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第六章
第47話【現在】処刑の危機、あるいは八年越しの毒
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陛下を視認した少年は慌てて跪き、右手を左胸に当てて頭を垂れた。私も倣って同じ所作を取る。
騎士時代に散々やったはずなのに、少しふらついてしまった。筋肉が足りないせいか、それとも、陛下に気圧されたのか――。
普段忘れていたけれど、本来であれば毎回そうするべきなのだ。
視界の端で、陛下の黒いマントが揺れた。
じゃり、という音と共に、先ほどまで二人で地面に刻んでいた偏向術式の案。
地面に書かれたそれは、陛下の足で無造作に踏みにじられ、否定された。
『暴虐皇帝』の異名にふさわしい、傲然とした所作だった。
「――それで、どういうつもりだ。薔薇の贈与に、涙。……告白か?」
頭の上から絶対零度の声が降り注ぐ。
ふたりとも声が出せない。恐怖のあまり、地面を向くことしかできない。
今すぐ去ってくれ。早く何処かで行ってくれ!
心の底からそう願った。どっどっど、と心臓が早鐘を打つ。
止まらなかったはずの涙はとっくに引っ込んでいた。もしくは陛下の圧で凍りついたのかもしれない。
「たしかに“良い場面”だった。中庭の月、血の薔薇、恋人たちのような距離感……」
陛下の声は低く、抑えられているのに、底が抜けたように冷たい。
肌寒い季節なのに、汗が止まらない。
私が“暴虐皇帝”だと思っていたものは、偽りだった。
あんなのは「戯れで腹黒を演じているだけ」だ。
腕を強く掴まれたことはあっても、『首を撥ねるぞ』という殺意に似た何かを向けられたこと、なかった。
ちっ、という舌打ちが聞こえた後に、地面が遠のき、急速な浮遊感が襲った後――陛下の肩に担がれていた。
「良いことを教えてやろう」
肩に私を担いだまま、陛下は少年に近づいた。
片手で、その小さな首根っこをぐいと掴み上げる。
「その薔薇、処刑台にも飾れるぞ。……美しく死ねるようにな」
『殺すぞ』をこんなにも丁寧に言われたのは初めてだった。
陛下は一歩、地を踏みしめた。
同時に、空気が裂けるような音がして、視界が歪む。
遠くで、何かが地面に落ちる音がした。それはかき消されてしまいそうな程、小さな音で――
私は、あの薔薇が砕けた音なんじゃないかと思った。
……少年、トラウマになってなければいいな。
体を貫く魔力の震えが、瞬間移動のそれだと気づくのに、少しだけ時間がかかった。
***
担がれたまま、私は、抵抗できなかった。
転移した先は宮廷のようで、陛下は不機嫌さを隠さず大股で歩く。
部屋の前に居た護衛に「誰も入れるな」と厳命し、乱暴に扉を締めた。
音の大きさに、思わず身を竦めた。
部屋に入ると寝台に放り投げられた。周りを見る余裕すらないが、どうやらここは陛下の私室らしい。
立派な寝台のマットが私の身体をぽすんと優しく受け止めてくれる。
陛下はコートを脱ぎ、ネクタイを緩めた。その動作が色っぽくてドキドキしてしまった。
とりあえず速攻で処刑台に薔薇を添えられることにはならなさそうで安心した。
ベッドが、二人分の体重を受けてみしり、と音を立てた。
ああ! 処刑は免れたと思ったのに別の危機!
流石の私も、男女がベッドで二人でいる時に起こる危機を想像できない程、世間知らずではない。
「陛下、まずいですって!」
迫ってくる陛下に対して、両手を前に出して抵抗を試みる。
薄いシャツ越しに、筋肉の隆起を感じ取る。――無駄だと分かっていたけれど、置物のように微動だにしない。
ひえ、と喉の奥から悲鳴が漏れ出た。
陛下の手が、私の頬を三本の指でがっ!と掴んだ。
まるで感触を確かめるように、頬をぶにぶにと潰される。
「この口で、愛を囁いたのか。――あいつに」
その声音は低く抑えられているのに、怒りが剥き出しだった。
答える隙も与えず、手のひらに力がこもる。
顔の骨がみしりと音を立てる幻聴が聞こえた。
違う! と答える事もできないまま、陛下が喋りだした。
「いい。――もう何も、聞きたくない」
彫像めいた美しい顔が近づいてくる。けれどその眼差しにあるのは――。
(……陛下の目、やっぱり、きれい)
だから私は、陛下の顔をむんずと掴んで、確認した。
その目の下に、濃い隈が刻まれていたからだ。
「なに、悪いけど、止める気ないよ」
そうやって凄む陛下の黒髪を優しく撫で撫でした。
「じゃあ『私がする』ので。仰向けに」
そう言って隣をぽんぽんと叩いた。
このベッドは陛下が大の字になって三人分寝ても余るくらいには広い。
美しい眉がピクリと動く。
「積極的だね」
何を想像しているのか、そう言いながらも言ったとおりに仰向けになってくれた。
頭をぽんぽんとしながら、胸を優しく撫でる。
「目を閉じてー……じゅう、きゅう、はーち……」
できるだけ穏やかな声で、リズムを付けてカウントダウンをしていく。
「……ゼロ」
すぅすぅという寝息が、部屋に響いていた。
カーシャお姉様直伝の「眠れない日のための寝かしつけ術」が役に立つ日がくるとは思わなかった。
別に、何を『する』とは言ってないし。
やっぱり疲れてたんだな。人は寝てないと正常な判断ができなくなる。
『アナスタシア』の口から『私がする』って発言が出てくること、おかしいって分からない時点で頭が正常に働いてない。
陛下がこちらを見る眼差しには「欲情」というよりも「危機」とか「焦燥」の方が近かった。
命の危機を感じた時、人は本能的に子孫を残すために性欲が増すと聞いたことがある。
今日の陛下は、つまりそういうことだろう。
どれだけ疲れてたんだろう。……思わず、陛下の顔を見た。
こころなしか、最後にお茶会したときよりもやつれている気がする。
中庭で地面に座っていたから、コートは泥だらけだった。
着替えもせずベッドに放り込まれたせいで、あちこちに土がこぼれている。
そんな汚れた場所で陛下を寝かせるのは、わずかに良心が痛んだ。
ふと、先ほどシャツ越しに触った筋肉の隆起が蘇る。
私の中でまだ、わずかに生きている騎士が敗北を認めた。このひとにはもう、勝てないと。
――八年前、「殿下」と一緒に踊った。
あの時は、分厚い礼装越しで、密着しても身体の生々しい凹凸まで分からなかった。
ダンスで密着し、毒を飲んだ後は腰を引き寄せ、最後は膝枕をしてもらった思い出が脳裏に蘇る。
陛下は騎士として鍛えていた当時のほうがもっと「男」の身体だったんじゃないか。
本来、得られぬ二度目の生。
それに対して何か思うことがあるなんて思いもしなかった。
(なんで私、十三歳なんだろう)
もし、私が成人していたら――。
そんなことを考えた自分が、あまりにも恥ずかしくて。
誰もいないのに、恥ずかしさのあまりに両手で顔を覆ってしまった。
八年越しの毒が、今更やってくるなんて思ってもいなかった。
騎士時代に散々やったはずなのに、少しふらついてしまった。筋肉が足りないせいか、それとも、陛下に気圧されたのか――。
普段忘れていたけれど、本来であれば毎回そうするべきなのだ。
視界の端で、陛下の黒いマントが揺れた。
じゃり、という音と共に、先ほどまで二人で地面に刻んでいた偏向術式の案。
地面に書かれたそれは、陛下の足で無造作に踏みにじられ、否定された。
『暴虐皇帝』の異名にふさわしい、傲然とした所作だった。
「――それで、どういうつもりだ。薔薇の贈与に、涙。……告白か?」
頭の上から絶対零度の声が降り注ぐ。
ふたりとも声が出せない。恐怖のあまり、地面を向くことしかできない。
今すぐ去ってくれ。早く何処かで行ってくれ!
心の底からそう願った。どっどっど、と心臓が早鐘を打つ。
止まらなかったはずの涙はとっくに引っ込んでいた。もしくは陛下の圧で凍りついたのかもしれない。
「たしかに“良い場面”だった。中庭の月、血の薔薇、恋人たちのような距離感……」
陛下の声は低く、抑えられているのに、底が抜けたように冷たい。
肌寒い季節なのに、汗が止まらない。
私が“暴虐皇帝”だと思っていたものは、偽りだった。
あんなのは「戯れで腹黒を演じているだけ」だ。
腕を強く掴まれたことはあっても、『首を撥ねるぞ』という殺意に似た何かを向けられたこと、なかった。
ちっ、という舌打ちが聞こえた後に、地面が遠のき、急速な浮遊感が襲った後――陛下の肩に担がれていた。
「良いことを教えてやろう」
肩に私を担いだまま、陛下は少年に近づいた。
片手で、その小さな首根っこをぐいと掴み上げる。
「その薔薇、処刑台にも飾れるぞ。……美しく死ねるようにな」
『殺すぞ』をこんなにも丁寧に言われたのは初めてだった。
陛下は一歩、地を踏みしめた。
同時に、空気が裂けるような音がして、視界が歪む。
遠くで、何かが地面に落ちる音がした。それはかき消されてしまいそうな程、小さな音で――
私は、あの薔薇が砕けた音なんじゃないかと思った。
……少年、トラウマになってなければいいな。
体を貫く魔力の震えが、瞬間移動のそれだと気づくのに、少しだけ時間がかかった。
***
担がれたまま、私は、抵抗できなかった。
転移した先は宮廷のようで、陛下は不機嫌さを隠さず大股で歩く。
部屋の前に居た護衛に「誰も入れるな」と厳命し、乱暴に扉を締めた。
音の大きさに、思わず身を竦めた。
部屋に入ると寝台に放り投げられた。周りを見る余裕すらないが、どうやらここは陛下の私室らしい。
立派な寝台のマットが私の身体をぽすんと優しく受け止めてくれる。
陛下はコートを脱ぎ、ネクタイを緩めた。その動作が色っぽくてドキドキしてしまった。
とりあえず速攻で処刑台に薔薇を添えられることにはならなさそうで安心した。
ベッドが、二人分の体重を受けてみしり、と音を立てた。
ああ! 処刑は免れたと思ったのに別の危機!
流石の私も、男女がベッドで二人でいる時に起こる危機を想像できない程、世間知らずではない。
「陛下、まずいですって!」
迫ってくる陛下に対して、両手を前に出して抵抗を試みる。
薄いシャツ越しに、筋肉の隆起を感じ取る。――無駄だと分かっていたけれど、置物のように微動だにしない。
ひえ、と喉の奥から悲鳴が漏れ出た。
陛下の手が、私の頬を三本の指でがっ!と掴んだ。
まるで感触を確かめるように、頬をぶにぶにと潰される。
「この口で、愛を囁いたのか。――あいつに」
その声音は低く抑えられているのに、怒りが剥き出しだった。
答える隙も与えず、手のひらに力がこもる。
顔の骨がみしりと音を立てる幻聴が聞こえた。
違う! と答える事もできないまま、陛下が喋りだした。
「いい。――もう何も、聞きたくない」
彫像めいた美しい顔が近づいてくる。けれどその眼差しにあるのは――。
(……陛下の目、やっぱり、きれい)
だから私は、陛下の顔をむんずと掴んで、確認した。
その目の下に、濃い隈が刻まれていたからだ。
「なに、悪いけど、止める気ないよ」
そうやって凄む陛下の黒髪を優しく撫で撫でした。
「じゃあ『私がする』ので。仰向けに」
そう言って隣をぽんぽんと叩いた。
このベッドは陛下が大の字になって三人分寝ても余るくらいには広い。
美しい眉がピクリと動く。
「積極的だね」
何を想像しているのか、そう言いながらも言ったとおりに仰向けになってくれた。
頭をぽんぽんとしながら、胸を優しく撫でる。
「目を閉じてー……じゅう、きゅう、はーち……」
できるだけ穏やかな声で、リズムを付けてカウントダウンをしていく。
「……ゼロ」
すぅすぅという寝息が、部屋に響いていた。
カーシャお姉様直伝の「眠れない日のための寝かしつけ術」が役に立つ日がくるとは思わなかった。
別に、何を『する』とは言ってないし。
やっぱり疲れてたんだな。人は寝てないと正常な判断ができなくなる。
『アナスタシア』の口から『私がする』って発言が出てくること、おかしいって分からない時点で頭が正常に働いてない。
陛下がこちらを見る眼差しには「欲情」というよりも「危機」とか「焦燥」の方が近かった。
命の危機を感じた時、人は本能的に子孫を残すために性欲が増すと聞いたことがある。
今日の陛下は、つまりそういうことだろう。
どれだけ疲れてたんだろう。……思わず、陛下の顔を見た。
こころなしか、最後にお茶会したときよりもやつれている気がする。
中庭で地面に座っていたから、コートは泥だらけだった。
着替えもせずベッドに放り込まれたせいで、あちこちに土がこぼれている。
そんな汚れた場所で陛下を寝かせるのは、わずかに良心が痛んだ。
ふと、先ほどシャツ越しに触った筋肉の隆起が蘇る。
私の中でまだ、わずかに生きている騎士が敗北を認めた。このひとにはもう、勝てないと。
――八年前、「殿下」と一緒に踊った。
あの時は、分厚い礼装越しで、密着しても身体の生々しい凹凸まで分からなかった。
ダンスで密着し、毒を飲んだ後は腰を引き寄せ、最後は膝枕をしてもらった思い出が脳裏に蘇る。
陛下は騎士として鍛えていた当時のほうがもっと「男」の身体だったんじゃないか。
本来、得られぬ二度目の生。
それに対して何か思うことがあるなんて思いもしなかった。
(なんで私、十三歳なんだろう)
もし、私が成人していたら――。
そんなことを考えた自分が、あまりにも恥ずかしくて。
誰もいないのに、恥ずかしさのあまりに両手で顔を覆ってしまった。
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