マージナル:平凡なβが、すべての運命を壊すまで

水城

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30.いま。そして、つながりあう過去(2)

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「突然にすいません」

 この奇妙な状況で、なんらかの言葉を発するために。
 悠一は無意識のうち、自分の態度を「家業の手伝い」の時のモノに切り替えていた。

「あの、小鳥遊くんのお見舞いに」

 だがなぜか、そこでふっつりと、悠一の気持ちが緩んでしまう。

「……ずっと、休んでるから。その、心配…で」

 なんとかこう言い継いだものの、悠一はどうにもきまりが悪く、そのまま、おずおずと視線をそらした。

 奏の母親は――小鳥遊菜々緒は、口を開かなかった。
 俯いてうなだれる背の高い高校生の男子を見上げたまま、ただ長い睫毛の先を震えさせている。

 そして、どれくらい経ってからだったのか。
 道の前を通っていくスーパーカブのエンジン音にはじかれたように、小鳥遊菜々緒がビクンと身体を揺らした。

「……あ、ごめんな…さいね、こんな…玄関先に立たせたままで」
 
 やさしい声だった。
 しかし、菜々緒はこう続ける。

「でも、いま…うちには上がっていただけないのよ……ほんとうに、ごめんなさい」
 
 言いづらそうに、困り果てたように。
 ひどく申し訳なさそうに。けれど。

 きっぱりと。
 来客を――悠一を、拒む意志だけは揺るがない色の声だった。

「ひどく、悪いんですか」
 
 そう悠一が訊ねれば、「……それは」と、菜々緒は言葉を濁す。

 ああ、なるほど。「よくない」ってコトかよ――
 年齢に似合わぬ気働きで、悠一は言葉の「裏」を察しとる。

 そりゃそうだよな。
 俺を「家にも上げたくない」ほどなんだから。

 それ以上は、もう何も訊けない気がした。

 奏の具合も。
 さっきの「センパイ」っていう言葉の意味も――

 沈黙が落ちる。ただひたすらに気まずいだけの。

 立ち去る潮時だ。
 思いながらも、悠一はどうしても、その場から動くことができない。

 すると菜々緒が、

「あ、ちょっと……ちょっと待ってらしてね」と声を上げた。
 そして家の中へと戻っていく。

 ――え?
 「待って」って……ちょっ、俺、どうすれば?
 いっそ、このままいなくなっちまった方がいいのか?

 悠一が頭の中で、グルグルとまとまらない思考を巡らせているうちに、軽いスリッパの足音が戻って来る。小走りのようだ。

 玄関のドアが、ふたたび開く。

「あのね、これ……」と、差し出される紙袋。

 大きさの割にごく軽い。
 袋の合わせ目から見えるのは、いくつもの大きなクロワッサンだった。
 香ばしすぎるバターの匂いが立ち込める。

「奏が好きだから……でも、たくさん焼きすぎちゃって。どうぞよかったら」
 すまなさげな、寂し気な、そんなキレイな笑顔。

「お口に合うといいのだけど」「おいしかったです…!」

 ほとんど、相手の言葉にかぶるような勢いで、悠一が言った。

「えっと……前に小鳥遊くんが、家に持ってきてくれたことがあって。その…焼菓子とか、いっぱい」

「……まあ」と、菜々緒が泳ぐような視線で応じたのを見て、悠一は、
「ったく奏のヤツ、ひょっとして黙って持ち出したのかよ?」と察し取る。

「ホント、ありがとうございました。たくさん頂戴したので、あとで家族でも食べました」
 悠一は続ける。

「母が……洋菓子、とても好きで」

 もちろん、父も一緒だった。一緒に食べた。
 嬉しがって豆を挽いて、コーヒーまで淹れていた。だけど。

 「父親のコト」は口にしたくなかった。
 「言いたくない」そんな気がした。

 そんな、ひどくモヤモヤしたなにかが、悠一の胸の中に渦巻く。

「まあ、そうなのね……よかったわ」

 奏とよく似た笑顔。
 でもキラキラと零れて光る雫のような奏の表情とはまったく違う。

 それは、そこはかとない憂いを帯びたもので――
 
 そして悠一は、「それで、その……奏は、奏の具合は」と、重ねて訊かずにはいられない。
 「小鳥遊くん」は、もう「ワザとらしい」気がした。

「そんなに良くないんですか」

 菜々緒は即答できず、一瞬、息を飲んだ。
 だがすぐさま、

「いいえ、いいえ。大丈夫よ。ありがとう。大丈夫なの。そう……ちょっと調子がよくなくて。それだけだから」と取り繕う。

 そして、ごく「とってつけた」ように、家の中を振り返る仕草をして見せた。
 その意味を、悠一はハッキリと読み取って理解する。

「スイマセンでした。突然にお伺いして、長話をして」

 言ってピタリと足を揃え、悠一は姿勢を正した。
 そして会釈。「家業の手伝い」で身に着いた所作。

 悠一は、「これ……」と、紙袋を軽く掲げ、
「遠慮なく頂戴します」と続けた。

「ごめんなさいね、そんなモノしかなくて……本当に、ゴメンナサイ。せっかくいらしてくれたのに」
 
 そんな菜々緒の言葉を深い会釈で押しとどめ、悠一は踵を返す。
 背中を見送る視線はごく短時間で、すぐに扉を閉める気配がした。

 悠一が少し道を行って、振り仰ぐように視線を上げる。

 二階の窓は、薄く開いていた――

 立ち止まってジッと見上げれば、半分だけ、奏の顔。

 ただ無言のまま、悠一は奏を見つめる。
 
 なにをどう言えばいいのかよく分からなくて、悠一は――

 ただ指先を軽く上げ、小さく頷いて見せる。
 奏は目を見開いて、ジッと悠一を見下ろしていた。

 そして、悠一は歩き出す。
 足は、降りたバス停とは反対方向に向いていた。

 別に、ひとつ先のバス停まで歩けばいい。
 風はひどく冷たかった。でもむしろ、歩きたかった。

 ごく静かな住宅街の道。

 不思議だ。
 話し声ひとつ、ピアノの音ひとつ、テレビの音ひとつ聴こえない。

 子どもは家でゲームでもしているのか? それとも習い事か?  
 部屋で動画でも見てるのかもしれない。

 そんな事々を考える悠一は、自分の足音と息遣いだけを聴いている。

 ――足音?

 背後から近づいてくる。荒い呼吸。

 振り返ると、紺のダッフルコートを着た奏の姿があった。
 
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