溺愛フレンズ

砂原雑音

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1巻

1-2

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 こっちを流し見る諒の目は声と違わず冷ややかで、彼の呆れが伝わってくる。

「……それは、もうしない」
「じゃあ合コンでも行くか? また変なのに捕まりそうだな。ちひろは、とにかく男を見る目がない」
「わかってるよ、うるさいなあ。だから結婚を前提とした婚活アプリに頼ったんじゃない。それが駄目だったらどうすればいいのよ?」

 いつもならなぐさめて終わりなのに、今日の諒はなぜだかダメ出しを始める。ぐすっと鼻をすすってにらみ返すと、彼がにやりと笑った。

「いい方法がある」
「なに?」
「俺と結婚すればいい」

 数秒、ぽかんと呆けてしまった。そんな私を、諒がじっと見つめ返してくる。

「……は?」

 え、冗談だよね?
 そう考えたけれど、すぐにそれは違うとわかった。
 諒は、人が真剣に悩んでいることにそんな冗談を挟んでからかったりしない。
 でも、なんでそんな提案が出るのかはさっぱりわからず、クエスチョンマークが頭の中を飛び交った。

「え? 友達なのになんで?」

 思わずこぼれたストレートな疑問に、諒がぴくっと頬を引きつらせる。そういや、その顔、今日はよく見るような。

「……そうだな、友達だ」
「諒も結婚したいの? 知らなかった! でも諒なら相手に困らないでしょ?」

 なのに、なんで?
 いつの間にか顔ごと諒のほうへ向け、前のめりになっていた。すると「まあな」と呟いて、彼が突然顔を近づけてくる。ちょん、と鼻先がくっつくくらいの至近距離で、ちょっとびっくりした。

「え、何、これ」
「これくらい俺と顔を近づけても、少しも顔色を変えないのはちひろくらいだ」

 ……どうやらモテ自慢のようだ。つまり他の女の子はポッと顔を赤らめるということだろう。
 確かに動じないのは私くらいかもしれない。諒がどれだけイケメンでも、私にとっては大事な友達で、それ以上でもそれ以下でもない。
 見つめ合っている間、店内には静かなざわめきとBGMが流れていた。ずっと自分たちの話でいっぱいいっぱいで気づいていなかったけれど、最初は私たちだけだった店内も、いつの間にか多くの人で賑わっている。マスターは込み入った話になった私たちを気遣ってか、グラスが空になったときしか近づいてこない。

「……顔色を変える理由がないでしょ」

 そう、そのはずなのに、沈黙と至近距離が、今まで諒には感じたことのない心のざわめきを生む。思わず目を逸らし、少し遠い位置にいたマスターに向かって手を上げた。

「同じカクテル、もうひとつ」
「かしこまりました」

 諒もようやく顔を遠ざけ、マスターにブランデーのロックを頼む。
 新しいグラスが揃ってから、深呼吸をし、話を戻した。

「ところでなんで結婚したいの?」
「会社でしつこいのに絡まれてる。俺は今は仕事が楽しいし、興味ないっつったら……」
「言ったら?」

 諒が心底うんざりだという顔をした。

「ゲイじゃないかとか言いふらしやがった」
「ぶっ」
「お前……笑いごとじゃないぞ」

 思わずカクテルを噴きそうになった私を、諒が恨めしげににらむ。いや、しかし、確かにそれは嫌だろう。ごめん、笑って悪かった。

「女はめんどくさい。素っ気ないとこが好きとか言いながら、付き合った直後から構ってくれないだとかなんだとか不満を漏らすし」
「いやいや、そんだけ諒のことが好きなんでしょ」

 私の話はよく聞いてもらうけれど、諒の話はあまり聞いたことがないので新鮮だ。
 珍しい諒の愚痴に、たまには私が聞き役になるべきだろうと耳を傾ける。ちびちびとカクテルを口に運んでいるうちに、泣いたことで少しはめていた酔いが、また脳を支配し始める。

「お前くらいサバサバしてるほうが多分俺には合ってる」
「いや、それは友達だからだってば」

 実際、諒がどんな女性と付き合ったのか、本当に我慢ならないくらいに依存されたのか、知らないから判断はつかないけれど。
 私と比べてもしょうがないでしょう、とけらけら笑う。けれど、諒は笑い話にはしなかった。

「だから、友達くらいがちょうどいい。ちひろなら結婚相手に最適だ」

 どうやら、彼は本気で私と結婚するのがいい案だと思っているらしい。真剣な顔で言われて、さすがに笑ってもいられなくなる。

「でも結婚って、そういうのじゃないでしょ。ちゃんと誰かを好きにならないと」
「出会って間もない男と愛を育てようとして失敗したんだろ」
「うっ、うるさいなあ!」

 いちいち痛いところを突いてくるな!
 ちょいちょいと心の傷をつっつかれて、またカクテルをあおった。

「俺は友人の中でも一番ちひろと気が合うし、誰より信頼してる」

 ねかけていたけど、そのセリフがちょっとだけ私の気持ちを上向かせる。

「……ふーん」
「俺は、女にべったり依存されたくない。その点、ちひろとなら結婚しても友人関係を崩さないでいられるだろう?」
「それは、そうだけど」
「お前はマイペースだし、連絡無精だしな。俺が連絡しないと、そっちからメールも電話もしてこないだろ。やれ連絡がないだのやれ寂しいだの、挙句、仕事と私、どっちが大事なのとか言い出すこともないだろうし」

 言葉だけ聞くとけなされているようなセリフだが、酔いが回って気分がいいせいか、褒め言葉に聞こえてくる。
 そこに、それまで他の客の相手をしていたマスターが、ちょうど戻ってきて横やりを入れてきた。

「確かに友達夫婦ってよく言いますね」
「いやいや、友達みたいな夫婦って意味でしょ、それ」

 本当に友達と結婚することではないはずだ。

「ちひろ、難しく考えないで、まず目の前の問題から考えろ。明日、両親に男を紹介しないと、その分家だかなんだかの男と結婚させられるかもしれないんだろう」
「そうだけど、でも諒は? そんな結婚がほんとにしたいの?」
「結婚は自己責任だ。俺は俺の意思で結婚したいと思っているんだから、ちひろは気にしなくていい。ちひろも、自分で相手を選びたいんだろう?」

 そうして、三本、指を立てて見せた。

「お前にある選択肢は三つだ。分家の男、婚活アプリ、俺。まあ、婚活アプリで明日までに相手を見繕みつくろうのは難しいかもしれないが――どれがいい。お前が選べ」

 にやりと笑って、諒は三本の指を軽く動かす。

「俺と結婚すれば、俺には都合が良い。お前も助かる。ウィンウィンだろ」

 諒と結婚? そんなこと考えたこともなかった。でも確かにいいかも……諒なら気心も知れているし、安心だ。
 アルコールでふわふわしているせいか、なんだか最良の選択肢に思えてきた。

「……うん。いいね」

 確かに、その三択なら諒しかいない。私は彼の三本目の指を握った。
 後から考えれば、この頃にはもう正常な判断ができないくらい酔っぱらっていたのだ。

「じゃあ、決まりだな。乾杯」

 諒がにっこり笑って、グラスを掲げた。私もそれに合わせてカクテルグラスを持ち上げて、くいっとあおる。
 その後、これは『友達結婚』だ、先進的な結婚だと散々盛り上がったことは覚えているのだけど……


「……ちひろ。ほら、あと少し」
「ん……」

 頭が重い。ぐらぐらする。足元が覚束なくて、隣にあるがっしりとした身体に、すがるようにしがみついた。私の腰には力強い腕が回されていて、そのおかげでくにゃくにゃになった膝でもどうにか歩けているようだ。
 ぴっ、と電子音がして、扉が開く。中に進むとぱっと灯りがついた。それがまぶしくて、目にも頭にも辛い。

まぶしい、頭痛い、やだぁ」

 ここはどこだ、とかどうやってここに来たのか、とかそんなことを考える余裕はない。ただとにかく早く寝転がりたかった。ここまで飲んだのは本当に久しぶりだ。
 どさっと柔らかい場所に仰向けに寝かされる。やっと力が抜けてほっとしたけど、身体は不快感でいっぱいだ。誰かの手がジャケットの合わせを開き、私の身体をゆっくり転がしながら脱がせてくれた。
 それから私がさっき文句を言ったからか、ちょっとだけ部屋の灯りが柔らかくなった。おかげで、頭の痛みが和らいだ気がする。けれど、横になってるのにくらくら眩暈めまいがするし、たくさんお酒を飲んだせいか喉が渇いて仕方がない。
 気がつけば「水、水」とうなされたように口にしていた。多分そばにいる人――諒が水を持ってきて飲ませてくれるだろう、と信じていた。
 諒はいつだって私を助けてくれるから。
 ふっ、と意識が落ちかけたけれど、私の顔を撫でる大きな手の感触にまた薄く目を開く。

「ちひろ。起きられるか?」

 そう言われても、身体が異様に重くて腕を持ち上げるのもつらい。できない、と首を左右に振ろうとしても眩暈めまいが酷くて、私は無反応でいるしかなかった。
 すると、少しだけ時間がおかれた後。

「……んっ」

 唇に冷たい感触が触れた。私の唇をぴったりと塞いだ柔らかい何かから、程よく冷たい水が流れ込んできて、私はそれを夢中で飲み込んだ。ただの水だろうに、ものすごく美味しく、甘く思えて、世界中で一番おいしい水に違いないと思った。
 夢とうつつを行き来する。
 時々、諒の声が聞こえる。身体のあちこちを締め付けるものがそのうちなくなって、少し楽に呼吸ができるようになった。
 大きな手が私の額や頬を撫で、髪をよけてくれる。
 諒の手は指が長くて関節が少し太くて、ごつごつしている。なのに、触れ方がとんでもなく、柔らかい。まるで宝物を扱うかのように。
 だから思った、ああ、夢を見てるのだと。
 諒が私に、こんな触れ方をするわけがない。
 だけど、酔って火照ほてった顔にはそのひんやりとした手のひらが心地よくて、思わず私のほうから頬をり寄せて、おねだりをしてしまった。

「さっきの水、もういっかい」

 さっき飲んだのに、もう喉がカラカラで辛い。
 また、唇が塞がれた。こくこくと飲み込んでから、キスされているのだと気がついた。水の後から口内に入り込んだ冷たい舌が、私のうわあごを撫でたから。
 ……欲求不満なのかな。諒とキスする夢を見るなんて。
 思わず身じろぎしたが、諒の腕が私の頭を囲って固定する。最初はゆっくりだった舌の動きが、次第に激しくなり、舌を絡ませてくる。
 息苦しくて、余計にぼうっとしてしまう。私の首筋に置かれていた手が、するりと撫でながら鎖骨まで降り、胸のふくらみに触れる。そこで初めて、自分が何もまとっていないのだと気がついた。
 夢の中とはいえ危機感を覚え、逃げようとする。けれど、身体が動かない。
 どうにか首を動かしてキスから逃げ出す。次の瞬間、熱い息が耳に触れて身体がぞくりと震えた。ねっとりと耳のふちう舌は、いつの間にか熱を取り戻し温かだった。

「ふ……うん」

 絶えず舌先から送られる愉悦にぞくぞくし、何も考えられなくなる。
 耳から首筋、鎖骨へと唇で辿られる。肌に触れる息は本当にこれが夢なのかと疑う熱さだ。

「……りょ、おっ」

 胸にしゃぶりつかれ、背筋をよじらせてシーツを掴んだ。敏感な胸のいただきを、温かな口内でねぶられる。ざらついた舌が突起を押しつぶしたかと思えば唇が吸い上げ、そこからしびれるような熱が身体に広がっていく。
 その間にも、もう片方の胸は手で揉みしだかれ、空いている手で胸の下から腰へと肌を撫でられた。
 息が上がる。身体は思うように動かせないのに、腰だけが愛撫に反応してぴくりと揺れる。腰骨をくすぐられ身悶みもだえたそのとき、ずっと口の中でいたぶられていた胸の突起に、歯を立てられた。

「あああんっ」

 少し痛い。けれど、舌先がその痛みを和らげるように舐めてきて、甘やかされているような気持ちになる。その一方で、もう片方の胸の先が指先で摘み上げられて鈍い痛みを生んでいた。
 頭がおかしくなりそうだ。気持ちいいのか、辛いのか、痛いのかわからなくなる。
 腰と臀部でんぶをくるりとひと撫でした手が、太ももをい、今度は足の間へと近づいていく。

「ひあっ」

 既に濡れそぼった襞はすっかり敏感になっていて、指先が触れただけであえいでしまった。
 くちゅ、くちゅと水音がする中、空気にさらされた襞を指が辿るのがはっきりとわかる。とろ、と蜜がこぼれる感覚まで。

「う、あ、ああっ」

 ちゅぱ、と音を立てて胸が解放される。諒は起き上がって私の足の間に身を置くと、片手で私の右足を掴みしっかりと開かせた。
 指先が丁寧に、襞の形を辿るように行き来する。蜜口を探られ、腰が揺れる。まるで誘っているようで、恥ずかしくなって涙がにじんだ。
 アルコールのせいなのか愛撫のせいなのか、膜がかかったようにはっきりとしない視界の中で、私を見下ろす諒の目が熱をはらんで揺らめいていた。

「……ちひろ」

 私の秘所をいたぶりつつも、掲げた私の片足を抱き寄せる。
 私を見つめながら内腿に口づけ、歯を立てるその仕草に、ぞくぞくした。秘所をなぶっていた指が、襞の奥に隠れた花芽を探り出す。

「や、ああっ!」

 身体の奥が収縮し、頭が一瞬真っ白になった。
 激しい息遣いが重なり合う。身体に伸しかかってくる重みに、すぐに意識が呼び戻される。
 唇同士が触れるか触れないかの距離で、彼の舌が私の唇を舐めた。

「……俺のものだ」

 指を絡ませ合うようにして、私の手はシーツに縫い留められている。

「どこにも行かせない」

 私の名前を呼び、そうささやいたその声は、とても優しく、ベルベットのように耳に柔らかでありながら、強い意志を秘めていた。

「愛してる。……もっと早く、こうしていれば良かったんだ」

 そうしてまた、酸素すら奪うような激しいキスに、私の意識は今度こそ深い闇に落ちていった。


 人肌の温もりを久しぶりに感じながら、私はうつらうつらと微睡まどろんでいた。
 頭の中に断片的に残ったシーンに、すごい夢を見てしまったと、ぼんやり考える。
 おぼろげな視界で揺れた瞳、大きな手。
 それらが諒のものだと思ったとき、はっと急速に目が覚めた。

「……あ、れ?」

 どくどくどく、と心臓が早鐘を打っている。
 めちゃくちゃリアルな夢だった。……夢、だよね?
 いや、夢に決まっている。諒と私が、そんなことになるわけがない。
 混乱する頭を軽く振れば、ずきんと激しい頭痛に襲われた。

「いっ……たぁ」

 とても起き上がれそうにない。ぎゅ、と目をつむって額に手を当てる。
 大体、ここは一体どこ。
 視線を巡らせて、どうやらどこかのホテルの一室らしいと理解した。
 でも、なんで、ホテル?
 そう疑問が湧いたとき、すぐそばで男の低いうめき声が聞こえた。

「ん……ちひろ?」

 ぴき、と思考回路が停止する。寝起きの少し掠れた声だけれど、確かによく知っている声だ。同時に、私のお腹に絡みついていた腕の存在に気がついた。

「え……」

 ベッドの中で背後から抱きしめられている。その現状を理解するために、ぼんやりとした頭を無理やりに叩き起こした。
 今は、多分朝。さっきの声と、夕べ一緒に飲んだことから考えるに、今私を抱きしめているのは諒に違いない。
 そう頭が判断すると同時に、慌てて上半身を起こす。いや起こそうとした。しかし、がっしりと私を抱える腕が案外力強くて、ぼふっと頭が枕に逆戻りしてしまう。

「わっ、ちょっと……っ!」

 それでもどうにかベッドのヘッドボードを掴み、腕の拘束をそのままに上半身を捻って、まず自分の状況を確認した。

「……どういうこと」

 裸ではない。が、私も諒もおそらく素肌の上にバスローブ姿だ。これは、どう判断したらいい?
 何かあったようにも思えるし、私をただ着替えさせただけのようにも見える。
 え、何も、ないよね? あれはただの夢だよね……?
 心臓が、痛いくらいに跳ね始めた。手にじっとりと汗がにじむ。
 嘔吐でもして汚しちゃったから、自分でちゃんと着替えたとか……
 昨日のことを思い出そうとしたが、ずきずきと響く頭痛に邪魔される。
 今まで散々一緒に飲んで送ってもらっているけれど、こんな状況は初めてだった。さすがに戸惑いが隠せない。

「諒、ちょっと、離してって」

 私の腰に絡みついたまま、再び寝息を立て始めた諒を見下ろす。がっしりとした身体と、伏せた睫毛まつげの長さに異様にどきどきしてしまう。
 ……落ち着こう。
 何もないはずだ、私たちは友達なのだから。
 そう自分に言い聞かせて、どうにか平静を取り戻す。
 そう、何もないのに狼狽うろたえたりしたら、変に意識しているみたいでおかしく思われる。
 とにかく、今日は土曜で私の仕事は休みだ。だから私はいいけれど、諒の仕事はどうなってるんだっけ。っていうか、昨日、途中から何の話してたっけ?
 それすら今ははっきり思い出せなかった。
 深呼吸をして早鐘を打つ心臓を少し落ち着かせてから、今度はちょっと大きめに声をかける。

「諒? 起きなくて大丈夫?」

 諒は、建築デザインの仕事をしている。クライアントの都合もあるから、土日が必ずしも休日とは限らない。いつもの諒なら、どんなに飲んでも仕事に支障をきたすイメージではないが、この状況を見るに昨日は珍しく飲みすぎたのかもしれない。
 まだ起きる気配のない諒の肩を、軽くすった。

「諒ってば。仕事は?」
「……ん」

 はあ、とため息まじりの声が聞こえ、思わずびくっと身体が震えてしまった。吐息がバスローブ越しに私の横腹をくすぐる。
 これ以上このゼロ距離には耐えられない。

「諒っ! 私は起きるからね!」

 ぺんっと諒の頭を軽く叩くと、「いてっ」という声と同時に諒の腕が緩んだ。その隙にもう一度拘束からの脱出をこころみたが、またしても叶わない。

「……ご両親との待ち合わせは昼だって言ってなかったか?」

 掠れた声でそう言い、私の腰をがっしり抱いたまま諒が器用に起き上がる。そして反対の手を、私の前方斜め上へと伸ばした。どうやらベッド脇にあるナイトテーブルにスマホが置かれてあり、それで時間を確認したいらしい、のだが。

「わ、私はそうだけど、諒は仕事かもしれないと思って」

 そう答えながらも、まるで覆い被さられるような体勢にカチンと固まった。
 この距離感に、少しも戸惑わない諒にむしろ驚く。もしやまだ、寝ぼけているのだろうか。
 喉仏の出たたくましい首が、すぐ目の前にある。私は息を詰めて早く離れてくれるのを待った。

「休みって言っただろ。昨日の話、忘れたのか」
「え、あ、ごめん……」

 どうやら昨日聞いたらしいが、さっぱり覚えていない。
 スマホで時間を確認した彼は、それでも起きる気になったらしく、ようやく腕を解いてくれた。私も息を吐き出し、身体の力を抜く。

「……なんか酔っぱらって面倒かけちゃったみたいでごめんね。私、帰るわ」

 どっと疲れを感じた。とにかくいつもと違うこの距離感から逃げ出したい。
 さっさと帰って……いやそれより先に実家に連絡を入れて、今日の予定はキャンセルだと伝えなくては。
 今度こそベッドから足を下ろし、帰り支度を始めようと自分のバッグを探して部屋を見渡す。そこに、不思議そうな声がかかった。

「帰る? なぜだ」
「え? なぜって……」
「ああ、服か。確かに仕事用のスーツじゃまずいな。ここのショッピングフロアで揃えよう。その前に朝食だな」

 私は眉を寄せて、諒を見上げた。私の隣に寄り添おうとしてくるから、思わずお尻をずらして距離を取る。
 どうも、会話がかみ合ってない気がする。が、そう感じたのは、諒のほうも同じらしい。じっと数秒見つめ合った……というよりにらみ合った後。

「お前、昨日のこと、どこまで覚えてる?」
「えっ? どこまでって……なんか記憶が飛び飛びではっきりとは」

 正直にそう言うと、彼は呆れたように眉尻を下げる。それから何かを考えこむように口元に手を当てた。

「……ここに来たのは?」
「いや、気がついたら朝だった……感じ……」

 答えながら思い出したのは、夢の断片。途切れがちではあるけれど、生々しく淫靡いんびな光景が一気によみがえる。
 夢の中の熱っぽい諒の瞳が、目の前の現実の諒と重なり、かあっと身体が熱くなった。

「ちひろ?」
「いや! なんにも覚えてない、寝てた!」
「だろうな。よく眠ってたからな」

 慌てて答えたので、少し声が上ずってしまったが、その後の諒の言葉に心底ほっとした。やっぱり、熟睡してたのだ。変な夢を見るほどに。

「……ねえ、もしかして、これに着替えさせてくれたのって」
「文句言うなよ。苦しいしんどいってごねたのはお前だからな」
「……すみません」

 何もなかったのは良かったが、どうやら裸は見られたらしい。かといって文句を言える立場でもなさそうだ。
 熱くなった頬をこっそりと手で扇いでいると、再び諒が問いかけてきた。

「店での話は? ちゃんと覚えてるか」
「え? なんか大事な話した?」

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