その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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葉月の子育て編

春道と和葉の五十路会

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 窓からチラつく雪が夜の闇をぼんやりと照らすのは、北国でしか見られない幻想的な一幕だ。

 生活感溢れる各家の明かりが現実感との対比を生み、見慣れた光景であるはずなのに、春道は窓際でしばらく見入っていた。

「何か面白いものでもあるの?」

 キッチンで作業をしていた和葉が、春道の隣で窓に顔を近づける。
 その仕草が妙に可愛らしくて、反射的に頭を撫でてしまう。

「どうしたの、急に」

「別にいいだろ。誰が見てるわけでもないしな」

 平日の午後八時過ぎ。
 普段ならこの時間帯は愛する家族たちとの団欒に使われている。
 けれど今日は春道と和葉だけだった。

「葉月たちがいなくて寂しいのね?」

「和葉もだろ」

「賑やかさに欠けるのは事実ね」

 素直に認めようとしない愛妻の頬をつつくと、無言でその頬を膨らまされて春道の指が弾かれた。

 普段から高木家にはよく人が集まるが、もてなす側からもてなされる側になるケースもそれなりにある。

「尚ちゃんのとこにお呼ばれしてたんだよな?」

「ええ。仕事帰りにそのまま向かったはずよ。
 家が近いし、穂月たちがおねむになったら、そこで寝させてしまうはずだから、帰りは少しばかり遅くなるかもしれないわね」

 春道の隣に立ったまま、和葉も窓から分厚い雲の覆う夜空を見上げる。
 一面の漆黒を嫌うように降り続ける雪が、それこそ星のように輝く。

 外に出れば二月の厳しい寒さを実感することになるが、暖房の効いた部屋ではわりと快適なので、悠長に窓際で冬の夜空を鑑賞していられた。

 無言の時間も心地よく、自然と寄り添い、肩越しの愛しい体温に春道の頬が緩む。

「静かだな」

「ええ」

 繰り返し下りる沈黙に浸りながら、滅多にない時間を楽しむ。
 日々賑やかなのもありがたいが、たまにはこうした静けさもいい。

   *

 雪夜の鑑賞を終えると、リビングで一緒に紅茶を飲む。

「どうしてか自分で淹れるより、美味しいんだよな」

「きっと愛情がたくさん入ってるからね」

「なら和葉の分は俺が淹れることにするか」

「ふふ、それもいいわね」

 とりとめのない会話と自然なやりとり。

 笑顔と軽めのスキンシップ。

 夜は部屋でいつも一緒だが、春道が飽きることはなかった。
 ただ二人でいるだけで幸せを感じられるのだから。

「二人きりは少しばかり照れるわね」

「いつも部屋ではそうだろ」

「上に葉月たちがいるじゃない」

「じゃあ前に温泉行った時とか」

「あの時は旅先の解放感が、上手く照れを消してくれたのよ」

 クスクスと笑う和葉の頬は仄かに赤い。
 家でもいまだに薄く化粧をする和葉が、女性として春道に綺麗に見られたいと頑張っているのがわかる。

 だからこそ春道も普段から歯の浮くような台詞を言いまくるのだが。

「この歳で、とも思うけど……」

「何言ってるんだ、和葉はまだ若いし、綺麗だよ」

「もう……」

 より顔を赤くしてはいるが、決して嫌がっていないのがわかる。
 何歳になっても、それこそ女性も男性も関係なく、誰かから褒められれば――それが身内ならばなおさら――嬉しいものだ。

「ありがとう、春道さん」

 お礼を言ったあとで、またはにかむように微笑む。
 皺が目立っても、本当に綺麗で愛しい妻に春道は目を細める。

「それに歳のことを言ったら、俺だって変わらないしな」

「そうね……。
 出会って二十年以上、私たちも五十を過ぎたのよね」

 人生の平均は八十年と言われ、昔に比べるとずいぶん伸びたが、順当にいっても残りは三十年程度になる。

「人生の折り返しも過ぎたし、
 あとはどうゴールさせるか悩む年代に入ったのかもな」

「フフ、葉月に聞かれたら、寂しいことを言わないでって怒られちゃうわよ」

「それは大変だ。あの子といる時には口を滑らせないようにしないとな」

 そうしてくださいと優しい目をする妻を見つめながら、春道は感慨に耽る。

「五十歳になったんだよな……」

 誕生日を家族で祝ってもらったので実感もあったのだが、こうした時間を過ごすたびにより強く認識する。

「もうおじいちゃんとおばあちゃんだもの」

「そうだった。歳をとって当たり前だ」

 二人して笑い、紅茶で喉を潤してから、そういえばと春道は新しい言葉を紡ぐ。

「葉月たちは三十歳を過ぎた時、三十路会というのをやったらしいな」

「言ってたわね。葉月でさえ、歳を取るのが段々嬉しくなくなってきたと苦笑いを浮かべてたわ」

「ハハ、気持ちはわかるが、それでも人生を無事に歩いてこれた記念でもある」

「確かにね。
 もしかして何かやりたいことでもあるの?」

 問われた春道はニヤリとして、

「せっかくだから、俺たちも五十路会というのをやってみようじゃないか」

   *

 そうは言ったものの、時間とお金をかけて大々的に開催するのではなく、そのままの流れでお喋りを続けるだけだった。一応はクッキーも用意してみたが、普段とあまり変わらないといえば変わらない。

「それでどうするの?」

「うーん……和葉は五十になって、何かやってみたいことはある?」

 少しも考えることなく、愛妻が首を左右に振る。

「ないわね。今がとても幸せだもの」

「俺もだ」

 降りてくる沈黙に、顔を見合わせて笑う。

「五十路会、終わっちゃったじゃないの」

「いやいや、まだこれからだって」

 葉月たちが帰宅するまでと時間を決め、とりあえず五十歳にちなんだ会話を探す。

「しかし和葉じゃないけど、やりたいことってほとんどやってきたよな」

「ええ、怖いくらい幸せな人生だわ」

 和葉は和葉で若い時に葉月を連れてかなり苦労していたが、振り返ってみれば楽しい思い出だと笑う。

 春道だって独身時代の生活をさほど嫌っていたわけでもない。もっとも家族と離れて一人に戻りたいかと問われれば全力で遠慮させてもらうが。

「きちんと育てられるか心配だった葉月が立派な人間になってくれて、菜月も小さい頃は色々あったみたいだけど、血が繋がっている姉妹以上に仲良くしてくれてる。親としてこんなに嬉しいことはないし、あの子たちにどれだけ感謝してもしたりないわ」

 微笑んで春道も頷く。

 菜月を作るかどうかの時、すごく悩んだのを思い出していた。
 自分の血を分けた子供ができた時、それまでと同じような対応を葉月にできるか不安だったのだ。

 頭ではそうするつもりでも、その時にならない限り、自分の心がどう反応するかわからなかった。

 それを大丈夫だと後押ししてくれたのが他ならぬ和葉だった。

「菜月が小さい時は、春道さんが葉月の面倒を見てくれて助かったけど、その分だけファザコンを拗らせてしまったのよね」

 ジト目でため息をつく愛妻に、春道は乾いた笑いを返すしかなかった。

「まあ、いいじゃないか。その葉月もしっかりと伴侶を見つけ、今や一児の――いや、今年中に二児の母親になるんだから」

「期待はしてたけど、実際に孫の顔を見られて感無量だったわ」

「自分の子供の時とはまた違った感動があったな」

「子供より孫の方が可愛いと言う人の気持ちも少しだけわかるわね」

「ハハッ、その人だって、自分の愛する子供のそのまた子供だから、そういった感想になるんだろうけどな」

 それは当然よと言って笑ったあと、和葉は思い出したように付け足す。

「でも希ちゃんや朱華ちゃんも可愛いと思うわよ。皆、いい子だもの」

「ああ、穂月たちにとって、それぞれがかけがえのない親友になってくれるといいな」

 そう上手く運ばないのが人生かもしれないが、祖父として願わずにはいられなかった。

   *

 五十路会などと銘打ってはみたものの、二人だけの会話に変わりはない。
 ただ話題はどうしても年齢や人生のことなど、葉月たちがいる前ではあまりしない内容が多くなった。

 そうなれば春道でなくとも、当然のように思うことがある。

「……あと、どれくらい残ってるんだろうな」

 まだまだ働き盛りと呼ばれる年齢であったとしても、下り坂に足を踏み入れたのは間違いない。

「今はまだ想像もできないわね」

 春道のみならず、和葉も心と体が元気な証拠でもあった。

「本か何かで見た話だと、衰えというのは急にくるらしいからな」

 年齢を境に徐々に下がっていくのではなく、ある時いきなり崖から飛び降りるように急降下するという内容だった。

「そうなるのを少しでも和らげるために、日々の食事と運動が大切なのよ」

「うわ、藪蛇だったかも」

「フフッ、大丈夫よ。春道さんは十分頑張ってるもの。運動メニューを増やしたりしないわ。サボらせもしないけど」

「お手柔らかにお願いするよ」

 承りましたと茶目っ気たっぷりに舌を出したあと、和葉の顔つきが不意に真面目に、それでいて優しさを含んだものに変わった。

「残りの時間は知りようもないけど、何があっても私は最期まで春道さんといるわ」

 それはとても真摯な。

 とても素直な。

 とても想いに溢れた愛の告白も同然だった。

 だから春道も返す。

 ありったけの愛情と感謝を込めて。

「俺も誓うよ。最期まで和葉と一緒に全力で生きてく」

「……はい」

 ゆっくりと唇を重ね合わせたところで、玄関が騒がしくなりそうな気配を感じた。

「どうやら帰ってきたみたいね」

「秘密の五十路会の終了だな」

「フフ、とても有意義だったわ」

 愛妻と一緒になって立ち上がった春道は、両手を広げてリビングに入ってくる最愛の家族を迎え入れる。

「おかえり」
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