造花楼園 ◇R-18◇

サバ無欲

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case3.卯衣の場合

02.卯衣、腹をくくる

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リナリア区境に到着した卯衣を待ち受けていたのは、忠犬のような好青年だった。


「ういちゃん!  こっちこっち!」

「お、おみくん……!  大っきくなったね……!」

「そりゃ10年近くも会ってなきゃ大きくもなるよ。ほら、荷物持ってあげる」


目の前の彼は大きな瞳で卯衣に笑いかけ、断る間も無くひょいと荷物を持ち上げた。

おみくんーー鷹臣は確かに背が高くなり、身体つきはすらっと細くて手足も長くなっている。顔つきも、可愛らしさの中に端正な男性らしさがあり、名前を呼ばれるだけで心臓が跳ねた。


……格好いいなんて、認めたくない。
彼はただの、従兄弟のおみくんなんだから。


思わず変な意地を張らなければならないほど、卯衣の心臓は彼を見て一瞬、大きく強く高鳴った。

しかし話し方や雰囲気は以前とほぼ変わらず、人懐っこさが全面に出ていて卯衣の心が落ち着いた。子犬が見事な大型犬になったなぁと、彼女は心の中で笑ってしまう。


「そうだういちゃん、はいこれ」

「わ、リナリアカードだ」

「無くさないでね。それがないと、リナリアに出入りできないし、家の鍵とかクレジットカードも兼ねてるから」

「そうなんだ」


噂に聞いていたリナリアカードーーつまり居住許可証が手渡され、いよいよ高所得者限定区域リナリアの住民になるのだと思い知らされる。
聞いていた通り、リナリアカードにはいくつもの機能が備わっているようだ。彼の言う通り、無くさないよう気をつけなくてはいけない。

そのまま鷹臣に案内され、卯衣はリナリア区境で手続きと検査を順序よく終えた。


途中でちらちらと女性の視線が目に入り、見てみるとみな鷹臣に熱っぽい視線を送っている。幼い頃子犬だと思っていた彼の大きな瞳や厚い唇は、いまや女の子を引き寄せるアイテムとなっているらしい。確かに、立っているだけでも雰囲気がある。

鷹臣はリナリア区民であることに関係なく魅力的で、異性に求められている。卯衣はそんな彼を羨ましく、一方で妬ましく感じていた。


卯衣だって、大学生時代まではそれなりに人気があった。高校の頃には癒し系だとか言われて数人……3人くらいから告白されたこともあったし、そのうち1人と付き合って、キスも初体験もそこで済ませた。
大学生の時にも数人と付き合ったが、それは先にも述べたように浮気されて何もないまま終わった。

予想外だったのは、それから一切告白も、経験も無くなってしまったということだ。あったとすれば前の係長の不倫のお誘いくらいだろう。

過去に縋っても虚しいだけだが、今の卯衣には、どうしてここまで昔と差がついたのかさっぱり分からないでいた。それにスタイルの良い彼と並ぶと、自分のちんちくりん加減が目立って気が滅入る。

卯衣は背が低く、太っているわけではないが、昔からどこもかしこも丸みを帯びていた。綺麗で若い女の子たちに、彼と自分を見比べられているのかと思うと辛い。消えたい。悲しくなる。


げんなりし続けた卯衣だったが、リナリア専用の新幹線に乗り込むとさすがに気が晴れた。走るホテルの異名に違わず、新幹線は素晴らしくシックで豪華だし、鷹臣が言うには、車内にバーまであるらしい。とことん贅を極めた新幹線に乗り、雰囲気を味わえただけでも嬉しかった。


「うわぁ……すごいね」

「ういちゃん、こっち座って。何か飲む?」


新幹線の個室は一人用なら余りあるが、二人ならやや狭い。促されるままベッドに座り、勧められるままオレンジジュースを頼むと鷹臣が笑った。


「ういちゃん、変わんないね」

「え、どうして?」

「新年会の時、いつもオレンジジュースだったでしょ?  それも絶対100%」

「うわぁ、よく覚えてる!」


卯衣が驚くと、鷹臣が歯を見せて大きく笑う。変わっていないのは彼の方だ。そのことに、卯衣は心から安堵した。

届いたオレンジジュースを一口飲み、卯衣はずっと心に留めていた思いを吐き出した。いつ言えばいいか分からなかったが、今ならきっと、きちんと伝えられるだろう。


「あの……おみくん、今回は本当にありがとう。迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」

「やめてよ ういちゃん。そんなにかしこまらないで」

「ううん、本当に。宇崎家の人にはなんてお礼を言ったらいいか。今回の援助がなかったら工場は潰れて、家族も従業員も露頭に迷うとこだった……だから本当に、ほんとうにありがとう」

「……ういちゃんは優しいね……!」


不意に鷹臣の大きな瞳が細められ、と思うと急に抱きすくめられた。その動作に男女の艶などはなく、どちらかと言うと友情の様な強引さで、卯衣も安心して腕を回す。

そう言えば新年会のときも、彼は卯衣にいつも抱きついて挨拶をした。幼い頃から変わらない彼の習性に、卯衣はただ懐かしさを感じてしまう。


「俺もういちゃんが来てくれて嬉しい。ありがと」

「お金は必ず返すね。時間がかかるかもしれないけど」

「いいよ別に気にしなくて。ういちゃんが来てくれたんだから」

「もう、そんな訳にはいかないでしょう」


くすくす二人で笑い合う。
家政婦代わりの妻としてここへ来たのは不本意だったが、相手がおみくんで良かった。卯衣はそう思いながら、目の前の、男にしては少し長い黒髪をわしゃわしゃと撫で回した。本当に、犬みたいだ。


「やめてよー、ういちゃん」

「ふふ。あ、おみくん。向こうに叔父様たちはいらっしゃるの?  もし挨拶できるなら、今日にでも伺おうと思うんだけど」


叔父様たちーーつまり鷹臣の両親だ。

宇崎家は少し変わっていて、鷹臣の父親はランクが高いにも関わらず、ひとりの妻しか持たなかった。だから卯衣が知っている宇崎家は、鷹臣を入れて3人だけだ。

一夫多妻が可能な夫に一途に愛される妻。
幼い頃はその関係を少し羨ましく感じたこともある。しかし歳を重ねるごとに卯衣の考えは変化していった。


複数婚が可能なほどの高所得者が、ひとりの配偶者に絞るなどという行為は、今の世の中では怠慢と言われても仕方がない。それを敢えてする叔父は変わり者であるし、肩身が狭いだろうと今の卯衣は考える。

しかし、当の本人たちはそんなことを全く気にしていない様子だった。新年会での叔父様はいつも怖いくらいの威厳と風格があったし、その少し後ろに控える叔母様も、いつも静かな笑みをたたえていた様に思う。


宇崎夫妻には多額の借金を肩代わりしてもらった。なるだけ早く返すと父は奮起していたが、実際なかなか、そう上手くはいかないだろう。ともかく会える状況であるなら一言お礼をしなくてはと思っていた卯衣だが、鷹臣は予想外の言葉を軽い口調で言い放った。


「ああ、二人はリナリアを出たんだ」

「えっ、どうして?」

「親父が早期退職して、もうここに住む理由も無くなったんだろうね。今は二人で適当にのんびりやってるよ」


鷹臣の説明に、卯衣はなるほどと頷いた。やはり叔父は変わり者だ。普通であれば、リナリアをわざわざ離れて余生を過ごすなど考えられない。ここは全ての自由が手に入ると言われているのだから。

でも一方で、変わり者であるからこそ卯衣の家族に援助を申し出てくれたのかも知れない。そう思うと、叔父の変わった性分でさえもありがたかった。そしてふと、鷹臣の今の境遇が気になってしまう。


「あれ。てことは……おみくんは今、実家に一人暮らしなの?」

「そうだよ、だから寂しくて」


鷹臣の腕が一層強い力で卯衣を抱きしめる。

てっきり実家を離れて一人暮らしをしているものだとばかり思っていた。叔父たちも酷なことをする。
彼が大学を卒業したのはついこの間で、まだ仕事にも慣れていないだろうに、自分たちだけでリナリアを出てしまうなんて。それにリナリアは一度居住権を放棄すると、ふたたびその権利を所有することはできないはずた。


卯衣はなんとなく、自分がここまで強引に呼ばれた理由が分かった。

彼は本当に寂しいのだ。両親は遠く離れた地で過ごし、もう実家に戻ってくることもない。一人きりで家を守り仕事もしなければならない彼からすれば、少しでも見知った人間がいた方が心強いのだろう。

卯衣は次の妻が来ればお払い箱になるような仮初の妻だ。でも彼の事情を察すると、そうする他なかったのだろうと同情してしまう。
心にあったわだかまりは溶け、ただ彼には早く、愛する女性を見つけて欲しいと祈るばかりだ。その人はきっと、寂しがり屋な鷹臣の本当の支えになる。

何もかもが手に入るはずの彼が小さな子供のように見える。卯衣はさっき撫で回した髪を、今度はなぐさめる母親のように優しく叩いた。


「そっか……今日、晩ご飯なにがいい?」

「えっ、ういちゃんが作ってくれるの?  じゃあハンバーグ!」


途端にぱっと明るい表情を見せる鷹臣に、卯衣の表情も思わずほころんでしまう。


子犬のような彼が愛する番を見つけるまで。

人に好かれる鷹臣のことだ。その日はきっと遠くない。
そしていざその日になれば、きっと胸も痛むだろう。そのあとの事を考えれば心臓が凍るように冷たくなるのも分かっている。


それでも、卯衣は腹をくくった。

鷹臣が自分をいらないというその日まで、自分は彼を支えよう。どこまで出来るかは分からないが、寂しいと訴える彼がこれ以上孤独にならないよう、真心を込めて尽くしていこうと卯衣は決めた。

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