逃げられるものならお好きにどうぞ。

小花衣いろは

文字の大きさ
54 / 190
見せかけのあどけない理性

7

しおりを挟む


「香月先輩!」
「……あれ、林くん? どうしたの?」
「あの、俺も二次会には参加しないので、よければ駅までご一緒していいですか?」
「うん、もちろん。林くんも電車なんだ?」
「はい。アパートが職場の近くなんです」
「そうなんだね」

 後輩である林くんと駅までの道を並んで歩きながら、他愛のない話をする。
 林くんは年齢的には私よりいくつか下のはずだけど、誰とでも直ぐに親しくなれるような愛嬌を持っていて、真面目で気の利くしっかりした男の子だ。
 私は昨年の春に上京してきたばかりだから、職場での後輩に当たる子はほとんどいないけれど、林くんは人手不足で昨年の秋口に別の部署から移動してきたのだ。つまり、同部署内では私の唯一の後輩ということになる。
 それでも、経験的には私より林くんの方が先輩に当たるはずなのだけど、何故か林くんは私を先輩と呼んで慕ってくれている。

「香月先輩は、このまま真っ直ぐ家に帰るんですか?」
「うん、そうだよ」
「あ、あの、もしよければ、少しだけ一緒に…「百合子さん」

 林くんの声に綺麗に重なった声。私の名前を呼ぶその声は、よく聞き慣れたものだった。
 視線を向ければ、駅のある方角から黒瀬くんが歩いてくるのが見える。

「あれ、黒瀬くん? 駅で待ってるって連絡くれてたよね?」
「うん。だけど早く会いたくて」

 私と黒瀬くんの会話を呆けた表情で聞いていた林くんに「あの、先輩、この人は……?」と訊ねられる。

「あ、ごめんね。彼は黒瀬椿くんっていって、私の…」

 彼氏なんだ、と。

 妙な照れくささを感じながらも、別に隠す必要もないため正直に伝えたようとした言葉は、黒瀬くんの着ているコートに吸い込まれて、くぐもった音を出すことになった。

 何故ってそれは、黒瀬くんに抱きしめられたからだ。

「あげないよ。――俺のだから」

 頭上で黒瀬くんが、牽制するような声で言う。その声音からは、妙な威厳と落ち着きが感じられた。その言葉のすぐ後、小さなリップ音を立てて、頭部に何かが触れた感触。

「……って、いたっ」
「……馬鹿。私は物じゃないからね」

 黒瀬くんの脇腹のあたりを軽く叩いて、その腕から抜け出す。

「でも俺は、百合子さんのものだって思ってるけどね?」
「はいはい、そうですか。……ごめんね、林くん」
「い、いえ……」

 林くんは、何だか蒼い顔をして黒瀬くんを見つめている。けれどその視線をサッと逸らしたかと思えば、私たちに背を向けてしまう。

「あ、あの、俺、お先に失礼しますね」
「え、林く、」

 声を掛ける前に、林くんは駅までの道を足早に進んでいってしまった。

「……黒瀬くん、林くんに何かした?」
「何かって?」

 黒瀬くんは完璧に作った読めない表情で、にっこり笑っている。これは何を言ってもはぐらかされてお終いだろうと、直ぐに察してしまった。

「(……まぁいっか)」

 林くんには、職場で顔を合わせた時にきちんと謝ろう。林くんのことを思案していれば、それを遮られるように、黒瀬くんに空いていた左手を握られる。

「百合子さん、早く帰ろ」

 黒瀬くんに手を引かれるまま、私も足を前へと踏み出す。もう目前まで見えている駅までの道のりを並んで歩いた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Bravissima!

葉月 まい
恋愛
トラウマに悩む天才ピアニストと 俺様キャラの御曹司 かつ若きコンサートマスター 過去を乗り越え 互いに寄り添い いつしか最高のパートナーとなる 『Bravissima!俺の女神』 ゚・*:.。♡。.:*・゜゚・*:.。♡。.:*・゜ 過去のトラウマから舞台に立つのが怖い芽衣は如月フィルのコンマス、聖の伴奏ピアニストを務めることに。 互いの音に寄り添い、支え合い、いつしか芽衣は過去を乗り超えていく。 ✧♫•・*¨*•.♡。.:登場人物:.。♡.•*¨*・•♫✧ 木村 芽衣(22歳) …音大ピアノ科4年生 如月 聖(27歳) …ヴァイオリニスト・如月フィルコンサートマスター 高瀬 公平(27歳) …如月フィル事務局長

好きだから傍に居たい

麻沙綺
恋愛
前作「ヒ・ミ・ツ~許嫁は兄の親友~(旧:遠回りして気付いた想い)」の続編です。 突如として沸いた結婚話から学校でのいざこざ等です。 まぁ、見てやってください。 ※なろうさんにもあげてあります。

先生

藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。 町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。 ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。 だけど薫は恋愛初心者。 どうすればいいのかわからなくて…… ※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)

甘い年下、うざい元カレ

有山レイ
恋愛
会社のイベントで年上の OL が酔払い、若いインターンと一夜の関係になった。偶然、翌日には嫌いな元彼が突然現れた。

工場夜景

藤谷 郁
恋愛
結婚相談所で出会った彼は、港の製鉄所で働く年下の青年。年齢も年収も関係なく、顔立ちだけで選んだ相手だった――仕事一筋の堅物女、松平未樹。彼女は32歳の冬、初めての恋を経験する。

同期に恋して

美希みなみ
恋愛
近藤 千夏 27歳 STI株式会社 国内営業部事務  高遠 涼真 27歳 STI株式会社 国内営業部 同期入社の2人。 千夏はもう何年も同期の涼真に片思いをしている。しかし今の仲の良い同期の関係を壊せずにいて。 平凡な千夏と、いつも女の子に囲まれている涼真。 千夏は同期の関係を壊せるの? 「甘い罠に溺れたら」の登場人物が少しだけでてきます。全くストーリには影響がないのでこちらのお話だけでも読んで頂けるとうれしいです。

身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻
恋愛
 桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。  父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。  理由は多額の結納金を手に入れるため。  相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。  放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。  地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。  

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

処理中です...