毒と薬の相殺堂

urada shuro

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第四章

泣き泣き(3)

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 そんな望みも叶わず、オレはすぐに追い打ちをかけられた。
 翌日のことだ。朝、いつものように仕事に出る母親を見送り、オレは家に独りになった。朝食を済ませ、歯を磨き、自室に戻って今日は何をすべきか考える。
 もう一度、在宅の仕事を調べてみるか。そう思ってスマホを持ったとき、着信があった。

 表示された名前は、「高村」。高校時代の同級生だ。
 オレは電話には出なかった。
 
 実は、オレが手首を痛める原因となったバイトのかけもちを頼んできたのが、高村だ。
「センパイに頼まれて、断れないから引き受けて」
 そう言われたから引き受けたのに、その後バイトに関する質問のメッセージを送っても返信はしてこないし、バイト終了後にお礼すら言われなかった。
 そういう面倒を被った経験もあり、オレは彼にすっかり呆れていたのだ。

 別に、彼のせいで手首を痛めたとは思ってない。でも、バイトの連絡不備の件で、彼と距離を置きたいとは感じてしまった。だからあえて、自分が手首を痛めたことも、今の体調不良の容態も彼には伝えておいた。「体調悪いから、あんまり連絡してこないで」という思いを込めて。

 数回コールされたあと、着信音が止まった。
 息をつく間もなく、メッセージが届く。そこには「緊急! 電話して」とだけ書かれていた。
 スマホを手に、ベッドに寝転ぶ。あいつのことだ、どうせたいしたことないんだろ。そう思うけど、もし本当に緊急だったら……オレは迷った末、結局、数分後に電話をかけた。

「もしもし?! 開人?!」
「おお、高村……ごめん、さっきスマホから離れてて」
「なんだよー、携帯しねーとスマホ意味ないだろー。で、元気ぃ?」
「元気……というか、まあふつうの時もあるし、そうでもない時もある……って感じかなぁ」
「ははは! そりゃ、みんなそうだよな」

 内心、ムッとする。体調が悪い時もあるって意味だぞ。なんで察することができない?

「……で、緊急って?」
「ああ、そうそう。開人くん、相談があるんですけどぉ……また、あのバイトしない? 今度も激短期。三日間。俺、センパイから助っ人探してって頼まれちゃってぇ」

 白々しい媚びた口調と無茶な内容に、オレは開いた口が塞がらなかった。前に引き受けたバイトで、オレが手首を痛めたこと話したよな? なのにまた誘うなんて、どういうこと?

「あー……いや、まだバイトできる状態じゃ……」
「え? まだ手首痛ぇの? あー、なんかあれってさ、ホルモンのバランスかなんかによるらしいよ。こないだ偶然、テレビで見たんだけど。おまえも、そういうのが原因なんじゃね?」

 ……はあ?

 いや、オレがあのとき手首を痛めたのは、明らかにバイトを掛け持ちしたせいだ。わかってるだろ。責任を負いたくないという表れか? でも別にオレ、おまえを責めたことなんてねえよな? しかも、手首は治ったけど、今は全身がしんどくなるってことも話したはずですけど?

 苛立ちを抑えつつ、でもわざと気付かせるように声のトーンを落とす。

「いや、あのさ。オレ、今体調がよくないって、前話しただろ」
「え……? あー……そーなんだ。そういえば、そうだっけ」

 オレの態度の変化に気がついたのか、高村の口調もしおらしく変わった。

「でも、ほら……重病とかじゃなかったんだろ? まあ、しばらく親に面倒みてもらってさ、休めばいいじゃん。仕事しなくていいんだから、気楽にさ。自宅警備ってやつで」

 言葉の最後に、高村は短く笑った。笑いやがったのだ。だからオレも、笑ってやった。

「ははっ。つーかさあ、聞いてくれよ開人。こないだ仕事でさあ……」

 オレが笑ったことに安心したのか、高村がころっと明るい口調に戻る。そこから、うんざりする愚痴に見せかけた自慢話が始まった。何度も切ってやろうかと思ったけれど、タイミングをはかっているうちに「あ、やべえ、充電無えわ! じゃな!」と勝手に電話は切られた。

 オレはスマホを握り締め、身体を起こした。
 指に力が入る。高村に電話をかけてしまったことを、深く後悔した。

 仕事しなくてもいい、だと?

 そうじゃねえだろ。オレは「したくてもできない」んだ。
 そのオレに向かって、仕事の話ばっかしやがって。どういうつもりだ、嫌がらせかよ。
 しかも、話したはずのオレの現状を、全然覚えてなかったじゃねえか。

 はじめて、明らかな高村に対しての怒りの感情が湧いてきた。
 スマホを畳に叩き付けようとして、思いとどまる。代わりに、枕を投げつけた。

 おい、高村。わかってるか?
 おまえの頼みさえきかなければ、オレは今ごろこんなことにはならなかったんだぞ。
 それなのに、なんなんだよ今の態度は。おまえはどういう神経で生きてるんだ。

 憎らしい。
 苦しい。
 苦しい。
 苦しい。

 あんなやつがのうのうと気楽に生きてるのに、なんでオレが苦しまなきゃいけないんだ。
 昔なら、笑って許せたよ。呆れるだけで済ませたよ。でも、今のオレはあまりに神経質で、小さなことでも敏感に反応してしまうんだ。身体が、頭を変えたんだ。

 オレはもう、カフェでバイトもできない。元の生活には戻れない。
 そんなの、どうやって受け入れたらいいんだよ。
 オレはまだ二十一歳だぞ。なんでオレが、こんな状況にならなきゃいけないんだ。

 脳裏に、ふっとクランベリーマフィンが現れた。
 五百個の、大量のマフィンが入った段ボール。その前で、途方に暮れる副店長――甲斐さん。悲しそうな、泣きそうな顔をしていた、甲斐さん。寒い寒い一月の光景……。

 オレは「ああ、そうか」と思った。
 あの時、甲斐さんは「大丈夫」じゃなかったんだ。自分の責任で、店やみんなに迷惑をかけた。副店長という立場なのに、失敗をしでかした。それは甲斐さんにとって、とても重いことだったのだろう。きっと、オレが思う以上に。
 オレは「自分に責任がない」という自負があったから、ああ言えてしまったんだな。そんなオレの言葉なんて、甲斐さんにはなんの励ましにもならなくて当然だ。

 あの時のオレは、ある意味、今の高村と同じだったのかもしれない。
 高村との電話中、オレは一切「大丈夫」なんて感情は浮かんでこなかった。あの時の甲斐さんは、そんなオレと同じように胸をえぐられていたのかもしれない。

 呆れるよ。自分がこうならなければ、そんなことも分からないなんて……。
 大粒の涙が止めどなく溢れる。なんだよ、また泣いてんじゃん。泣いてばっかじゃねえか。
 胸に積もっていた感情の腐敗物が、このたった数十分ですっかり溢れてしまった。

 心が、張り裂けそうに苦しい。
 オレはこの先、ずっとこうやって生きていくのかな。
 平常心を装って家族や他人と付き合って、でも小さなきっかけですぐ傷ついて破裂して、諦めきれない悔しさと消えない怒りをまき散らして、そしてまたそれを誤魔化して。

 そんなことをくり返し、くり返し、くり返し、くり返し、くり返し……。







「…………………………………………………嫌だ!!」







「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあああああああああああああああああああっ……!」

 一度では足りず、何度も叫んだ。抑えきれなかった。息が切れる。
 はあ、はあ、と荒ぶる呼吸をしながら、目を見開いて握り締めた拳をふるわせた。
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