勇者のいない世界で

玄城 克博

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Ⅳ Satan

4-7 魔王

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 まず、魔王がいた。

『ゲーム』の話でもなければ、俺達四人の遊びの事でもない。それらの更に大元、俺達が参考にした魔王と勇者の物語。

 まず魔王が生まれ、それを倒すために勇者が生まれる。俺の知る魔王と勇者の関係とはいつも、そういった順序だったはずだ。

 だが、謳歌が魔王の力を得たあの日、俺達の勇者は消えてしまった。

 だとしたら、誰が謳歌を、魔王を倒す勇者なのか。

「…………」

 椿優奈がここにいる事は、俺にとって驚きでこそあれどあり得ない事ではなかった。いくら謳歌が魔王であろうとも、それを可能とする力があったとしても、あの謳歌に皆を世界から消し去るなんて事ができるはずがない。俺達からはそう見えたとしても、実際には精々が視界の届かない場所に飛ばしただけに過ぎなかったのだろう。実際に椿がこうして再びこの場に姿を現した事で、その予想が正しかったのだと確信できた。

 ただ、椿の顔は俺の知る彼女のどの表情とも違っていた。

 鉄のような冷たい面貌をした少女は、ただ無言で由実の胴から剣を引き抜き、即座に謳歌へと斬りかかる。

 正真正銘、模造刀などではない両の刃を備えた西洋剣。先程謳歌に消された時には徒手だったはずの椿が如何にしてそれを手に入れたのか、簡単に予想は付く。それは椿の、勇者の力の一つだという事だろう。

「やめろ、椿!」

 割り込みにいった黒棒は、即座に剣に両断される事はなかった。謳歌により勇者の剣としての力を付与された棒の強度は、本物の剣にも決して劣りはしない。

「くっ……そっ」

 ただ、それを扱う両者の間には明確な差があった。視えていた軌道、正面から止めにいったわけでもない斬撃の余波だけで、俺の得物は弾かれ無様に体勢を崩す。

「宗耶、由実を!」

 一瞬の時間稼ぎの間に由実へと距離を詰めていた謳歌は、すぐに由実から離れて椿へと黒の光を放つ。化物染みた速度で反転した椿は剣の一振りでそれを掻き消すと、跳躍で謳歌へと詰め寄っていく。

「由実は……無事か」

 倒れたままの由実の胴体、剣に貫かれた傷は謳歌の治癒により完全に塞がっていた。表面だけでなく、体内まで視ても血管から臓器まで一切の損傷は残っていない。

「……よかった」

 にわかには信じられないが、由実が椿の剣を身体に受けたのは謳歌を庇う為だった。理由はどうあれその事実は、俺には何よりの救いだった。

「っ、やっぱり、こうなっちゃうのかな」

 一方、謳歌自身は椿の攻勢を凌ぎ切れず、一秒毎に身体に傷を刻んでいた。

 たしかに、椿の動きは紛いなりにも異能の集団の中にいた俺から見ても常軌を逸している。単純な速度は副会長よりも圧倒的に速く、斬撃の一つ一つが由実の全力の一射を上回る超威力。その力は、決して勇者の名に恥じるものではない。

 だが、俺の知る謳歌なら、今の椿が相手でも遅れを取る事はなかったはずだ。この目を通して視える魔王の力は、常のそれよりも明らかに数段劣っている。

「謳歌! お前、死ぬつもりなのか!?」

 そう、謳歌は本来ここで死ぬつもりだったのだ。ならば、今の状況はその相手が俺達から椿に変わっただけなのではないか。

「……違う。私は、勇者に殺されたいわけじゃない」

 ぽつり、と呟きが零れた。

「こうなりたくなかったから、私は二人に殺されたいと思ったんだから!」

 叫びと共に、謳歌の右手から黒光が放射。やはり椿は剣で受けるが、光は勢いを止めずに椿の周囲までを囲うと、全方位からの攻勢に展開した。

「どういう、事だ?」

「どう、って。見ての通りだよ。私は、いつか勇者に殺されちゃうから」

 黒光が椿を襲う間に謳歌は俺の隣に着地し、そして倒れ込んだ。

「あの子で三人目だったかな。私を倒しに来た勇者は」

「三人目?」

 慌てて抱き抱えた謳歌の身体から伝わる呼吸は浅く早く、その中で絞り出すように言葉を紡ぐ。だが、途中で遮るにはあまりにその言葉は意味不明だった。

「知ってた? 勇奈が病院ごと消えたあの日の事、魔王事件って呼ばれてるんだって」

 知っているどころか、そう呼ばれる原因になったのは当時の俺自身だ。

「なら、もちろん犯人は魔王さま。それで、医者とか患者とかの被害者にもやっぱり家族とか知り合い、勇奈にとっての宗耶とか由実みたいな人達がそれぞれいたわけ」

 それも知っている。だからこそ、俺は副会長と戦う事になったのだから。

「それで、その人達が魔王を、私を倒すために勇者になった。良くわかんないけど、そういう仕組みなんだろうね。この力と同じように、そういう仕組みだからそうなった」

 生徒会の皆の力が謳歌により与えられたものだという事がわかったとしても、俺は大元の謳歌の力については何一つわかっていない。そして、謳歌もまた、それを『そういうもの』としてしか理解していなかった。

「私の事をどうやって知ったのか、その新しい勇者達は私を倒しに来た。ううん、別にその人達は自分の事が勇者だと思ってたわけじゃないのかも。ただ家族を、恋人を、友達を殺された復讐のために、由実と同じように私を殺しに来た。でも――」

 だとしたら、これはやはりどうしようもなく――

「――私はそんなので死にたくなかった。その人達にとっては復讐でも、私はそんな人達知らないんだもん。せめて、死ぬならちゃんと納得できる勇奈の復讐で、由実と宗耶の手で死にたかった」

 理不尽だ、と感じた。

 謳歌もあの日、俺や由実と同じく幼馴染を喪った。その辛さを知るからこそ、その上更に自分を苛み、幼馴染を敵に回し、更にどこの誰とも知らない勇者を名乗る連中に魔王として狙われるなんて境遇は想像するに耐えない。

「本当は、恨まれて殺されたかったんだけどね。でも、贅沢言ってられないみたい」

 どうにか膝を立てて身を起こした謳歌の視線の先、椿は一見してほぼ無傷で黒光の攻勢に耐えきっていた。未来視を使わずとも、すぐにでも距離を詰めてくる事がわかる。

「逃げて、宗耶。今のあの子はもしかしたら宗耶の事も――」

「馬鹿だな、謳歌は」

 この期に及んで、やはり謳歌はどこまでも優しかった。

「お前は、もっと贅沢を言えば良かったんだ」

 そして、俺はどこまでも我儘だった。

「宗、耶……?」

 俺の目を、魔眼を見つめて数秒。それだけで、謳歌は呆気無く眠りについた。

「――――」

 安らかな、そうであってほしい謳歌の寝顔を眺めながら、他でもない俺の首を目掛けて振るわれた剣を右手で受け止める。

「悪いな、椿」

 剣と俺の間、遮ったのは黒の棒。続けて剣が突き出されるよりも前に、黒の棒は弾けて椿へと殺到した。

 だが、椿も即座にそれらを斬り伏せると、強引に剣を俺の胴へと突き出す。



 そんな未来が、俺の魔眼、魔王の眼を通してはっきりと視えた。



「やっぱり、俺はお前を優奈とは呼べない」

 腕の中の謳歌を安全な場所に転移させながら、再び作り出した黒棒、黒光を棒の形に収束させたそれで刺突を受け流す。続く連撃、剣と如何にしてか椿の手から放たれる疾風の全ても、俺には届きすらしない。

 乱撃の最中、生まれた隙は一瞬。だが、俺の眼はそれを見逃さず、俺の力はそれを捉えるのに十分なものだった。

「それに、お前は勇者でもない」

 最初の邂逅と同じく、黒棒が捉えたのは椿の胴体の中心。あの時と違うのは、その一撃が椿の身体を折らせた事と、そして何よりも俺達の立ち位置。

「勇者ってのは、魔王を倒すものだからな」

 崩れ行く勇者の身体を見下ろして、魔王はただ一言そう呟いた。
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