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第9章
ラブ イズ オール(7)
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「……クソガキっ……大人しくしするの!」
独り言……と言うより、誰かを叱るような口ぶりに思えた。指を立て、悪魔女はもう一度「キャンディーを出してあげちゃう魔法」を使う。
出てきたのは、拳大の赤い球体だ。あたしの顔に落下し、頬で弾んで地面に転がる。
「っ、このっ……!」
悪魔女は再び、胸を強く叩く。
不思議な行動に、あたしは眉をひそめた。
何……? 悪魔女は何をやってるの? 今の赤い物は……?
地面に落ちた赤を、横目で確認する。丸く、艶やかな、赤い――ラジー……?
何でラジーを? ナナシじゃないんだから……
……て……、え? も、もしかして、悪魔女が叱っている相手は――
――ナナシ……?!
ナナシ、あなたがあたしを、助けてくれたの……?
乗っ取れてはいるけれど……ナナシの魂はまだ生きてる。魔魂も、身体も生きているんだ。あなたが身体の中から、悪魔女の魔法を阻止してくれた……ってことなの?
でも、何で、今になって急に――……?
考えられるのは……さっきの攻撃で悪魔女の魔魂が消費されたから、という理由だろうか。そのせいで支配力が衰え、抑え込まれていたナナシの自我が通るようになったのかもしれない。
ねえナナシ、あなたもずっと、悪魔女と戦っていたの……?
何かをふり払うように、悪魔女は空に向かって雄叫びを上げた。ぎ、ぎ、ぎ、と歯を軋ませながら、固まった腕を強引に動かそうともがいている。
――チャンスだ。
事態を好転させるには、動きの止まっている今しかない。
身体を起こそうと、あたしも懸命にもがいた。右手。左手。右足。左足。首。肩。腰……ありとあらゆる部位に、脳から「動け」と必死に命令を出す。
でも、応じてくれたのは瞼だけだ。
こんな時なのに、また何もできない……!
目の中が滲んでくる。気持ちだけが焦り、頭が回らない。
どうしよう。どうすればいい?
シロクさん、レオッカ、どうしたらいいの?! あたししかいないのに……!
「……ガルド? どうした、マトリに手をかけるのを躊躇しているのか……?! それでいい、考え直すんだ! 子供たちは虐げるものではなく、守るものだ! 彼女たちには未来が、無限の可能性があるのだから……!」
耳に届いたのは、エミルドさんの声だった。
さあっ、と気持ちの焦りが消えていく。
――……可能性……!
可能性がある。
まだ、あたしたちには可能性はある……!
あたしにはできなくても、彼になら――……!
あたしは起き上がるのを諦め、深呼吸をした。喉に、持てる力を集中させる。
胸にいっぱい、静かに息を吸い込む。
「ヒズィイ・ロセス……!」
あたしが吐き出した言葉にびくつき、悪魔女がこっちを見る。あたしは再び息を吸う。
「ナナシ! 今の呪文を唱えて……!『ヒズィイ・ロセス』よ、お願い、早く……!」
「お……お前、何を言うのっ……!」
【ヒズィイ・ロセス】
それはエミルドさんの魔法書1591ページに載っている「オレはオレ!の魔法」の呪文だ。心の中で唱えると、精神、身体を支配するすべての物から解き放たれ、素の自分を取り戻すことができる。
本来は精神や身体の苦痛、傷みなどから身を守る魔法だ。
これまで何百、何千回読んできた魔法書の中で、あたしの脳はこの魔法が一番、この状況に相応しいと弾き出した。悪い物を追い出し、ナナシを解き放ってくれるはずだって……!
「ヒズィイ・ロセス! ヒズィイ・ロセス! ヒズィ……っ」
息が続かず、むせる。
悪魔女は呻きながら手のひらをこじ開け、あたしの心臓の直線状に小さな光の弾を生み出した。放とうとした一瞬手前で、腕が動く。軌道は狙いから逸れ、弾はあたしの肩に当たった。
「っあぁ……!」
焼けるように熱い。熱くて痛いけれど、この程度で済んだのも、きっとナナシのおかげだ。
お願い、ナナシ。聞こえているんでしょ? 悪魔女に負けないで……!
悪魔女は変わらず、顔を歪めて息を荒げている。
ナナシに、あたしの声は届いていないの? 教えた魔法では、身体を取り戻せないということなの? そもそも悪魔女には、敵わないということなの……?!
不安を頭によぎらせながら、あたしはありったけの力で叫んだ。
「ナナシ、戻ってきて! レフドでおじいさんとおばあさんが待ってるから! あなたならできる! 無限の可能性があるんだから……!」
悪魔女の腕が、固い動きでぎこちなく近付いてくる。ふるえる指が、あたしの喉を掴んだ。
「こ……この身体は、渡さないの……! エミルドも渡さないの……!」
恐ろしいほどの執着が、首に食い込んでくる。爪が刺さり、息もできない。
それでもあたしは目を見開いていた。
もう、目は逸らさない。逸らしたくない……!
薄れゆく意識の中、すっと視界に鮮やかなものが走る。悪魔女の後方の空から、赤い色が糸を垂らしたように落ちてきた。
あたしの視線につられたのか、悪魔女がふり返る。彼女は息をのみ、首を閉めていた手を放した。
潰されていた気道が開き、空気が入り込んでくる。
あたしは咳き込みながら、赤い糸の先を――いや、糸に見えた何かの先を辿った。
それは浮かんだ檻まで続き、エミルドさんの真っ白な服を紅色に染めている。彼の手にはキラキラと光る白銀の破片が握られ、その切っ先は胸に突き刺さっていた。
「ガルド……きみは寂しがり屋だ。でも安心しろ、ひとりじゃない。先にいって待ってるぞ」
こちらを見下ろして微笑む顔は青白く、纏った赤を引き立てている。
最後に「みんな、愛してるよ」と言って、エミルドさんは倒れた。あたしがはじめて会った時と同じ、優しく、力強い声色だった。
「そ……そんな! 嫌なの、ガルドにはもう復活させる魔力なんて残ってないの……!」
わなわなと全身をふるわせ、悪魔女は動揺を含んだ声で叫ぶ。
エミルドさんは大魔法使いだ。
あたしの言葉で状況を察し、悪魔女の集中力を乱す行動に出たに違いない。
あたしには、分かる。
ファンだから、分かりますよエミルドさん……。
突然、魔女が苦悶の表情を浮かべ、あたしの上から転がり落ちた。
首を、頭を掻きむしり、低く呻く。遠い何かを掴むように伸ばした手は、何も得ることができないまま力なく垂れた。
眉が下がり、瞼が閉じる。同時に、頭からつま先へと光が駆け、金色の髪の少年へとその姿を変えた。
その少年の足元に、影が落ちる。
影の持ち主は、魔魂葬剣で身体を支えながら戻って来たシロクさんだった。
シロクさんは左の脚だけで真っ直ぐに立ち、眉ひとつ動かさず、彼だけが操れる剣でナナシを脳天から一刀する。
刃は指一本傷付けることなく通り抜けた。
ナナシの身体から、黒と白の湯気が立ちのぼる。二色の湯気はゆっくりと、空に溶けていった。
それを見届け、シロクさんは糸の切れた操り人形のように、がくんと地面に突っ伏す。
あたしはただ呆然と見つめていた。
きらきら光る無数の粒となって消えていく、愛しいひとの姿を――……
独り言……と言うより、誰かを叱るような口ぶりに思えた。指を立て、悪魔女はもう一度「キャンディーを出してあげちゃう魔法」を使う。
出てきたのは、拳大の赤い球体だ。あたしの顔に落下し、頬で弾んで地面に転がる。
「っ、このっ……!」
悪魔女は再び、胸を強く叩く。
不思議な行動に、あたしは眉をひそめた。
何……? 悪魔女は何をやってるの? 今の赤い物は……?
地面に落ちた赤を、横目で確認する。丸く、艶やかな、赤い――ラジー……?
何でラジーを? ナナシじゃないんだから……
……て……、え? も、もしかして、悪魔女が叱っている相手は――
――ナナシ……?!
ナナシ、あなたがあたしを、助けてくれたの……?
乗っ取れてはいるけれど……ナナシの魂はまだ生きてる。魔魂も、身体も生きているんだ。あなたが身体の中から、悪魔女の魔法を阻止してくれた……ってことなの?
でも、何で、今になって急に――……?
考えられるのは……さっきの攻撃で悪魔女の魔魂が消費されたから、という理由だろうか。そのせいで支配力が衰え、抑え込まれていたナナシの自我が通るようになったのかもしれない。
ねえナナシ、あなたもずっと、悪魔女と戦っていたの……?
何かをふり払うように、悪魔女は空に向かって雄叫びを上げた。ぎ、ぎ、ぎ、と歯を軋ませながら、固まった腕を強引に動かそうともがいている。
――チャンスだ。
事態を好転させるには、動きの止まっている今しかない。
身体を起こそうと、あたしも懸命にもがいた。右手。左手。右足。左足。首。肩。腰……ありとあらゆる部位に、脳から「動け」と必死に命令を出す。
でも、応じてくれたのは瞼だけだ。
こんな時なのに、また何もできない……!
目の中が滲んでくる。気持ちだけが焦り、頭が回らない。
どうしよう。どうすればいい?
シロクさん、レオッカ、どうしたらいいの?! あたししかいないのに……!
「……ガルド? どうした、マトリに手をかけるのを躊躇しているのか……?! それでいい、考え直すんだ! 子供たちは虐げるものではなく、守るものだ! 彼女たちには未来が、無限の可能性があるのだから……!」
耳に届いたのは、エミルドさんの声だった。
さあっ、と気持ちの焦りが消えていく。
――……可能性……!
可能性がある。
まだ、あたしたちには可能性はある……!
あたしにはできなくても、彼になら――……!
あたしは起き上がるのを諦め、深呼吸をした。喉に、持てる力を集中させる。
胸にいっぱい、静かに息を吸い込む。
「ヒズィイ・ロセス……!」
あたしが吐き出した言葉にびくつき、悪魔女がこっちを見る。あたしは再び息を吸う。
「ナナシ! 今の呪文を唱えて……!『ヒズィイ・ロセス』よ、お願い、早く……!」
「お……お前、何を言うのっ……!」
【ヒズィイ・ロセス】
それはエミルドさんの魔法書1591ページに載っている「オレはオレ!の魔法」の呪文だ。心の中で唱えると、精神、身体を支配するすべての物から解き放たれ、素の自分を取り戻すことができる。
本来は精神や身体の苦痛、傷みなどから身を守る魔法だ。
これまで何百、何千回読んできた魔法書の中で、あたしの脳はこの魔法が一番、この状況に相応しいと弾き出した。悪い物を追い出し、ナナシを解き放ってくれるはずだって……!
「ヒズィイ・ロセス! ヒズィイ・ロセス! ヒズィ……っ」
息が続かず、むせる。
悪魔女は呻きながら手のひらをこじ開け、あたしの心臓の直線状に小さな光の弾を生み出した。放とうとした一瞬手前で、腕が動く。軌道は狙いから逸れ、弾はあたしの肩に当たった。
「っあぁ……!」
焼けるように熱い。熱くて痛いけれど、この程度で済んだのも、きっとナナシのおかげだ。
お願い、ナナシ。聞こえているんでしょ? 悪魔女に負けないで……!
悪魔女は変わらず、顔を歪めて息を荒げている。
ナナシに、あたしの声は届いていないの? 教えた魔法では、身体を取り戻せないということなの? そもそも悪魔女には、敵わないということなの……?!
不安を頭によぎらせながら、あたしはありったけの力で叫んだ。
「ナナシ、戻ってきて! レフドでおじいさんとおばあさんが待ってるから! あなたならできる! 無限の可能性があるんだから……!」
悪魔女の腕が、固い動きでぎこちなく近付いてくる。ふるえる指が、あたしの喉を掴んだ。
「こ……この身体は、渡さないの……! エミルドも渡さないの……!」
恐ろしいほどの執着が、首に食い込んでくる。爪が刺さり、息もできない。
それでもあたしは目を見開いていた。
もう、目は逸らさない。逸らしたくない……!
薄れゆく意識の中、すっと視界に鮮やかなものが走る。悪魔女の後方の空から、赤い色が糸を垂らしたように落ちてきた。
あたしの視線につられたのか、悪魔女がふり返る。彼女は息をのみ、首を閉めていた手を放した。
潰されていた気道が開き、空気が入り込んでくる。
あたしは咳き込みながら、赤い糸の先を――いや、糸に見えた何かの先を辿った。
それは浮かんだ檻まで続き、エミルドさんの真っ白な服を紅色に染めている。彼の手にはキラキラと光る白銀の破片が握られ、その切っ先は胸に突き刺さっていた。
「ガルド……きみは寂しがり屋だ。でも安心しろ、ひとりじゃない。先にいって待ってるぞ」
こちらを見下ろして微笑む顔は青白く、纏った赤を引き立てている。
最後に「みんな、愛してるよ」と言って、エミルドさんは倒れた。あたしがはじめて会った時と同じ、優しく、力強い声色だった。
「そ……そんな! 嫌なの、ガルドにはもう復活させる魔力なんて残ってないの……!」
わなわなと全身をふるわせ、悪魔女は動揺を含んだ声で叫ぶ。
エミルドさんは大魔法使いだ。
あたしの言葉で状況を察し、悪魔女の集中力を乱す行動に出たに違いない。
あたしには、分かる。
ファンだから、分かりますよエミルドさん……。
突然、魔女が苦悶の表情を浮かべ、あたしの上から転がり落ちた。
首を、頭を掻きむしり、低く呻く。遠い何かを掴むように伸ばした手は、何も得ることができないまま力なく垂れた。
眉が下がり、瞼が閉じる。同時に、頭からつま先へと光が駆け、金色の髪の少年へとその姿を変えた。
その少年の足元に、影が落ちる。
影の持ち主は、魔魂葬剣で身体を支えながら戻って来たシロクさんだった。
シロクさんは左の脚だけで真っ直ぐに立ち、眉ひとつ動かさず、彼だけが操れる剣でナナシを脳天から一刀する。
刃は指一本傷付けることなく通り抜けた。
ナナシの身体から、黒と白の湯気が立ちのぼる。二色の湯気はゆっくりと、空に溶けていった。
それを見届け、シロクさんは糸の切れた操り人形のように、がくんと地面に突っ伏す。
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