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1.モブの心得
その12、モブたるものモブであれ!②
しおりを挟む「先輩、先輩、A子先輩!」
「おはよう早織ちゃん」
「なんですかあの意味深なライン! さぁもう今日ですよっ、話してください」
「それより仕事。なんか変わったことあった?」
「ないです日報見てください!」
「横暴だー」
「あっ、その言い方! もしかして良い人見つかりました? めちゃくちゃ言い寄られて大変だったとか!」
「部長が見てるぞー」
「くっ……逃がしませんからね」
なんとも物騒な言葉を残して隣のデスクに戻った早織ちゃんは、まだ目が怖い。昨日の女豹さまたちといい勝負をしている。さすが。
それにしても、案外自分が分かりやすくなっていることに驚いた。普段は表情筋が死滅しているはずなのに、ニヤけてるのかな。最近あんなに気を遣って接してくれていた早織ちゃんが、今日はぐいぐいくるのがいい証拠だ。単純すぎて笑ってしまう。
一晩だけの関係。
夜遊び、アバンチュール、ゆきずりの恋。早織ちゃんにどう説明しようか、なんて考えているとやっぱり頬が緩みだす。思い出してしまう。昨日のこと、つないだ手、あまい言葉。
『かぁいい』
『あーエッロ』
『忘れな?』
……ほんと単純。エッチってすごい。
早織ちゃんの刺すような視線を思い出して、隠れるように日報ノートを広げる。うちの会社、普段パソコンばっかりなのに、こういうところはアナログなんだから。
そして日報には、本当に大したことは書いていなかった。備品代の請求に算定ミスのヒヤリハット、それから海外の子会社へ出向中だった社員が専務として帰還……
ふーん、優秀なんだな。出向先から戻ってこんな好待遇はあまりない。うちはそういう所、シビアだ。エリートコース決定ということだろう。
閉じて戻す。
「あ、ねえ早織ちゃん」
「はい!」
ああ、期待している。
これはランチが大変そう。
ふと思い出したのは当然だった。昨日あれだけ呼ばれたのだから。顔が赤くなりませんようにと思いながら聞いてみる。
「えっと、『エンボ』って知ってる?」
「なぁんだ。……知ってますよ。っていうかA子先輩もやっとこっちに興味持ったんですか?」
「え、なにこっちって?」
「うそ、何にも知らないで聞いたんですか? もぉお」
「えーなになに、教えてよ」
「いい加減、うちの会社でそれはやばいですって。いくら経理だからって、ちょっとは興味持ちましょうよー」
「どゆこと?」
「だから、バンド名ですよ」
「はい全員ちゅうもーく」
部長のひと声にて意識が戻され、立ち上がって姿勢を正す。今どき朝会で起立しなきゃいけないなんて、時代錯誤だよなぁ。で、なんだっけ。
そうそうバンド……え、バンド? なんで? 結びつかない。困惑しながら早織ちゃんを見ると、今度は盛大に眉を潜めてこっそり付け足してくれた。
「だから、エンプティーボックス、エンボ。バンド名の略ですよ」
それだけ言ってサッと目をそらされる。んんん? やっぱり繋がらないな。部長の言葉を聞き流しながら脳内ではハテナがいっぱいあふれてきた。いいんだ、部長の話は長いから。
エンプティーボックス。
エンボ。
どこかで聞いたことあるような? でも流行りにはうといからなぁ、私。Mステは基本的に流し見だし、SONGSは好きな歌手だけ選別して録画だし……うう、確かにうちの会社ではまずいかも? でも経理のモブには関係ないーー
「えー……このたび」
一番早かったのは耳の奥。
じゅわ、と染み込むような声に、ほとんど反射で顔を上げる。
「出向先から戻ってまいりました」
次には、肌が。
ぞわぞわする。全身を羽根でくすぐられているみたいな、不快感。
「クオン、アキヒトです」
あし、が。膝が。
がくんと崩れかかって、なんとかこらえる。でも音が。ヒールの音がしてしまった。スローモーション。視線が向けられる。
まって。見ないで。誰か。
「どうぞよろしく」
だれか、フィクションだと言って!
イラスト:紺原つむぎ様(@tsumugi_konbara)
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