやっつけ方。明日は俺が勝つよ」
それから、長い沈黙の後――
「……うん」
やはり、蚊の泣くような小さな声で井原が頷いた。
そこで画面が暗転する。
モニター画面に釘付けになったまま、俺は低く呻いていた。
そうだ。そうだったんだ。
俺の中で、パズルが組み合わさるようにして記憶が甦ってくる。
クラスの連中に取り囲まれ、暴力を振るわれていたのは井原だけじゃない。
俺もだ。
俺自身、やつらの下らない鬱憤晴らしのはけ口にされていたのだ。
いつの日だったか、休み時間、一人で教室に残っていた井原に何となく、声をかけたのがそのきっかけだったと思う。そして――
何時しか、俺は膝に置いた両の拳を固く握り締めていた。
胸にこみ上げてきたのは、どす黒いタールのような憎悪の念。
その瞬間、画面が切り替わり、脳裏に浮かんだ過去の映像と重なった。
それは夕暮れ時の公園だった。
俺と井原がいつも寄り道していた、ビジネス街のど真ん中の。
そこで俺と井原はいろんな話をした。
家族のこと、好きな食べ物やアニメのこと、勉強や将来の夢も。
だけど、それはその日、全て終ってしまった。
「くそっ! よくも、こんなことを! よくも!」
組み伏せた、泣きっ面のクラスメイト――阿部洋介の顔目掛け、パンチを雨あられと降り注ぎながら、小学生の俺は絶叫していた。
絶叫しながら、泣いていた。
泣きながらも、嘲りの笑みを浮かべていた。
「いつもの勢いはどうしたよ? それとも、取り巻きがいなきゃ、喧嘩じゃ俺には勝てないってか? あ?」
ブッと相手が鼻血を溢れさせたのも構わず、俺は殴りつける。
地面の上に散らばっているのは、無残に破き捨てられた一冊のスケッチブック。
畜生、俺がここに来るの、いつもより遅れたから……!
ふと俺は殴りつけるのを止めた。そして、安堵の表情を浮かべかけた阿部の首に両手をかけ、恐ろしいまでに平坦な声で言った。
「死ねよ」
ギョッとしたヤツの顔以上に俺は蒼白になっていた。
「お前なんざ、死んじまえばいいんだ……!」
と――
「もう、やめて! やめてよ、六道君!」
泣きじゃくりながら、背中から俺を抱きすくめたのは井原だった。
「もう、わたし、大丈夫だから! 平気だから! お願いだから、そんな風にならないで! 六道君まで、そんな怖い人になったら、わたし、わたし……」
ぶつっ、と音を立てて画像が途絶えた。
ビデオが終了したらしい。
両肩に圧し掛かる喪失感に俺はガックリと机に突っ伏していた。
俺が憎しみを向けるべきなのは、井原をいじめ続けたクラスメイト達でもなければ、毎日のように彼女の家にやって来て大声を張り上げた借金取りでもない。
それは他でもない、俺自身だった。
あの日、阿部洋介が取り上げた井原のスケッチブックを破くのを目の当りにし、俺は鬱屈した感情を爆発させた。
そして、助けるつもりだった井原まで怯えさせ、結果傷つけてしまった。
当時、父親の自殺以来、人が変わったように刺々しい性格になった実の母に彼女が苦しんでいたことを知りながら、だ。
それから数日後のことだった。
借金の取立てに苦しんだ母親とともに井原が夜逃げしたと聞かされたのは……。
だから、意図的に俺は井原のことを忘れていた。
とんでもない失態を演じてしまった自らを厭う余りに。
自分の女々しさに改めて怒りが込み上げてくる。
と、その時だった。
バタン、と背後でドアが閉まる音が聞こえた。
「……アマリリス?」
女々しい涙を拭い、俺は背後を振り返った。
――いない!?
ガン、と頭を殴られたような気がして俺は椅子から立ち上がった。俺がビデオを見ている間、ドアの前で見張りをしていたはずのアマリリスの姿が消えていた。
ドッ、と背中に溢れる冷や汗。同時に心臓が早鐘のように打ち鳴り始める。
「お、おい! 悪ふざけはやめてくれよッ!」
動揺のあまり、俺は思わず声を荒らげる。しかし、返事もなく、悪戯っぽい微笑を浮かべたアマリリスが物陰から出てくるなんてこともなかった。
くそ、冗談じゃねぇぞ、こんな時に!
ぐるぐると血走った視線を俺は巡らし――、ふとモニターの一台に明かりが灯っているのが目にとまった。
また違った映像がそこに映し出されていた。
場所は、あの6年2組の教室。
その教壇の前で、当のアマリリスが椅子に座っている。
ロープで椅子に縛り付けられ、気を失っているらしい彼女の周りをピョンピョン跳ね回っているのは、あの小さくて醜いやつら……。
その中でも特に醜い一匹、顔に焼き爛れたような傷を負ったフート・スキャンパーがモニターの向こうから腐ったような紫色の舌を出してケラケラと笑う。
瞬間、カッと頭に血が昇った。
「阿部ッ! てめえ!」
怒声を張り上げながら、俺はモニターを掴んでいた。
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