ユキバナの咲く地へ

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終章

29

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 バズゥを先頭に、宮殿のなかへと入った。
 見張りの悪魔の前を堂々と横切っていく。
 ここにいる悪魔だが、恐らく超視覚を持っている。
 エルザとゾルの姿も見破られていると思われた。
 でも、気にされることがない。

 圧倒的な存在だからこその余裕だろうか。
 まさか、敵が侵入しても紳士に振る舞おうなどと本気で考えているわけではないと思うが……。

 玉座の間の扉を開けて、三人はアナザデウスの部屋に入る。

 室内は薄暗かった。
 明かりになるものは、壁際に掛かっている小さな燭台の炎だけだ。

 奥の玉座には、アナザデウスが座していた。
 人よりも一回り程身体が大きい、雄山羊のような二本の角を額に生やし、顔付きは暴虐さよりも怜悧れいりな印象を受ける。ともすれば美しいと形容してもいいかもしれない。

 右手には紅玉の嵌ったロッドを持ち、白と紅の色が映える衣装を着ていた。その姿はイコンや伝説で伝え聞く大悪魔の姿とほとんど変わらなかった。

 アナザデウスは肘掛けに左膝を乗せ、頬杖をついてこちらを睨め付けるように見つめていた。

 バズゥを先頭に、二人はゆっくりとアナザデウスに近づいていく。
 この空間に他の悪魔の姿はない。

 玉座から二十メートル程まで近づいた。
 そこでアナザデウスは声を発した。

「そこで止まるがよい」

 二人は足を止める。バズゥは案内を終えたといったていで、アナザデウスに頭を垂れてエルザたちの視界から横に移動した。

 第九位階魔法の中には、相手に声をかけるだけで死に至らしめる魔法がある。
 バズゥには自分たちを守るように命令を出していた。
 相手がアナザデウスでも、初手の攻撃で死にはしないと二人は考えている。

「朕に何の用があってここに参った」

 思っていたよりも、声質は恐ろしいものではなかった。良く通り威厳は感じるが、人と変わらない。
 その姿からオーラや恐怖、プレッシャーを感じることもなかった。
 力を抑えている、と見るべきだろうか。

 ただ、異常な程緊張し心臓が鼓動を強める。
 いつでも動き出せるよう、ゾルはできるだけ心を平静に保とうとする。
 呼吸を乱さないよう気をつけた。

 エルザとゾルはディスガイズ・セルフの魔法を解き、人の姿に戻った。
 エルザがアナザデウスを睨み言った。

「審判を下しに来た。お前には、聞きたいことがある」

 室内にエルザの声が響く。
 エルザはアナザデウスに対しても、緊張することなく堂々とした態度を崩さなかった。

「話すがよい」

「地獄の大悪魔アナザデウス。お前は、寂しさを感じることはあるか?」

「朕は常に寂しさをいだいている」

「寂しさを感じるから、こんないびつな仕組みの地獄を創り出したのか?」

「朕の寂しさは、神々に楽園を追われたことによるもの。永遠に、朕は一人。この地獄にも朕の寂しさが現れ出ていよう」

「お前には大勢の部下がいる」

「部下は友人ではない」

 エルザはアナザデウスをキッと睨みつけ言った。

「だったらお前の寂しさをここで取り除いてやる」

 エルザは、アナザデウスを滅ぼすことに決めたようだ。
 ゾルも覚悟を決める。
 ゾルは最悪の場合、自分が時間を稼ぎエルザを逃すことができればいいと考えている。
 もちろん勝つつもりではいるが、エーリア・グローリスがどの程度アナザデウスに通じるかはやってみなければ分からない。

 アナザデウスはエルザの不敬とも取れるだろう言葉をなんら気にすることなく悠然ゆうぜんとした態度で言った。

「一つ、朕からも提案しよう」

「なんだ?」

「朕のしもべになるがよい。それで、汝等を許す」

 エルザは怒りを感じさせる声を上げた。

「ゾル!」

「闘神憑依」

 姿を変えたゾルは、瞬時に魔眼の力を使い辺りの魔法を解除した。
 ここには魔法的な罠がかなり仕掛けられている。
 攻撃する前に、まずはこれを消し去らなくてはいけなかった。

 アナザデウスはこちらのすることを、まるで手品でも見るように目を細めて眺めている。

 エルザは第四の眼を触媒に使い、魔力を全解放した。
 
「エーリア・グローリス!」

 伏魔殿に超巨大な白光が膨れ上がった。

「エルザ……」

 エルザの身体が、魔法の威力に耐えられないのだとゾルは気づいた。
 エルザの身体が分解するようにして消えていく。

「……すまない、ゾル……」

 エルザは小さくそう言った。
 その声は、ここに来て初めて弱気なものに思えた。

「エルザ!」

 ゾルは叫ぶ。
 超巨大な光柱が、伏魔殿から立ち昇った。
 光柱は伏魔殿の天井を突き抜けて、上階にある他の領域をも貫いた。

 それと同時に、エルザの身体が消滅した。
 跡形もなく、消えている。
 死んだ……。

「……朕をその魔法で消滅させられると思ったのだな」

 玉座が消滅し、アナザデウスは立ち上がっている。
 良い退屈しのぎだった、とでも言わんばかりの表情だった。
 アナザデウスに服の乱れはほとんどなく、身体にも傷は見当たらない。だがあれだけの大魔法を受けたのだ。ダメージを受けていないはずがない。

 今、奴の身体は自己治癒が働いているはずだ。
 恐らく余裕の態度を見せているのも、ゾルに攻めるのを躊躇わすためだ。
 相手は重症に違いない。
 
 冷静に考えればそうなのだが、ゾルは頭のなかで上手くこの事態を整理することができない。

 自分が今どう動くのが最善なのか。
 攻めるべきか。
 退くべきか。
 エルザのための交渉や譲歩をすればいいのか。
 なにより、心が辛く折れそうになる。
 
「……」

「無駄なことだ。朕の肉体を滅ぼしたとしても、百年足らずで復活する」

 アナザデウスはロッドを振り、自分の周囲に数体の上級悪魔を召喚した。

「あ、あ、あ……」

 ゾルは頭が真っ白になる。
 喘ぐように声が出ていた。

「汝はどうする? 魂ごと消滅するか、悪魔になり朕に仕えるか」

 再び、悪魔が召喚された。

「……ぐ、あ、あ」

 何か行動しなければならない。
 しかし、行動しようにもさらに不味い事態が自分に起きていた。

「さあ、選ぶがよい」

「あぁぁぁぁ!」

 ゾルは自棄やけになったように叫んだ。

「所詮、定命の者」

 アナザデウスの周りに、十数体の上級悪魔が配置されていた。

「エルザ……嫌いだよ、心の底から、お前が嫌いだ」

 苦しそうに、ゾルは呟く。
 精神のコントロールができなくなっていた。
 どのように感情を持てばいいのか、ゾルは分からなくなった。

 その間にも、アナザデウスの周りには悪魔が増えていく。

「ぐ、ぐ、ああ」

 自分が、やり遂げなくてはならない。
 エルザの死を無駄にしてはならない。
 この状況で、自分がアナザデウスに勝てなければ、エルザは二度と生き返れなくなる。

 精神のコントロールが上手く行かなければ、闘神憑依が解けてしまう。

 エルザを嫌いだと思い込む。
 エルザは初めからいなかった。エルザのことを今は考えるな。
 エルザの死を、忘れようとする。

 深く心の底に沈む、そんな絶望の感覚を取り戻そうとしたが……。

「ぐ……」

 ふ。
 と、闘神憑依が解け、闘神解放の状態へと技が繰り下がった。

「終わりかな?」

 あざ笑うように、アナザデウスは言った。

 ゾルは闘神解放も維持できなくなり、姿が完全に元に戻った。剣を構えることもなく、腕をダラリと下げ、下を俯いている。その姿は戦いを放棄して、ただ死を待つだけのようでもあった。

 だがゾルは別のことに心を馳せていた。この危機にあって、なぜか昔のことを振り返っている。

 この状況は、ターラム砦で古代魔法を使われた時と同じだ。
 あの時と同じ心境。
 エルザを嫌いになる。
 不可能だ。


 虚無の戦士であれ。

 何も望まず、何も恐れず、ただ剣を振るう。

 自分の命すら重いとは思わない。

 仲間の死だけを、心の重しとし。

 自分を、剣の道具と化す。

 あの時と同じ感覚を、ゾルは思い出した。

 頭の中に、技の名前が浮かんだ。

 ゾルは、最後の特殊技能を覚えた。


「ーー闘神同化とうしんどうか。絶望の心、虚無の構え」

 まるで幽鬼のような姿勢で、ゾルはそう呟いた。

 凄まじい闘気が、ゾルの身体に巡った。
 よみがったかのように、ゾルはキッと視線を前方に向け、剣を構え直した。

 攻撃、防御どちらにも対応しやすい中段で剣を構えることの多いゾルだが、今は下段気味に剣を構えている。

 この虚無の構えは変幻自在に剣を振るうための構えと言いかえることができる。
 当意即妙にその場の状況で自動的に構えや型が作られるが、その形は防御を考えない闘神憑依や闘神同化の状態でもっとも理想な構えと言える。
 パッシブ型の能力に近く、一度使えば闘神同化の状態が終わるか自らの意思で切るまで発揮されたままでいる。手加減抜きで敵と戦い、闘神同化の力を完全に発揮するために必要な技だ。

 ゾルは虚空移動を使い、アナザデウスの盾となる悪魔の正面に瞬間移動する。
 この技は視線の通る限られた範囲にしか転移できない。
 盾となる悪魔は巨大で、アナザデウスを守るため壁を作っている。

 ゾルは悪魔を一撃のもとに倒すと、再び虚空移動を使い、次の悪魔の前へと移動する。
 攻撃と同時に魔眼を使い、片っ端から敵の魔法や技をかき消していた。

 ゾルの素早い動きは上級悪魔にも反撃の余地を与えなかった。
 
 ゾルは一陣の風のようにアナザデウスに接近する。

「残念だ」

 アナザデウスは無感情にそう呟いた。

 アナザデウスはゾルの技を危険だと判断したのか、転移魔法を使い逃げようとしている。
 奴は今、エーリア・グローリスで少なくないダメージを負い、弱体化もしているはずだ。

 ここで逃がしてしまえば、アナザデウスを討ち取る機会はもうない。
 そして、エルザを生き返すことは永久にできなくなる。

 ゾルは悪魔を斬り、道を切り開き、アナザデウスの前に転移しようとする。
 今この瞬間、ゾルとアナザデウスの実力は紙一重には違いなかったが、その溝は深く広い。
 アナザデウスはコンマ数秒の感覚で判断し動けるのかもしれない。今勝敗を分かつのは、その一秒にも満たない時間だった。

 ゾルの転移とアナザデウスの行動はほぼ同時だった。
 わずかに、ゾルの剣はアナザデウスに届かない。
 
「く」

 そこに。
 突如、アナザデウスの真後ろに、一人の老婆が現れた。
 老婆はアナザデウスに組みついた。

「この時を待っていたよぉ!」

 老婆は叫び、恐怖を感じさせる笑みを浮かべ、アナザデウスに顔を近づけた。

 メザイアの描いた似顔絵の人物だ。
 名前は、アナザデウスの元カノの大魔女レザニア。

「き、貴様! レザニア!」

 アナザデウスが、初めて取り乱した。

「あんたの精髄せいずいはあたしが大事に取ってあるからねぇ。これから楽しくあたしと暮らせるよ。もう寂しくないからね、アナザデウス」

「ッ!」

 ゾルは、無心である。

「神気到来! 十六連斬り!」

 特殊技能、神気到来。
 本来は瞬間的にエンキの闘気、神力を我が身に降ろす技だ。
 だが、今のゾルが使うと別の技のようだった。
 エンキそのものになったように、溢れんばかりのパワーがゾルの身体に巡った。

 ゾルはまるで爆発したような勢いで斬撃を繰り出した。

 十六連、三十二連、四十八連、六十四連、八十連、九十六連、百十二連。
 止まることなく、十六連斬りを合計で七回繰り出す。

 アナザデウスの身体はまるで抵抗することがなかった。弱体化しているためだろう。
 アナザデウスはゾルの全ての斬撃を浴び、叫び声を上げることもないまま斬り刻まれて黒々とした体液を床に残した。

「よくやったよ、坊や」

 レザニアは嬉しそうにそう言い、笑い声を立ててその場から転移して消えた。


 アナザデウスが消えたあとも、上級悪魔たちはゾルに攻撃を仕掛けた。
 ゾルは止まることがなかった。

 眼に映る敵をひたすら斬る。

 集まってくる悪魔たちを、できる限りの技を駆使し消滅させていく。

 宮殿が崩壊した。

 ゾルは飛び、エーリア・グローリスで生じた亀裂から上階の領域へと移り、戦い続けた。

 

 どのくらい時間が経ったのだろう。
 自分でも分からない。
 ゾルを攻めてくる悪魔はいなくなり、ゾルも力尽きた。

 地獄の荒野の真ん中で、ゾルは片膝をつきアディフィッドを地面に突き立てた。

 ゾルはばたりと地面に倒れた。



 …………。

 ゾルの下に一人の少女が飛んできた。エレメンタル化を解き、彼女は傷ついたゾルのそばで地面に両膝をつき、彼の頭を自分の胸へと引き寄せた。

「最高だったぜ、ゾル」

 シアは愛おしそうにゾルを抱きしめ、優しくそう言った。

 シアは離れた所から、ゾルが戦う姿を見ていた。
 悪魔との凄まじい戦いの光景を見て、シアは思った。

 絶望だけで強くなれるわけじゃない。
 愛情があるからここまで戦える。
 ゾルの限界を超えた力は優しさから生まれるのだと。

 シアは、ゾルの命を懸けた戦いを見られて満ち足りた気持ちだった。
 このままずっと抱き締めていたい。



 しばらくしてバズゥがシアの前に姿を現し、エルザの命令を履行りこうするとシアに説明した。

 バズゥはシアからシガル村がどこにあるか聞き、二人を連れてグレーター・テレポートを使用した。


 意識のなかったゾルはすぐにレイ司祭の下に運ばれた。
 シアはエルザから預かった一房の髪をエメルに渡した。

 バズゥは誰にも何も告げず、役目を終えると再び地獄へと戻った。
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