冷酷な男爵は家事で惚れさせる!?~その無慈悲さ、料理でほどける~

花霞つばき

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 ある日の午後、リリアナは男爵邸を訪れた際、廊下の隅で花瓶が倒れて水がこぼれているのを発見した。誰かが掃除の途中で中断してしまったのかもしれない。とりあえず自分で片付けようと近づいたとき、背後から声が聞こえる。

「おい、何をしている」

 振り返ると、グレイヴが険しい表情で立っていた。いつもの冷静な声が、少しだけ強めに響く。

「すみません、つい気づいたので拭こうかと」

「余計なことをしなくていい。……そこのクロスを貸せ」

 そう言ってグレイヴは自らクロスを受け取り、手際よく水を拭き取り始める。リリアナは思わず目を丸くしてしまう。

「男爵様、ご自分でやるなんて…」

「当たり前だろう。放っておけば床が傷む」

「でも、普通は使用人がやる仕事ですよ」

「人を待つより自分でやったほうが早い。無駄が少ない」

 ぶっきらぼうな言葉。だが、その様子はまるで掃除に慣れきっているかのようだ。リリアナは「すごいですね」と感心して微笑むと、グレイヴは少し目を伏せる。

「なんでもない。お前はそこに立っていろ、危ないから」

「あ、はい…」

 ひと通り拭き終わったグレイヴは、花瓶を元の台座に戻し、手近な布で床を磨き上げる。どこか掃除屋のプロのような洗練された動きに、リリアナは呆気に取られた。

 その直後、セバスチャンが慌てた表情で駆け寄ってくる。

「申し訳ありません、少し手が離せず。旦那様が拭いてくださったんですね」

「問題ない。次からはちゃんと管理しろ」

「はい、以後気をつけます」

 セバスチャンが深々と頭を下げる。リリアナは「私も手伝おうとしたけれど、男爵様が…」と口を挟むが、グレイヴはすぐに会話を切り上げた。

「もういい。リリアナ、お前は応接間へ行け。すぐに茶を用意する」

「あ、わかりました」

 言われるがまま廊下を離れるリリアナ。ふと振り返ると、グレイヴは何事もなかったかのように立ち去っていく。

 その後、応接間で待っていると、グレイヴ自らお茶を運んできた。いつもの澄ました表情が戻っていて、先ほどの掃除姿とはまた違う雰囲気をまとっている。

「どうした。飲まないのか」

「いえ、ありがとうございます。先ほどはお疲れさまでした」

「別に大したことじゃない」

 リリアナが紅茶を一口すすりながら、彼の言葉を思い返す。何でも自分でやろうとする姿は不器用にも映るが、同時に献身的だ。

「男爵様は、何事も自分でされるんですね。掃除も料理も、びっくりします」

「必要だからやっているだけだ。……人に任せきりでは、真の管理はできない」

「でも、そこまでできる方はなかなかいないです。すごいと思います」

 彼女の率直な称賛に、グレイヴは微かに視線を落とす。

「すごくはない。……昔、そうしなければならない時期があったから慣れただけだ」

「そうだったんですね」

 踏み込んではいけないような気がして、リリアナはそれ以上何も聞かない。グレイヴが何を背負ってきたのか、知りたい気持ちはあるが、今はただそっと受け止めるだけにとどめようと思う。

 残された紅茶の湯気が、緩やかに二人の間を揺れる。彼が「自分の手でこなす」姿勢の裏にある過去に、リリアナはほんのり切なさを感じながらも、彼への興味をより深めていくのだった。 
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