その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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葉月の子育て編

それぞれの夏

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 楽しかった学生時代もあっという間の日々だったが、大人になるとさらに月日が流れるのを早く感じる。

 母親になればもっとだった。毎日戦いとも言えるような育児は、可愛い笑顔に癒されながらも気苦労が絶えない。

 幸いにして葉月には頼れる両親と旦那様、忘れてはならない友人たちもいるので店との両立もなんとかなっているが、一人ではとても無理だったろう。
 付け加えれば悩んだり困ったりした時に、身近な人間に気軽に相談できる環境もありがたかった。

 楽しくも疲れる日々を目まぐるしく過ごしているうちに、葉月がこよなく愛する娘は二歳になった。

 そのすぐ前には実希子の家にお呼ばれして、希の誕生日も祝った。
 二歳になっても実希子が超ものぐさと評するだけあって、追い立てモードに特化した穂月に迫られなければ立ち上がりもしないのだが。

 しかし運動能力は抜群にあるらしく、もしくは穂月に追われるのがよほど怖いのか、あっという間に走れるようにもなっていた。
 その希を両手に捕まえるために、穂月も少し前に走れるようになったのだから、母親として葉月はありがたいやら申し訳ないやらで複雑だった。

 実希子は笑いながら、むしろ歓迎してくれた。
 穂月がいないと希を動かすのが困難だし、何より日頃の運動不足解消になるとの話だった。

 今日も今日とて、走れるようになった穂月が「ぶんぶんー」といつもの恐怖ワード――希にとっての――を口にしながら獲物を狩り立てる。
 本人たちにとってはデスゲームじみていても、傍から見ている分には小さい子供の微笑ましい追いかけっこである。

 遊んでいるとしか思われないだけに、涙目の希に差し伸べられる手はなかった。
 もっとも本当にヤバそうな雰囲気になれば、葉月や実希子が助けるのだが。

「しっかし、子育てがここまで大変だとは思わなかった。仕事しながら、ソフトボールのコーチしてる方がずっと楽だぞ」

「アハハ、言えてるかも」

 葉月が同意すると、実希子は少しだけ「あれっ」といった感じで怪訝そうにする。

「実家住まいで両親の補助があるのはお互い様として、葉月はなっちーの世話もしてたから慣れてるんじゃないのか?」

「世話をしてたといってもママの手伝い程度だし、それに自分の子を育ててみてわかったけど、なっちーって恐ろしく手のかからない子供だったんだよ」

 幼少時から積極的に自分のことを自分でやろうとした菜月である。
 例えるなら、勤勉で行動的な希だ。

「え……? それって最強の子供じゃないのか?」

 実希子が愕然とする。
 さりげなく我が子の評価が意外と高いのを匂わせるあたり、なんやかんやで彼女も立派な親バカなママ友同盟の一員らしい。

「逆に整いすぎてるのを、マセてると不快がる人もいたけどね」

「出る杭は打たれるってやつか。あー、やだやだ」

 学生時代から実力が超級で先輩には可愛がられた実希子だが、それでもやっかむ人間は僅かだが存在した。
 些細な嫌がらせを笑い飛ばし、実力でそういった人間の口を黙らせ、最終的には認めさせるところまでがとても実希子らしかったが。

   *

「ただいまー」

 四歳になって、それなりに会話も成立するようになってきた朱華が、可愛らしい制服姿のまま店に入ってきた。
 店の中にいたお客さんがこぞって目を細め、口々に幼稚園の制服か尋ねる。

「そうなのー」

 無邪気な返答をする朱華はにこにこで、上機嫌なのがわかる。
 幼稚園にはバスで通っており、帰りはムーンリーフ前で降ろしてもらうことになっている。

 幼稚園の先生と少し会話をしていた尚も戻ってきて、お店から入らないように注意するも、きっと明日も同じことをするだろうという確信が葉月にはあった。
 隣で見守っていた好美も同じ感想を抱いたらしく、

「尚ちゃんの子供らしいといえばいいのか、やっぱり結構な目立ちたがり屋さんに育ちそうね」

 もっと小さい頃から、朱華は注目を集めるのが好きな子供だった。

 ゆるふわ系のお嬢様じみた長い髪形に大きめのリボンという、どこか昔のアイドルを連想させるような恰好も彼女の好みだという。
 痛い感じは一切なく、とてもよく似合っているのは彼女の外見がかなり整っているからだろう。

 誰が見ても将来は美人になると一押しされるので、ますますもってお店で常連客に囲まれるのが大好きになっていた。

「それに比べて……」

「アハハ……希ちゃんは変わらないね」

 飲食用の椅子の上で器用に丸まる姿は穏やかな飼い猫を連想させる。
 誰に髪を触られようとも反応せず、ごく稀に初めて彼女を見たお客さんが、大丈夫なのかと本気で心配することもある。

 その場合は葉月たちが弁明するよりも先に、パッチリ目を開けてそのお客さんを凝視したりする。
 当人に大人の言葉を理解している疑惑があるのは前々からで、母親の実希子は間違いないと断言していた。

 その実希子の談では、あまりに動かなくて病院へ連れて行こうか夫と相談する時に限って、のそのそと必要最小限程度に動くらしい。
 以降は脅しというか行動を促す呪文代わりに活用していたようだが、学習能力も高い二歳児にはすでに通用しなくなったと、つい先日実希子が愚痴っていた。

 しかしその希には天敵が存在する。

「だーだー」

 にこにこと近寄る悪魔の声に、誰より俊敏に反応する椅子の上の希。
 慌てて退避しようとするも、迂闊にも椅子はすでに射程に捉えられていた。

「いやだ、あっち、あっち」

「――っ!?」

 慌てて指差して天敵を追い払おうとする愛娘に、実希子が瞠目した。

「希め……やっぱり喋れるんじゃねえかあ」

 血涙が見えそうな悔しげな表情で、家庭における母娘のやりとりが手に取るようにわかる。

 結果、母親は我が子をあえて谷底に落とす決意をする。
 要するに放置である。

「ぶんぶんー?」

「おかしい、おかしい」

 意味不明な穂月に対し、理解できる言語を口にできるあたり、希の優秀さは想像以上のようだ。

「それに比べてうちの娘は……」

 喋れる単語も増えてきてはいるが、恐怖に慄く希みたいにはいかない。

「いっそ穂月にも……でも天敵がいないしなあ」

「葉月、不穏な言葉が口から洩れてるぞ」

 実希子に注意されて苦笑いを浮かべるが、葉月の悩みもすぐに解消する。

「ほづきちゃん、めっ、なの」

 お姉ちゃんぶりたいのか、奪われた注目を取り戻したいのかは不明だが、朱華は猛烈に希へちょっかいを出そうとする穂月を注意した。

 すると穂月は、

「あいっ!」

 と元気よく右手を挙げて応じた。
 これまた「偉いねー」と周りの大人に褒められることになる。

 てっきり朱華が拗ねるかと思いきや、一緒になって得意げになっているあたり、面倒見もいいのだろう。
 もしかすると適正があるからこそ、お姉ちゃんぶりたいのかもしれない。

   *

「そんなことがあったんだよ」

 夜になって久しぶりに電話があった妹に、葉月はリビングのソファにもたれかかりながら、日中のやり取りを教えていた。

「穂月も希も、問題なく成長しているみたいでよかったわ」

 言葉にするとそっけなさも感じるが、菜月の声はとても柔らかい。
 お正月の一件以来、わりと素直に姪っ子らに対する感情を表現してくれるようになったので、姉としても母親としても嬉しい限りである。

「そうなると、二人目も視野に入ってくるのではないの?」

「うーん……色々と考えてはいるんだけどね」

「お店もあるし、そう簡単には決断できないものね。まだ穂月にも手はかかるし」

「それもあるけど、実希子ちゃんが考えたりしてる」

「……とても嫌な予感がするのだけれど、気のせいかしら」

「アハハ。可能性は低いと思うけど、もし実現出来たらとても素敵なことだと思う」

「それなら楽しみにしていればいいのかしら」

 期待とも呆れともつかぬ返答で、会話が不意に途切れる。
 話したいことはたくさんあるのだが、逆に葉月が取捨選択できずにいると、菜月の方から新しく口を開いた。

「そうそう、無事に就職が決まったわ。はづ姉の話に聞き入ってしまったけれど、それが電話をした用件なの」

「えっ! そうなんだ、おめでとう!
 えっと、以前に聞いた時は銀行員を目指してるって言ってたけど、就職先を聞いてもいい?」

「もちろんよ」

 菜月から教えられた銀行名に、葉月はしばし絶句した。
 ようやく思考と感情が追いついた瞬間、気が付けば大声を出していた。

「メガバンクじゃん!」

 ムーンリーフと取引のある地方銀行とはまるっきり格が違う、誰でも聞いたことのある超一流所だった。

「本当におめでとう!
 散々、周りになっちーの優秀さを自慢してきたけど、まさかここまでくるなんて」

 超一流の大学に超一流の就職先。
 果たしてどこまで偉くなるのか、もはや姉であっても想像できなかった。

「なんか、なっちーが遠くにいっちゃったみたいだよ」

「何言ってるのよ。東京に進学したって変わらなかったでしょ。それと同じよ」

 大したことなさそうに言ってのけるのが、とっても菜月である。

「パパとママには教えてあげたの?」

「これからよ。最初にはづ姉に教えてあげたかったの。誰よりも早いんだから感謝してよね」

「うん! じゃあ、パパとママに変わるね!」

 そもそも一緒に団欒中だったのだ。
 どういう状況か理解している春道は、笑顔で和葉へ先に出るよう促す。
 涙を流して喜ぶ和葉の肩を抱き、身を寄せ合う夫婦の姿に葉月の胸も熱くなる。

「ねえ、和也君。
 この子も将来、なっちーやパパやママみたいに素敵な大人になってくれるかな」

「当たり前だろ。その素敵な大人を間近で見てきた俺たちの娘なんだからさ」

「そうだよね……ありがと」

 甘えるように夫の胸に体重を預けながら、葉月はすぐ隣で眠っている愛娘の頭を優しく撫でた。
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