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見せかけのあどけない理性
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しおりを挟む「香月先輩!」
「……あれ、林くん? どうしたの?」
「あの、俺も二次会には参加しないので、よければ駅までご一緒していいですか?」
「うん、もちろん。林くんも電車なんだ?」
「はい。アパートが職場の近くなんです」
「そうなんだね」
後輩である林くんと駅までの道を並んで歩きながら、他愛のない話をする。
林くんは年齢的には私よりいくつか下のはずだけど、誰とでも直ぐに親しくなれるような愛嬌を持っていて、真面目で気の利くしっかりした男の子だ。
私は昨年の春に上京してきたばかりだから、職場での後輩に当たる子はほとんどいないけれど、林くんは人手不足で昨年の秋口に別の部署から移動してきたのだ。つまり、同部署内では私の唯一の後輩ということになる。
それでも、経験的には私より林くんの方が先輩に当たるはずなのだけど、何故か林くんは私を先輩と呼んで慕ってくれている。
「香月先輩は、このまま真っ直ぐ家に帰るんですか?」
「うん、そうだよ」
「あ、あの、もしよければ、少しだけ一緒に…「百合子さん」
林くんの声に綺麗に重なった声。私の名前を呼ぶその声は、よく聞き慣れたものだった。
視線を向ければ、駅のある方角から黒瀬くんが歩いてくるのが見える。
「あれ、黒瀬くん? 駅で待ってるって連絡くれてたよね?」
「うん。だけど早く会いたくて」
私と黒瀬くんの会話を呆けた表情で聞いていた林くんに「あの、先輩、この人は……?」と訊ねられる。
「あ、ごめんね。彼は黒瀬椿くんっていって、私の…」
彼氏なんだ、と。
妙な照れくささを感じながらも、別に隠す必要もないため正直に伝えたようとした言葉は、黒瀬くんの着ているコートに吸い込まれて、くぐもった音を出すことになった。
何故ってそれは、黒瀬くんに抱きしめられたからだ。
「あげないよ。――俺のだから」
頭上で黒瀬くんが、牽制するような声で言う。その声音からは、妙な威厳と落ち着きが感じられた。その言葉のすぐ後、小さなリップ音を立てて、頭部に何かが触れた感触。
「……って、いたっ」
「……馬鹿。私は物じゃないからね」
黒瀬くんの脇腹のあたりを軽く叩いて、その腕から抜け出す。
「でも俺は、百合子さんのものだって思ってるけどね?」
「はいはい、そうですか。……ごめんね、林くん」
「い、いえ……」
林くんは、何だか蒼い顔をして黒瀬くんを見つめている。けれどその視線をサッと逸らしたかと思えば、私たちに背を向けてしまう。
「あ、あの、俺、お先に失礼しますね」
「え、林く、」
声を掛ける前に、林くんは駅までの道を足早に進んでいってしまった。
「……黒瀬くん、林くんに何かした?」
「何かって?」
黒瀬くんは完璧に作った読めない表情で、にっこり笑っている。これは何を言ってもはぐらかされてお終いだろうと、直ぐに察してしまった。
「(……まぁいっか)」
林くんには、職場で顔を合わせた時にきちんと謝ろう。林くんのことを思案していれば、それを遮られるように、黒瀬くんに空いていた左手を握られる。
「百合子さん、早く帰ろ」
黒瀬くんに手を引かれるまま、私も足を前へと踏み出す。もう目前まで見えている駅までの道のりを並んで歩いた。
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