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第四章
第一話
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――同じ日、昼休み、鬼平柊の教室
「鬼木くん、鬼木くん」
鬼平は、背中をちょいちょいと小突かれているのに気付いて、髪を掻きむしりながら振り返った。すると、そこには卑屈な笑顔を浮かべた、気弱そうな男子生徒が立っていた。
「死んでるかと思った」
いきなり失礼なことを言われて、鬼平は文句を言おうと思ったが、やはり言葉は出なかった。それを誤魔化すように欠伸をして、凝り固まった身体を伸ばした。今日は以前智香に起こされた時と違って、本当に昼寝をしていたから、不機嫌になった。
「鬼木くん、僕の名前、覚えてる?」
鬼平は焦点の定まらない目で、その生徒の顔を見た。……知らない。いや、一度聞いたはずだが、もう忘れてしまったのだ。一旦興味を失うと、名前というのは実にあっさりと頭から抜け落ちてしまう。
鬼平は一応、失礼にならない程度に、首を横に振った。すると彼は、小さく舌打ちをした。……聞き間違いだと思いたかった。
「僕の名前は六条だよ。六条恭介。わかった? もう二度と言わないから、覚えておいて」
六条は、なんだかわざとらしい笑顔で鬼平の背中を叩いた。鬼平は、なぜ彼が急にこんなに馴れ馴れしく接してきたのか理解できなかった。何か、まずいことでもしたのだろうか、と考えていた。
「ちょっといい?」
そう言われて、鬼平は顔を近づけた。
すると六条は、さっきとは別人のような冷たい口調に切り替わって、耳元で囁いた。
「下らないと思わないか? クラス、いや、この学校にいる奴ら」
鬼平はびっくりして、顔を上げた。六条はにやりと笑って、彼を見つめていた。六条はその様子を見て続けた。
「みんな、自分がどれだけ、恵まれているのかも知りもしないで、のうのうと生きている。苦しみを知っている、僕や、君みたいな人間は、こんなふうに教室の隅に追いやられてる。間違っていると思わないか?」
それを言い終わると、六条は満足気に鬼平を見下ろした。悪魔みたいな顔をしている、と思った。その目はギラギラと妖しく輝いていた。ただどこか、子供っぽくも見えた。
「君もそう思うだろ?」
そうだ、とは返さなかった。たとえ口を開こうとしたとしても。ただ、六条はそれを肯定のサインだと受け取った。
「やっぱり」
六条は満足気に頷いた。鬼平はうんざりした。こんな奴が同じクラスにいたなんて、どうして気付かなかったのか。
どうにかして穏便に六条から離れたいと思った。が、あまりいい手段は思いつかなかった。それでやけくそになって、
「……トイレ」
と言ってみる。そして、上手くいったかどうかもわからないまま、急いで席を立った。
「僕も行こうかな」
六条は何食わぬ顔をして追って来た。――こっちに来るな! だがそれも声に出せず、鬼平はただ肩をすくめただけだった。別にトイレなんかに用はなかった。鬼平は、わざと道を外れて、遠回りをし、最後の悪あがきを試みた。
「どこに行くんだよ? トイレはこっちだろ。変なやつだな」
六条はそう言って鬼平の袖をつかんだ。鬼平は、その手を振り払う勇気もなく、そのままトイレに連行された。
「ちょうどいい、話しておきたいことがあったし。トイレで話せばいいや」
――お前となんか、もう一言も話したくない、と、頭の中で威勢のいい言葉だけ浮かべる。
「ここでいいか。実はね、僕が君に話しかけたのは、同志を探したかったからでさ」
トイレにいた一人がすれ違い出て行った後、五つ並んだ小便器の前で、腰に手を当て、偉そうに六条が言った。
「実はさ、つい耳にしたんだけど、鬼木くん、『びんの悪魔』って知ってる?」
鬼平はその言葉を聞いて、驚いて心臓が止まりそうになったが、ぶんぶんと激しく首を振って否定した。
「そう。まあ、鬼木くん、ぼっちだから、知らないのもしょうがないか。教えてあげるよ、それはさ、不老不死以外の願いならなんでも叶えてくれるんだってさ」
鬼平が六条を見つめると、彼は慌てた様子で付け足した。
「いや、別に信じているわけじゃないよ! どうせ、ただの噂だろ。でも、最近さ、その話を聞いてから変なんだ。どうやっともそれが頭から離れない。腹が立ってきてさ。こっちは、そんなことに構っている時間なんてないってのに。だから、そんな下らない噂を流して、奴らの正体を、突き止めようって思って。……まあ、そのついでに悪魔も回収できたらいいと思わない? もちろん……手伝ってくれるだろ?」
何が、もちろん、なのか鬼平には見当もつかなかった。要するに一人じゃ探せないから手伝ってくれと言っているのだろう、と鬼平は解釈した。当然その申し出を受けるつもりはなかったが、断り方も知らなかったので、落ち着かない様子で、唇を手でさする。それでも否定の言葉が出てこなかったので、身体を揺さぶって、首を左右に動かしていると、
「ん? ああ、そうだった」
と、六条が便器に近寄った。鬼平は別に用を足すつもりはなかったが(ここで帰るのも不自然だと思い)、仕方なく中央に居座った六条をよけて、一番奥へ向かった。
「じゃあ、そういうことで」
肩を叩かれた鬼平は、死にたい気持ちになった。
「鬼木くん、鬼木くん」
鬼平は、背中をちょいちょいと小突かれているのに気付いて、髪を掻きむしりながら振り返った。すると、そこには卑屈な笑顔を浮かべた、気弱そうな男子生徒が立っていた。
「死んでるかと思った」
いきなり失礼なことを言われて、鬼平は文句を言おうと思ったが、やはり言葉は出なかった。それを誤魔化すように欠伸をして、凝り固まった身体を伸ばした。今日は以前智香に起こされた時と違って、本当に昼寝をしていたから、不機嫌になった。
「鬼木くん、僕の名前、覚えてる?」
鬼平は焦点の定まらない目で、その生徒の顔を見た。……知らない。いや、一度聞いたはずだが、もう忘れてしまったのだ。一旦興味を失うと、名前というのは実にあっさりと頭から抜け落ちてしまう。
鬼平は一応、失礼にならない程度に、首を横に振った。すると彼は、小さく舌打ちをした。……聞き間違いだと思いたかった。
「僕の名前は六条だよ。六条恭介。わかった? もう二度と言わないから、覚えておいて」
六条は、なんだかわざとらしい笑顔で鬼平の背中を叩いた。鬼平は、なぜ彼が急にこんなに馴れ馴れしく接してきたのか理解できなかった。何か、まずいことでもしたのだろうか、と考えていた。
「ちょっといい?」
そう言われて、鬼平は顔を近づけた。
すると六条は、さっきとは別人のような冷たい口調に切り替わって、耳元で囁いた。
「下らないと思わないか? クラス、いや、この学校にいる奴ら」
鬼平はびっくりして、顔を上げた。六条はにやりと笑って、彼を見つめていた。六条はその様子を見て続けた。
「みんな、自分がどれだけ、恵まれているのかも知りもしないで、のうのうと生きている。苦しみを知っている、僕や、君みたいな人間は、こんなふうに教室の隅に追いやられてる。間違っていると思わないか?」
それを言い終わると、六条は満足気に鬼平を見下ろした。悪魔みたいな顔をしている、と思った。その目はギラギラと妖しく輝いていた。ただどこか、子供っぽくも見えた。
「君もそう思うだろ?」
そうだ、とは返さなかった。たとえ口を開こうとしたとしても。ただ、六条はそれを肯定のサインだと受け取った。
「やっぱり」
六条は満足気に頷いた。鬼平はうんざりした。こんな奴が同じクラスにいたなんて、どうして気付かなかったのか。
どうにかして穏便に六条から離れたいと思った。が、あまりいい手段は思いつかなかった。それでやけくそになって、
「……トイレ」
と言ってみる。そして、上手くいったかどうかもわからないまま、急いで席を立った。
「僕も行こうかな」
六条は何食わぬ顔をして追って来た。――こっちに来るな! だがそれも声に出せず、鬼平はただ肩をすくめただけだった。別にトイレなんかに用はなかった。鬼平は、わざと道を外れて、遠回りをし、最後の悪あがきを試みた。
「どこに行くんだよ? トイレはこっちだろ。変なやつだな」
六条はそう言って鬼平の袖をつかんだ。鬼平は、その手を振り払う勇気もなく、そのままトイレに連行された。
「ちょうどいい、話しておきたいことがあったし。トイレで話せばいいや」
――お前となんか、もう一言も話したくない、と、頭の中で威勢のいい言葉だけ浮かべる。
「ここでいいか。実はね、僕が君に話しかけたのは、同志を探したかったからでさ」
トイレにいた一人がすれ違い出て行った後、五つ並んだ小便器の前で、腰に手を当て、偉そうに六条が言った。
「実はさ、つい耳にしたんだけど、鬼木くん、『びんの悪魔』って知ってる?」
鬼平はその言葉を聞いて、驚いて心臓が止まりそうになったが、ぶんぶんと激しく首を振って否定した。
「そう。まあ、鬼木くん、ぼっちだから、知らないのもしょうがないか。教えてあげるよ、それはさ、不老不死以外の願いならなんでも叶えてくれるんだってさ」
鬼平が六条を見つめると、彼は慌てた様子で付け足した。
「いや、別に信じているわけじゃないよ! どうせ、ただの噂だろ。でも、最近さ、その話を聞いてから変なんだ。どうやっともそれが頭から離れない。腹が立ってきてさ。こっちは、そんなことに構っている時間なんてないってのに。だから、そんな下らない噂を流して、奴らの正体を、突き止めようって思って。……まあ、そのついでに悪魔も回収できたらいいと思わない? もちろん……手伝ってくれるだろ?」
何が、もちろん、なのか鬼平には見当もつかなかった。要するに一人じゃ探せないから手伝ってくれと言っているのだろう、と鬼平は解釈した。当然その申し出を受けるつもりはなかったが、断り方も知らなかったので、落ち着かない様子で、唇を手でさする。それでも否定の言葉が出てこなかったので、身体を揺さぶって、首を左右に動かしていると、
「ん? ああ、そうだった」
と、六条が便器に近寄った。鬼平は別に用を足すつもりはなかったが(ここで帰るのも不自然だと思い)、仕方なく中央に居座った六条をよけて、一番奥へ向かった。
「じゃあ、そういうことで」
肩を叩かれた鬼平は、死にたい気持ちになった。
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