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さよならも言いたくない
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「本当に性格悪いね……あの人」
クローゼットから出てきたロイは呟いた。
レイナは吹き出し、ロイの柔らかな髪をくしゃりと撫でる。
「でしょ? 昔っからあんな感じなの。つける薬がないわ」
「でもレイナお姉ちゃんはあの人のこと好きなんでしょ。なんで?」
「さあ、なんでかしらね。……というか、過去形よ。あくまでも好き“だった”。今は違う」
「もう嫌いってこと?」
その問いにレイナは俯き、曖昧に笑った。
渦中にいる時は愛情も憎しみもそりゃあったけれど、離れると決めた今、彼に関する全ては古いアルバムにしまわれた写真のように味気ない。
これは“無”だ。
もう好きも嫌いもない。虚無。
これ以上彼について話したくなくて、話を逸らすことにした。
「それよりロイ、さっきの電話誰だった? お兄さんじゃなかったの?」
「あ、そうだ。うん、お兄ちゃんだったよ。電話しなきゃ」
そう言ってスマホを手にかけ直した。
呼び出し音が鳴り、すぐに『はい』という低い声が響く。
「……お兄ちゃん。ぼく。ロイだよ。今ひとり?」
『いや。取引先の人と一緒だよ。こんな時間にどうした? そっちは深夜だろ。ってか、この番号なに? 自分のスマホは?』
「お兄ちゃん、これからぼくが言うことには“うん”か“ううん”だけで答えて。絶対にぼくの名前を出さないで」
『……うん』
素直にロイの言う通りにした男の短い返答に、レイナは何とも言えない凄みを感じ取った。
明らかに不審な状況にも関わらず、少しも動揺も見せず即座に応じてくれる。
それでいてこちらの僅かな音も聞き逃さないという気迫が、空気を通して伝わってくる。
「ぼくのスマホは水没した。これは親切なお姉さんが貸してくれたスマホ。ぼくはそのお姉さんに助けられて、今は海沿いのホテルにいる。迎えにこれる?」
『うん』
「じゃあ、待ってる」
兄弟の会話はそれだけで終わった。
最低限の情報、短い会話だったが、それでじゅうぶんなようだ。きっとあちらではすぐにこの番号に関するあらゆる情報が洗い出されるのだろう。
番号、変えなきゃな……。
権力者一族の揉め事には関わりたくない。
既に意味ないかもしれないが、事が終わったらすぐに端末ごと変えよう。
「ロイ、お兄さんはこれであなたを迎えに来てくれるのね?」
「うん。いつになるか分からないけど、きっと来てくれるよ。お兄ちゃんだけだ、ぼくに優しいのは」
「そう……」
寂しいことを言うのね。
とは思ったもののそれ以上聞く気のなかったレイナは「とりあえず、寝ましょう」と言ってロイをベッドに押し込み、自分も隣に体を横たえた。
ここは一番安いシングルルームだ。ベッドは一つしかないしソファもシングルサイズ。ベッド以外に寝る場所はない。
男子とはいえロイは子どもなので共寝に特に抵抗は感じないし問題ないのだ。
それはロイも同じのようで、大人しくベッドの上で丸くなり口を閉じた。
疲れていたようだ。すぐに寝息が聞こえてきて、レイナは手持ち無沙汰にスマホの画面を開く。
手癖で開いたSNSの一番上にはジュディの投稿があって、嫌でも目に入った。
『大好きなみんながお祝いしてくれるバースデー。本当に楽しい! 毎年、ううん、毎日こんなに幸せでいいのかな……?』
画像はどこかのクラブで、カクテルを手にしたダリルとロワールを両隣に微笑むジュディだった。
――大好きなみんな、ね。
ジュディはレイナのことを親友と言うけれど、彼女が言う「大好きなみんな」の数にはいつも入っていない。
きっとその二次会の場に『親友』がいない事にも気付いていないのだろう。
誕生日が同じであることも言われてやっと思い出すくらいだ。
……親友が聞いてあきれるわね。
乾いた笑いを漏らしながらスワイプし、参加者による似たような内容の投稿をざっと見てから今度はチャットアプリを開いた。
そこにはレイナの個人的な友人達からのお祝いのメッセージがいくつも届いている。
……いいんだ。ロワールが愛してくれなくたって、私には友達がいる。
たくさんの温かいメッセージに知らず知らずのうちに微笑みが浮かび、ひとつひとつ返信していく。
そうして、いつの間にか寝落ちした。
翌朝、10時きっかりにチェックアウトしたレイナはロイを連れてまずはこの子の着替えの服を買いに行くことにした。
昨夜お風呂に入った時に手洗いして乾かしておいたとはいえ、着るものが海に沈んだ時の一着しかないのは困る。
車に乗ってエンジンをかけ、デパートの並ぶ中心街へと走らせる。
「お姉ちゃん、どこに行くの?」
「デパートよ。あなたの当面の着替えを買いに」
ロイは「ああ」と小さく言って頷いた。
「ぼく、ウニクロでいいよ。デパートまで行くの面倒でしょ」
「面倒ってことはないけど……」
家柄からしてハイブランドじゃないといけないと思い込んでいたが、言われてみれば確かにロイは元々量産服を着ていた。
富豪にも色々いて、衣類にあまり関心がなく普段着は安価な品で済ます者もいる。ロイもそうで、本当にウニクロでいいのかもしれない。
そう思ったが、今のレイナはお金持ちなのだ。今までの、99回の長い人生の中で一度も自分のための買い物をしたことがないレイナは、100回目の人生の最初の買い物は豪快にパーッと散財したいと思っていた。
「私がデパートに行きたいのよ。悪いけど付き合ってくれる?」
「女の買い物は長いんだよなぁ……。でも、いいよ。お姉ちゃんのためなら付き合ってあげる」
大人みたいな物言いをするロイに吹き出した。声を上げて笑おうとしたその時、バッグの中でスマホが震え車内のBluetoothを通して着信音が鳴り響く。
ロイに頼んでバッグから出してもらい画面を見た。
――ロワールからの電話だ。
「……どうする? お姉ちゃん」
「放っておいていいわ」
かつてレイナはロワールからの電話には3コール以内に出ることを心がけていた。
早朝だろうと深夜だろうと3コール以内。
忠誠を示すためもあるが、一番は『決してあなたを見捨てない』という愛情を感じてもらうためだった。
ロワールは幼少の頃、母親が大怪我をして数日間電話が繋がらなかったことでちょっとしたトラウマを抱えている。
家庭環境が複雑なロワールはいつ母から見捨てられるか分からないという恐怖の中で過ごしており、その中で母が何日も電話に出ない上に後から他人を通して入院を知らされるという経験は確かにトラウマに値すると思った。
だからすぐに電話に出るようにしていたのだが……今はもう、どうでもいい。
それに、彼にとっても私からの愛情なんて不要だろう。だって私は、何十年経ってもどうでもいい存在なのだから。
放置した電話は自動音声に切り替わるとすぐに切れた。
初めてロワールの電話を無視した……。
さすがに少し罪悪感を感じたが、感傷に浸る間もなくすぐに2度目の着信音が鳴る。
何の用か知らないけど、何度かけてこられても出るつもりはない。
レイナは鋼の意思で無視を決め込み、しつこい着信音を聞きながらデパートの立体駐車場へと車を滑り込ませた。
クローゼットから出てきたロイは呟いた。
レイナは吹き出し、ロイの柔らかな髪をくしゃりと撫でる。
「でしょ? 昔っからあんな感じなの。つける薬がないわ」
「でもレイナお姉ちゃんはあの人のこと好きなんでしょ。なんで?」
「さあ、なんでかしらね。……というか、過去形よ。あくまでも好き“だった”。今は違う」
「もう嫌いってこと?」
その問いにレイナは俯き、曖昧に笑った。
渦中にいる時は愛情も憎しみもそりゃあったけれど、離れると決めた今、彼に関する全ては古いアルバムにしまわれた写真のように味気ない。
これは“無”だ。
もう好きも嫌いもない。虚無。
これ以上彼について話したくなくて、話を逸らすことにした。
「それよりロイ、さっきの電話誰だった? お兄さんじゃなかったの?」
「あ、そうだ。うん、お兄ちゃんだったよ。電話しなきゃ」
そう言ってスマホを手にかけ直した。
呼び出し音が鳴り、すぐに『はい』という低い声が響く。
「……お兄ちゃん。ぼく。ロイだよ。今ひとり?」
『いや。取引先の人と一緒だよ。こんな時間にどうした? そっちは深夜だろ。ってか、この番号なに? 自分のスマホは?』
「お兄ちゃん、これからぼくが言うことには“うん”か“ううん”だけで答えて。絶対にぼくの名前を出さないで」
『……うん』
素直にロイの言う通りにした男の短い返答に、レイナは何とも言えない凄みを感じ取った。
明らかに不審な状況にも関わらず、少しも動揺も見せず即座に応じてくれる。
それでいてこちらの僅かな音も聞き逃さないという気迫が、空気を通して伝わってくる。
「ぼくのスマホは水没した。これは親切なお姉さんが貸してくれたスマホ。ぼくはそのお姉さんに助けられて、今は海沿いのホテルにいる。迎えにこれる?」
『うん』
「じゃあ、待ってる」
兄弟の会話はそれだけで終わった。
最低限の情報、短い会話だったが、それでじゅうぶんなようだ。きっとあちらではすぐにこの番号に関するあらゆる情報が洗い出されるのだろう。
番号、変えなきゃな……。
権力者一族の揉め事には関わりたくない。
既に意味ないかもしれないが、事が終わったらすぐに端末ごと変えよう。
「ロイ、お兄さんはこれであなたを迎えに来てくれるのね?」
「うん。いつになるか分からないけど、きっと来てくれるよ。お兄ちゃんだけだ、ぼくに優しいのは」
「そう……」
寂しいことを言うのね。
とは思ったもののそれ以上聞く気のなかったレイナは「とりあえず、寝ましょう」と言ってロイをベッドに押し込み、自分も隣に体を横たえた。
ここは一番安いシングルルームだ。ベッドは一つしかないしソファもシングルサイズ。ベッド以外に寝る場所はない。
男子とはいえロイは子どもなので共寝に特に抵抗は感じないし問題ないのだ。
それはロイも同じのようで、大人しくベッドの上で丸くなり口を閉じた。
疲れていたようだ。すぐに寝息が聞こえてきて、レイナは手持ち無沙汰にスマホの画面を開く。
手癖で開いたSNSの一番上にはジュディの投稿があって、嫌でも目に入った。
『大好きなみんながお祝いしてくれるバースデー。本当に楽しい! 毎年、ううん、毎日こんなに幸せでいいのかな……?』
画像はどこかのクラブで、カクテルを手にしたダリルとロワールを両隣に微笑むジュディだった。
――大好きなみんな、ね。
ジュディはレイナのことを親友と言うけれど、彼女が言う「大好きなみんな」の数にはいつも入っていない。
きっとその二次会の場に『親友』がいない事にも気付いていないのだろう。
誕生日が同じであることも言われてやっと思い出すくらいだ。
……親友が聞いてあきれるわね。
乾いた笑いを漏らしながらスワイプし、参加者による似たような内容の投稿をざっと見てから今度はチャットアプリを開いた。
そこにはレイナの個人的な友人達からのお祝いのメッセージがいくつも届いている。
……いいんだ。ロワールが愛してくれなくたって、私には友達がいる。
たくさんの温かいメッセージに知らず知らずのうちに微笑みが浮かび、ひとつひとつ返信していく。
そうして、いつの間にか寝落ちした。
翌朝、10時きっかりにチェックアウトしたレイナはロイを連れてまずはこの子の着替えの服を買いに行くことにした。
昨夜お風呂に入った時に手洗いして乾かしておいたとはいえ、着るものが海に沈んだ時の一着しかないのは困る。
車に乗ってエンジンをかけ、デパートの並ぶ中心街へと走らせる。
「お姉ちゃん、どこに行くの?」
「デパートよ。あなたの当面の着替えを買いに」
ロイは「ああ」と小さく言って頷いた。
「ぼく、ウニクロでいいよ。デパートまで行くの面倒でしょ」
「面倒ってことはないけど……」
家柄からしてハイブランドじゃないといけないと思い込んでいたが、言われてみれば確かにロイは元々量産服を着ていた。
富豪にも色々いて、衣類にあまり関心がなく普段着は安価な品で済ます者もいる。ロイもそうで、本当にウニクロでいいのかもしれない。
そう思ったが、今のレイナはお金持ちなのだ。今までの、99回の長い人生の中で一度も自分のための買い物をしたことがないレイナは、100回目の人生の最初の買い物は豪快にパーッと散財したいと思っていた。
「私がデパートに行きたいのよ。悪いけど付き合ってくれる?」
「女の買い物は長いんだよなぁ……。でも、いいよ。お姉ちゃんのためなら付き合ってあげる」
大人みたいな物言いをするロイに吹き出した。声を上げて笑おうとしたその時、バッグの中でスマホが震え車内のBluetoothを通して着信音が鳴り響く。
ロイに頼んでバッグから出してもらい画面を見た。
――ロワールからの電話だ。
「……どうする? お姉ちゃん」
「放っておいていいわ」
かつてレイナはロワールからの電話には3コール以内に出ることを心がけていた。
早朝だろうと深夜だろうと3コール以内。
忠誠を示すためもあるが、一番は『決してあなたを見捨てない』という愛情を感じてもらうためだった。
ロワールは幼少の頃、母親が大怪我をして数日間電話が繋がらなかったことでちょっとしたトラウマを抱えている。
家庭環境が複雑なロワールはいつ母から見捨てられるか分からないという恐怖の中で過ごしており、その中で母が何日も電話に出ない上に後から他人を通して入院を知らされるという経験は確かにトラウマに値すると思った。
だからすぐに電話に出るようにしていたのだが……今はもう、どうでもいい。
それに、彼にとっても私からの愛情なんて不要だろう。だって私は、何十年経ってもどうでもいい存在なのだから。
放置した電話は自動音声に切り替わるとすぐに切れた。
初めてロワールの電話を無視した……。
さすがに少し罪悪感を感じたが、感傷に浸る間もなくすぐに2度目の着信音が鳴る。
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