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第五章
投薬日記(7)
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オレを見つめるマルカさんの目は潤み、唇は小さくふるえている。
抱きしめたい。
思わず伸ばしかけた手を抑え、下唇を噛んだ。
抱き合って、身体ごと不安を溶かし合いたい。肌で直接、優しさを感じたい。
その思いを、必死にこらえる。
代わりに、なにができるか考えた。オレと彼女に今必要なのは、なんなのか――……。
「……マルカさん。ちょっと、付き合ってもらえませんか?」
オレはマルカさんに頼み、キッチンへ連れて行ってもらった。冷蔵庫の中を見ると、都合よくイチゴがある。牛乳とヨーグルトもあるし……うん、そこそこ材料は揃ってるかも。
「マルカさん。冷蔵庫の中のもの、ちょっと使ってもいいですか? あと、ミキサーも」
「構いませんが……なにをするつもりですか? もう深夜です。お休みになるべきです」
「大丈夫です、すぐ終わりますから。すっごく簡単なんで」
オレは苺を水道で洗い、ヘタを切ったあと、体調悪化防止にとりあえず椅子に座った。ミキサーの中にイチゴを入れ、ヨーグルトと牛乳を加える。そこに蜂蜜を加えれば、準備はOKだ。
「風音寺さん。一体、なにを作るのですか?」
「メリーさんの苺」
「それはなんですか?」
「スムージーの名前です。オレ、体調悪くなる前まで『twelfth kitten』っていうカフェでバイトしてたんですよ。そこにあったメニューなんですけど」
話しながら、ミキサーのスイッチを押す。静まった夜の空気を、機械の音がかき混ぜていく。
「kitten……確か、駅前にあるお店、ですよね」
「そうそう、来たことあります? もしかして、実は前に出会ってたりして」
古いナンパのような文言が気に入らなかったのか、マルカさんの表情が歪む。
「いいえ。訪れたことはありません。わたしのような人間が馴染めるお店とは思えませんから」
「えっ、そうですか? マルカさんがカウンター席でラテでも飲んでたら、似合うと思うけど」
「お世辞は結構です。自分のことは自分でよくわかっていますので。第一、なにを着ていくべきなのかすら不明です。ああいう、いわゆる『おしゃれなお店』というのは、ある一定のレベルを超えたファッションセンスの持ち主しか入店を許されない。それは、暗黙の了解でしょう」
「えーっ?! なにそれ。ないですよ、そんなルール!」
「いいえ、あります。人類の心の中に」
なんだかんだ話しているうちに、スムージーはでき上がった。オレは流し台にいくつか並んだコップの中から、透明で背の高いグラスを手に取る。そこへ、ピンク色を注いでいった。
頑張るあなたを、癒したい。
カフェでは、それをテーマに掲げていたメニューだ。
ただ、今回は飾りのミントの葉もストローもない。見た目は、ただのイチゴミルクだ。とりあえず、ミキサーに残ったスムージーを、手直にあったコップに入れて味見してみる。
うん……おいしい。けど、絶賛するほどおいしくはない。
やっぱ、牛乳もヨーグルトも店のやつと違うもんなぁ。凍ったブルーベリーと、店特製の隠し味がないのも大きいか。一応、代わりに蜂蜜は入れてみたけど……。
「……うーん、店のと全っ然違う。あの店のスムージー、すっごくおいしくて評判もいいんで、マルカさんに飲んでほしかったんですけど」
「え……?」
オレはマルカさん用に作った「メリーさんの苺」入りグラスを手に取り、覗き込む。
「どうしよう、これ。オレが飲んでいいですか?」
「いいえ。わたしがいただきます」
マルカさんはオレの手からメリーさんを奪った。一口だけ飲んで、グラスから唇を離す。
「あの……店のは、こんなんじゃないですからね。もっと、百倍おいしいですから」
「いえ、とてもおいしいです。甘くて、ちょっと酸っぱくて、なんだか癒されます」
ふわりと、甘い笑みがこぼれる。オレもほっとして微笑んだ。言葉も笑顔も、単純に嬉しい。
少しでもマルカさんを癒してあげられたら、と思ったのに、逆に自分が癒された。
自分からなにかをして、相手から笑顔を受け取ることなんてどれくらいぶりのことだろう。
これまで、自分に夢とか目標なんてないって思ってたけど……こうやって誰かと関わり合って、笑い合える自分でいるということが、実はオレの夢なんじゃないだろうか。
気がつけば、マルカさんはグラスを空にしていた。ご丁寧に、「ごちそうさまでした」と、礼をする。オレも「ありがとうございましたぁ」と、お客さんに言うように笑顔で礼をした。
「……オレ、身体が治ったら、またあの店で働かせてもらおうかな」
「風音寺さんには、お似合いだと思います」
「もしそうなったら、マルカさんも来てくださいよ。本物、ごちそうしますから」
「はい……い、いえ! わたしには、服装の難題が……」
「わー、それまだ言いいます? あ。じゃあ、オレがコーデ選びましょうか? まず、トップスは」
「え?! ま、待ってください! メモを、メモを取らせて」
――ガチャッ!
いきなり、ドアが開かれた。ふり向くと、廊下から目を血走らせた社長が睨んでいる。
「てんめぇ、こんなとこでなに乳繰り合ってやがる!! やるなら昼間に、俺の前でやれ!」
オレは怒れる社長に担ぎ上げられ、洗面所でハミガキをさせられたあと、部屋に戻った。
ベッドに横になると、ささやかな疲労に包まれる。
体調不良ではない。一日を生きぬいた証に現れる、通常の疲労だ。一度腕を伸ばし、すっと力を抜く。マルカさんの笑顔の余韻を抱きながら、オレはゆっくりと眠りに就いた。
抱きしめたい。
思わず伸ばしかけた手を抑え、下唇を噛んだ。
抱き合って、身体ごと不安を溶かし合いたい。肌で直接、優しさを感じたい。
その思いを、必死にこらえる。
代わりに、なにができるか考えた。オレと彼女に今必要なのは、なんなのか――……。
「……マルカさん。ちょっと、付き合ってもらえませんか?」
オレはマルカさんに頼み、キッチンへ連れて行ってもらった。冷蔵庫の中を見ると、都合よくイチゴがある。牛乳とヨーグルトもあるし……うん、そこそこ材料は揃ってるかも。
「マルカさん。冷蔵庫の中のもの、ちょっと使ってもいいですか? あと、ミキサーも」
「構いませんが……なにをするつもりですか? もう深夜です。お休みになるべきです」
「大丈夫です、すぐ終わりますから。すっごく簡単なんで」
オレは苺を水道で洗い、ヘタを切ったあと、体調悪化防止にとりあえず椅子に座った。ミキサーの中にイチゴを入れ、ヨーグルトと牛乳を加える。そこに蜂蜜を加えれば、準備はOKだ。
「風音寺さん。一体、なにを作るのですか?」
「メリーさんの苺」
「それはなんですか?」
「スムージーの名前です。オレ、体調悪くなる前まで『twelfth kitten』っていうカフェでバイトしてたんですよ。そこにあったメニューなんですけど」
話しながら、ミキサーのスイッチを押す。静まった夜の空気を、機械の音がかき混ぜていく。
「kitten……確か、駅前にあるお店、ですよね」
「そうそう、来たことあります? もしかして、実は前に出会ってたりして」
古いナンパのような文言が気に入らなかったのか、マルカさんの表情が歪む。
「いいえ。訪れたことはありません。わたしのような人間が馴染めるお店とは思えませんから」
「えっ、そうですか? マルカさんがカウンター席でラテでも飲んでたら、似合うと思うけど」
「お世辞は結構です。自分のことは自分でよくわかっていますので。第一、なにを着ていくべきなのかすら不明です。ああいう、いわゆる『おしゃれなお店』というのは、ある一定のレベルを超えたファッションセンスの持ち主しか入店を許されない。それは、暗黙の了解でしょう」
「えーっ?! なにそれ。ないですよ、そんなルール!」
「いいえ、あります。人類の心の中に」
なんだかんだ話しているうちに、スムージーはでき上がった。オレは流し台にいくつか並んだコップの中から、透明で背の高いグラスを手に取る。そこへ、ピンク色を注いでいった。
頑張るあなたを、癒したい。
カフェでは、それをテーマに掲げていたメニューだ。
ただ、今回は飾りのミントの葉もストローもない。見た目は、ただのイチゴミルクだ。とりあえず、ミキサーに残ったスムージーを、手直にあったコップに入れて味見してみる。
うん……おいしい。けど、絶賛するほどおいしくはない。
やっぱ、牛乳もヨーグルトも店のやつと違うもんなぁ。凍ったブルーベリーと、店特製の隠し味がないのも大きいか。一応、代わりに蜂蜜は入れてみたけど……。
「……うーん、店のと全っ然違う。あの店のスムージー、すっごくおいしくて評判もいいんで、マルカさんに飲んでほしかったんですけど」
「え……?」
オレはマルカさん用に作った「メリーさんの苺」入りグラスを手に取り、覗き込む。
「どうしよう、これ。オレが飲んでいいですか?」
「いいえ。わたしがいただきます」
マルカさんはオレの手からメリーさんを奪った。一口だけ飲んで、グラスから唇を離す。
「あの……店のは、こんなんじゃないですからね。もっと、百倍おいしいですから」
「いえ、とてもおいしいです。甘くて、ちょっと酸っぱくて、なんだか癒されます」
ふわりと、甘い笑みがこぼれる。オレもほっとして微笑んだ。言葉も笑顔も、単純に嬉しい。
少しでもマルカさんを癒してあげられたら、と思ったのに、逆に自分が癒された。
自分からなにかをして、相手から笑顔を受け取ることなんてどれくらいぶりのことだろう。
これまで、自分に夢とか目標なんてないって思ってたけど……こうやって誰かと関わり合って、笑い合える自分でいるということが、実はオレの夢なんじゃないだろうか。
気がつけば、マルカさんはグラスを空にしていた。ご丁寧に、「ごちそうさまでした」と、礼をする。オレも「ありがとうございましたぁ」と、お客さんに言うように笑顔で礼をした。
「……オレ、身体が治ったら、またあの店で働かせてもらおうかな」
「風音寺さんには、お似合いだと思います」
「もしそうなったら、マルカさんも来てくださいよ。本物、ごちそうしますから」
「はい……い、いえ! わたしには、服装の難題が……」
「わー、それまだ言いいます? あ。じゃあ、オレがコーデ選びましょうか? まず、トップスは」
「え?! ま、待ってください! メモを、メモを取らせて」
――ガチャッ!
いきなり、ドアが開かれた。ふり向くと、廊下から目を血走らせた社長が睨んでいる。
「てんめぇ、こんなとこでなに乳繰り合ってやがる!! やるなら昼間に、俺の前でやれ!」
オレは怒れる社長に担ぎ上げられ、洗面所でハミガキをさせられたあと、部屋に戻った。
ベッドに横になると、ささやかな疲労に包まれる。
体調不良ではない。一日を生きぬいた証に現れる、通常の疲労だ。一度腕を伸ばし、すっと力を抜く。マルカさんの笑顔の余韻を抱きながら、オレはゆっくりと眠りに就いた。
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