妹の友達と付き合うために必要なたった一つのこと

玄城 克博

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三章 必要

3-6 葬式とかで笑いたくなるのはよくない

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「アシカはすごいね、あんなにかわいいのに芸もできて。それに比べて私は……」

「比較基準が難解すぎて、ちょっと俺にはなんて言っていいかわかりません」

 無軌道な自虐を始めたツッキーに言葉を返しつつ、さり気なく周囲を見渡す。アシカショーのちょうど終わった今、室外プールの周りはまだ人で溢れており、相手が赤白の縞模様の服を着てでもいなければ、特定の誰かを見つけるのは中々に難しそうだ。

「大体、ツッキーだってかわいいじゃないですか。俺からすれば、アシカなんかよりもツッキーの方を飼いたいですよ」

「や、倒錯的。首輪を付けてお散歩するのは、流石に恥ずかしいよ」

「心配しなくても、直にその恥ずかしさが快感に変わってきます」

「そう……? それなら、まずは深夜からなら……」

 客席の前方で、昼間っから不健全極まりない会話を交わす。これこそがデートというものだろう。隣の家族連れに気を遣ってやるつもりなどまったく無いのである。

 二人で話してみてわかったのは、ツッキーは存外にノリがいい。流石にあの月代先輩の姉といったところか、内面的にもそれなりに似通っているように感じる。それでも、先輩ほどのフリーダムさが無いのは、自信の無さゆえだろうか。

 これで幾度目か、さり気なく視線をさまよわせ、どこかから俺達を眺めているという先輩を探してみるも、それらしい姿を発見する事はできない。

「ん、弘人くん?」

「ああ、なんでもないですよ、ちょっと暗殺者に狙われてる妄想をしてただけで」

 挙動不審な動きを怪しまれたか、しかし咄嗟の完璧な言い訳によって、ツッキーをごまかす事はできたはずだ。

 実際のところ、最初から先輩が俺達の後を付けてくるという可能性については考慮していた。ただ、わざわざデート中に本人からそれを知らされる事になるとまでは流石に思っていなかったわけで。推測が確信に変わった今、近くにいるであろう先輩の存在を完全に無視するというのも中々に難しい。

「そうじゃなくって、ほっぺたにケチャップ付いてるよ」

 言われてみると、たしかに視界の下端に赤いものが見えるような気がした。

「もしかして、返り血じゃ」

「じゃあ、暗殺者はやっつけたんだ」

「いや、暗殺者かと思ったら実はただの一般人でした」

「サイコキラーだね」

 なぜか俺がサイコキラーになってしまった。話の流れとは怖いものだ。

「そんな事より、せっかくだから、ツッキーがケチャップ拭いてくれませんか?」

「えっ、私が? 弘人くん、面倒くさがり?」

「そうではなくて、その方がデートっぽいかと思って」

「デートっぽいなら、舐めとった方がそれっぽいんじゃないかな?」

 大胆な発言に、一瞬、沈黙が走る。

「……やりますか?」

「……やっぱり、それは無し。流石に恥ずかしすぎた、反省してる」

 顔を赤くしながら、それでもツッキーは紙ナプキンで口の端を拭いてくれる。

 どうせ先輩が見ているなら、あえてイチャついているところを見せつけてみようという悪戯心に、ツッキーは意外にも積極的に乗ってくれていた。もっとも、ツッキー自身が先輩の存在に気付いているかどうかは微妙なところだが。

「さて、元々綺麗な俺の顔が更に綺麗になったところで」

「うん、弘人くんの顔は綺麗。素敵」

 合いの手が恥ずかしいが、気にせずに言葉を続けよう。

「これからどうしましょうか? とりあえず、まだ回ってない場所にでも行きます?」

 ごく当たり前の提案をあえて口に出したのは、すでに大方のエリアを見て回ってしまっていたからだった。まだ回っていない場所、となると、後は子供向けの教育コーナーや見覚えのある食用魚の水槽など、あまり面白味の無い場所に限られてくる。次のショーまでも、今からだと時間が空き過ぎていて、何もせず待つというのは気が進まない。

「ん……なら、少し行きたいところがあるんだけど、いい?」

「もちろん。じゃあ、行きましょうか」

 捌け始めた人の中、流れに紛れるようにしてツッキーと屋外プールを後にする。もう一度軽く視線を散らしてみるも、やはり先輩の姿は見当たらなかった。

「弘人くんは、水族館、楽しんでくれてる?」

「楽しいですよ。新鮮味があっていい感じです、魚だけに」

「そう、それなら良かった」

 ボケが軽くスルーされるも、自分でも正解の反応が思いつかないので仕方ない。

「でも、そう聞かれると、ツッキーは楽しんでないのかな、と邪推しちゃいますね」

「違う、全然そんな事無い、私はすごく楽しいよ。ただ、これから行く場所はあんまり楽しくないかもしれない、って言おうとしただけだから」

「それなら良かった……んですかね」

 ツッキーの言葉の前半はまだしも、後半はあまり喜ばしい内容とは言えない。水族館の大方を回り終えてしまった今、ある程度は仕方ないのだろうが。

「でも、ツッキーは行きたいんですよね?」

「私はそうだけど……」

「それなら、いいんじゃないですか? まさか、いるだけで苦しくて叫びだしそうになるような場所に行くわけでもないでしょうし」

「私は、たまに叫びそうになるけどね」

「……えっ」

 無駄に恐ろし気な呟きが聞こえたが、今更やめようというのも男が廃る。ツッキーの先導におっかなびっくり付いていくしかない。

 しかし、俺の不安を裏付けるように、歩けば歩くほどに周囲の人の数は減っていた。

「――着いたよ」

「……ここ、は?」

 やがて辿り着いたのは、一方の壁が内に反った水槽となっている、水族館の中ではオーソドックスな形の空間だった。違いを上げるとすれば、水槽は中に魚どころか海藻の一つもなく、ライトに照らされてもいない、全くの未使用の状態だという事。そして、それゆえか、周囲には人影の一つも無いという事だろうか。

「見ての通り、ただの使われてない水槽だよ。去年の秋くらいから、こんな感じ」

「入っていい場所なんですかね?」

「多分、大丈夫。……多分」

 ほとんど頼りにならない宣言だが、立入禁止の立て札があったわけでも無いし、多分大丈夫だろう。ああ、これは多分としか言いようがないな。

「ここに来たかったんですか?」

「うん。やっぱり、楽しくないよね?」

「まぁ、楽しい、って感じではないですね」

 空の水槽を見てはしゃげるような人がいるとすれば、きっとすごく想像力が豊かであるか、ヤバいクスリでもキメてるかのどちらかだろう。こんなところで芸術家がクスリに走る理由の一端を垣間見てしまった。

「ごめんね。でも、私はここが一番落ち着くんだ」

「水槽が好きだ、って言ってましたもんね」

「うん、魚も好きだけど、人はちょっと苦手だから」

 ただ、落ち着くかどうかに限って言えば、人で溢れ返ったエリアよりもこの場所の方が落ち着くというのも道理ではある。人嫌いなら是非もない。

「暗いよね、ごめんね。私も、あんまりこんな話したくないけど」

「別に大丈夫ですよ。面と向かって罵倒でもされない限り、そんなに気にしません」

「そう言ってくれるのはうれしいけど、でも、もっと面白い子の方がいいでしょ?」

「顔が面白い子は勘弁ですけどね」

 落ち着く、というよりもむしろ落ち込んだようにすら見えるツッキーは、半ば自動的に負のスパイラルへと陥っていた。

「弘人くんは、妹の友達と付き合いたいんだよね?」

「はい、そういう事になりますね」

 切り替わった話題に、少しだけ緊張しながらも、間を置かず肯定を返す。

 その為の手段としてツッキーを利用している事に若干の負い目はあるものの、だからといって自分の夢を否定するわけにはいかない。

「別に、それを責めるつもりはないよ。そんな権利もないし、そもそも私は、今日こうしてデートしてもらっただけでもうれしいから」

「どうして、万華鏡さんはそんなに自分を卑下するんですか?」

 偏った意見なのだろうが、自分を卑下する女性というのは、それを否定し、更に褒めてもらいたいものだという偏見が俺の中にはある。

 しかし、ツッキーに限っては、そんな軽い調子ではなく、心底自身の価値を低く見積もっているような印象を受ける。傍目には美人で欠点の見受けられない彼女がそうなった理由を、俺はつい声にして問いかけてしまっていた。

「……名前」

「あっ、すいません、馴れ馴れしかったですね」

 重い話につられてひょうきんなあだ名で呼ぶ事をやめていた自分を、手の平をつねって戒める。痛い。

「違うの。私は、変な名前だから」

 しかし、ツッキーは俺の名前呼びを咎めていたわけではなかったようだ。

「変、ですか? 珍しいのはそうですけど、綺麗な名前だと思いますよ」

 正直なところ、少し嘘を吐いた。

 万華鏡というものが綺麗なのはそうだが、あまり人の名前らしくはないというのが本音ではある。だからといって、ツッキーがどうだというつもりは毛頭ないが。

「うん。両親が、綺麗なものの名前を付けるのが好きだから。流石に、私でやり過ぎたから、花火の名前は少し控えめになったけど」

 月代先輩の名前、花火というのも珍しくはあるが、それでも万華鏡と比べてみれば、いくらか人の名前の範囲に収めようという努力が見える気もする。

「でもね。本当は、万華鏡って呼ばれる事自体は、そんなに嫌じゃないの」

「そうなんですか? なら、何が……」

 無意識に聞き返しかけて、意識的にそれを止める。

 ここから先は、傷だ。

 ツッキーに出会う前、先輩も言っていたように、その名前について、それも核たる部分に軽い気持ちで触れるべきではないのだと、今なら俺にもなんとなくわかる。俺とツッキーの微妙な関係は、そこまで踏み込む事を許されるほど近しいものだろうか。

 互いの間に生まれてしまった沈黙が返答を拒否しているようにも思えて、やっぱり答えなくていい、と言おうとするよりも少しだけ早く、ツッキーは重々しく口を開いた。

「……万華鏡、って名前にあだ名を付けるとしたら、どうなると思う?」

「万華鏡、ですか……っ?」

 ツッキーと俺で一度ずつ、合計で二度を耳にして、俺はとてつもなく下らない事に気付いてしまった。

 いや、違うから。今はそういうアレじゃなくて、もっと真剣な場面だから。

 とは言え、思い付いてしまった以上は、完全に忘れるなんて事ができるはずもなく、そしてなお悪いのは、それが正解である可能性がわりと高いという事だ。あるいは、ぶっつけで口にされるよりは心の準備ができた分マシだったのかもしれないが、どちらにしろそんな事になっては俺が耐えるのに難儀するのに変わりはない。

「……下品な話だけどね、私は昔、万華鏡の前半を取って、まん――」

「っ、ブフッ!」

 あー、あー。ほら、笑っちゃったよ。

 だってしょうがないじゃん、クソ美人な人がクソ真面目な表情を浮かべて、クソしょうもない小学生レベルの下ネタ言うんだもん。しかもクソシリアスな場面で。

「……どうしたの?」

 咄嗟に顔を抑えた俺に、ツッキーが怪訝そうな目を向ける。笑うな、と怒られなかったという事は、まだ俺が吹き出したという事に気付いていないのかもしれない。

「い、いえ、すいません、くしゃみです。虫が鼻に入って」

 虫が鼻に入るってなんだ、普通にくしゃみだけでいいだろ。そんな事をどこか冷静に考えている自分がなぜか可笑しくて、また笑いの波が押し寄せてきた。

「そんな、大丈夫?」

「ちょっと、今、鼻の奥から出て来ないんで……っ」

 自分でも何を言っているのかわからなくなりながら、必死で笑いを噛み殺す。

「どうしよう……本当に大丈夫? 私に何かできる事ない?」

 俺に演技の才能があり過ぎたためか、本気で心配し始めてしまったツッキーが窺うようにこちらの顔を覗き込んでくる。状況に見合わない真剣な表情が、今はどうしてかひどくツボに入った。あ、ダメだ、俺、葬式とか行っても笑っちゃうタイプだ。

「……っ、くっ、っはははっ!」

 結果、なぜか厳粛な葬式風景を思い浮かべたのが決定打となり、俺の哄笑は掌に収まる規模を大きく超え、人のいない空間に響き渡ってしまった。
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