炎陽の下吹く恵風

琴里 美海

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第弐拾参話

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 その頃はまだ私の夫のとうが森の長を務めていた。私よりずっと強く、更に正義感にあふれた彼は、いつも森の人間側と妖怪側の境界線を守っていた。それは彼が死んだ今、私がやっているのだけれど。
 その日私は濤に付いて行っていた。特に他意なんて物は無く、純粋に彼がどんな風に境界線を守っているのか、と言うかそもそも境界線を守るとは何なのかを知りたかっただけ。特に止められたりはしなかった。無理矢理付いて来た私に、彼は一言「妖怪側は危険だから入るな。」とだけ言われた。
 境界線の辺りを暫く歩いていた時、濤は突然話をしてきた。

(なぁ早瀬、お前は俺が森の長をやる事に反対をしてこなかったな。)

 今まで一度もそんな事を言われた事が無かったから少し驚いたけど、特に反対しなかった事に理由がある訳ではないから「そうね。」とそれだけ、簡単に返した。

(森の長には幾つか仕事があるのだが、今日はその事で一つ人間嫌いのお前に謝らなければいけない事があるんだ。)

 私はそれを聞いて特に濤の話を遮る事はせず、静かに彼の後を付いて行きながら聞いていた。

(長は境界線を守る。それはつまり人間を妖怪側に、妖怪を人間側に入れない事だ。そして妖怪側には『守神』が、人間側には『森の主』がいるんだが、俺の仕事の一つに『森の主』を守る仕事がある。)

 そこで初めて私は、彼の役目が中々に大変な物である事を知った。人間を向こう側に入れないなんて事は、私達が吠えるだけで人間は簡単に逃げていくけれど、妖怪なんて物は吠えたくらいじゃ逃げちゃくれないでしょう。まぁ、特に問題も無さそうな様子を見る限り、流石濤ねと思った。
 暫く歩いて行くと、森の隅々まで見た事があると思っていた私が初めて見る場所に辿り着いた。其処は少し開けた空間に、坂と滝、そして川。その中央に一本の、それは見事な巨木が生えている場所。そしてその巨木の周りには綺麗な花が幾つも咲いていた。

(此処は森の心臓に当たる場所だ。この木を守る事もまた、森の長の仕事だ。)

 そう言って濤は木の裏側に向かって歩き出した。私もその後に付いて行った。
 木の裏、其処は丁度木漏れ日の当たる場所で、そして木の根元には何故か傷だらけの人間が横たわっていた。

(如何して此処に人間が。)

 私がそう問い掛けると、濤は人間の前に立った。

(待たせて済まない。)

 濤がそう言うと、その人間はゆっくりと目を開いて濤の後ろを指差した。
 巨木を囲うように輪になって生えている木の内の一本、その根元に群がる木霊達の中にその子はいた。
 濤は何も言わずに木霊達に近付き、その中央にいる赤ん坊を咥えて連れて来た。

(この子が次の『森の主』で間違い無いな、主よ。)

 その問い掛けに人間は何も言わず、唯幸せそうな顔をして頷いた。そしてそのまま目を瞑り眠った。
 まだ状況の掴めない私に向かって濤は言った。

(俺がお前に謝らなければいけない事はこれだ。俺は『森の主』を守る事も仕事だが、それはお前が何よりも嫌いな人間だ。)

 そう、私は人間が嫌い。

 まだ幼い頃に両親を人間に殺され、また、自分も人間に殺されそうになった。それに森に住む動物達も、人間達の私利私欲のせいで殺されたから。
 それなのに、如何やら濤の話を聞く限り、濤はずっと人間を守っていた。そして恐らくだけれど。

(これがまだある程度歳を取った人間ならば話が変わるが、赤ん坊となると乳を飲ませたりしなければならない。)

 つまりそう、私にこの子を面倒を見ろと、そう言う事でしょう。

(如何しても嫌なら、俺は別の方法を考えよう。)

 貴方なら私の意思を尊重してくれると知っているし、実際今も他の方法を考えているのでしょう。だけど、私は貴方にこれ以上下手に負担を増やしたくない。

(えぇ、分かった。)

 私はこの子を自分の子として育てる事にした。理由なんて特に無い。それに人間が嫌いと言えど、生まれたばかりの赤子には何の罪も無いのだから。
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