え、待って。「おすわり」って、オレに言ったんじゃなかったの?!【Dom/Sub】

水城

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so what, and?(2)



 頬に血流が戻ってくるのを感じた。
 空気が、肺に深く入ってくる。

 ああ、抜けた――
 dropから。

 ズルズルと上半身を起こして、深く溜息をつく。

「はた…てさん…?」

「もう、大丈夫だ、大丈夫」

 そう言って、オレは髪を撫でてくれていた少年の手を取って、そっと動かす。 

「よかっ……」

 泣きそうな声。
 たぶん、少し泣いてる、こえ――
 すこし可哀想で、でも可愛い――と、そんなコトをチラリと思った。

 少年の目をまっすぐに見て、オレはあらためて言う。
「悪かった、心配かけちゃって」
 
 少年は、フルフルと首を横に振って、
「タオル…取ってきます」と立ち上がった。

 彼が部屋から出ていくやいなや、オレはグダリとテーブルの足にもたれかかる。

 まだ、ぜんぜん「本調子」ではなかった。
 かなり無理して気を張って起き上がったのだ。

 デカ犬が寄ってくる。
 マジマジと見つめられた。

「……なんだ?」

 モジャ犬は、フンフンと鼻を鳴らす。
 あちこち匂いを嗅がれた。

「……何だよ、おまえ」

 怒るというよりは戸惑うような気持ち――
 というか、なんだかすこし可笑しいような気もした。
 たぶん、まだ身体がダルすぎて「笑い」にならないだけで。

 ファサァッと、何かが首筋にかかる。
 乾いた大きなバスタオルだった。

 このデカ犬用のタオルだったりしてな――
 なんて、そんなおふざけを思い浮かべて、オレはdropから抜け出した感覚を、しっかりとつなぎとめようとする。

「あの、お風呂沸かします、もうすこしして、気分が落ち着いたら……入ってください」

 あーあ。
 メチャメチャ、気ぃつかわせちゃってるよ、オレ。

「ゴメン、ありがとな……でもさすがに、そろそろ失礼するし。服も…もう乾いたよな」
 
 オレは立ち上がった。
 ざあっと血の気が引く感じを、腹に力をいれて何とかやり過ごす。

「でも……旗手さん、まだ顔色が良くない…です」

「大丈夫だって、近所だし」

 渡された服はパリパリに乾いていた。さすが、巨大犬用。

 とはいえ着替えるのは、やたらとしんどくて、正直、途中でその場に座り込みたくなった。
 どうにかこうにか、ズボンに足を通し終える。

 オレは今一度、少年に礼を言って、入ってきた通用口の方へと歩き出した。
 
 木々の生い茂る裏庭は、もうかなり暗い。
 とりあえず、来た道どおりに公園の方へと向かう。

 うしろからは、少年と犬がついてきていた。

 そして、屋敷の敷地と公園との境の塀までたどり着く。
 一旦足を止めて、オレは少年を振り返った。

「ありがとな。もういいから。大丈夫だからさ。ついてこなくてもダイジョブだから、ホント」と繰り返し、

「色々とお世話になりました、じゃあな」と。
 
 オレは少年と犬に背中を向け、歩き出した。





 公園を出て、少し道を行ったところで、膝からガクリと力が抜けた。

 ――あ、ヤバい。

 メンタルは、もう「普段どおり」な感じなんだけどな。
 ってか、今日はまだ、ロクにメシも食ってないし。
 そういうのがマズいってのもあるんだろう。

 ――そうだ、あの「バナナ」。
 遠慮せずに貰っときゃ良かったのか?

 なんてコトをふざけ半分に思いつき、笑おうとして、もののみごとに失敗する。そしてまた、眩暈。

 グラリ、電柱に寄りかかってうずくまる。
 ブラックホールみたいにポッカリと、その道にひと気はなかった。

 むしろありがたい。
 こんなみっともない格好。通行人から見たら、酔っ払いか、精神ヤバいヤツって感じだろう。

 今、誰かに通りかかられたりしちゃ、どうにもやりきれやしない。

 ――ってか、なんだろな。ホント。
 今日の自分の醜態について、眩暈にグルグルと回る頭で考える。

 Subとしての……欲求不満とかなんだろうか。

 パートナーは、もう何年もいなかった。
 いわゆるDom/Sub風俗なんてとんでもないと思ってるし、ゆきずりに「プレイ」する……なんてのも、絶対にイヤだった。

 ダイナミクス性の欲求は、いわゆる性欲みたいには分かりやすいものじゃない。
 プレイでの興奮は、ほとんどの場合、直接、性的な高まりにつながりはする。けれどプレイとは、ぜんぜん無関係な性欲だって多い。

 だから「プレイ」なんか。
 別にやってもやらなくても、どうってコトない。
 そう思ってた。

 そうやって、自分をごまかして生きることはできたんだ。

 ――「ごまかして」?

 待てよ、なんだよ。それって。
 
 「なにか」を「ごまかして」きたのか、オレは?
 そうなのかよ?

 違う、ちがう。ごまかしてなんかないだろ?!
 もう忘れたんだ、あのコトは。
 アイツのことも、みんな――

 突然、ベロリと、何かにうなじを舐められた。

「……ぁ?」

 耳元に、フンスフンスと温かい鼻息が吹きかかる。

 ――え、鼻息?

 ベロリと、また耳たぶを舐められた。

「え……っ、む、ムギ?」

 クロモじゃのデカ犬が、オレの首やら頭やらを鼻先でこづき回している。

「…て、さん……! 旗手さん!」

 遠くから声。
 駆けてくる足音。

「旗手さん、やっぱり……!! やっぱり、ぜんぜん大丈夫じゃない!!」
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