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第四章
泣き泣き(2)
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それから、数十分が経ち。
また、体調が悪化しはじめた。肩を中心に、強いだるさを覚える。
不本意にも、オレはそれで我に返った。ティッシュで涙を拭い、洟をすする。
ふと、足音が聞こえてきた。母さんか? こっちに近づいてくる。ということは……考えているうちに、案の定、オレの部屋のふすまがノックされた。
慌てて顔を拭って「……はい」とぶっきらぼうに返事をすると、ふすまが一気に開かれた。
「お兄? ちょっといい?」
「開けんな!」
勝手に開けられたことに動転し、咄嗟に叫んでいた。自分でも驚くほど、鋭い声だ。部屋を訪れたのが母親ではなく、妹の奏であったことにも、オレは驚いていた。
奏の身体が小さく跳ねる。「あ、ごめん」といって、ふすまをさっと閉めた。ふすま越しに、静かな足音が離れていく。まだ、胸がドキドキしている。
ったく、高二にもなってなんであんなにデリカシーがないんだ。家族にもプライバシーはあるだろーが。オレがもし、シングルでプレイ中だったらどうするつもりだバカヤロウ。
舌打ちをしたあと、すぐにため息が出た。自分が、嫌になる。
泣き顔を見られたくなかったにしても、体調が悪いにしても、もう少し言い方があっただろ。
背中がベッドに引きずり込まれるように重くなる。オレはぎゅっと目を閉じた。
しまったな。
体調が悪くなってからも、妹や弟の前ではなるべく平静を保ってきたつもりだったのに……。
歳が離れているせいか、これまで妹とは大きなケンカをした覚えがない。甘やかしてきたようにも思う。そんな兄からあんな風に怒鳴られては、奏は相当びびっただろう。
オレは体調がよくなるのを待ち、涙目が直ったことを確認してから妹の部屋に向かった。
ノックをすると、ドアが開き、気まずそうな妹の顔が覗く。
即座に、「さっきはごめんな。ちょっと、体調がよくなくて」と謝る。妹は心配しつつも、オレを部屋に招き入れた。
奏の自室は、純和風なわが家で唯一、畳の敷かれていない部屋である。数年前、彼女の趣味に合わせ、この部屋だけを防音室に改装した。その際に、床も張り替えられたのだ。
壁には、オレの知らない外国人バンドのポスターがいくつも貼られている。身体中に無数のピアスを開けたお兄さんたちのものだ。壁際には音楽関連の機材や本、ベッドの上にはレスポールタイプの黒いギターが置いてある。そのギターの横に、オレは腰を掛けた。
「で、どした? なんか用だったんだろ?」
いかにも「長閑か」を装った声で、尋ねてみる。
奏は、オレの前の床にちょこんと座った。今日は気温が高いせいか、半袖の黒いTシャツにデニムパンツという夏めいた格好をしている。長い黒髪も、頭の後ろで雑に束ねていた。
「うん……ねえお兄。ピアスの穴、開けてくれない?」
「は……? ピアス?」
「うん。今度、センパイのライブに出させてもらうんだけど、そのとき髪の毛上げるから耳が見えるでしょ? そうなると、このへんなんか寂しくない?」
照れ隠しなのか、奏は唇をとがらせ、自分の耳たぶを指でひっぱった。
「……要するに、そのライブのためだけに、ピアスを開けたいってこと?」
奏は悪びれた様子もなく、「そう」とうなずいた。立ち上がり、机の上からなにかを取って渡してくる。小さな長方形をしたそれは、セルフでピアスの穴を開けられる機械だった。
なんだよ、それ。こんなことのために、オレを訪ねたのか。なんかあったのかと思って心配したのに……。
オレは苛立ちを感じたが、息を吐いてそれを抑える。
「これで、おまえの耳たぶに穴開けろって? オレに?」
「うん。だって、自分じゃ失敗しそうだし……こんなの、お兄にしか頼めないから」
「……てことは、母さんにも内緒ってこと? 父さんも?」
「うん……だって、怒られるじゃん」
じゃあ、やめろよ。
おまえは高校生だ。後ろめたい自覚があるなら、やめたほうがいい。
そう思いながらも、オレは口にはしなかった。そんな常識をぶつけたところで、聞き入れないのは見えている。なにかに夢中な人間と言うのは、そういうものだ。昔の彼女もそうだった。
今の奏には、次のライブのその一瞬こそが、なにより大事なんだろう。
……そっか。こいつには、なにを差し置いてでも突っ走れるものがあるんだな。
苛立ちが募り、胸に焼けつくような熱さ感じる。
これは――……焦り? いや、嫉妬か?
気を紛らわそうと、傍らのギターを手に取って鳴らす。そういや、これ元々オレのだったよな。高校のとき、買ったはいいけど途中で飽きて投げ出した。それを奏が欲しがって、与えてみたら見事にハマったんだ。
笑えてくる。今のオレには、皮肉と取れなくもない。
そういえば最近、この部屋からの音漏れを聞いたことがないな。まさか奏のやつ、オレに気をつかって家での演奏を控えてんのか……?
こんなとこにまでオレの体調不良が影響してるなんて……まったく、反吐が出そうだ。
「……ちょっとお兄。ちゃんと聞いてる?」
大きな瞳が、オレを睨む。端のやや上がった、気の強そうな目だ。
思えば、兄弟でオレだけ顔も似てないんだよな。妹も弟も、顔つきに見合った意思の強さというか頑固さをどこかしら持っている。なのに、兄のオレときたら。
オレはギターをベッドの上に戻し、あぐらをかいて目を閉じた。
「奏。おまえも目を閉じろ」
「は?」
「いいから閉じろ。そして、想像するんだ。ここは、ライブホール。おまえは、観客だ。ステージでは、おまえの好きな英国バンドが演奏している。おまえはそこに、なにを求める?」
「……一体感?」
「そう、それが全てだ!」
かっと目を開けると、奏が口をへの字にして、オレに苦々しい視線を向けていた。
「……なにそれ。ライブ中に誰もあたしの耳なんて見ない、っていう遠回しな説教?」
「つーか、ギタリストなら、耳より指を気にしない? オレなら、そっち見ちゃうけど」
奏はきょとんとした表情に変わった。眉を歪め、自分の指を眺めている。
「……それは、そうかも」
これで奏は納得したようで、見られても恥ずかしくないようにもっと練習しようと、と張り切っている。ピアスのことなど、もうどうでもよくなったらしい。
「お兄に話してよかった」とも言ってきたが、違うんだよ、奏。
兄ちゃんは、話を早く切り上げるために、思い付きを並べただけだ。
おまえの眩しさから、早く逃れたかっただけなんだよ。
オレには、なにもない。
この焦燥を見破られないように、今は誰とも、話したくないんだ。
また、体調が悪化しはじめた。肩を中心に、強いだるさを覚える。
不本意にも、オレはそれで我に返った。ティッシュで涙を拭い、洟をすする。
ふと、足音が聞こえてきた。母さんか? こっちに近づいてくる。ということは……考えているうちに、案の定、オレの部屋のふすまがノックされた。
慌てて顔を拭って「……はい」とぶっきらぼうに返事をすると、ふすまが一気に開かれた。
「お兄? ちょっといい?」
「開けんな!」
勝手に開けられたことに動転し、咄嗟に叫んでいた。自分でも驚くほど、鋭い声だ。部屋を訪れたのが母親ではなく、妹の奏であったことにも、オレは驚いていた。
奏の身体が小さく跳ねる。「あ、ごめん」といって、ふすまをさっと閉めた。ふすま越しに、静かな足音が離れていく。まだ、胸がドキドキしている。
ったく、高二にもなってなんであんなにデリカシーがないんだ。家族にもプライバシーはあるだろーが。オレがもし、シングルでプレイ中だったらどうするつもりだバカヤロウ。
舌打ちをしたあと、すぐにため息が出た。自分が、嫌になる。
泣き顔を見られたくなかったにしても、体調が悪いにしても、もう少し言い方があっただろ。
背中がベッドに引きずり込まれるように重くなる。オレはぎゅっと目を閉じた。
しまったな。
体調が悪くなってからも、妹や弟の前ではなるべく平静を保ってきたつもりだったのに……。
歳が離れているせいか、これまで妹とは大きなケンカをした覚えがない。甘やかしてきたようにも思う。そんな兄からあんな風に怒鳴られては、奏は相当びびっただろう。
オレは体調がよくなるのを待ち、涙目が直ったことを確認してから妹の部屋に向かった。
ノックをすると、ドアが開き、気まずそうな妹の顔が覗く。
即座に、「さっきはごめんな。ちょっと、体調がよくなくて」と謝る。妹は心配しつつも、オレを部屋に招き入れた。
奏の自室は、純和風なわが家で唯一、畳の敷かれていない部屋である。数年前、彼女の趣味に合わせ、この部屋だけを防音室に改装した。その際に、床も張り替えられたのだ。
壁には、オレの知らない外国人バンドのポスターがいくつも貼られている。身体中に無数のピアスを開けたお兄さんたちのものだ。壁際には音楽関連の機材や本、ベッドの上にはレスポールタイプの黒いギターが置いてある。そのギターの横に、オレは腰を掛けた。
「で、どした? なんか用だったんだろ?」
いかにも「長閑か」を装った声で、尋ねてみる。
奏は、オレの前の床にちょこんと座った。今日は気温が高いせいか、半袖の黒いTシャツにデニムパンツという夏めいた格好をしている。長い黒髪も、頭の後ろで雑に束ねていた。
「うん……ねえお兄。ピアスの穴、開けてくれない?」
「は……? ピアス?」
「うん。今度、センパイのライブに出させてもらうんだけど、そのとき髪の毛上げるから耳が見えるでしょ? そうなると、このへんなんか寂しくない?」
照れ隠しなのか、奏は唇をとがらせ、自分の耳たぶを指でひっぱった。
「……要するに、そのライブのためだけに、ピアスを開けたいってこと?」
奏は悪びれた様子もなく、「そう」とうなずいた。立ち上がり、机の上からなにかを取って渡してくる。小さな長方形をしたそれは、セルフでピアスの穴を開けられる機械だった。
なんだよ、それ。こんなことのために、オレを訪ねたのか。なんかあったのかと思って心配したのに……。
オレは苛立ちを感じたが、息を吐いてそれを抑える。
「これで、おまえの耳たぶに穴開けろって? オレに?」
「うん。だって、自分じゃ失敗しそうだし……こんなの、お兄にしか頼めないから」
「……てことは、母さんにも内緒ってこと? 父さんも?」
「うん……だって、怒られるじゃん」
じゃあ、やめろよ。
おまえは高校生だ。後ろめたい自覚があるなら、やめたほうがいい。
そう思いながらも、オレは口にはしなかった。そんな常識をぶつけたところで、聞き入れないのは見えている。なにかに夢中な人間と言うのは、そういうものだ。昔の彼女もそうだった。
今の奏には、次のライブのその一瞬こそが、なにより大事なんだろう。
……そっか。こいつには、なにを差し置いてでも突っ走れるものがあるんだな。
苛立ちが募り、胸に焼けつくような熱さ感じる。
これは――……焦り? いや、嫉妬か?
気を紛らわそうと、傍らのギターを手に取って鳴らす。そういや、これ元々オレのだったよな。高校のとき、買ったはいいけど途中で飽きて投げ出した。それを奏が欲しがって、与えてみたら見事にハマったんだ。
笑えてくる。今のオレには、皮肉と取れなくもない。
そういえば最近、この部屋からの音漏れを聞いたことがないな。まさか奏のやつ、オレに気をつかって家での演奏を控えてんのか……?
こんなとこにまでオレの体調不良が影響してるなんて……まったく、反吐が出そうだ。
「……ちょっとお兄。ちゃんと聞いてる?」
大きな瞳が、オレを睨む。端のやや上がった、気の強そうな目だ。
思えば、兄弟でオレだけ顔も似てないんだよな。妹も弟も、顔つきに見合った意思の強さというか頑固さをどこかしら持っている。なのに、兄のオレときたら。
オレはギターをベッドの上に戻し、あぐらをかいて目を閉じた。
「奏。おまえも目を閉じろ」
「は?」
「いいから閉じろ。そして、想像するんだ。ここは、ライブホール。おまえは、観客だ。ステージでは、おまえの好きな英国バンドが演奏している。おまえはそこに、なにを求める?」
「……一体感?」
「そう、それが全てだ!」
かっと目を開けると、奏が口をへの字にして、オレに苦々しい視線を向けていた。
「……なにそれ。ライブ中に誰もあたしの耳なんて見ない、っていう遠回しな説教?」
「つーか、ギタリストなら、耳より指を気にしない? オレなら、そっち見ちゃうけど」
奏はきょとんとした表情に変わった。眉を歪め、自分の指を眺めている。
「……それは、そうかも」
これで奏は納得したようで、見られても恥ずかしくないようにもっと練習しようと、と張り切っている。ピアスのことなど、もうどうでもよくなったらしい。
「お兄に話してよかった」とも言ってきたが、違うんだよ、奏。
兄ちゃんは、話を早く切り上げるために、思い付きを並べただけだ。
おまえの眩しさから、早く逃れたかっただけなんだよ。
オレには、なにもない。
この焦燥を見破られないように、今は誰とも、話したくないんだ。
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