2 / 62
第一章
第二話
しおりを挟む
鬼平は、聞き慣れない甘い声で自身の重たい頭を上げた。もとより眠っているというのは振りであって、眠たいわけではなかった。だがあくまでもそれを悟られたくないがために、本当はもっと素早く反応できたのに、眠たいふりをして気だるげに反応したのだった。
その少し脂ぎった長い髪は好き勝手に伸びて、ぼさぼさで目に覆いかぶさり、著しく清潔感に欠けていた。彼は、髪で隠れていない右目で声の主を盗み見た。
「……!」
鬼平はそこで、それまでのナマケモノみたいな反応とは明らかに違うスピードで身体を跳ね上げた。彼は危険を察知して逃げ出す前の猫のように、席から立ち上がり、――逃げ道を探したが、智香が塞いでしまっていた――目を見開いて、じろじろと信じられない目つきで智香を見ていた。
智香は鬼平の、孤独が煮詰まったような臭い(なんだか酸っぱい嫌な臭い)が気になったが、その反応を見てそれどころではなくなってしまった。
が、特に話したこともないため、深く問い詰める気も起きない。さっさとやることを終えることだけを考えていた。
鬼平は立ち上がると、智香よりも少し背が低く、身体も細かった。病的な程白い肌と長い髪に中性的な顔立ちは、髪を切ったばかりで凛とした表情の智香と並んでいると、遠目で見ると、どちらもはっきりとは性別がわからない。
「これ、返すね。ありがとう」
智香は目が泳いで定まらない鬼平をよそに、折り畳み傘を差し出した。それを見るなり、鬼平は唇をキュッと結んだ。
「……でもできれば、」
鬼平が傘を手にすると智香は言った。
「渡す時、声をかけてくれると嬉しかったかな。じゃないと、……ちょっと怖いよ?」
智香が茶化すように言うと鬼平は俯き、そのまま、誰にもわからないほど小さく頷き、何も言わずに、傘を持ったまま席に座った。それから腕を組んで、もう一度寝ようとしたが……持っている傘に気付くと、――また猫がするかのように――虚空を見つめていた。
智香はそれを見ながら何か声をかけようか迷っていたが、休み時間はあとわずかだ。諦めて鬼平に背を向けると、教室中の視線をくぐり抜け、そこから去った。
廊下に出るなり、女子生徒が抱き着いてきた。
「ちーかっ!」
智香は苦笑いしながら、市ノ瀬麻由里を受け止めた。麻由里はさながら智香の胸に倒れ込むように寄り掛かってくる。智香は彼女をしっかりと受け止めた。
「用事、終わった?」
麻由里は抱き着いたまま智香の瞳を覗き込み、無邪気に聞く。智香もまた、麻由里の瞳に浮かぶ輝きを見つめる。
「うん」
麻由里はそれを聞いて微笑み、智香から離れ、手を取った。
「じゃあ購買行こうよ。お腹空いちゃった」
「麻由里、ダイエット中じゃないの?」
智香は、麻由里の跳ね上がって床に落ち着こうとしない脚を見て言った。何気なく言ったその一言に、麻由里はムッとして智香を睨んだ。
「今日はいいんだよ」
「……それ、昨日も言ってなかった?」
「昨日は、昨日。今日は今日」
智香は呆れながら笑った。
「なにそれ」
麻由里も笑い、智香の手を引っ張った。しかし、その手はそのまま動こうとしなかった。不審に思った麻由里は、すぐに振り返った。
智香は立ち止まって眉をひそめ、もの凄い形相で、ある一点を睨んでいた。麻由里は、気になって智香の視線をなぞった。
すると廊下の向こうから英語教師、三國修司が教科書と出席表を持って歩いてくるのが見えた。麻由里は三國を見るなり、曇りかけていた顔を輝かせる。
「三國先生ー!」
まるで道端で綺麗な花を見つけた時の少女のように、三國の元へ駆けだそうする麻由里。ただ、一人の女子生徒が別のところから駆けて来て、三國の注意を奪うと、麻由里はキュッとブレーキをかけるように音を鳴らして立ち止まり、目を凝らした。
「……げえっ、百川千花じゃん!」
それが誰だかわかると、麻由里は露骨に嫌悪感を丸出しにした。それでも智香は反応を示さなかった。向こうに見える百川千花は、三國に頻りに喋りかけて、どうにか関心を引こうとしていた。
百川の真っ直ぐで艶のある長い髪は、大げさにリアクションを取るごとに、ゆらゆら揺れている。が、そんな彼女の努力も虚しく、三國は彼女へ早々に別れを告げ、死んでいるみたいに固まってしまった智香の元へと歩いてくる。
智香はその時も三國の行く末を睨み続けていた。百川が向こうで不貞腐れ、頬を膨らませた後、智香の方を睨み、教室に入るのが見えた。
「こんにちは」
その少し脂ぎった長い髪は好き勝手に伸びて、ぼさぼさで目に覆いかぶさり、著しく清潔感に欠けていた。彼は、髪で隠れていない右目で声の主を盗み見た。
「……!」
鬼平はそこで、それまでのナマケモノみたいな反応とは明らかに違うスピードで身体を跳ね上げた。彼は危険を察知して逃げ出す前の猫のように、席から立ち上がり、――逃げ道を探したが、智香が塞いでしまっていた――目を見開いて、じろじろと信じられない目つきで智香を見ていた。
智香は鬼平の、孤独が煮詰まったような臭い(なんだか酸っぱい嫌な臭い)が気になったが、その反応を見てそれどころではなくなってしまった。
が、特に話したこともないため、深く問い詰める気も起きない。さっさとやることを終えることだけを考えていた。
鬼平は立ち上がると、智香よりも少し背が低く、身体も細かった。病的な程白い肌と長い髪に中性的な顔立ちは、髪を切ったばかりで凛とした表情の智香と並んでいると、遠目で見ると、どちらもはっきりとは性別がわからない。
「これ、返すね。ありがとう」
智香は目が泳いで定まらない鬼平をよそに、折り畳み傘を差し出した。それを見るなり、鬼平は唇をキュッと結んだ。
「……でもできれば、」
鬼平が傘を手にすると智香は言った。
「渡す時、声をかけてくれると嬉しかったかな。じゃないと、……ちょっと怖いよ?」
智香が茶化すように言うと鬼平は俯き、そのまま、誰にもわからないほど小さく頷き、何も言わずに、傘を持ったまま席に座った。それから腕を組んで、もう一度寝ようとしたが……持っている傘に気付くと、――また猫がするかのように――虚空を見つめていた。
智香はそれを見ながら何か声をかけようか迷っていたが、休み時間はあとわずかだ。諦めて鬼平に背を向けると、教室中の視線をくぐり抜け、そこから去った。
廊下に出るなり、女子生徒が抱き着いてきた。
「ちーかっ!」
智香は苦笑いしながら、市ノ瀬麻由里を受け止めた。麻由里はさながら智香の胸に倒れ込むように寄り掛かってくる。智香は彼女をしっかりと受け止めた。
「用事、終わった?」
麻由里は抱き着いたまま智香の瞳を覗き込み、無邪気に聞く。智香もまた、麻由里の瞳に浮かぶ輝きを見つめる。
「うん」
麻由里はそれを聞いて微笑み、智香から離れ、手を取った。
「じゃあ購買行こうよ。お腹空いちゃった」
「麻由里、ダイエット中じゃないの?」
智香は、麻由里の跳ね上がって床に落ち着こうとしない脚を見て言った。何気なく言ったその一言に、麻由里はムッとして智香を睨んだ。
「今日はいいんだよ」
「……それ、昨日も言ってなかった?」
「昨日は、昨日。今日は今日」
智香は呆れながら笑った。
「なにそれ」
麻由里も笑い、智香の手を引っ張った。しかし、その手はそのまま動こうとしなかった。不審に思った麻由里は、すぐに振り返った。
智香は立ち止まって眉をひそめ、もの凄い形相で、ある一点を睨んでいた。麻由里は、気になって智香の視線をなぞった。
すると廊下の向こうから英語教師、三國修司が教科書と出席表を持って歩いてくるのが見えた。麻由里は三國を見るなり、曇りかけていた顔を輝かせる。
「三國先生ー!」
まるで道端で綺麗な花を見つけた時の少女のように、三國の元へ駆けだそうする麻由里。ただ、一人の女子生徒が別のところから駆けて来て、三國の注意を奪うと、麻由里はキュッとブレーキをかけるように音を鳴らして立ち止まり、目を凝らした。
「……げえっ、百川千花じゃん!」
それが誰だかわかると、麻由里は露骨に嫌悪感を丸出しにした。それでも智香は反応を示さなかった。向こうに見える百川千花は、三國に頻りに喋りかけて、どうにか関心を引こうとしていた。
百川の真っ直ぐで艶のある長い髪は、大げさにリアクションを取るごとに、ゆらゆら揺れている。が、そんな彼女の努力も虚しく、三國は彼女へ早々に別れを告げ、死んでいるみたいに固まってしまった智香の元へと歩いてくる。
智香はその時も三國の行く末を睨み続けていた。百川が向こうで不貞腐れ、頬を膨らませた後、智香の方を睨み、教室に入るのが見えた。
「こんにちは」
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
地味男はイケメン元総長
緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。
GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。
お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが!
「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」
「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」
ヒミツの関係はじめよう?
*野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。
野いちご様
ベリーズカフェ様
エブリスタ様
カクヨム様
にも掲載しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
現実とサキュバスのあいだで ――夢で告白した相手が、同居を始めた話
そう
青春
ある日家に突然現れた謎のサキュバスのホルさん!
好感度はMAXなようで流されるがまま主人公はホルさんと日常を過ごします。
ほのぼのラブコメというか日常系小説
オチなどはなく、ただひたすらにまったりします
挿絵や文章にもAIを使用しております。
苦手な方はご注意ください。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる