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第76話 俺と一緒に暮らさないか
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家族全員で夕食を済ませたあと、お風呂に入って自室へ戻る。哲郎の部屋は引っ越す前と、何ひとつ変わらない状態で保管されていた。
少し前まで世話になっていた勝手知ったる部屋なので、ゆっくりとリラックスできる。明日の早朝には汽車に乗って、水町玲子の待つアパートへ戻らなければならないため、きちんと睡眠をとっておく必要があった。
けれどその前に哲郎は自分の机に、例のスイッチを置いてまじまじと眺めた。考えるほどに、不思議な装置である。
どのような仕組みなのか、誰が最初の所有者なのかもわからない。現実離れした道具ではあるが、何度も哲郎は救われていた。
現在みたいな幸せな生活を送っていられるのも、過去に戻られるスイッチがあればこそだ。ゆえにこれから先、何があろうとも決してこのアイテムを恨んだりはしない。
「俺は絶対に幸せになってみせる」
スイッチを握り締めながら強く誓い、哲郎は眠りにつく。明日は恋人の女性に、同棲についての話をしなければならない。
翌朝。母親の梶谷小百合に見守られて、哲郎は駅から汽車に乗った。目的地はもちろん、この国の首都である。
人口はどんどん増え続けており、もの凄い密集地帯になっている。それでも未来の首都を知っているだけに、この程度はまだまだ序の口だった。
出稼ぎや夢追い人。それに哲郎たちみたいな勉学を志す者が、こぞって集まる土地になる。現在においても、ほとんどそうなっていた。
まだ過去の知り合いに会ったりはしていないが、偶然出くわしたりするのも遠い未来の話ではないだろう。それくらい、全国各地から人が集まってきている。
「ただいま」
汽車に揺られて数時間。ようやく目的の駅に到着し、二本の足で歩いて居住しているアパートに帰ってきた。
ドアの鍵を開けると同時に帰宅の挨拶をしたものの、部屋で待っていてくれる人間など存在しない。これで真っ暗だったりすると、気分はさらに滅入る。
しかし蛍光灯を点けていなくとも、窓から差し込んでくる太陽の光だけで室内は十分に明るかった。
日当たりが良いのは何よりだが、若干埃が多いのが悩みの種だ。掃除が大変で、一日でもさぼると大変なことになる。
案の定、少しの間だけとはいえ、主を失っていた部屋は埃にまみれていた。簡単に掃除をしたあとで、哲郎は水谷玲子の部屋へ向かう。
ドアを二度ほどノックしてから「俺だよ」と部屋の中へ声をかける。するとしばらくしてから、見るからに機嫌の悪そうな顔が哲郎を出迎えてくれた。
すでに正午を過ぎているため、不機嫌な理由が寝起きのせいとは考えられない。となると、やはり哲郎がひとりで帰省していた件になる。
「お疲れ様。大変だったでしょう。ゆっくり休んでね」
本人は満面の笑みを浮かべているつもりなのだろうが、そこかしこが引きつっている。
意外に嫉妬深いのに加え、相手に迷惑をかけないよう自分の中に不満を押し込む性格のため、このような対応になる。
複数回の人生にわたって共に生きている哲郎には慣れっこなので、下手に謝ったりはしない。そんな真似をしようものなら「何か悪いことでもしたの?」と優しい語り口ながらも、殺気のこもった質問をされるはめになる。
「ごめんな。どうしても、玲子の顔が見たくてさ」
仕事なんだから、仕方ないだろなんて言ってはいけない。喧嘩にまでは発展しないが、相手女性の心象を悪くするのは確実だった。乙女心は何かと大変なのである。
とはいえ、最初から哲郎もこのような対処法を身につけていたわけではなく、繰り返しの人生で獲得したスキルだった。
いきなり会いたかったと言われた恋人女性の顔が、不機嫌さを忘れて赤く染まる。照れているのだ。
「ど、どうしたのよ、急に……」
「週末の夜はゆっくりしたいのに、なかなかできないからね。汽車の中で気が狂うかと思ったよ」
笑いながら冗談交じりに告げると、水町玲子も「バカね」と笑ってくれた。
*
少しばかり恋人の機嫌が直ったところで、哲郎はようやく部屋に上げてもらえていた。途中までは玄関で追い返されそうな雰囲気もあっただけに、少なからず安堵する。
水町玲子が淹れてくれたお茶を飲みながら、時間がない中でも規制した際の成果を報告する。実家の問題でもあるので、真剣に聞いてくれる。
「工場はうまくいってるのね、よかった。でも、そのせいで哲郎君には迷惑をかけてばかりだわ。お父さんのせいでごめんね」
何よりも家族を大事にする恋人の女性が、愚痴めいたのを発言するのを初めて聞いた。ため息をつきながら「お父さんも少しは勉強をすればいいのに……」なんて言葉も続く。
恐らくは父親が嫌いになったというより、週末の哲郎との時間を妨害された苛立ちが大きいのだろう。そこまで想ってもらえる幸せを感じながら、一応社長のフォローをしておく。
「社長も色々と大変そうだったから、仕方ないさ」
それに年齢を重ねてから、新たなことを勉強するのは想像してるよりもずっと大変なんだよ。先ほどの台詞のあとに続けようと思っていたが、途中で飲み込んだ。
恋人とはいえ、あくまで他人の家の事情にあれこれ口を出しすぎるのもよくないと判断した。一家の離散などに関わる問題とかであれば話は別だが、恋人の父親の勉強について熱弁をふるっても理解してもらえるとは思えない。
「うん……それはわかってるけれど……」
そこまで言って、水町玲子は口ごもる。やはり週末にゆっくり二人でいられなかったのが不満なのだ。いつもなら必死でなだめてるところだが、今回は預かってきた秘策がある。
「そう言えば、社長に謝られたよ」
「お父さんに?」
「ああ。恋人の父親として、娘とゆっくりさせられなくて申し訳ないと頭を下げられたんだ」
「そうなの……お父さんも色々と私たちを心配してくれているのね。でも、そのわりには哲郎君を週末のたびに呼びすぎだわ」
頬を膨らませてむくれる恋人を見て、思わず哲郎は笑い声をこぼしてしまう。わざと大げさなリアクションをしたのは玲子なだけに、笑われたと激怒したりはしない。むしろ一緒になって笑っていた。
父親が彼氏――つまりは哲郎に頭を下げたと聞いて、少しは溜飲が下がったのだろう。ほんのわずかに、身に纏っていた刺々しさが綺麗さっぱり消えている。
余計な負の感情が相手になくなったところで、いよいよ哲郎は本題を切り出す。水町玲子の父親に提案され、自分の両親に認めてもらった件についてだ。
「実は謝られただけじゃなくて、社長に解決策も提案されたんだ」
「解決策?」
笑っていた恋人の女性が、きょとんとした顔になる。話は終わったと思い込んでいただけに、驚いてるといった感じだった。
聞いたら驚くぞなんて、悪戯小僧のように内心で笑みを浮かべながら、ゆっくりと同棲についての話を始める。
「共有する時間を増やすためにも、一緒に住んだらどうかって言われたんだ」
「一緒にか……え、一緒に!? え、あ、あの……ええと、それは……その、何だろう」
まったく予想してなかったのが丸わかりなくらい、水町玲子は戸惑いと動揺を見せた。目が泳がせ、絵に描いたような挙動不審ぶりを全身で表現している。
完全に混乱していて、何を言うべきかも見失っている。哲郎が黙っているのは、相手の言葉ではなく、少しでも気分が落ち着くのを待っているためだった。
やがて冷静さを失っていると理解した水町玲子が、アパートの部屋の床に座ったまま、手を頭上に伸ばして深呼吸をする。
右手を自分の胸に当てて、動悸が多少は弱まったのを確認してから、哲郎に発言の真意を確かめてきた。
「その……一緒にというのは、私のお父さんが哲郎君に提案したの?」
*
当時の状況を確かめようとする恋人の女性に、哲郎は一から順に説明していった。別に隠す必要もないので、すべて経験してきたとおりに伝える。
聞き終えた水町玲子は小さく「お父さんが……」と呟いて、どこか嬉しそうに頷いた。その仕草は何を意味するのだろうと考え込むが、哲郎には答えを見つけられなかった。
こちらが訝ってるのに気付いたのか、置いてけぼりにしている哲郎に水町玲子は悪戯っぽく舌を出して「ごめんね」と言ってきた。
何がごめんねなのかもわからなかったので、きっと哲郎の顔にはますますのクエスチョンマークが浮かんでいたことだろう。
「お父さんが、そういうことを言うなんて意外だったから。表向きは交際を歓迎してくれているようだったけど、本当の心はなかなかわからないものね」
水町玲子の言葉が、哲郎には痛いほどよくわかっていた。最初の人生で自分の父親である梶谷哲郎を誤解し、他人に興味がない人間みたいに思っていた。
最終的には人情味溢れる男性だったと理解できたけれど、その頃にはすでに他界してしまっていた。他人――特に両親の心の内を知るのは、子供であっても相当に難しい。
もしかすると逆に子供だからこそ、なかなか理解できないのかもしれない。当時の状況を思い出して、わずかに感傷的な気分になる。
「そうだね。玲子の言うとおりだと思うよ」
泣きそうになるのを堪えながら、恋人女性の言葉を肯定する。水町玲子は嬉しそうに笑う。小さなアパートの部屋に一輪の花が咲いたみたいだった。
パッと明るくなった雰囲気に伴って、室内の空気も軽くなったように感じられる。自然と笑顔が溢れてきて、優しい気持ちになれる。
だからこそ、お互いの想いを純粋にぶつけられる。過剰になったりせず、卑屈になったりせず、不安も恐れもなく浮かんできた言葉をそのまま口にする。
「俺と一緒に暮らさないか。お互いにまだ学生だけれど、すぐに結婚するわけでもないけれど、玲子と過ごしたい」
「はい、わかりました。哲郎君と一緒に暮らします。お父さんに言われたからではなくて、私自身の意思で決めました」
ありがとうと告げる哲郎に、無邪気な様子でどういたしましてと返してくる。なんだかとてもおかしくなって、部屋に来て何度目かの爆笑をする。
「私、変なことは言ってないと思うのだけれど……哲郎君は、笑い上戸だったのかしら」
小首を傾げる愛しき恋人に、哲郎は「照れ隠しだよ」と言ってみる。人一倍照れやすい水町玲子は、すぐに顔を真っ赤にした。
その様子を見ては、また笑う哲郎。からかわれたと知って拗ねる玲子。すれ違いから険悪になりかねない状況だったのが、遠い昔の出来事みたいに思える。
水町玲子の父親が授けてくれたのは、正真正銘の解決策だった。父親であるがゆえに、娘の性格をよく知っていたのかもしれない。哲郎個人だけでは、実行できない策で見事に機嫌を直した。
同時に、哲郎と水町玲子の仲も一段と進むことになるのは想像に難くない。もちろん社長もわかっていたはずで、それでも同棲を勧めてくれた。
すなわち哲郎を認めてくれたも同然で、幸せな人生へ向けての新たな一歩を踏み出せた。同棲の先にある結婚。きっとこれが次の目標になる。
「仲良く生活していこうね」
「もちろんだよ」
微笑みかけてくれる恋人の言葉に、しっかりと頷く。これでまた大学生活に楽しみが増えた。ニヤけたりしないように気を遣いつつ、これからの展望を独自に思い描くのだった。
少し前まで世話になっていた勝手知ったる部屋なので、ゆっくりとリラックスできる。明日の早朝には汽車に乗って、水町玲子の待つアパートへ戻らなければならないため、きちんと睡眠をとっておく必要があった。
けれどその前に哲郎は自分の机に、例のスイッチを置いてまじまじと眺めた。考えるほどに、不思議な装置である。
どのような仕組みなのか、誰が最初の所有者なのかもわからない。現実離れした道具ではあるが、何度も哲郎は救われていた。
現在みたいな幸せな生活を送っていられるのも、過去に戻られるスイッチがあればこそだ。ゆえにこれから先、何があろうとも決してこのアイテムを恨んだりはしない。
「俺は絶対に幸せになってみせる」
スイッチを握り締めながら強く誓い、哲郎は眠りにつく。明日は恋人の女性に、同棲についての話をしなければならない。
翌朝。母親の梶谷小百合に見守られて、哲郎は駅から汽車に乗った。目的地はもちろん、この国の首都である。
人口はどんどん増え続けており、もの凄い密集地帯になっている。それでも未来の首都を知っているだけに、この程度はまだまだ序の口だった。
出稼ぎや夢追い人。それに哲郎たちみたいな勉学を志す者が、こぞって集まる土地になる。現在においても、ほとんどそうなっていた。
まだ過去の知り合いに会ったりはしていないが、偶然出くわしたりするのも遠い未来の話ではないだろう。それくらい、全国各地から人が集まってきている。
「ただいま」
汽車に揺られて数時間。ようやく目的の駅に到着し、二本の足で歩いて居住しているアパートに帰ってきた。
ドアの鍵を開けると同時に帰宅の挨拶をしたものの、部屋で待っていてくれる人間など存在しない。これで真っ暗だったりすると、気分はさらに滅入る。
しかし蛍光灯を点けていなくとも、窓から差し込んでくる太陽の光だけで室内は十分に明るかった。
日当たりが良いのは何よりだが、若干埃が多いのが悩みの種だ。掃除が大変で、一日でもさぼると大変なことになる。
案の定、少しの間だけとはいえ、主を失っていた部屋は埃にまみれていた。簡単に掃除をしたあとで、哲郎は水谷玲子の部屋へ向かう。
ドアを二度ほどノックしてから「俺だよ」と部屋の中へ声をかける。するとしばらくしてから、見るからに機嫌の悪そうな顔が哲郎を出迎えてくれた。
すでに正午を過ぎているため、不機嫌な理由が寝起きのせいとは考えられない。となると、やはり哲郎がひとりで帰省していた件になる。
「お疲れ様。大変だったでしょう。ゆっくり休んでね」
本人は満面の笑みを浮かべているつもりなのだろうが、そこかしこが引きつっている。
意外に嫉妬深いのに加え、相手に迷惑をかけないよう自分の中に不満を押し込む性格のため、このような対応になる。
複数回の人生にわたって共に生きている哲郎には慣れっこなので、下手に謝ったりはしない。そんな真似をしようものなら「何か悪いことでもしたの?」と優しい語り口ながらも、殺気のこもった質問をされるはめになる。
「ごめんな。どうしても、玲子の顔が見たくてさ」
仕事なんだから、仕方ないだろなんて言ってはいけない。喧嘩にまでは発展しないが、相手女性の心象を悪くするのは確実だった。乙女心は何かと大変なのである。
とはいえ、最初から哲郎もこのような対処法を身につけていたわけではなく、繰り返しの人生で獲得したスキルだった。
いきなり会いたかったと言われた恋人女性の顔が、不機嫌さを忘れて赤く染まる。照れているのだ。
「ど、どうしたのよ、急に……」
「週末の夜はゆっくりしたいのに、なかなかできないからね。汽車の中で気が狂うかと思ったよ」
笑いながら冗談交じりに告げると、水町玲子も「バカね」と笑ってくれた。
*
少しばかり恋人の機嫌が直ったところで、哲郎はようやく部屋に上げてもらえていた。途中までは玄関で追い返されそうな雰囲気もあっただけに、少なからず安堵する。
水町玲子が淹れてくれたお茶を飲みながら、時間がない中でも規制した際の成果を報告する。実家の問題でもあるので、真剣に聞いてくれる。
「工場はうまくいってるのね、よかった。でも、そのせいで哲郎君には迷惑をかけてばかりだわ。お父さんのせいでごめんね」
何よりも家族を大事にする恋人の女性が、愚痴めいたのを発言するのを初めて聞いた。ため息をつきながら「お父さんも少しは勉強をすればいいのに……」なんて言葉も続く。
恐らくは父親が嫌いになったというより、週末の哲郎との時間を妨害された苛立ちが大きいのだろう。そこまで想ってもらえる幸せを感じながら、一応社長のフォローをしておく。
「社長も色々と大変そうだったから、仕方ないさ」
それに年齢を重ねてから、新たなことを勉強するのは想像してるよりもずっと大変なんだよ。先ほどの台詞のあとに続けようと思っていたが、途中で飲み込んだ。
恋人とはいえ、あくまで他人の家の事情にあれこれ口を出しすぎるのもよくないと判断した。一家の離散などに関わる問題とかであれば話は別だが、恋人の父親の勉強について熱弁をふるっても理解してもらえるとは思えない。
「うん……それはわかってるけれど……」
そこまで言って、水町玲子は口ごもる。やはり週末にゆっくり二人でいられなかったのが不満なのだ。いつもなら必死でなだめてるところだが、今回は預かってきた秘策がある。
「そう言えば、社長に謝られたよ」
「お父さんに?」
「ああ。恋人の父親として、娘とゆっくりさせられなくて申し訳ないと頭を下げられたんだ」
「そうなの……お父さんも色々と私たちを心配してくれているのね。でも、そのわりには哲郎君を週末のたびに呼びすぎだわ」
頬を膨らませてむくれる恋人を見て、思わず哲郎は笑い声をこぼしてしまう。わざと大げさなリアクションをしたのは玲子なだけに、笑われたと激怒したりはしない。むしろ一緒になって笑っていた。
父親が彼氏――つまりは哲郎に頭を下げたと聞いて、少しは溜飲が下がったのだろう。ほんのわずかに、身に纏っていた刺々しさが綺麗さっぱり消えている。
余計な負の感情が相手になくなったところで、いよいよ哲郎は本題を切り出す。水町玲子の父親に提案され、自分の両親に認めてもらった件についてだ。
「実は謝られただけじゃなくて、社長に解決策も提案されたんだ」
「解決策?」
笑っていた恋人の女性が、きょとんとした顔になる。話は終わったと思い込んでいただけに、驚いてるといった感じだった。
聞いたら驚くぞなんて、悪戯小僧のように内心で笑みを浮かべながら、ゆっくりと同棲についての話を始める。
「共有する時間を増やすためにも、一緒に住んだらどうかって言われたんだ」
「一緒にか……え、一緒に!? え、あ、あの……ええと、それは……その、何だろう」
まったく予想してなかったのが丸わかりなくらい、水町玲子は戸惑いと動揺を見せた。目が泳がせ、絵に描いたような挙動不審ぶりを全身で表現している。
完全に混乱していて、何を言うべきかも見失っている。哲郎が黙っているのは、相手の言葉ではなく、少しでも気分が落ち着くのを待っているためだった。
やがて冷静さを失っていると理解した水町玲子が、アパートの部屋の床に座ったまま、手を頭上に伸ばして深呼吸をする。
右手を自分の胸に当てて、動悸が多少は弱まったのを確認してから、哲郎に発言の真意を確かめてきた。
「その……一緒にというのは、私のお父さんが哲郎君に提案したの?」
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当時の状況を確かめようとする恋人の女性に、哲郎は一から順に説明していった。別に隠す必要もないので、すべて経験してきたとおりに伝える。
聞き終えた水町玲子は小さく「お父さんが……」と呟いて、どこか嬉しそうに頷いた。その仕草は何を意味するのだろうと考え込むが、哲郎には答えを見つけられなかった。
こちらが訝ってるのに気付いたのか、置いてけぼりにしている哲郎に水町玲子は悪戯っぽく舌を出して「ごめんね」と言ってきた。
何がごめんねなのかもわからなかったので、きっと哲郎の顔にはますますのクエスチョンマークが浮かんでいたことだろう。
「お父さんが、そういうことを言うなんて意外だったから。表向きは交際を歓迎してくれているようだったけど、本当の心はなかなかわからないものね」
水町玲子の言葉が、哲郎には痛いほどよくわかっていた。最初の人生で自分の父親である梶谷哲郎を誤解し、他人に興味がない人間みたいに思っていた。
最終的には人情味溢れる男性だったと理解できたけれど、その頃にはすでに他界してしまっていた。他人――特に両親の心の内を知るのは、子供であっても相当に難しい。
もしかすると逆に子供だからこそ、なかなか理解できないのかもしれない。当時の状況を思い出して、わずかに感傷的な気分になる。
「そうだね。玲子の言うとおりだと思うよ」
泣きそうになるのを堪えながら、恋人女性の言葉を肯定する。水町玲子は嬉しそうに笑う。小さなアパートの部屋に一輪の花が咲いたみたいだった。
パッと明るくなった雰囲気に伴って、室内の空気も軽くなったように感じられる。自然と笑顔が溢れてきて、優しい気持ちになれる。
だからこそ、お互いの想いを純粋にぶつけられる。過剰になったりせず、卑屈になったりせず、不安も恐れもなく浮かんできた言葉をそのまま口にする。
「俺と一緒に暮らさないか。お互いにまだ学生だけれど、すぐに結婚するわけでもないけれど、玲子と過ごしたい」
「はい、わかりました。哲郎君と一緒に暮らします。お父さんに言われたからではなくて、私自身の意思で決めました」
ありがとうと告げる哲郎に、無邪気な様子でどういたしましてと返してくる。なんだかとてもおかしくなって、部屋に来て何度目かの爆笑をする。
「私、変なことは言ってないと思うのだけれど……哲郎君は、笑い上戸だったのかしら」
小首を傾げる愛しき恋人に、哲郎は「照れ隠しだよ」と言ってみる。人一倍照れやすい水町玲子は、すぐに顔を真っ赤にした。
その様子を見ては、また笑う哲郎。からかわれたと知って拗ねる玲子。すれ違いから険悪になりかねない状況だったのが、遠い昔の出来事みたいに思える。
水町玲子の父親が授けてくれたのは、正真正銘の解決策だった。父親であるがゆえに、娘の性格をよく知っていたのかもしれない。哲郎個人だけでは、実行できない策で見事に機嫌を直した。
同時に、哲郎と水町玲子の仲も一段と進むことになるのは想像に難くない。もちろん社長もわかっていたはずで、それでも同棲を勧めてくれた。
すなわち哲郎を認めてくれたも同然で、幸せな人生へ向けての新たな一歩を踏み出せた。同棲の先にある結婚。きっとこれが次の目標になる。
「仲良く生活していこうね」
「もちろんだよ」
微笑みかけてくれる恋人の言葉に、しっかりと頷く。これでまた大学生活に楽しみが増えた。ニヤけたりしないように気を遣いつつ、これからの展望を独自に思い描くのだった。
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