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名前だけが誠実なヤツ(2)
しおりを挟む「なんで……」
それだけを、呟いた。あとはなにも言葉にならなかった。
――もしもし? 聞いてるのか?
キビキビした問い掛け。
別に無礼とか、冷たいとか、そんな声音ではない。
「丁寧」な口調。けど――
たぶん、そこに思いやりの欠片もないコトなど、痛いほど。
オレには痛いほど分かっていた。
「なんの…用だよ、だれに、このアカウント訊いた」
やっとのコトで、こう絞り出す。
――なに? 聴こえにくい。ゲン、具合でも悪いのか?
こんな問いかけが――
これが「心配」ではなくて「皮肉」なのだと。
オレには最初、分からなかった。
知らなかった。
そんな言葉遣いで「社交」する連中のコトなんか。
つまりは、オレの受け答えが「気が利いてない」「ドンくさい」ってコト。
話しかけてやってる自分に対して、無礼にすら聞こえるってコト。
そんなような事々を、うわべだけの丁寧な声色で「あてこすっている」だなんて。
知るワケもなかった。
田舎の人間関係は、確かにえげつないところも多い。
でも人々自体は、そんなにネジくれたりはしてなくて、あけっぴろげだ。
だからしょっちゅう、衝突が起こるだけ。
要するに、陰口すら全部筒抜けで、むしろ「可愛いモノ」とも言えた。けどさ。
こいつらは、ちょっと違ってた。
「光誠の住む世界」のヤツらは――
――そうだ。
――ゲン、おまえさ、電話もメアドも、いきなり変えて知らせもくれなかっただろう? 連絡取ろうとしたら大変だった。
サラリと涼しい言い草。
オレは――
オマエと「連絡を取ろう」とは思ってなかったけどな。
金輪際、二度と。
みつしげ……と。
名を呼びかけるコトさえ、オレにはまだ苦痛で。
くちびるが、固まってうごかなくて。
「名前だけ」が誠実なヤツ。
そうさ。ほかにはなに一つ、「誠意」なんかなかった。
コイツには――
光誠が語り出す。
何人か、大活躍やサークルのツテを辿って、オレの新しいアカを教えてもらったコト。
ロンドンでは、ボートも楽しんでたコト。
「日本は本当に湿度が高いな。特に東京で夏の屋外スポーツなんて、もう不可能だな」
だから?
それが、オレになんの関係が?
知るかよ。
興味ねぇよ。
どの言葉も、喉の奥に詰まって、痛くて苦しい。
「信州の湖に艇庫を持ってる知り合いがいてね、ああ、そう、仕事関係で知りあったんだけど」
へぇ、そうかよ。
いわゆる「プレッピーな白人エリート」みたいなヤツらな?
ボーディングスクールでやってた「ボートが趣味」ってハイソな連中。
オレみたいに、片田舎の高校のカビくさい艇庫でガリガリ君食ってたヤツとは違ってさ。
「それでさ。ゲン、今月末、空いてたりしないか? せっかくだからエイト、二艇でやりたくて。クルーが足りないんだ」
なんなんだよ。
その、合コンの数合わせより気軽な誘い方は。
心の中に渦巻く声。
でもオレは、その内のどれひとつとして音にはしないままに、声にはできないままに、ただ黙って聴いている。
切ないほど、ひどく聞き馴染みのある。
ハキハキと、でも、ズシリと重たい。
丁寧で、でも、生まれついてに支配的な口調。
周囲を無意識めいて従属させる。
オレを従属させる。
打ち据える長ムチのような。
――Domの声。
「まだ漕げるんだろう?」
当然のことを確かめる、そんな口調。
これは電話だ。
glareを感じるワケもないのに。
グラグラする。
地面がぬるりと波立つ。
「……ムリ、休みとか、取れない」
やっとのことで口にできた自分の声が、ブラックホールに吸い込まれてく。
「別に大丈夫だ。それはもちろん、休みが取れればゆっくりできていいけどね。三連休あるだろう? そこで行って帰ってくれば。俺は少し別荘でゆっくりしていくつもりだけど。ほら、覚えてるだろ? ゲンも何度か来たことがある」
ザワリ――と。
うなじの髪が逆立つ感覚。
別荘。
信州の、別荘――
あの家で、オレは。
オレは……。
気づけば、オレの掌は、スマホが滑り落ちそうなほど冷や汗でぐしょ濡れになっていた。
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