毒と薬の相殺堂

urada shuro

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第五章

投薬日記(2)

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 午後二時前。
 マルカさんが部屋に戻ってきた。オレの着替えも終わり、ベッドに浅く座る。
 君縞さんから、今回の薬物投与に関しての説明がはじまった。
 マルカさんに、数枚のコピー紙の束を手渡される。どうやら、資料らしい。一番上の紙には、「相殺堂新薬治療計画書 風音寺開人」という文字が印刷されている。

 無機質な活字となった自分の名前が目に入った瞬間、息をのんだ。
 失いかけていた緊張感が、あっという間に戻って来る。
 いよいよ、か。急に気持ちが落ち着かなくなり、唇が渇く。小さく舌を出し、上唇を舐めた。

「まずは、今回使用する新薬が、どういった効果の見込める薬なのかを説明します」

 君縞さんはオレに資料のページをめくるように言ってから、話をはじめた。
 彼いわく、オレに投与される新薬には、身体に入った異物が引き起こした症状を、消してしまうという作用があるらしい。

 以前、社長がざっくり説明したように、オレが整形外科で処方された錠剤を今一度飲み、主作用及び副作用を起こさせたところで、新薬を投入する。すると、新薬の効能により、錠剤の主作用及び副作用は消える。錠剤の効果がすべてなかったことになる、ということみたいだ。
 どの成分がなぜそんな作用を起こすかは、わからないという。

(なんなの、それ?! そんなわけのわかんねえもん、身体に入れるの怖ぇんですけど!)

 困惑はしたが、取り乱しはしない。何が有効かわからないのに飲まれていた薬というのは、既存の薬にもあるということを、前にネットで見て知っていたからだ。

 てかさぁ、これまで「自分が飲む風邪薬の成分がどう身体に作用して治るか」なんて知的なこと、気にしたことあった? ないない。じゃあ、今回だけ気にするのは、都合よすぎでしょ。

 ……ここは、そんなノリで片付けるべきだ。そうでなければ、きっとオレは前には進めない。

「では、次に新薬の副作用についてお話します」

 君縞さんに促されて資料をめくると、そこには動物実験の結果が記されていた。
 初期の実験結果を見て、凍りつく。
 異常行動、嘔吐、発熱などの症状が確認されたと書かれている。思わず、唾を呑み込む。

 あれ……? オレ、こんな薬を使うの……?

 顔色が青ざめたのを察知したのか、すかさず社長がオレの肩を抱く。

「なーにビビってやがる。これは、あくまでも初期の話だ。よく見やがれ。ほら、実験を重ねる度に、それもなくなってるだろーが。誰の研究の成果だと思う?」

 資料を指でとんとん叩きながら、社長はオレに流し目を送った。口元が、にやついている。

「…………………………シャチョウ、デス……」
「はーっはっは! その通りだ! 健康な人間への投薬実験では、異様に早く爪がのびるようになる副作用が確認済みだが、それも毎日一回爪を切らなきゃいけない程度だ。今の状態に比べたら、まだましだろ。な!」
「ハ、ハア……」

 完全に、言わされてますけど。君縞さんが同情の眼差しをくれながら、進行を続ける。

「次に、スケジュール及び投薬方法の説明をします。投薬のスケジュールですが……僕の仕事の都合で申し訳ありませんが、毎週末ごとに行う予定です。第一回となる今回の予定としましては、本日は健康診断を行い、明日は体調を整えるため休養していただきます。そして明後日の土曜日に投薬を行い、翌日日曜は経過を観察します。投薬は、注射で行います。データを取りながら、回を重ねるごとに段階的に投与する薬の量を増やしていく、という方法をとります」

 とうとう、具体的な話になってきた。オレは不安を隠せず、眉を歪めて君縞さんを見る。

「あの……もしなにかちょっとでも異常が出たら、やめてくれるんですよね? もし、オレがもうやめたいって感じた時も、やめてもらえますか?」
「ああん?! おまえ、まだそんなこと言ってやがるのか?!」

 鬼のような顔をした社長の指が、オレの顎を掴んで持ち上げる。オレは首をふって、それから逃れた。君縞さんは溜め息を吐く。

「まあまあ、鈍原さん。投薬ついての疑問に答えるのは、当然の役目なんですから……風音寺さん。もちろん、風音寺さんの意思は尊重しますよ。異常があった際も、即刻中止します」

 オレはもう、なにも反論しなかった。
「他に質問は?」とも尋ねられたけれど、焦りのせいか、それもぱっとは浮かばない。今すぐに投薬するわけではなさそうだし、思いついた時にまた聞こうと思う。

 午後三時。
 健康診断がはじまる。まず、血圧と脈拍、身長と体重をはかり、続けて心電図をとった。この時はじめて、部屋に置かれていた小型の機械のひとつが、このためのものだったと知った。

 続いて、君縞さんから紙コップを渡される。言わずもがな、検尿用だ。
 トイレに行き、必要な作業を済ませ、コップ片手に我思う。
 これ……どこで誰が検査するんだろ。やっぱり、君縞さんがやるのかな。まさか、マルカさんに見られちゃうってことはないでしょうね? そ、それだけは断固、拒否したい。

 ドアを開けたら、君縞さんが待っていた。コップを受けとり、オレが入ったことのないトイレの横の部屋に消えていく。気恥かしいような申し訳ないような思いで、オレは彼を見送った。

 元の白い部屋に戻ると、次は採血の時間だ。ベッドに座り、検査着の袖を捲り上げて注射用の台の上に腕を置く。マルカさんがオレの腕にチューブのようなものを巻き、「力を入れて、手のひらを握って下さい」と言った。肘の内側を触り、血管を探す素ぶりをする。

「あ、あの……なにしてるんですか? まだ、君縞さん戻ってないですけど……」
「採血は、わたしが行います。わたしは、元看護師ですから」

 オレはびっくりして身体を反らした。

「えぇっ?! か、看護師……って、マルカさんが? まじでっ?!」
「ええ。そう言われたときのために、証拠も持参しました。こちらが、わたしの免許証です」

 マルカさんは白衣の裾から、賞状のようなものをさっと取り出した。
 どこにどう収納してたんだ、という疑問はさて置き、そこには確かに、「看護師免許証」の文字と、マルカさんの名前が書かれていた。
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