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第五章
投薬日記(4)
しおりを挟む土曜日。
いよいよ、投薬当日。
午前中に検尿、採血、心電図と血圧測定を済ませる。
正午の昼食後、時間を置いてから投薬を実施することになった。
ベッドに横になり、上半身だけを起こした状態でスタンバイ。
マルカさんから、錠剤がひとつ渡された。以前、オレが整形外科でもらった、神経等の痛みを緩和する薬だ。オレに体調不良を引き寄せた原因とされているものでもある。
用意された水で、錠剤を飲む。そして、その薬が体内で溶けるまで三十分ほど待つ。
その間、ベッドの上で安静にしていた。付き添ってくれたマルカさんと話したり、新聞を読んだりして過ごしたのだが、緊張のせいでなんの内容も覚えていない。
三十分後、医療器具の入った金属製のバットを持った君縞さんと、ごく小さな冷蔵庫のようなケースを抱えた社長が部屋に入ってきた。君縞さんがオレに微笑む。
「では、これからはじめたいと思います。体調は、どうですか?」
「はい。いつもの気だるさはちょとありますけど、大丈夫です」
オレは君縞さんの指示に従い、右腕の袖をまくった。下腕に、チューブが巻かれる。
社長が抱えていたケースを開けた。中から、新薬の小瓶を取り出し、君縞さんに手渡す。
君縞さんは注射器で少しだけ液体を吸い取り、小瓶を社長に返した。社長はそれを、速やかにケースに戻して扉を閉めた。
君縞さんがオレの血管を探り、下腕の真ん中より少し上あたりをアルコール綿で拭く。
「風音寺さん。この薬は特殊な薬です。どれだけうまく注射をしても、注入の際に痛みがあります。針が抜かれるまで、動かずに我慢してくださいね」
えぇっ……?! なんでそんなこと直前に言うのぉ?! 嫌だよ。痛いの、怖いよ!
心で叫べど、ここまできたら受け入れるしかない。オレは黙ってうなずいた。
ここからは、薬が効くまでじっと耐えるのみだ。
これで、オレの身体が元に戻るんだろうか。頼む、お願いだから戻ってくれ……!
いきますよ、と声をかけ、君縞さんはオレの腕に注射針を刺した。
「―――っ?!」
その瞬間、オレは目を剥いた。採血の比ではない、尋常ならざる痛みに襲われたのだ。
「痛いたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたい――――!」
無理無理無理無理! 耐える、とかそういうレベルじゃないから! 痛いなんてもんじゃない。親不知を抜くときの麻酔の痛みを十倍にしたような強い痛みが、局所的に続いている。
前屈みにかりかけたところを、マルカさんに抱きしめるように押さえ付けられた。そのまま身体を固定される。女子とは思えないすごい力だ。自分の目のふちに、涙が溜まっていくのがわかる。結局、オレは針が刺さっている間中ずっと、「痛い」のみを連呼していた。
「――はい、いいですよ。よく頑張りましたね」
君縞さんの優しい声が聞こえた。すでに針は抜かれていたようだ。
ああ、終わったのか。痛ぁ……つ、疲れた…………。
ぐったりと横たわる。緊張とか不安とか、感情が一瞬で蚊帳の外になった。「いい大人が、注射くらいで情けない」なんて思うもんか。だってホントに痛いんだもん。自分に同情するくらい、本当に、ほんっとに痛かったのだ。
「おい。これで安心するなよ。まだはじまったばっかりなんだからな!」
社長が渋い顔が、ぼやけた目に薄ら映る。
こんなときは労ってよ。と思いつつ、浅くうなずくしかできない。
それから、十五分、三十分、一時間……と間隔を置いて、数回採血が行われたが、オレはしばらくなすがままだった。
午後六時。
夕食の時間になり、マルカさんが食事を運んできてくれた。オレは横たえていた身体を、ゆっくり起こす。このころには、注射の痛みによる精神的ダメージからは立ち直っていた。
「体調はどうですか」
「今のところ、大丈夫です」
特に、自覚できる異常はない。マルカさんいわく、血圧や心電図などの異常もないそうだ。
拒絶反応は出ていないってことなのかな? まずはひと安心、といったところだろうか。
「注射をした部分に、痛みはないですか?」
「え……? あー、はい……もう大丈夫です。すいません、あの時は……まさかあんなに痛いと思わなかったっていうか、びっくりしちゃって」
さり気なくマルカさんから目を反らし、照れ笑いを浮かべる。痛かったとはいえ、あんなに大騒ぎするところを女性に見られてしまったのだ。やはり、そこはちょっと恥ずかしい。
マルカさんはテーブルに夕食の仕出し弁当を置き、「風音寺さん」と声をかけてきた。テーブルに逃げていたオレの目が、マルカさんに向く。真っ直ぐな瞳と視線がぶつかった。
「謝る必要はありません。誰だって、痛みや不安には弱いものです。しかし、あなたはひとつ乗り越えました。今日は、それを誇るべきです」
怒っているような悲しんでいるような、それでいて微笑んでいるような、不思議な眼差しだ。
オレは僅かに、目線を落とした。胸が、じんわり温かい。
……参っちゃうなあ。マルカさんといい社長といい、普段滅茶苦茶なくせに、急にこうしてオレの気持ちを鷲掴みにするんだから……。
視線を戻すと、自然に薄い笑いがこぼれた。
「……うん。そうですね。じゃあ、それを祝して、ここで一緒にごはんでもどうですか? マルカさん、どうせまだでしょ?」
「はい。しかし、わたしは風音寺さんを見守るのが仕事です。食事はいつでも構いません」
「ダメですよ。マルカさんはしっかり食べて、元気でいてくれないと。じゃないと、注射の時、他に誰がオレのこと押さえつけてくれるんですか。あんな、すごい力で」
笑うオレを見て、マルカさんは赤い顔をしかめて部屋を出て行った。怒らせたかな、と思って焦ったけれど、彼女はすぐに自分の分の弁当を持って戻って来た。
「あなたの言葉には無駄が多い」などと文句を言われなから、一緒に夕食をとる。それでも、独りで黙々と食べるよりは、ずっといい。なにより、あれこれ考える隙が減る。
もしかして、明日起きたらいきなりパッと身体が治ってたりして。
そんな前向きな、明るい期待まで頭をよぎった。
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