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終章
19
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二人が出てきた場所は、小さな洞窟の中だった。
外に出ても相変わらずの雪景色だ。
ただ吹雪いていることはなく、エレメンタル風の影響があるようにも見えない。
「空が……」
と、エルザが呟いた。
空を見る。
太陽がない。
雲もなかった。
遙か上空を覆っているのは白い膜のようなものだ。ベールのようなものが揺らめいて見える。
もしかしたらウィンターランドの氷の下に移動したのかと思ったが、ここはそれよりももっと、特殊な空間、世界であるようだとゾルは思う。
どんな場所なんだろうか?
疑問だ。
大地は光で満ちている。
遠くには白い峰が見える。
「エルザの故郷の風景と似ているな」
「私も同じ場所だと思う」
「ここにエルザの仲間がいるはずだな」
エルザは頷き、言った。
「ところで食料はどのくらい残ってる?」
「もう一食分といったところだ。メザイアから貰った巻物を使い、犬を半分帰還させるか?」
犬は八頭いる。半分にすれば、一日、二日分くらいの食料と水が浮くはずだ。
「いや、ここまで頑張ってくれたんだ。最後まで付き合ってもらう」
「了解した」
犬を減すと、移動できる距離も減るはずだ。
食料だけ保たせても、移動できる距離が変わらなければ探索は進まない気もする。
「その代わり休憩は取らずに行く。行ける所まで行きたい」
「ああ、分かった。ではどの方角に向かう?」
目印になる物は、山くらいしかなかった。
「あそこを目差す」
エルザは前方の山を指さした。
犬橇を山の方へ走らせながら、メルに上空から偵察をさせた。
見渡す限り、雪原が続いている。
生き物の影もない。
羅針盤はここでも役に立たないようで、針は方角を安定させなかった。
メルの方向感覚もおかしくならないか少し心配だ。
あまり離れすぎないように、エルザは指示を出した。
やがて、山の麓に辿り着いた。
ゆるやかな雪山の斜面を蛇行するようにして、犬橇は駆け上がっていく。
山頂に登り切った。
二人は、高所から景色を眺めた。
遙か遠くにではあるが、眼下に都市を見つけた。
二人の脳裏に同時に同じ考えが浮かんだ。
あの都市は、恐らく悪魔に占領されている。
あそこに行っても仲間に会うことはできないだろう。
「少し残念だ。ここまで来れたのに……」
食料と水は尽きている。
これ以上の探索は不可能だった。
一度、巻物を使って帰還しなくてはならない。
「ここまで来れただけでも大収穫だ。また出直そう」
「……そうだな」
悔しそうに、エルザはその光景を見つめていた。
仲間を探し出すのは、次の機会になる。
夏の時期しかウィンターランドには来れないため、次の探索は早くても一年後だ。
ゾルはポーターバッグからテレポーテーション・サークルの巻物を取り出した。
開こうとしたとき、視界に白いものが映った。ゾルは手を止める。
鳥だ。
メルと同じくらいの大きさの白い鳥がこちらへ飛んできた。見事な尾が印象的な綺麗な鳥だ。
「鳥?」
この山に動物が住んでいたのかと、ゾルは思わず呟いた。
鳥はエルザの前でホバリングした。
エルザが腕を出すと、その上に止まった。
人に慣れているようだ。
「もしかして、人に飼われているのか?」
と、ゾルは疑問を口にする。
「だとすると、この鳥は使い魔ということか?」
疑問に感じるのはエルザも同様だった。
二人は鳥を観察する。
「ピィーピ、ピピィピィ、ピピピィー」
と、鳥は鳴き声を上げる。
綺麗な鳴き声だ。
それはいいのだが……。
何か、伝えようとしているんじゃないだろうか?
エルザはメルを呼び戻し、この鳥が何を言っているのか説明させるようだ。
メルはエルザの肩に止まり、白い鳥の鳴き声を聞く。しばらくしてメルはエルザの方に体を向けた。
「コンニチワ ピピデス コッチ ツイテキテ」
メルから念話が送られたようだ。エルザが伝わった内容を口に出した。
「……」
「ついて来て、と言っているみたいだけど」
判断を誤るなというレイ司祭の言葉をゾルは思い出す。
白い鳥は羽を広げて鳴いている。なんだか説得されているようにゾルは感じる。
「ここから先は犬にもあまり無理はさせられないと思うんだが……この鳥から、あまり危険は感じないかな」
と少し悩ましい顔つきでゾルは言う。
「私も大丈夫だと思う。ゾル、行ってみよう」
「分かった。警戒はしよう」
ゾルは虚空から剣を取り出した。
白い鳥はエルザの腕から飛び立つ。
二人は犬橇に乗って、鳥のあとを追った。
やがて、一行は洞窟の前に辿り着いた。
二人は犬橇から降りて、中に踏み込む。
鳥はパタパタと先へ飛んで行き、通路に立っていた人物の腕に止まった。
エルザたちも、先へと進む。
男の姿がはっきり見えた。
人族の男だ。でも見たことがない種族だった。
瞳は真珠のようだ。淡い金色の長髪は腰まで伸び、尖った耳が見える。
体型はエルフと似ている。身長はエルザより少し高い程度で、大きいとはいえない。
美しい黄緑色の衣装を着ていた。
腰の剣帯には、立派な宝剣を下げている。
「エラドリン?」
と、ゾルは思わず呟いた。
エルフの女王から聞いていた、エラドリンという種族の風貌と似ていた。
「……君たちは外から来たのか?」
と、男はこちらに問うた。
澄んだ音色のような声だ。
「そうだ。私はここに故郷と仲間を探しに来た」
そう言って、エルザは手を前に出した。
人差し指には、透明な指輪が嵌まっている。
彼に指輪が見えるのだろうか?
男の視線がエルザの人差し指に動いた。
「……君の名前は?」
「エルザだ。こちらは仲間のゾル」
男は、エルザとゾルを交互に見た。
男とエルザ、二人の容姿は似ている。
特に目の所が。
完璧に同じ容姿というわけではないのだが。
この人はエルザの仲間に違いない、とゾルは思う。
外からエルザのような容姿の人間が来たとなれば、仲間だと受け入れられてもいいと思うのだが。
ゾルは二人の成り行きを見守ることにした。
「……失礼かもしれないけれど。……もし、僕の思い違いでなければ……」
男は涙ぐんだ。
声が、震えていた。
恐らく、エルザを仲間だと認めたんだろう。
「なんだ?」
と、エルザは男を見つめて言葉を促した。
「君は、僕の……」
男は言葉に詰まっていた。
エルザは待ちきれないとでも言うように自分から口を開いた。
「多分、娘だろうな。お前が私の父親か? 私は十七年前にエルキア王国の孤児院に拾われた。それについて覚えはあるか?」
ゾルはエルザの言葉に少し驚く。
エルザの仲間だとは思ったが、彼がエルザの父なのか……?
たしかに、二人は似ている。
それにエルザも男の方も、ほとんど互いが親子であることを確信しているようだ。
ゾルは言葉が出なかった。
エルザは故郷と親を見つけたのだ。
(ついにやったな……エルザ……)
エルザのこれまでの旅を思い出し、ゾルは目頭が熱くなった。
「……ある。あるよ、イリーナ……大きくなったんだね……」
懐かしむような目をして、男は声を振るわせる。
堪えきれなくなったのか、男は上着の袖で涙を拭いていた。
やはり、エルザの父親で間違いないようだ。
エルザの本当の名前はイリーナというんだろう。
恐らく透明な指輪もこの男に見えているはずだ。
その上で、彼の方も確信を持っている。
親子の感動の再会だな、と思いゾルの方まで涙ぐんでしまった。
「貴様……」
低い声で、エルザはうなるようにそう言った。
なんだか、様子がおかしい。
エルザの表情が、怖い。
もっと、抱き合うとか、仲間との再会の時にはそういう場面を想像していたのだが。
エルザはツカツカと男に歩み寄った。
ピピは異変を察知して、男から離れた。
「これでも食らえ!」
拳を振り上げて、エルザは男の顔面を殴った。渾身の一撃だ。
「グハッ!」
男は顔を押さえて、よろめく。
痛そうだ。
ゾルもエルザの突然の行動にビクリと体を振るわせた。
「貴様のお陰でどれだけ苦労したと思ってる! 悪魔の前に、貴様を殺してやる!」
と、エルザは両方の拳で、男の顔面を殴打しまくった。
さすがに、ゾルもエルザの行動が常軌を逸していると感じる。
「エ、エルザ……ちょっと待て!」
と、ゾルは剣をしまい、慌てて止めようとした。
「ゾル! 口を出すな!」
エルザは殴打を止めなかった。
男が地面に膝をつくと、今度は顔面に蹴りを入れ、腹を蹴り、踏みつけ、本気で殺そうとしているんじゃないかと思えるほどの強烈な打撃を与えていた。
「うへ、うへへへ、ウグッ」
ボコボコにされているのに、なぜか男は嬉しそうだ。
しかし顔面からは流血し、腹を蹴られるたびに酷いうめき声を上げている。
「こうしてやる日を夢にまで見た」
どうしていいか分からず、ゾルは見ているしかなかった。エルザは暴行を止めるつもりはないようだ。
徐々に不安になってくる。
「ゴボッ」
男が血反吐を吐いた。
「くたばれ!」
「ブホッ!」
これは洒落にならない。
もしかして、男の方も殺されていいと思っているんじゃないのだろうか? いくら娘の攻撃とはいえ防御をしようとしない。
これ以上は危険だと判断して、ゾルは男とエルザの間に割って入った。
「待て、待て、まだ何も話を聞いていないじゃないか!」
「クソ!」
少し怒り方がいつものエルザとは違うとゾルは思った。殴打攻撃を続けたのは古代魔法を使って魔力がなかったからだ。魔力が残っていたら容赦なく魔法で攻撃していたかもしれない。
エルザから抑えきれないような、ピリピリとした空気をゾルは肌で感じている。
まだ、何も話を聞いてないのに。
エルザは拳を血まみれにしている。恐ろしい光景だ。
とにかく一度冷静になるべきだ。
「貴様の名前は何だ?」
エルザは倒れている男を睨みつけてそう聞く。
「ルアド……だよ……」
「ルアド、他の仲間もここにいるのか?」
「……うん」
「案内しろ」
男は地面に横たわり、首を動かして首肯した。
「イ、イリーナ……生きていて……帰ってきてくれて……ありが、とう……う、嬉しい……凄く、嬉しい、よ……ゴボッ」
涙と血を流しながら、ルアドは表情を明るくしてそう呟いていた。
「死ね!」
エルザは声を荒げた。
だが、これ以上は男に暴行を加えはしなかった。
とんでもない父娘の再開になったが、無事に旅の目的を一つ達成できた。
エルザが怒っている理由を聞くのは、もう少し落ち着いてからにしようとゾルは思う。
それになんだかルアドの方もエルザに殴られて嬉しがっている様子だった。暴行を受けてはいるが、どんな形であれエルザと会えたことが嬉しいのだろう。
ゾルには父親の気持ちまでは分からないが、ルアドがエルザに対して愛情を持っているだろうことはなんとなく伝わってきた。
ひとまず、ここは安全だと判断してよさそうだ。
ゾルはそう思う。
外に出ても相変わらずの雪景色だ。
ただ吹雪いていることはなく、エレメンタル風の影響があるようにも見えない。
「空が……」
と、エルザが呟いた。
空を見る。
太陽がない。
雲もなかった。
遙か上空を覆っているのは白い膜のようなものだ。ベールのようなものが揺らめいて見える。
もしかしたらウィンターランドの氷の下に移動したのかと思ったが、ここはそれよりももっと、特殊な空間、世界であるようだとゾルは思う。
どんな場所なんだろうか?
疑問だ。
大地は光で満ちている。
遠くには白い峰が見える。
「エルザの故郷の風景と似ているな」
「私も同じ場所だと思う」
「ここにエルザの仲間がいるはずだな」
エルザは頷き、言った。
「ところで食料はどのくらい残ってる?」
「もう一食分といったところだ。メザイアから貰った巻物を使い、犬を半分帰還させるか?」
犬は八頭いる。半分にすれば、一日、二日分くらいの食料と水が浮くはずだ。
「いや、ここまで頑張ってくれたんだ。最後まで付き合ってもらう」
「了解した」
犬を減すと、移動できる距離も減るはずだ。
食料だけ保たせても、移動できる距離が変わらなければ探索は進まない気もする。
「その代わり休憩は取らずに行く。行ける所まで行きたい」
「ああ、分かった。ではどの方角に向かう?」
目印になる物は、山くらいしかなかった。
「あそこを目差す」
エルザは前方の山を指さした。
犬橇を山の方へ走らせながら、メルに上空から偵察をさせた。
見渡す限り、雪原が続いている。
生き物の影もない。
羅針盤はここでも役に立たないようで、針は方角を安定させなかった。
メルの方向感覚もおかしくならないか少し心配だ。
あまり離れすぎないように、エルザは指示を出した。
やがて、山の麓に辿り着いた。
ゆるやかな雪山の斜面を蛇行するようにして、犬橇は駆け上がっていく。
山頂に登り切った。
二人は、高所から景色を眺めた。
遙か遠くにではあるが、眼下に都市を見つけた。
二人の脳裏に同時に同じ考えが浮かんだ。
あの都市は、恐らく悪魔に占領されている。
あそこに行っても仲間に会うことはできないだろう。
「少し残念だ。ここまで来れたのに……」
食料と水は尽きている。
これ以上の探索は不可能だった。
一度、巻物を使って帰還しなくてはならない。
「ここまで来れただけでも大収穫だ。また出直そう」
「……そうだな」
悔しそうに、エルザはその光景を見つめていた。
仲間を探し出すのは、次の機会になる。
夏の時期しかウィンターランドには来れないため、次の探索は早くても一年後だ。
ゾルはポーターバッグからテレポーテーション・サークルの巻物を取り出した。
開こうとしたとき、視界に白いものが映った。ゾルは手を止める。
鳥だ。
メルと同じくらいの大きさの白い鳥がこちらへ飛んできた。見事な尾が印象的な綺麗な鳥だ。
「鳥?」
この山に動物が住んでいたのかと、ゾルは思わず呟いた。
鳥はエルザの前でホバリングした。
エルザが腕を出すと、その上に止まった。
人に慣れているようだ。
「もしかして、人に飼われているのか?」
と、ゾルは疑問を口にする。
「だとすると、この鳥は使い魔ということか?」
疑問に感じるのはエルザも同様だった。
二人は鳥を観察する。
「ピィーピ、ピピィピィ、ピピピィー」
と、鳥は鳴き声を上げる。
綺麗な鳴き声だ。
それはいいのだが……。
何か、伝えようとしているんじゃないだろうか?
エルザはメルを呼び戻し、この鳥が何を言っているのか説明させるようだ。
メルはエルザの肩に止まり、白い鳥の鳴き声を聞く。しばらくしてメルはエルザの方に体を向けた。
「コンニチワ ピピデス コッチ ツイテキテ」
メルから念話が送られたようだ。エルザが伝わった内容を口に出した。
「……」
「ついて来て、と言っているみたいだけど」
判断を誤るなというレイ司祭の言葉をゾルは思い出す。
白い鳥は羽を広げて鳴いている。なんだか説得されているようにゾルは感じる。
「ここから先は犬にもあまり無理はさせられないと思うんだが……この鳥から、あまり危険は感じないかな」
と少し悩ましい顔つきでゾルは言う。
「私も大丈夫だと思う。ゾル、行ってみよう」
「分かった。警戒はしよう」
ゾルは虚空から剣を取り出した。
白い鳥はエルザの腕から飛び立つ。
二人は犬橇に乗って、鳥のあとを追った。
やがて、一行は洞窟の前に辿り着いた。
二人は犬橇から降りて、中に踏み込む。
鳥はパタパタと先へ飛んで行き、通路に立っていた人物の腕に止まった。
エルザたちも、先へと進む。
男の姿がはっきり見えた。
人族の男だ。でも見たことがない種族だった。
瞳は真珠のようだ。淡い金色の長髪は腰まで伸び、尖った耳が見える。
体型はエルフと似ている。身長はエルザより少し高い程度で、大きいとはいえない。
美しい黄緑色の衣装を着ていた。
腰の剣帯には、立派な宝剣を下げている。
「エラドリン?」
と、ゾルは思わず呟いた。
エルフの女王から聞いていた、エラドリンという種族の風貌と似ていた。
「……君たちは外から来たのか?」
と、男はこちらに問うた。
澄んだ音色のような声だ。
「そうだ。私はここに故郷と仲間を探しに来た」
そう言って、エルザは手を前に出した。
人差し指には、透明な指輪が嵌まっている。
彼に指輪が見えるのだろうか?
男の視線がエルザの人差し指に動いた。
「……君の名前は?」
「エルザだ。こちらは仲間のゾル」
男は、エルザとゾルを交互に見た。
男とエルザ、二人の容姿は似ている。
特に目の所が。
完璧に同じ容姿というわけではないのだが。
この人はエルザの仲間に違いない、とゾルは思う。
外からエルザのような容姿の人間が来たとなれば、仲間だと受け入れられてもいいと思うのだが。
ゾルは二人の成り行きを見守ることにした。
「……失礼かもしれないけれど。……もし、僕の思い違いでなければ……」
男は涙ぐんだ。
声が、震えていた。
恐らく、エルザを仲間だと認めたんだろう。
「なんだ?」
と、エルザは男を見つめて言葉を促した。
「君は、僕の……」
男は言葉に詰まっていた。
エルザは待ちきれないとでも言うように自分から口を開いた。
「多分、娘だろうな。お前が私の父親か? 私は十七年前にエルキア王国の孤児院に拾われた。それについて覚えはあるか?」
ゾルはエルザの言葉に少し驚く。
エルザの仲間だとは思ったが、彼がエルザの父なのか……?
たしかに、二人は似ている。
それにエルザも男の方も、ほとんど互いが親子であることを確信しているようだ。
ゾルは言葉が出なかった。
エルザは故郷と親を見つけたのだ。
(ついにやったな……エルザ……)
エルザのこれまでの旅を思い出し、ゾルは目頭が熱くなった。
「……ある。あるよ、イリーナ……大きくなったんだね……」
懐かしむような目をして、男は声を振るわせる。
堪えきれなくなったのか、男は上着の袖で涙を拭いていた。
やはり、エルザの父親で間違いないようだ。
エルザの本当の名前はイリーナというんだろう。
恐らく透明な指輪もこの男に見えているはずだ。
その上で、彼の方も確信を持っている。
親子の感動の再会だな、と思いゾルの方まで涙ぐんでしまった。
「貴様……」
低い声で、エルザはうなるようにそう言った。
なんだか、様子がおかしい。
エルザの表情が、怖い。
もっと、抱き合うとか、仲間との再会の時にはそういう場面を想像していたのだが。
エルザはツカツカと男に歩み寄った。
ピピは異変を察知して、男から離れた。
「これでも食らえ!」
拳を振り上げて、エルザは男の顔面を殴った。渾身の一撃だ。
「グハッ!」
男は顔を押さえて、よろめく。
痛そうだ。
ゾルもエルザの突然の行動にビクリと体を振るわせた。
「貴様のお陰でどれだけ苦労したと思ってる! 悪魔の前に、貴様を殺してやる!」
と、エルザは両方の拳で、男の顔面を殴打しまくった。
さすがに、ゾルもエルザの行動が常軌を逸していると感じる。
「エ、エルザ……ちょっと待て!」
と、ゾルは剣をしまい、慌てて止めようとした。
「ゾル! 口を出すな!」
エルザは殴打を止めなかった。
男が地面に膝をつくと、今度は顔面に蹴りを入れ、腹を蹴り、踏みつけ、本気で殺そうとしているんじゃないかと思えるほどの強烈な打撃を与えていた。
「うへ、うへへへ、ウグッ」
ボコボコにされているのに、なぜか男は嬉しそうだ。
しかし顔面からは流血し、腹を蹴られるたびに酷いうめき声を上げている。
「こうしてやる日を夢にまで見た」
どうしていいか分からず、ゾルは見ているしかなかった。エルザは暴行を止めるつもりはないようだ。
徐々に不安になってくる。
「ゴボッ」
男が血反吐を吐いた。
「くたばれ!」
「ブホッ!」
これは洒落にならない。
もしかして、男の方も殺されていいと思っているんじゃないのだろうか? いくら娘の攻撃とはいえ防御をしようとしない。
これ以上は危険だと判断して、ゾルは男とエルザの間に割って入った。
「待て、待て、まだ何も話を聞いていないじゃないか!」
「クソ!」
少し怒り方がいつものエルザとは違うとゾルは思った。殴打攻撃を続けたのは古代魔法を使って魔力がなかったからだ。魔力が残っていたら容赦なく魔法で攻撃していたかもしれない。
エルザから抑えきれないような、ピリピリとした空気をゾルは肌で感じている。
まだ、何も話を聞いてないのに。
エルザは拳を血まみれにしている。恐ろしい光景だ。
とにかく一度冷静になるべきだ。
「貴様の名前は何だ?」
エルザは倒れている男を睨みつけてそう聞く。
「ルアド……だよ……」
「ルアド、他の仲間もここにいるのか?」
「……うん」
「案内しろ」
男は地面に横たわり、首を動かして首肯した。
「イ、イリーナ……生きていて……帰ってきてくれて……ありが、とう……う、嬉しい……凄く、嬉しい、よ……ゴボッ」
涙と血を流しながら、ルアドは表情を明るくしてそう呟いていた。
「死ね!」
エルザは声を荒げた。
だが、これ以上は男に暴行を加えはしなかった。
とんでもない父娘の再開になったが、無事に旅の目的を一つ達成できた。
エルザが怒っている理由を聞くのは、もう少し落ち着いてからにしようとゾルは思う。
それになんだかルアドの方もエルザに殴られて嬉しがっている様子だった。暴行を受けてはいるが、どんな形であれエルザと会えたことが嬉しいのだろう。
ゾルには父親の気持ちまでは分からないが、ルアドがエルザに対して愛情を持っているだろうことはなんとなく伝わってきた。
ひとまず、ここは安全だと判断してよさそうだ。
ゾルはそう思う。
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