その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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家族の新生活編

実希子の報告

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 その日、平和なはずのムーンリーフに激震が走った。

 マラソン大会も盛況に終わって数日が経過してもなお、体調不良が治らないと実希子が嘆いた時点で不穏な空気が流れた。

 元気印の実希子は風邪を引いても働いて治すという、昭和からやってきたかのような性格をしているので、あまり気にせずに働き続けた。
 しかし吐き気を催したりしているのを見て、とうとう好美が進言し、葉月が業務命令で病院へ行かせた。

 この時に実希子が素直に従った時点で、店内のスタッフは残らず動揺した。
 筋金入りの病院嫌いというか、薬など呑まなくても治るというのが持論なので、おもいきり抵抗するとばかり思っていたのだ。

 付き添いが断られたので実希子一人で昼過ぎから病院へ向かった。
 それから夕方になってもまだ帰ってこない。
 病院にいるのか、スマホの電源が入っていないため連絡もつかない。

 さすがに心配した好美が診察したと思われる病院まで様子を見に行ったが、実希子の姿はどこにもなかったという。

 さらなる動揺に見舞われるムーンリーフ。

 美しい夕日が地平線に吸い込まれだした頃になって、ようやく実希子が戻ってきた。客足も少なくなり始めていたのもあり、葉月は茉優に店を任せ、奥で好美と一緒に親友の話を聞くことにした。

 そして――。

「アタシ、なんか妊娠したっぽい」

 この一言でひっくり返った。

「えええーっ!?」

 店が揺らぎそうな大声に、接客中だった茉優までもが目を丸くして様子を見に来た。

 葉月の隣の好美は言葉もなく、正面に座っているポニーテールの友人を凝視している。

「そ、それって本当なの?」

「最初は質の悪い風邪だろって思ってたんだけど、先生に症状を話してたら、もしかしてって言われてレディースクリニックを紹介されたんだよ」

 気が動転しまくって、あわあわ言い出した葉月を見て、逆に冷静さが戻ったのか、実希子の話を聞いていた好美が深呼吸してから口を開く。

「生理は来てたの?」

「アタシは元々、不順だったからな。大して気にしてなかったんだけど、レディースクリニックでも同じ質問をされて、そういやいつだったっけってなってさ」

「検査をしたら陽性だったと」

「二ヵ月ちょいらしい。ハッハッハ、まいったまいった」

 豪快に笑い飛ばす実希子に、冷静に事情聴取していた好美が眉間に皺を寄せる。

「笑いごとじゃないでしょう」

「んなこと言ったって、できちまったもんは仕方ねえだろ」

「陽性反応が出たということは想像妊娠ではないんでしょうし……」

「ああ、超音波検査で胎嚢も確認できたしな」

 軽くポンと下腹部を叩く実希子に、場に残ったままの茉優が「ふわぁ」と驚きの声を上げた。
 茫然としながらも、スマホの上で指先が素早く滑っているのを見ると、反射的に菜月にメールを送ろうとしているのだろう。

「おめでとう……でいいのかな?」

 まだ目をパチクリさせてしまう葉月の隣で、好美が盛大にため息をついた。

「まずはお相手を聞かないとね。まさか彼氏がいたとは驚きだけど……」

 どうして教えてくれなかったのかと、好美がジト目になる。
 ボリボリと後頭部を描いた実希子は、あっけらかんと白状する。

「彼氏なんていないぞ」

「……頭が痛いわ」

 とうとう好美がテーブルに突っ伏した。
 整理中だった書類が散らばるのも気にしない有様から、平静を保っていたようで、精神にかなりのダメージを負っていたらしい。

 茉優は客が来ればすぐ店に出る立場なので、代わりに話を聞きだせるのは葉月しかいない。むんと拳を握り、どんな状況でも受け止めて見せようと気合を入れる。

「誰との子供かはわかってるの?」

「ああ、思い当たるのは一人しかいないからな」

 該当人物の顔でも思い浮かべているのか、顎に手を当てた実希子が目だけを斜め上に動かす。

「ええと……私たちの知ってる人?」

「面識は……あるな。話したことはないだろうが……いや、一言二言なら……」

「まさかっ」

 テーブルに額を押し付けて何事かをブツブツ呟いていた好美が、顔を跳ね上げた。

「さすが好美だな、もう気付いて――」

「小学生は犯罪よっ!」

「はあ? お、おいっ、何で小学生になるんだよ!」

「え? 違うの? 私や葉月ちゃんが見たことがある程度の男性となると、柚ちゃんの教え子くらいしか……」

 親指を噛んで目を白黒させる好美の肩を葉月が揺さぶる。

「落ち着いて、好美ちゃん。小学生よりは、配送先の社員さんとか南高校に新しく赴任した先生とかの可能性が高いから!」

「そ、そうよね、ごめんなさい」

 好美が謝ったことで実希子も落ち着いたらしく、浮きかけていたお尻を椅子へと戻した。

「ビックリしたー、好美でも取り乱すことがあるんだな」

「実希子ちゃんが、とんでもない話を持ってくるからよ! 体調不良なんて珍しいこともあるもんだ程度の認識だったのに……」

「確かに妊娠は予想外だったよね」

 テーブルに着いた肘をハの字に開き、その間に顔を落とした好美の頭を撫でつつ、葉月は話を元に戻す。

「それで実希子ちゃんのお相手は誰なの?」

「小山田 智之(おやまだ ともゆき)って言ってな、葉月たちはほら、柚の開催した合コンで会ったろ。美由紀先輩が乱入したやつ」

「それって大学生の?」

 復活した好美が目を瞬かせる。

「ああ。なんか弱々しくて放っておけなくてな。自信がないっていつも言ってるから、なんつーか、その、流れでな」

「どんな流れよっ!」

 ついに切れた好美がテーブルを叩いて立ち上がる。
 客の気配を察知して、店に出ていた茉優がまた戻ってきた。

「あああ、姉御肌な性格だから、面倒を見る甲斐のある駄目男に引っ掛かってしまったのね……」

「面倒見甲斐のある駄目男って……」

「お黙りっ! その男を今すぐここに連れて――いえ、呼び出しなさいっ!」

「好美、落ち着けって!」

「そうだよ、まずは実希子ちゃんとその子で話し合わないと! 第三者が余計な口を挟んで拗れちゃったら大変だよ」

「離して葉月ちゃん! 実希子ちゃん一人に任せてたら、ノリで突っ走るに決まってるんだから!」

「……否定できないな」

「そこは否定してよ、実希子ちゃあん!」

 ギャーギャーと騒がしくなるムーンリーフの外では、いつの間にか日が落ちてすっかり暗くなっていた。

   *

 実希子の妊娠が確定し、さらに数日後。

 出会いの場となった居酒屋には面接官よろしく、葉月の他に好美と柚がいた。
 正面に座るのは小さくなっている一人の男性。

 彼の隣にいる実希子ちゃんの説明で、小山田智之その人なのが判明済みだ。
 自己紹介を終えるなり、真ん中に座る好美が口火を切った。

「それで……どうするつもりなの? 遊びで済ませる気じゃないでしょうね」

「いきなりそれかよ」

 苦笑する実希子に目で静かにしろと告げ、好美は男を鋭く睨む。
 隣にいる葉月ですらプレッシャーで変な汗を掻きそうなのだ。まだ若い大学生には耐えられる雰囲気ではない。

 若干の憐れみを抱きつつも、好美の質問への答えも気になるので、ひとまずは黙って状況を見守る。

「もちろん責任を取るでありますっ」

 テンパリすぎたのか、唐突に立ち上がった青年が直立不動で叫んだ。

「心意気はわかったけど、まだ大学生よね? 進路は?」

 続けての好美の質問に答える前に、小山田智之は実希子から落ち着けと背中を叩かれて、半ば強引に水を嚥下させられた。

「しゅ、就職が決まってましたが、辞退するであります!」

「だから落ち着けって――辞退!?」

 今度は実希子が大きな声を出した。
 他のお客さんの視線が集まる。

 迷惑なのはわかっているので、葉月と柚でぺこぺこと頭を下げる。
 ややこしい話になりそうだったら、すぐにカラオケボックスかどこかに移動するつもりだった。

「おい、どういうことだよ」

「ふごごご」

「実希子ちゃんが落ち着きなさい! 彼、青くなってるわよ」

 胸倉を掴んで揺さぶっていた実希子が、好美の叱責で我に返る。

「わ、悪い。けど、アタシも聞いてなかったからさ」

 説明を求められた智之は、お代わりした水を飲んで話し出す。

「自分の就職先は九州だったんです。就活も上手くいかずに落ち込んでた時に実希子さんと出会って、色々と相談に乗ってもらって、勇気を貰えて……」

「それでようやく採用になったんだろ。なんで蹴るような真似をするんだよ」

「実希子さんのためにも、地元に残りたいからです」

「は?」

「一緒に過ごすうちに実希子さんに惹かれていって、気が付けば常に見てるようになったからわかるんです。責任感が強い女性だから、自分と結婚という話になったら付いてきてくれることも。でも」

 智之がいつになく真剣な顔つきをしたのだろう。
 肩を掴まれた実希子が吸い込まれるように、彼だけを見つめる。

「自分が好きな笑顔はここでこそ、大好きな人たちに囲まれていてこそ見れるものなんです。だから自分は守りたい。実希子さんからすればまだ子供だし、頼りないでしょうけど、それでも惚れた女性だから……!」

「お前……」

 当事者ならずとも涙ぐむ光景だが、唯一の例外が葉月の隣に座っていた。

「気持ちはわかったけど、就職を蹴ってどうするの? 今からこっちで探しても見つかるとは思えないわよ」

 小山田智之は県の出身者でも中央の方に実家がある。
 田舎の県内であっても、葉月たちの地方と比べると発展状況は雲泥の差だ。

「まさかムーンリーフを頼ろうとは思ってないわよね」

 今の経営ぶりなら社員を増やすのに問題はないが、好美に視線で待てと合図されたので葉月は口を閉ざし続ける。

「はい。自分でなんとかします」

「……気合だけじゃ、どうにもできないのが人生よ」

 はっきり甘くないと告げられた智之は肩を落とすが、実希子がその肩をガッチリ掴んだ。

「でもアタシは気に入った。心配すんな、スコーンと産んで、お前と子供の二人くらいアタシが食わせてやるよ!」

「だからそれじゃ駄目なんだってば……」
「さすがにそれは……」

 好美と智之が言ったのはほぼ同時だった。
 実希子の発言は男前だが、負担を一人ばかりに押し付けるわけにはいかない。
 好美は頭を抱えたそうにしていたが、その隣では柚が諦めたように苦笑する。

「実希子ちゃんがその気になったんだから、友人としては応援するしかないでしょ。好美ちゃんだって反対前提で、今回の顔合わせをしたわけじゃないわよね」

「それはそうだけど……」

「なら私はパパに話をするわ。不動産業も好調だし、多少は各方面に顔も利くから。ただ営業で走り回らされることになるだろうし、ムーンリーフよりも扱き使われるだろうけどね」

「大丈夫です! 実希子さんのためなら何でもします!」

 即断即決の智之に、実希子が目を丸くする。

「こんな一面もあったんだな……」

「頼り甲斐があって、逆に愛情が減ったとか?」

「んなわけあるか! アタシだって、その……別にどうとも思ってない奴と、そんな関係にはならないからな!」

「み、実希子さん……」

「はいはい、ここで盛らないでね」

 好美の辛辣な指摘に、二人は揃って顔を赤くする。

「アハハ、なんかベタ惚れみたいな感じだね」

「尻に敷かれそうだけど、しっくりきそうな組み合わせでもあるわね」

 葉月と柚が笑い合っていると、好美もまた諦観たっぷりに肩から力を抜いた。

「ならあとはお互いの家族も含めて、よく話し合うのね。小山田君のご両親だって、結婚するから就職止めるじゃ驚くでしょうし」

 元気に返事をする夫となる男性の肩を、笑顔の実希子が優しく揺する。

 きっかけはどうであれ、大好きな友人が幸せならいいやと、葉月も自然と笑みを浮かべて、目の前の二人を全力で応援しようと決めた。
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