毒と薬の相殺堂

urada shuro

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第四章

泣き泣き(1)

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 実家におけるオレの自室は、二階にある和室の八畳間だ。
 高校を卒業後、オレが家を出て一人暮らしをはじめてからも、置いていったオレの私物はずっとそのままにされていた。畳やふすまとは不釣り合いな黒いシングルベッドも、処分されずに残っている。高校時代にはよく、当時の彼女と仲よく過ごした場所だ。

 あれから丸一日、オレは二十四時間のほとんどを、そのベッドの上で過ごした。

 自分の身体が特殊であること。
 体調不良を治す術がたぶん社長の新薬を使うしかないこと。
 その新薬がまだ試験段階であること。
 そしてその新薬をもうオレには使わせないと社長に言われたこと。

 どれもかみ砕けず、頭の混乱が治らなかったのだ。
 頭が異様にぼーっとする。心がずっと上の空で、現実味というものが実感できない。

 こんな身体になったのは先祖からの遺伝子のせいだ。
 バイトのかけもちを引き受けたせいだ。
 整形外科の医者が処方した薬を飲んだせいだ。
 なんで、これまでうちの家系は誰も遺伝子の異常に気がつかなかった? 
 なんで、医者は薬を出す前に患者の遺伝子を調べなかった?

 聞いてしまったがゆえに、どうしようもない苛立ちが浮かんでは消える。
 それからさらに一日が経ち、三日目にしてようやく、頭のぼんやりが改善した。
 特に治るきっかけがあったわけではなく、時間の流れがそうさせてくれたのだと思う。

 朝九時過ぎ、部屋着に着替えて一階へ向かう。居間では、今日は仕事が休みらしい母親が、ほっとした顔で迎えてくれた。今日は日曜だけど、他の家族は居間にはいなかった。
 母親から、この二日間家族みんながいかにオレを心配していたかを聞かされながら、朝食をとる。「体調が悪かった」と誤魔化しつつ、たわいのない会話を無理なく交わせた。
 それでも……オレから自分の身に起きた出来事を話す気にはなれなかった。

 自室に戻って、ベッドに寝転ぶ。意図せず、相殺堂の社長の背中が目に浮かんだ。

 ……なんだよ、「もういい」って。
 そっちから近づいたくせに、自分勝手で短気すぎる。
 おまけに急に叫んだりして、異常だろ、アレは。

 掻き乱された日々が、いかにおかしな状況だったか。今は、冷静に判断ができる。
 でも……もう、ふり回されなくてもいいんだ。新薬だって、結局、試験薬だったんだから。

 そう思う一方で、確かにあの薬に希望を感じていた自分を、オレは覚えている。
 それをかき消すように頭をふった。

 落ち着け。もう終わったんだ。いつまでも捕われちゃだめだろ。
 そうだ……相殺堂の事を、なかったことにしたらいいんじゃないか?
 相殺堂に与えられた混乱を、情報を破棄してしまえ。それで、元の自分に戻ればいいんだ。

 あの日……いや、あの時間――マルカさんに出会う前にまで、記憶をさかのぼってみる。
 朝、予約していた市民病院まで母親に車で送ってもらって、神経内科でMRIの検査結果を聞いて、結果は「異状なし」で、「先生に様子を見ましょう」って言われて…………。

 ……そっか。様子を見るのか。
 元のオレに戻るってことは、オレの様子を見るんだな。
 じっと、天井を見つめる。薄い茶色の木目が、ぐるぐると渦巻いて見えた。

 つーか………………様子を見て、どうすんだ………? 

 待ったところで自然に治る確証もない。悪くなる可能性もある。それでも……様子を見る。
 それは相当辛い。先の見えない不安な日々がどれだけもどかしいか、オレは経験済みだ。

 まとわりつく苛立ちをはがすように、寝返りを打った。

 そうだ。自分を治してくれる医師に巡り合うまで、病院を探し続けるという手もあるな。
 でも、それには体力と経済力、そしてかなりの精神力がいる。オレの場合、送り迎えで親に迷惑も掛かる。オレも一応、免許は持っているけど、運転中に体調を崩す懸念がある限りは、これまで通り運転を控えるべきだろうし……。

 はあ。いろいろ、しんどいなあ……この件を考えるのはちょっと、先送りにしよう。

 もう一度、寝返りを打つ。タオルケットを掴んで握り締めた。

 あとは……仕事か。このままこうしていれば、いつか持ち金の尽きるときはくるもんな。
 でも、今のオレって何ができるんだろう。
 急に体調が悪くなるし、そうなったらしばらく休まなければいけない。だから、オレは長く続けていたカフェのバイトを辞めたんだ。

 じゃあ……「家で自分のペースでできる仕事」を探すしかないってことか。
 ぱっと思いつくのは……内職? 芸術家?

 だめだ。あまりにも知識が乏しい。オレはスマホを握り、在宅の仕事をネットで調べ始めた。
 クラウドソーシング、ハンドメイドなどの言葉に紛れて、「副業」「主婦のお小遣い稼ぎ」などの言葉が目に付く。浅く調べた感じでは、オレのように手に職のない人間だと、どれも生活費をがっつり稼げる感じではないように思えた。

 じゃあ、あれは? クラウドファンディングで資金を募って……募って、どうすんの? オレ、人様のお金をいただいてまで叶えたい夢なんてある? ないない。なんにも浮かばない。
 体調が悪くなる前も、定職にはつかず居心地のいいバイト生活を続けてただけだったもんな。

 オレはスマホを伏せ、ため息を吐いた。

 やばいな、オレ……人生になんのプランも目標もねえじゃねえか。

 ずん、と気が重くなる。仰向けになり、口をうっすらと開けたまま、茫然と天井を仰いだ。
 木目の渦が、同じバイト先だった仲間たちの顔に見えてくる。

 ケンジ、たいちゃん、めぐ、ゆんゆん、マッシ、依田くん、トマ、甲斐さん、店長……
 みんなとは今でも連絡は取り合っているけど、もうずいぶん会ってない。
 接客業だからそれなりに大変なことも多かった。でも、オレはあのバイトが好きだったんだ。
「治ったら、いつでも戻ってきて」
 店長はそう言ってくれたのに……オレはあの明るい場所には、みんなの輪には戻れないのか。
 それでも――――オレがいなくても、あの店は今も普通に回ってるんだろうな……

 すっと、頬に生暖かいものが伝う。オレはそれを放置した。
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