その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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葉月の高校編

入学前のとある一日

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 新たに降り積もらず、取り残されたような街道の雪も当初の白さを濁らせる。溶けてアスファルトを濡らす水と変われば、いよいよ本格的な春がやってくる。

 別れを乗り越えて、新しい出会いを迎える。卒業式のしんみりとした気分も抜け、期待感が大きくなる。葉月もそんな人間の一人だ。

 出来上がった高校の制服を自室で何度も着ては鏡を見て、そのまま大好きな両親の元へ褒め言葉を貰いに行く。妹の菜月の呆れた視線に頬を膨らませもせず、自慢げにスカートを翻す。
 そんな光景を何度繰り返しただろうか。新しい生活を純粋に楽しみにできるのも、親友と呼べる今井好美と佐々木実希子が一緒だからだった。

 三人揃って受験に成功し、地元の進学校へ通うことになった。中学校よりは家から距離があるが、その分だけ皆とお喋りしながら自転車で移動できると思えば、それもまた楽しみの一つとなる。

 春休みも終わりに近づきつつある今日も、朝から葉月は上機嫌だった。春とはいえ、この辺りはまだ寒い。ワイシャツの上にセーター、下はジーンズという恰好で一階に降りる。

「おはよう、パパ」

 ダイニングの椅子に座り、新聞を見ながらゆっくりとしていた男性に声をかける。高木春道――葉月の父親だ。血は繋がっていないが、実の父親も同然に思っている。

 新聞から顔を上げた春道は、葉月の顔を見て朝の挨拶を返してくれた。髪の毛は多少ボサボサだが、身なりはしっかりしている。
 以前に彼の妻であり、葉月の母親である和葉に家だからといってあまりだらしない恰好をしないようにと注意されたことがあるみたいだった。

 挨拶を済ませた葉月は、靴下のみを履いた足をパタパタ動かし、キッチンへ向かう。朝食の準備をしている母親の和葉を手伝うためだ。
 駆け足になろうしたところで、慌てて足を止める。足元に小さい影が見えた。
 ぶつかりそうになった葉月が「うわっ」と声を上げる中、小さい影――妹の菜月はハムエッグの乗ったお皿を両手で持ちながら呆れたようにため息をついた。

「ずいぶんと朝からお寝坊さんね。高校生ともなれば大人の仲間入りだというのに、自覚が足りないわ。どうせまた制服姿を鏡で見て、ナルシストぶりを発揮していたんでしょうけど」

 初対面の人が聞いたらなんと嫌味な少女だと憤ったかもしれないが、家族である葉月に否定的な感情は皆無。普段は自ら公言するドSぶりを発揮しようとしているが、家族の誰かが窮地に陥れば途端に全力で心配する。
 悪役に徹そうとしているのになりきれない、心根の優しい覆面レスラーみたいである。

「なっちーてば、私の制服が羨ましいからって、妬むのはよくないよ」

「なっ……! 違うわよ、誰がはづ姉(ねえ)なんかに。
 それよりなっちーて呼ばないでよ!」

「何で? 可愛いじゃない」

 高木家では現在、葉月と菜月の姉妹が二階を。春道と和葉の夫婦が一階を利用していた。
 そうなった際の理由は幾つかあるが、メインとなるのは静かに勉強をできる環境を娘に与えたいといったものだったはずである。
 当初はあまり乗り気でなかったが、いざやってみると変化した環境にウキウキしてしまうから人間は不思議だった。

 二階で二人で話す機会が増えたのもあって葉月は菜月をなっちーと、菜月は葉月をはづ姉と呼ぶようになった。
 当の菜月はつけられた愛称に納得いってないみたいだが、本気で嫌な場合は全力で抵抗する性格をしているので、さほどでもないのだろうと葉月は勝手に解釈していた。家族仲に問題はなく、日々を楽しく暮らせている。

 葉月の眼下ではハムエッグの皿を持った菜月が、いまだに愛称への抗議を続けている。かすかに膨らんだ頬がなんとも可愛らしく、衝動的に人差し指でつつきたくなる。やってしまうと本気で怒らせそうなので、なんとか自嘲するが。

「どうしてそんなに嫌なの」

 葉月は軽く首を傾げる。

「お姉ちゃんは可愛いと思うけどな」

「子供っぽい!」

「なっちーは子供じゃない」

「違うわよ。はづ姉と一緒にしないで」

「ふうん。そんなことを言うと雷が鳴った日、一緒に寝てあげないから」

 葉月の反撃により、まだまだ雷が怖い年頃の菜月が顔を青ざめさせる。
 激しい雨が降り、雷が轟く夜は、何かと理由をつけて幼い妹が葉月の部屋を訪れる。隙を見てベッドに入り、先に寝てしまうのである。
 理由がわかっている葉月は微笑みながら、菜月の髪の毛を撫でて同じベッドに入る。そのうちに最初は小刻みに震えている菜月も、安心して寝息を立て始めるのだ。

「ず、ずるいわ。五歳児に対する態度じゃないもの。正当な扱いを要求するわ」

「はいはい。いつまでもじゃれ合ってないで、春道さんにサラダを届けてきてね。私は皆の分のトーストを運ぶから」

 和葉に言われた二人は、揃って「はーい」と返事をする。この家の中で、怒らせると怖い存在の指示を無視するほどの度胸はない。それに、そもそも手伝いをするために葉月もキッチンへやってきたのである。

 食卓に朝食が並び、全員揃ったところで朝ご飯となる。中学生時代は部活の朝練もあり、家族とゆっくり朝食をとれる機会は多くなかった。
 高校でも部活に所属すれば必然的にそうなる可能性が高い。だからというわけではないが、今のうちに楽しんでおきたいという思いもあった。

「春道さんの今日の予定は?」

「午前中で仕事はひと段落つきそうだし、報酬の振り込みもされたみたいだから、午後に通帳記入に出かけるくらいかな」

「なら私も同行していい? そのあとで買い物に付き合ってほしいの」

 バターとはちみつを塗った焼いたトーストを頬張りながら、春道はもちろんと頷く。葉月も一緒に行きたいところだが、生憎と今日は約束があった。

「葉月は好美ちゃんたちと遊びに行くのよね。春休みだからといって、浮かれすぎては駄目よ」

「はーい。
 あ、なっちーはどうするの?」

「はあ……もういいわ。
 私は図書館に行くわ。はづ姉と違って、勉学に勤しみたいの」

 とても五歳児では思えない発言に父親の春道は苦笑しているが、葉月は知っている。愛する妹がどのような本を読んでいるのかを。

「私も小さい頃はよく図書館で本を借りたなあ。なっちーが夢中になってる、漫画で見る歴史とか」

 ビクっと菜月が肩を震わせる。
 葉月に読んでいる本を言い当てられて動揺しているのだ。

「わ、私ははづ姉とは違うの。難しい本を読んでるのよ」

「漢字が読めないのに?」

「少しはわかるもん!」

 菜月がむくれたところで、平和な食卓に春道の朗らかな笑い声が響く。

「宏和君には無敵の菜月も、葉月の前じゃ形無しだな。はっはっは」

 宏和というのは、和葉の兄である戸高泰宏と、かつて葉月の担任だった女教師祐子の息子だ。

「もう、春道さんは。
 葉月、菜月をからかうのはやめて、早く朝ご飯を食べなさい」

「仕方ないから、今朝はこのくらいで許してあげる」

 茶目っ気たっぷりに葉月が笑うと、菜月は肩を落として大きなため息をついた。

「こんな大人気ない人が、これからの日本の歯車になっていくかと思うと憂鬱だわ」

「そうか? 葉月の存在はありがたいぞ。おませな五歳児が、実は図書館で漫画を読み漁ってると知って、俺はホっとしているからな」

「漫画が目当てなんじゃなくて、たまたま知りたい歴史の内容を書いていたのが漫画だっただけなの!」

「おっと、いかん。午後から和葉とデートするためにも、早めに仕事を片付けておかないとな。菜月のお説教はまた今度聞くよ」

 ご馳走様でしたと告げて、春道だけが先に席を立つ。食器を台所へ片付けたあとで、リビングをあとにする。普段は食後のコーヒーを飲んだりしてのんびりする機会もあるが、仕事が忙しくなると大抵はこうだ。
 それでも家族と一緒に食事だけはとろうと頑張っている。満点ではないかもしれないが、葉月にとってはやはり大好きな父親である。

 家族の中で唯一の男性である春道は食事をとるスピードが速い。よく和葉にもっと噛んでくださいと注意されているが、なかなか直せないようだった。
 後に残った女三人ならではの会話もしつつ、葉月も朝食を食べ終える。歯を磨き終る頃には、好美と実希子が迎えに来るはずだ。今日は皆でカラオケに行くことになっていた。

   *

 市内のカラオケボックスで、三人で二時間ほど歌った。昼食はカラオケ後に出向いたファミレスで済ませ、そのまま少しだけお喋りをして外に出た。

 お腹は一杯で楽しい気分も一杯。外は晴れやかで、屋内でじっとしているのも勿体ない。多方面から運動万能ゴリラなんて言われたりする実希子はもちろん、本来はインドア派の好美も外の陽気に心地よさそうにしている。
 葉月たちとソフトボール部で汗を流すうちに、外で体を動かすのも悪くないと思えるようになったらしかった。

 だからといって無条件で何でもやるわけではなく、つい数秒前に出された実希子のサッカーやろうという提案を却下したばかりだった。

「でもさ、カラオケとかもいいけど、体を動かさないとなまっちまうぜ。二人だって高校でソフトやるんだろ?」

 兄の影響で、年齢を重ねるごとに実希子の口調は男っぽくなっていた。当人は女らしさを求めてないらしく、これでいいんだよと気にする様子は見せない。

「うん。じゃあ、空バットでゴムボールで野球でもする?」

「いいね」

 待ってましたとばかりに実希子が頷く。

「じゃ、アタシの家に道具を取りに行こうぜ」

 葉月と実希子が乗り気となれば、残った好美が反対しても決定が覆る可能性は低い。諦め半分、楽しさ半分といった様子で好美も承諾してくれる。

 学校へ行くみたいに自転車ではなく徒歩で移動していたため、お喋りをしながら歩く、大抵は前に葉月と実希子。二人の間が少し開いており、そこから顔を出すようにして好美がすぐ後ろを歩く。これが定位置となっていた。

 実希子の家に到着し、野球道具を持って小学校時代から利用している公園へ向かう。すると、途中で見覚えのある女性を目にした。

「あ、柚ちゃんだー」

 葉月の声が届いたらしく、室戸柚がこちらを見る。小学校時代の親友だったが、彼女一人だけ私立の中学校へ通うことになって次第に会う頻度が減少した。最後に顔を合わせたのはいつだったかと、悩まなければいけないくらいである。

「よお、柚。野球やらないか」

 こういうこともあろうかとジーンズ姿だった葉月たちと違い、柚は裾の長いスカートにサンダルだ。とても運動を行えるような恰好ではなかった。それでも彼女は笑顔で頷く。

「皆、久しぶりね。特に実希子ちゃんは変わ……ってるわね。一部分だけ特に」

 柚の視線が一部分で止まる。先にあるのは実希子の上半身だ。卒業していた中学校の中でも、実希子は一、二を争う巨乳だったのである。一方の柚は小学生の頃から目立たなかった通りのままだ。

 こっそりと自分の上半身を手で確かめた好美が、口元にかすかな笑みを浮かべているのが見えた。そんなに重要なのだろうかと不思議がる葉月のバストサイズは人並みだ。同年代と比べれば少し大きい方かもしれない。

「ん? ああ、胸のことか。あっても邪魔なだけだぞ。走るたびに揺れやがるし」

「……そうなんだ。大変なんだね」

「あン?」

 実希子が不思議そうな声を出す。

「柚も変わったな」

 どこがと問いかける柚に、実希子は大人になったと返す。

「昔だったら、文句を言ってきそうな感じだったけどな。私立中学で大人になっちまったか」

「フフ、そうね。ところで野球をやるの?」

「うん、そうだよ」

 葉月が元気に頷き、三人から四人に増えたメンバーで公園に入る。さほど広くないとはいえ、やはりあまり使われていないのが勿体ない。もっとも、そのおかげで小さい子の遊び場を奪ったりせずに、葉月たちは体を動かせるのだが。

「そういえば葉月ちゃんたちはソフトボール部に入っていたのだったわね」

「うん。柚ちゃんは?」

「私は……部活には入っていなかったわ」

 視線を落とした柚の肩を、どこぞの中年親父みたいに実希子が叩く。

「駄目だぞ、若い者は体を動かさないとな!
 あ、そういや柚は高校どこだ? やっぱ私立か?」

「私は地元に戻るわ。南高校よ」

 柚が言ったのは、もうすぐ葉月たちも通うことになっている進学校の名前だった。

「じゃあ、高校からはまた一緒だね」

 あまり連絡を取っていなかったのもあり、四人で喜ぶ。

「さすがは柚だよな。アタシでもギリギリだったっていうのに」

「むしろ、よく実希子ちゃんが受かったわね」

「ははは。そうそう。アタシの知ってる柚っぽくなってきた」

「……私、どんなイメージだったのよ」

 そう言いつつも、柚に怒ってるような雰囲気はなかった。むしろ昔に戻った的な言葉を喜んでるようにも見えた。

「さあ、野球やろうぜ。本当ならもうちっと面子が欲しかったんだけどな……って、あそこに丁度いいのが歩いている!」

 指差した実希子の前方で、ギクリとした様子を見せていたのはリュックを背負っている菜月だった。恐らくは図書館で本を借りてきたのだろう。

「なっちー。野球するよー」

 実希子の意図を察した葉月は、半ば強制的に妹の菜月を連行する。

「ちょ、ちょっと。私はするって言ってない。好美さん、助けてください!」

「ごめんね、菜月ちゃん。私じゃこの二人は止められないの」

「そんなぁ」

 泣きそうな悲鳴を上げた菜月だったが、いざやってみると普通に遊んでいた。
 葉月が打ち、好美が打ち、柚が打って、菜月が打つ。

「おおい。アタシにもバッターやらせてくれよ」

 延々とピッチャーをさせられている実希子が拗ねる。

「駄目よ」

 却下したのは好美だ。

「実希子ちゃんに打たせると民家を破壊するもの」

「ゴムボールで建物を壊せるわけないだろ! アタシは化物か」

「似たようなものよね」

 菜月にまで虐められた実希子はちくしょーと叫ぶも、結果的に彼女は日暮れまでの大半で投手を担当した。
 懇願を受け入れた好美が一度だけ実希子を打席に立たせたところ特大のホームランを放ち、公園近くの民家の壁にゴムボールを直撃させたからである。
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