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第八章
毒と薬(6)
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玄関が、開かない。
鍵を開けようにも、サムターンのツマミが動かない。なにか特別な方法で制御されているのか、マルカさんがドアを思い切り蹴っ飛ばしても、びくともしなかった。
……だめだ。このままじゃまた、君縞さんに捕まる。
焦りが倦怠感と一体化し、倒れそうだ。オレなんてもう、使い物にならない。ただの足手まといだ。再び君縞さんと対峙すれば、マルカさん一人で対抗する羽目になる。
それだけは避けないと……でも、じゃあ、どうする?! 早く、なにか方法を考えろ。他の部屋から脱出すべきか? それもかえって危険だろうか? なにか、逃げ道は……?!
朦朧とする頭を動かし、あたりを見回してみる。ふと目に入ったのは、マルカさんが握る小瓶だった。
どうにか、これを守らなけば。
社長の、マルカさんの思いを、オレの希望を……!
でも、どうやって――
鈍りきったオレの脳裏に浮かんだのは、たったひとつの案だけだ。
「……マルカさん。オレに、その薬打って下さい」
「え……?!」
「身体に入れちゃえば、奪われることはないから……とりあえず、先に薬だけでも守ろう」
マルカさんのバッグには、未使用の注射器が入っている。ここに来る準備をした際、脅しになりそうなものは、とりあえずいろいろと持ってきていたのだ。
万が一に備えた準備、過剰かなとも思ってたのに……まさか、こんな風に役立つなんて。
「看護師さんでも、注射打ってもいいんでしょ?」
「は、はい。この新薬は動脈に打つものではないので、わたしにも打てることは打てますが……しかし、これが本当にあの新薬かどうか」
「たぶん、本物だよ。君縞さん、保管ケースを閉め忘れて慌ててたから」
「そんな、憶測で……! それに、事前に錠剤も飲んでないでしょう?!」
オレはこれ以上にない真剣な目で、マルカさんをじっと見つめた。
「マルカさん……さっき言ったでしょ。薬は、使わなきゃ意味がないんだって。たとえ状況は悪くても……オレに投与してくれれば、まだ希望は持てる。社長なら、きっとそうするよ……!」
「風音寺さん……」
オレは座り込んで、腕を差し出した。
マルカさんもしゃがみ込み、バッグを探って必要な道具を取り出していく。ゴムのチューブをオレの腕に巻き、手早く注射器の袋を破る。瓶を密閉しているふたを外し、なかの新薬を注射器で吸い取った。その手が、小刻みにふるえている。
オレはそっと、彼女の手の甲に自分の手を重ねた。
「大丈夫。マルカさん、注射は得意だったんだから」
あなたなら、大丈夫。
いい加減でも無責任でもなく、心からそう思う。
だってオレは、あなたが人一倍、恐ろしいほどに思い切りがいいことを知っている。オレの回復を願ってくれていることも、社長と共にこの新薬に賭ける思いも――……。
だから、大丈夫。あなたになら任せられるよ。
オレは淡く微笑んだ。マルカさんはぎゅっと目をつぶり、くしゃくしゃな顔でうなずく。
再び開眼した彼女は、もう凛々しい顔付きだった。
「わたしが得意なのは、採血です……!」と言いながら、じっとオレの腕を凝視する。血管を探し、アルコール綿でふき取った。
「いきます」と小さく声をかけ、注射器を構える。
迷いなく、針が腕に向かってきた。そして、皮膚に突き刺さる。
こんな状況だ。たとえどんな痛みでも、声なんて出すもんか。そう覚悟は決めてみたけれど。
「ぃぃぃぃっ………………………………てえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ」
やっぱり、オレは痛みに弱い。久しぶりに受ける強い疼痛に、我慢なんてできなかった。
仰け反り、頭をドアにぶつける。その痛みも感じないほど、注射の痛みは格別だ。
この痛みは、社長の作った新薬のものに違いない。
叫びながらも、そう確信すら持てた。
針が抜かれ、マルカさんが注射の跡に手早く絆創膏を貼る。オレはドアにもたれ掛かり、肩で息をした。
目のふちに溜まった涙で、歪む視界。その奥で、勢いよくなにかが動く。
廊下の向こうで、ドアが開いたのだ。両手を濡らした君縞さんが、飛び出してくる。
「……なにを叫んでる?! なにしたって、玄関は開かないよ! 遠隔操作でロックを―――」
言葉と共に、こちらに駆け寄る君縞さんの足も、廊下の途中で止まった。
怒りを露わにしていた表情が、茫然としたものに変わる。
マルカさんの手に握られた注射器。
床に置かれた空の小瓶。
叫び、腕を押さえるオレ。
目に映る光景を見て、状況を理解したらしい。
君縞さんは悲しげに眉を下げ、大きく溜め息をついて肩を落とした。
そして全てを諦めたように、力なくその場に座り込んだ。
鍵を開けようにも、サムターンのツマミが動かない。なにか特別な方法で制御されているのか、マルカさんがドアを思い切り蹴っ飛ばしても、びくともしなかった。
……だめだ。このままじゃまた、君縞さんに捕まる。
焦りが倦怠感と一体化し、倒れそうだ。オレなんてもう、使い物にならない。ただの足手まといだ。再び君縞さんと対峙すれば、マルカさん一人で対抗する羽目になる。
それだけは避けないと……でも、じゃあ、どうする?! 早く、なにか方法を考えろ。他の部屋から脱出すべきか? それもかえって危険だろうか? なにか、逃げ道は……?!
朦朧とする頭を動かし、あたりを見回してみる。ふと目に入ったのは、マルカさんが握る小瓶だった。
どうにか、これを守らなけば。
社長の、マルカさんの思いを、オレの希望を……!
でも、どうやって――
鈍りきったオレの脳裏に浮かんだのは、たったひとつの案だけだ。
「……マルカさん。オレに、その薬打って下さい」
「え……?!」
「身体に入れちゃえば、奪われることはないから……とりあえず、先に薬だけでも守ろう」
マルカさんのバッグには、未使用の注射器が入っている。ここに来る準備をした際、脅しになりそうなものは、とりあえずいろいろと持ってきていたのだ。
万が一に備えた準備、過剰かなとも思ってたのに……まさか、こんな風に役立つなんて。
「看護師さんでも、注射打ってもいいんでしょ?」
「は、はい。この新薬は動脈に打つものではないので、わたしにも打てることは打てますが……しかし、これが本当にあの新薬かどうか」
「たぶん、本物だよ。君縞さん、保管ケースを閉め忘れて慌ててたから」
「そんな、憶測で……! それに、事前に錠剤も飲んでないでしょう?!」
オレはこれ以上にない真剣な目で、マルカさんをじっと見つめた。
「マルカさん……さっき言ったでしょ。薬は、使わなきゃ意味がないんだって。たとえ状況は悪くても……オレに投与してくれれば、まだ希望は持てる。社長なら、きっとそうするよ……!」
「風音寺さん……」
オレは座り込んで、腕を差し出した。
マルカさんもしゃがみ込み、バッグを探って必要な道具を取り出していく。ゴムのチューブをオレの腕に巻き、手早く注射器の袋を破る。瓶を密閉しているふたを外し、なかの新薬を注射器で吸い取った。その手が、小刻みにふるえている。
オレはそっと、彼女の手の甲に自分の手を重ねた。
「大丈夫。マルカさん、注射は得意だったんだから」
あなたなら、大丈夫。
いい加減でも無責任でもなく、心からそう思う。
だってオレは、あなたが人一倍、恐ろしいほどに思い切りがいいことを知っている。オレの回復を願ってくれていることも、社長と共にこの新薬に賭ける思いも――……。
だから、大丈夫。あなたになら任せられるよ。
オレは淡く微笑んだ。マルカさんはぎゅっと目をつぶり、くしゃくしゃな顔でうなずく。
再び開眼した彼女は、もう凛々しい顔付きだった。
「わたしが得意なのは、採血です……!」と言いながら、じっとオレの腕を凝視する。血管を探し、アルコール綿でふき取った。
「いきます」と小さく声をかけ、注射器を構える。
迷いなく、針が腕に向かってきた。そして、皮膚に突き刺さる。
こんな状況だ。たとえどんな痛みでも、声なんて出すもんか。そう覚悟は決めてみたけれど。
「ぃぃぃぃっ………………………………てえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ」
やっぱり、オレは痛みに弱い。久しぶりに受ける強い疼痛に、我慢なんてできなかった。
仰け反り、頭をドアにぶつける。その痛みも感じないほど、注射の痛みは格別だ。
この痛みは、社長の作った新薬のものに違いない。
叫びながらも、そう確信すら持てた。
針が抜かれ、マルカさんが注射の跡に手早く絆創膏を貼る。オレはドアにもたれ掛かり、肩で息をした。
目のふちに溜まった涙で、歪む視界。その奥で、勢いよくなにかが動く。
廊下の向こうで、ドアが開いたのだ。両手を濡らした君縞さんが、飛び出してくる。
「……なにを叫んでる?! なにしたって、玄関は開かないよ! 遠隔操作でロックを―――」
言葉と共に、こちらに駆け寄る君縞さんの足も、廊下の途中で止まった。
怒りを露わにしていた表情が、茫然としたものに変わる。
マルカさんの手に握られた注射器。
床に置かれた空の小瓶。
叫び、腕を押さえるオレ。
目に映る光景を見て、状況を理解したらしい。
君縞さんは悲しげに眉を下げ、大きく溜め息をついて肩を落とした。
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