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たくさんの知らないこと
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しおりを挟む「慎二さんっ! あの、これ……」
今日は二月十四日。バレンタインデーだ。
美代が綺麗にラッピングされた箱を手渡す先には――彼女の想い人である皇慎二が立っている。
「……オマエ、料理なんてできたのか」
僅かに驚いた様子で瞳を瞬かせた慎二に、美代はムッと下唇を突き出す。
「わ、私だって、料理くらい……できますよ」
もごもごと話す美代の態度を見て何かを察したらしい慎二は、ふっと微笑んだ。
「……そうか。チョコ、ありがとな」
最後に美代の頭をぽんと一撫でした慎二は、美代に背を向けてその場を立ち去った。
そして、そんな慎二の脳裏には――自身の部下の一人でもある男と、その恋人である女性の顔が浮かんでいた。彼女とは最近知り合ったばかりだが、美代とも親しい間柄のようだったし、きっと彼女と共に作ったのだろうと、どこか確信めいたものを感じて――手元に視線を落とした慎二は、人知れずに口許を緩めていたのだった。
***
「百合子さん」
にこにこ。私の目の前で満面の笑みを浮かべている黒瀬くんが、無言で手を差し出してくる。
「……はい、どうぞ」
「うん。ありがとう」
今日はバレンタインデー当日だ。仕事終わりに家に寄ってくれた黒瀬くんに上がってもらって、用意していたものを手渡す。嬉しそうに受け取ってくれた黒瀬くんは、私に了承を取ると早々に紙袋の中を確認して、「あれ」と不思議そうな声を漏らした。
「チョコレートと……他にも何か入ってる?」
「うん。気にいってもらえたらいいんだけど」
「……ピアスだ。これ、百合子さんが選んでくれたの?」
中から出てきたのは、小ぶりのシルバーのピアス。いつもピアスを付けている黒瀬くんに似合うと思って、悩んで悩んでやっと選んだものだ。
「その、黒瀬くんいつもピアスをつけてるから……選んでみたんだけど」
――気にいってもらえただろうか?
男性のファッションには疎い方だと自覚があるから、正直あまり自身はない。ピアスをじっと見つめている黒瀬くんの反応をドキドキしながら待っていれば、黒瀬くんはラッピングを解いてピアスを取り出した。
「これ、今付けてみてもいいよね?」
そう言って身に付けていた黒いピアスを取り外した黒瀬くんは、左耳にシルバーのピアスを付けてみせる。
「どう? 似合ってる?」
「……うん。すごく似合ってる」
「ほんと?」
自身の耳朶を触って嬉しそうに口角を持ち上げる黒瀬くん。だけど、もう一方の右耳にピアスの穴は開けられていない。
「そういえば……黒瀬くんって、どうして片耳にしか開けてないの?」
「あぁ、これはね……本当は両耳に二つずつ開けるつもりだったんだけど、まずは片耳にと思って一気に二つ開けたら、めちゃくちゃ痛くてさ。それで断念しちゃった」
「そうだったんだ。……ふふ、何だか可愛いね」
黒瀬くんの口から「痛い」だなんて言葉が出てくるのが何だか以外で、可愛いなぁって、思わず笑みを漏らしてしまった。黒瀬くんは「そう?」と首を傾げてから、手を伸ばしてそっと私の耳朶に触れる。
「百合子さんは、開けてないよね」
「うん。興味はあるんだけど……私も痛そうだなって思って、中々開けるまでには至らなくて」
「それじゃあ、いつか開けたいって思ったら教えてよ。俺がやってあげるから」
「えぇ、だって黒瀬くん、自分でやったら痛かったんでしょ? ちょっと怖いんだけど」
「あはは、大丈夫だよ。……多分俺、上手いと思うから」
「本当かなぁ」
そんな会話をしながら、私が作ったチョコを食べて「美味しい。今まで食べた中で一番美味いよ」と幸せそうな表情を見せてくれた黒瀬くんに、頑張って作ってよかったと、安堵の笑みを漏らした。
あまりにも幸せな気持ちで満たされていて――だから、黒瀬くんが言った“多分”の言葉の裏に隠された意味には気づかないまま。黒瀬くんに開けてもらうなら、少しくらい痛くても我慢できるかなぁ、なんて。
本当は黒瀬くんの耳に誰がピアスの穴を開けたのか、そこにどんな思い出があったのか――そんなことまるで知らなかった私は、呑気にもそんなことを考えていたのだ。
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