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第二章
実家で攻防(1)
しおりを挟むわが風音寺家は、父、母、オレ、妹、弟の五人で構成されている。
田舎とも都会ともいえない中途半端な地域に、一軒家を設けて暮らす一般家庭だ。
家の敷地がやや広く、門があったり庭に松が植わっていたりする絵に描いたような日本家屋なものだから、友達から裕福だと勘違いされることもある。しかし、経済状況は至って平均水準だ。裕福なのはオレの祖父の代であり、おそらくその恩恵を受けてこの家を有しているのではないかとオレは睨んでいる。
平日の朝、わが家では、部活動をやっている高校一年生の弟が一番に家を出る。
続いて、父と高校二年生の妹が、各々仕事と通学のために家を出ていく。
オレが自室から居間へと向かうのは、いつもそのあとだ。
今日も例のごとく、寝ていたままのTシャツ&ズボン姿で、洗面所でとりあえずハミガキを済ませて居間に向かった。座ってテレビを見ていた母親が、オレに気がついてふり返る。
「あ、おはよう開人。体調、どう?」
「あー……うん、大丈夫」
正直、若干の気だるさはある。でも、それを言ったところで、心配をかけるだけだ。脳にも異常がないと分かった今、多少のことは告げないほうがいいのかなと感じている。
ただでさえ、母親はこの春から、仕事をはじめたばかりだ。
長年専業主婦をしていたけれど、末の息子が高校生になった今年、婦人服店のオーナーである親戚から週に三日ほど店を手伝ってほしいと頼まれたのがきっかけだった。今日はその仕事の日らしい。部屋着ではなく、ジャケットにパンツというかっちりした外出着を着ている。
「ねえ、ちょっと見てよコレ」
こちらを見上げる母親の手に握られていたのは、ファスナーと布のつなぎ目が派手に裂けた、無残な姿の化粧ポーチだった。
「さっきファスナー閉めようとしたらね、急にビリッて破れたの。こんなに破れたら、もう直せないよねえ? お気に入りだったのになぁ」
「寿命じゃない? 色も褪せまくりじゃん。いつから使ってんの、それ」
母親は眉を寄せ、立ったままのオレの膝裏を軽く叩く。ぱしん、といい音が鳴った。
「何言ってんの。あんたが高校生の時、棟方園ちゃんがくれたやつでしょ。ほら、わたしが誕生日にわざわざ持ってきてくれて……あれ、デパートの包装紙だったもんね、赤いバラの」
オレは閉口した。
なんでこの人、息子の昔の彼女の名前をいつまでも覚えてるんだろ。しかもご丁寧に、きっちりフルネームで。
そりゃ、付き合ってた当時は毎日のように家に連れて来てたから、印象深いのかもしれないけど……あの子が母親にプレゼントをくれたことは記憶にあっても、包装紙やその中身までは忘れたよ、オレは。
「そういえば園ちゃん、今なにしてるの? 元気?」
「し、知らねーよ。つーか、早く行かないとやばいんじゃないの? もう十七分だけど」
オレが柱に掛かった時計を指差すと、母親は「うそ?!」と言いながらそちらに目をやった。
「やだ、ホントだ! じゃあ行ってくるわ。あとよろしく……あっ、お昼ご飯、冷蔵庫に入れてあるから。あとは好きなの、なんでも適当に食べて。無理しないでね!」
お決まりの文言を残し、母親は慌ただしく仕事へと向かって行った。
「気をつけて」と声をかけたあと、オレは深く息を吐く。
この瞬間が、一番、気が滅入るんだよな。
だって、普通は逆だから。
普通は「仕事に行く息子」を、「母親」が見送る。
だけど、うちは逆。「仕事に行く母親」を、「息子」が見送る。
原因のわからない体調不良を繰り返すようになって、約一か月。
これが、わが家の「普通」になりつつあるんだ。
オレはとぼとぼと台所に向かった。冷蔵庫を開けたと同時に、チャイムが鳴る。
誰だ、こんな朝早く。まだ九時台だぞ……って、九時はもう「朝早く」ではないか。
オレは「誰もいませんよー」と心の中で言い、居留守を決めこむことにする。
車やバイクの音も聞こえなかったし、宅配業者ではなさそうだ。うちの親に用があって家に来た人である可能性が高い。オレが出たところで、用事は済ませられないよ。
改めて、冷蔵庫を覗く。パッと目に飛び込んできたのは、大きなオムライスが乗った、ラップのかかった皿だった。自分は仕事だというのに、わざわざ母親がオレの昼食にと用意してくれたものだ。胸が詰まった。オレの大好物だ。
母さん。もう、オレ大人だよ。確かに、今朝もちょっと気だるさはある。体調はすっきりしないけど、ずっと極端に悪いわけじゃない。昼ごはんくらいは、自分でなんとかできるのに。
「ごめん」
なんて小さくつぶやいて、さっそくそれを食べることにする。落ち込んでたって、腹は減るのだ。昼にはまあ、適当に他のものを食べればいいよな。
皿を取り出し、冷蔵庫のドアを閉め、身体を反転させる。
そして、
「――――っ?!」
オレの息は一瞬止まった。
人が、いたのだ。ふり向いたらすぐそこに人が立っていて、目が合った。動転したオレの手から、皿が落ちる。その人は素早く跪き、オムライスをこぼすことなく皿を受け止めた。
「――おはようございます」
そ……その声。その白衣。そのおだんご。その大きな目。その桃色の唇。
うそだろ?! 昨日の看護師――マルカさん……?!
思わず後ずさりをして、背中が冷蔵庫にぶつかる。
マルカさんは涼しい顔で立ち上がった。同時に、オレの脳裏には、昨日の事が鮮烈に思い出された。
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