骨董術師は依代に唄う

玄城 克博

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Ⅲ Gift

3-5 湖と少女

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 湖の表面、透き通るような水が、月と星、そしてそれらの光を受けて微かに輝く金色の流線を映し出す。
 ティア・エルシア・ウィットランドの剣技は、さながら舞いの如く淀みのない流麗な動きだった。腕を上から下へ、下から斜め上、更に水平に反転させ、足は滑らかな円を描くように芝の上を滑っていく。両手で握られた愛剣レーニアの刀身が放つ剣呑な光すら、儀礼用の刀剣の美麗な輝きと錯覚させるほど、金髪の少女の体技は一分の隙も無く完成されていた。
「っ……」
 湖水が波打ち、その中を舞っていた金色の髪が動きを止める。
「こんな時間に出歩いているとは、珍しいな。メサ」
 頬を風が撫でた、そう感じた瞬間には、妖精族の少女の背後から、先程まで視界の先にあったはずの女騎士の声が聞こえていた。
「こんばんは、ティアさん。おひさしぶりです」
「ここのところは騎士団の仕事に忙殺されていたからな。まぁ、またすぐにそうなるが」
 頭を下げるメサに、ティアは微笑みかけて見せる。
「そちらも、色々と大変だっただろう。しっかりと休みは取れているか?」
「はい、今はもう、時間も十分に頂いてますから」
 どちらからともなく歩き出し、湖の手前で立ち止まる。
「…………」
 そして、そこで唐突に会話も途切れた。
「……やっぱり、お邪魔でしたよね。私はもう行きますから、続けてください」
「寂しい事を言わないでくれ。私は、お前を恨んだ事は一度もないよ」
 やがて、立ち去ろうとしたメサの肩を、ティアが掴み、引き止める。
「でも、私が転生術なんて引き受けなければ、アーチライトさんは……」
「そんな事は、兄さんの……終わった後の事だ。メサは何も悪くない」
 俯く妖精族の少女の頭を撫で、ティアは目を細めた。
「強いて言うなら、兄さんを転生できていれば良かったんだろうがな」
「……そうですね」
 死者転生術、死人を現世に呼び戻す魔術は、しかし死者なら誰でも転生させられるというわけではない。
 転生対象は妖精族の周期で四周期、人族の年数に直すと四百八十八年より前に死亡した者に限られる、というのが魔術書の伝承で。膨大なコストを掛けて行う一国掛かりの転生術では、その伝承を無視するという選択肢は存在していなかった。
「……すまない、余計な事を言った。そんな事は、メサが一番わかっているだろうに」
「いえ……私も、同じ思いです。私が、アーチライトさんを転生させられれば……」
 アーチライト・コルア・ウィットランド。
 かつてのマレストリ王国騎士団長、最優の魔術師であり、ティア・エルシア・ウィットランドの実の兄。
 ティアにとって、メサとの関係性は常に兄を通してのものだった。
 そんな兄の身体がアルバトロス転生の依代として使われた事に、だがティアは然程の怒りを感じてはいない。それはきっと、転生術の術者を務めたのが他でもないアーチライトと恋仲であった妖精族の少女、メサであった事も一因なのだろう。
「…………」
 片方にとっては恋人、もう片方にとっては兄。喪われた者の話題は、二人共にとっていまだ癒えない傷を抉るものでしかない。
「……今日は、ティアさんはどうしてここに?」
 二拍ほど置いて、続いたメサの声が、仕切り直すかのように明るく響く。
「少し時間ができたから、だろうか。一人で考え事をする場所が欲しかった」
「それなら、私は余所に行っていた方が……」
「いや、いいんだ。ここに来れば、メサに会うかもしれない、とは思っていた。期待していた、と言ってもいい」
 ふと、ティアは握っていた短剣に目をやり、向きを変えて丁寧に握り直した。
「体を動かしながらでもいいなら、話し相手になってくれると嬉しい」
「私で良ければ、もちろん。私もティアさんに会えるかも、と思ってここに来たので」
「そうか、ありがとう」
 会話が一段落したところで、短剣を掴むティアの右手が肩に水平に上がっていく。それを見たメサはゆっくりと足を動かし、そのままティアから五歩ほどの距離まで離れた。
「……近々、私は決闘をする事になるかもしれない」
 唐突な、宙への暴力的な刺突に紛れた独白に、メサは言葉を返し損ねる。
「まぁ、あくまで私感だと、一割くらいの確率だが。予想のほとんどが外れ、更に私が決闘を受ける選択をしてやっと、と言ったところだろうから、あるいはもう少し低いか」
 二度、三度と刺突を繰り返し、一転して短剣を斜め上から振り下ろす。その一連の動きは、端から見ていたメサにはどこか歪に見えた。
「考え事というのは、その決闘を受けるかどうか、と?」
「それも含めて色々、と言ったところだ」
 溜息を吐きつつ、ティアは短剣を振るっていく。少しずつ速度を増していく刃は、ただ風を切るだけでなく、いつしかその周囲に自ら風を発生させ始めていた。
「叶うのであれば、自らあれに止めを刺したい自分もいる。だが、私の意思だけでどうにかなるような問題でない事も理解しているつもりだ」
「もしかして、その決闘の相手というのは、アルバトロス卿ですか?」
「……なぜ、そう思った?」
 まるでメサの問いに掻き乱されたかのように、短剣の先から伸びた風が統率を失い、湖の水を勢い良く吹き飛ばす。
「すまない、まだ慣れが足りないな」
「いえ、大丈夫です。濡れてもいませんから」
 頭を下げたティアに、メサは手を振って答える。
「先の問いについてだが、もう私がアルバトロスと決闘をするような事はないだろう。そんな事をしても、誰の得にもならない。もしもあるとしたら、あいつを引き立てるために敗北する役だろうが、それを決闘とは呼びたくないな」
「そうですか。止めを刺したいと言うから、てっきりそうなのかと」
「あいつに特にそういった感情は……いや、正直に言えば全く無いわけでもないが、メサがあれほど苦労して転生したものを無にしようとは思わないよ」
 右手で短剣の柄を握り、左手を刀身に添えた形で、ティアの体の動きが完全に止まる。
「むしろ、今回は私とアルバトロスは互換だ。アルバトロスが決闘を受けるか、私が受けるか、そもそも受けないかのどれかになる」
「じゃあ、相手は?」
「ウルマの代表者だ。国を賭けた決闘、という事らしい」
 ティアは依然として動かず、驚きに目を見開いたメサへ向き直る事もない。
「そして、おそらく相手はあのヨーラッド・ヌークスになるはずだ」
「ヨーラッド・ヌークス……だから、そうだったんですか」
「そういう事だ。もっとも、言った通り、仇を討つどころか闘う事にすらならないとは思う。闘ったところで、今の私では兄さんの後を追うだけだろう」
 ふっ、と体の力を抜くと、ティアは構えていた両手を下ろした。
「少なくとも、これを扱う事すらできない現状では夢物語もいいところだ」
「魔剣リネリア、ですか。でも、それはアーチライトさんにしか……」
「わかっている。ただ、もしかしたら、と思ったんだ。妹である私なら、もしかしたら兄さんと同じ事ができるんじゃないかと」
 自嘲するように短く笑い、ティアはリネリアと名の付いた短剣を懐に収めていく。
「口に出してみて、少し楽になった。ありがとう」
「いえ、そんな、私は何も」
「それでいいんだ。こう言ってはなんだが、今の私は頼れる相手と共に居たくはないのかもしれない。純粋に話を聞いてくれるだけの友人は、実のところあまり多くはなくてな」
 言葉を終え、そこでティアは湖とメサから踵を返す。
 去っていく女騎士の足取り、その背中に妖精族の少女はかつての恋人の姿を重ねてしまったから。
「――ごめんなさい」
 呟いた謝罪の声は、誰の耳にも届かずに消えていった。
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