びんの悪魔 / 2023

yamatsuka

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第一章

第二話

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 鬼平は、聞き慣れない甘い声で自身の重たい頭を上げた。もとより眠っているというのは振りであって、眠たいわけではなかった。だがあくまでもそれを悟られたくないがために、本当はもっと素早く反応できたのに、眠たいふりをして気だるげに反応したのだった。

 その少し脂ぎった長い髪は好き勝手に伸びて、ぼさぼさで目に覆いかぶさり、著しく清潔感に欠けていた。彼は、髪で隠れていない右目で声の主を盗み見た。

「……!」

 鬼平はそこで、それまでのナマケモノみたいな反応とは明らかに違うスピードで身体を跳ね上げた。彼は危険を察知して逃げ出す前の猫のように、席から立ち上がり、――逃げ道を探したが、智香が塞いでしまっていた――目を見開いて、じろじろと信じられない目つきで智香を見ていた。

 智香は鬼平の、孤独が煮詰まったような臭い(なんだか酸っぱい嫌な臭い)が気になったが、その反応を見てそれどころではなくなってしまった。
 が、特に話したこともないため、深く問い詰める気も起きない。さっさとやることを終えることだけを考えていた。

 鬼平は立ち上がると、智香よりも少し背が低く、身体も細かった。病的な程白い肌と長い髪に中性的な顔立ちは、髪を切ったばかりで凛とした表情の智香と並んでいると、遠目で見ると、どちらもはっきりとは性別がわからない。

「これ、返すね。ありがとう」

 智香は目が泳いで定まらない鬼平をよそに、折り畳み傘を差し出した。それを見るなり、鬼平は唇をキュッと結んだ。

「……でもできれば、」

 鬼平が傘を手にすると智香は言った。

「渡す時、声をかけてくれると嬉しかったかな。じゃないと、……ちょっと怖いよ?」

 智香が茶化すように言うと鬼平は俯き、そのまま、誰にもわからないほど小さく頷き、何も言わずに、傘を持ったまま席に座った。それから腕を組んで、もう一度寝ようとしたが……持っている傘に気付くと、――また猫がするかのように――虚空を見つめていた。

 智香はそれを見ながら何か声をかけようか迷っていたが、休み時間はあとわずかだ。諦めて鬼平に背を向けると、教室中の視線をくぐり抜け、そこから去った。
 廊下に出るなり、女子生徒が抱き着いてきた。

「ちーかっ!」

 智香は苦笑いしながら、市ノ瀬麻由里いちのせまゆりを受け止めた。麻由里はさながら智香の胸に倒れ込むように寄り掛かってくる。智香は彼女をしっかりと受け止めた。

「用事、終わった?」

 麻由里は抱き着いたまま智香の瞳を覗き込み、無邪気に聞く。智香もまた、麻由里の瞳に浮かぶ輝きを見つめる。

「うん」

 麻由里はそれを聞いて微笑み、智香から離れ、手を取った。

「じゃあ購買行こうよ。お腹空いちゃった」

「麻由里、ダイエット中じゃないの?」

 智香は、麻由里の跳ね上がって床に落ち着こうとしない脚を見て言った。何気なく言ったその一言に、麻由里はムッとして智香を睨んだ。

「今日はいいんだよ」

「……それ、昨日も言ってなかった?」

「昨日は、昨日。今日は今日」

 智香は呆れながら笑った。

「なにそれ」

麻由里も笑い、智香の手を引っ張った。しかし、その手はそのまま動こうとしなかった。不審に思った麻由里は、すぐに振り返った。
 智香は立ち止まって眉をひそめ、もの凄い形相で、ある一点を睨んでいた。麻由里は、気になって智香の視線をなぞった。

 すると廊下の向こうから英語教師、三國修司みくにしゅうじが教科書と出席表を持って歩いてくるのが見えた。麻由里は三國を見るなり、曇りかけていた顔を輝かせる。

「三國先生ー!」

 まるで道端で綺麗な花を見つけた時の少女のように、三國の元へ駆けだそうする麻由里。ただ、一人の女子生徒が別のところから駆けて来て、三國の注意を奪うと、麻由里はキュッとブレーキをかけるように音を鳴らして立ち止まり、目を凝らした。

「……げえっ、百川千花ももかわちかじゃん!」

 それが誰だかわかると、麻由里は露骨に嫌悪感を丸出しにした。それでも智香は反応を示さなかった。向こうに見える百川千花は、三國に頻りに喋りかけて、どうにか関心を引こうとしていた。
 百川の真っ直ぐで艶のある長い髪は、大げさにリアクションを取るごとに、ゆらゆら揺れている。が、そんな彼女の努力も虚しく、三國は彼女へ早々に別れを告げ、死んでいるみたいに固まってしまった智香の元へと歩いてくる。

 智香はその時も三國の行く末を睨み続けていた。百川が向こうで不貞腐れ、頬を膨らませた後、智香の方を睨み、教室に入るのが見えた。

「こんにちは」

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